◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2017/11/12 http://dndi.jp/

石彫家、和泉正敏氏の世界-
・「天空の庭」(救世神教)礼賛
 その14 古風な和泉氏の超絶的仕事-モエレ沼公園再訪



 その頂(いただき)から、朝日をあびる山の稜線に目をやり、前傾姿勢を保って両方の腕をばたつかせてみたのである。そう、息を止めて勢いよく繰り返すのだ。吹き上げる風に乗れば飛べるかもしれない。空を飛ぶなんて、無謀でしょう。
 しかし…。
 わずかに浮き加減になった。力を抜いて危うげな体を風に任せるようにスキップした。石段の急斜面を真っ逆さまに落下するかもしれない、と危うさを覚悟したら、体が宙に浮いた。そして、ふわっと舞い上がった。鳥のように旋回しながら飛んだ。
 自由でいいなあ、空の青と芝の緑のコントラスト、のびやかな光景に視界を遮るものは何一つない。目の先遠くに手稲山がかすんでみえる。羽が生えているような感覚だ。気流が、体を上へ上へと押し上げていく。くるりと宙返りもできる。確かに飛んでいる。なんて心地よいのだろうか。
 ◇連載再開
 あれこれとひと区切りついてのメルマガである。今月上旬、札幌のモエレ沼公園に、石彫家、和泉正敏氏のもうひとつの「天空の庭」を訪れた。12年ぶりの再訪となるがそれには理由があった。その時の話から連載を再開する。
                    DNDメルマガ編集長/ジャーナリスト 出口俊一




 三重県津市に本部がある救世神教を訪ね、そこで後藤崇比古管長の紹介で、和泉正敏氏に初めてお目にかかったのは、忘れもしない2016年9月13日だ。前日から興奮して眠れなかった。何をどこから聞いたらよいのか、考えがまとまらなかったのだ。
 和泉氏は、「札幌に行ってきました。今日は、その帰りなんです」とつぶやくように語った。手にしていたのが、2万人の観客を集めた9月10日開催の「モエレ沼芸術花火」の、あでやかな彩(いろどり)のパンフレットだ。
 和泉氏は、イサム・ノグチ氏の作品を支えた共同パートナーだから、イサム氏の世界観や制作意図のいわば神髄を知り尽くした人物である。和泉氏の協力が得られなかったらモエレ沼公園の完成は見なかったであろう、という評価は多くの関係者の一致するところであろう。が、和泉氏の名前は「ガラスのピラミッド」の銘板になく、『モエレ沼公園誕生への歩み』の記録のビデオ作品にも見あたらない。
 控えめで滅多に表にでようとしない人柄だから、自らの名前がでることをむしろ拒んだのかもしれない。和泉氏が、華々しいイサム作品の芸術のその陰で、石組みという危険と背中合わせの過酷な労苦に耐えたのか、まずご本人が語らないのだから、その事実はほとんど知られていないのである。
 初めてお会いした時、1冊のパンフレットを「どうぞ、ご参考に」と手渡しながら、「(モエレ沼公園には)7000トンの石を運びました」とさりげなく口にしていた。わたしは、7000トンと聞いて、思わず受け取ったパンフレットを手から落としそうになった。その重量が実感としてとらえられないのである。いずれに日か、モエレ沼公園に足を運んで行って確かめなければならない、と決めていた。「歩測」というシンプルなやり方だが、和泉氏の仕事ぶりに迫る手掛かりは、それしかないのではないか。なんども数えなおして行ったり来たりする、というのはわたしの流儀だから。




◇11月1日、快晴、取材の神様。
 その日午前、小樽で母を見舞ってから札幌に戻った。切なさが追いかけてくる。実は、幼いころの別れという現実に引き戻されて心が泡立っていたのだ。
 そんな思いを断ち切って駅付近にあるホテルでチェックインを済ませてそそくさとモエレ沼公園に向かった。午後2時半すぎに札幌駅から地下鉄とバスを乗り継ぎ、1時間ほどでバス停の「モエレ沼公園西口」に着いた。ポプラ並木の先の橋を越えた。カラ松が染まり、草紅葉が始まっていた。
 どこからでも自由に入れるモエレ沼公園だ。わたしにとっては、グランドオープンから数えて12年ぶりとなる。当時、メルマガ(※1)でしっかり描いたつもりだったが、読みかえしてみると、石彫家、和泉正敏氏のことは1行も触れていない。取材の至らなさを痛感した。まさに画竜点睛を欠く、とはこのことだ。
 ※1【DNDメルマガVol140、イサム・ノグチの祈り】
http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm050810.html




◇12年の時空を超えた瞬間
 最初に遭遇したのは、眩い光を放つステンレスの柱だ。「テトラマウンド」と呼ぶこの三角形の彫刻は、ダイナミックでイサム作品にふさわしい造形美を印象付けていた。交差する柱の空間からは、ピラミッド型の石段が飛び込んできた。プレイマウンテンである。iPhoneを向けるわたしの目はくぎ付けになった。一歩一歩、芝を踏みしめて近づいた。石段の最下段の前に立って、石段に目を泳がせながら頂上をうかがった。わたしは息をのんだ。
 この不思議な感覚は、あの時の体験と同じではないか。





『天上山にたって空を見上げると、果てしない宇宙のど真ん中に佇んでいるような気分にさせられる。「天空の庭」は、何を、意図しているのか、というもう一つの問いかけは、これまでの散策の間、常にわたしの心を占拠したままだった。なんら手掛かりがないまま、思索の淵を彷徨(さまよ)っていた』(【石彫家、和泉正敏氏の世界・「天空の庭」(救世神教)礼賛その12 和泉先生と初面談】 http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm161219.php)

 そして、「すごいなあ」という感動が口をついた。かがみこんで石に触れた。長さ2mもある石柱は、その上下の列に連続的な矢穴や羽衣のような赤さびを確認した。この石群は、救世神教に築かれた「天空の庭」の作品群とつながっているのではないか、と思うと、鳥肌がたった。わたしの胸中では札幌の「モエレ沼公園」と、津の「天空の庭」が、時空を超えてひとつにつながった瞬間でもあった。その証拠に、これは12年前、モエレ沼公園を題材にしたメルマガ(※2)時の書き出しだ。

『どこまでも限りなく続く石段は、天空への道のようで、緑の丘から澄んだ青空に向かってゆるやかに伸び、それはやがて果てしない 未来へと繋がっているようにも見えます。』
※2(【イサム・ノグチの祈り】http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm050810.html)






◇「歩測」
 その時はそれでもまだ十分に気が付いていなかった。まもなく驚くべき感動に立ち尽くすことになる。各石段に、いったい何個の石柱が埋め込まれたのか?その総数は?その作業現場の苦労は?-和泉氏に問い合わせれば、何のことはない疑問だろう。しかし、この答えを自らの「歩測」という原始的な方法で導き出したい。それによってのみ、その石組の作業がどれほどのものだったか、和泉氏の世界の一端を知る手掛かりになるのではないか、と確信していたからだ。ご存知のように『天空の庭』シリーズで、『つたえ石』の総延長と敷設された石の数を歩測していた。
 札幌市郊外、スケールの大きいモエレ沼公園の中心に築かれた高さ30mの壮大なプレイマウンテンの石段を踏みしめながら、99段に及ぶその精緻な石柱の数を数えようとした。
 足元の左端から、1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、13、14、15…と数字を口にしながら数えた。最下段の99段目の総数は、113個の石柱があることが判明した。
 札幌市役所勤務で幼馴染の三浦龍一さんによると、最下段の長さは150m、99段の総延長は約7750mで、下段のステージに面しており、この石段が8000人収容の観客席になるという。ここをジグザグに上ると、どれだけ時間がかかるかわからない。「歩測」ですら、骨がおれる。繰り返すが、この急斜面に石柱を1個ずつ埋め込むという作業は、超絶的というほかはないのである。

 そこでわたしは、10段ごとにワープした。
 99段目には、石柱が113個
 89段目には、石柱が99個
 79段目には、石柱が87個
 69段目には、石柱が75個
 55段目には、石柱が63個
 45段目には、石柱が55個



 中段まできてハタとワープしたことを悔いた。概算で、石柱の個数をだすのであれば、こんな計算式でもなんなく可能だ。石段の1段目が1個だから、例えば、1から100までの整数の和を求めるには、

 1+99=100
 2+98=100
 3+97=100
 4+96=100
 5+95=100
 ↓
 49+51=100
 1-99の組み合わせが49通り、100×49+100で50番目はそのままなのでその結果、
100×50+50=5050ということになる。つまり、プレイマウンテンの石段における石柱は、概算で5000個だ。
 しかし、5000個と分かったとしても、この数字から何が浮かび上がってくるのだろうか。
「歩測」で、この目と足で確かめるという作業によって、和泉氏の世界に少しでも近づけるということなのだ、と自らに言い聞かせた。どうせ、やるなら一段一段丁寧にカウントすべきだった。もう一度、やり直しだ。
 1段目、平石が1個
 2段目、2個
 3段目、3個
 4段目、3個
 5段目、4個
 6段目、5個
 7段目、6個
 8段目、7個
 9段目、7個
 10段目、9個(小計47個)
 ところが、この10段目というのが曲者でいわば踊り場になって四方をぐるり、多くの石が敷き詰められているのである。
 その四方の石は、階段に使用されている石とはやや趣を異にしているものもある。「日輪基壇」の台座に使われた色調の美しい黄褐色の四角い石が規則正しく並べられていた。数えなおしながら、それでも数えたら東西南北に57個、70個、55個、81個の合計263個となった。いやあ、数えるたびに数が微妙に違ってくるのでこの数字にはあんまり自信がもてない、というのが正直なところだ。
 いまとなっては、10段目の西側に向いた外側の9個が、この236個に含まれていたのか、どうかもあやしい。続けよう。
 11段目、10個
 12段目、11個
 13段目、12個
 14段目、13個
 15段目、14個
 16段目、16個
 17段目、16個
 18段目、17個 石は敷かれていない踊り場。(小計109個)
 19段目、20個
 20段目、20個
 21段目、22個
 22段目、23個
 23段目、25個
 24段目、25個
 25段目、25個
 26段目、26個
 27段目、27個 石は敷かれていない踊り場。(小計213個)
 28段目、27個
 29段目、27個
 30段目、31個
 31段目、29個
 32段目、34個
 33段目、31個
 34段目、35個
 35段目、38個
 36段目、38個 石は敷かれていない踊り場。(小計290個)
 37段目、37個
 38段目、39個
 39段目、40個
 40段目、43個
 41段目、43個
 42段目、45個
 43段目、42個
 44段目、47個
 45段目、49個 石は敷かれていない踊り場。(小計385個)
 46段目、46個
 47段目、50個
 48段目、53個
 49段目、54個
 50段目、56個 (ワープした時は55個)
 51段目、55個
 52段目、52個
 53段目、60個
 54段目、56個 石は敷かれていない踊り場。(小計482個、右端に印)
 55段目、61個
 56段目、57個 (美しい石と花)
 57段目、57個
 58段目、59個
 59段目、60個
 60段目、60個 (ワープした時は63個)
 61段目、59個
 62段目、59個
 63段目、69個 石は敷かれていない踊り場。(小計541個)
 64段目、70個
 65段目、74個
 66段目、74個
 67段目、76個
 68段目、81個
 69段目、80個
 70段目、79個 (ワープした時は75個)
 71段目、81個
 72段目、81個 石は敷かれていない踊り場。(小計696個)




   うーむ、もう2時間あまり、残りの石段は27段、「歩測」は、ここで止まった。足の筋肉が悲鳴を上げている。下段に向かうほど、石柱の数が増えていく。「歩測」なのだが、体力が続かないのである。またホテルに戻る時間が迫っていた。情けないことに、ここまでのトータルを数える気力もない。
 が、72段までの個数合計は、2763個で、10段目の踊り場に埋設されていた236個を合算すると、2999個と出た。たぶん数え間違いがありそうだが、3000個としようか。残り27段のマックスが最下部の113個なので、1段平均の個数を100個とすれば、+2700個となり、5700個にもなりそうだ。正確なカウントは、次回の宿題としよう、と思う。それにしても石柱の数は超絶的だ。
 モエレ沼公園の造成にかかわる建設の歩みーを記録したビデオが、ガラスのピラミッドの売店で流れていた。目を凝らしてみていると、石段の造成作業が垣間見られた。ひとつの石柱をクレーンで吊ってヘルメット姿の石工二人が左右に分かれて敷設していた。5000個を超える石柱をどんな風にやり遂げたのか、想像するだけで軽いめまいを覚えてしまった。
 わたしは99段の完歩を断念して、再び、頂へと急いだ。




◇犬島の巨石
 まさにその1段目の頂には、幅の広い1枚の石が陽を浴びて輝いていた。驚きというのは、この上品で神々しい平石が、瀬戸内海に浮かぶ犬島から切り出されたものではないか、とわが目を疑ったからだ。わたしの脳天に落雷のような衝撃が走った。
 知る人ぞ知るとはこのことだろう。霞が関の官邸に、そして救世神教の尊崇な「日輪基壇」の神礎石にあてられた巨大な平石と同種のものではないか、とわたしの疑問はすぐに確信にかわった。これは特筆すべき事柄なのだけれど、しかし、モエレ沼公園の資料のどこを探してもそのことへの解説はみあたらない。
 石段の石柱をこの足で数えるのだが、石柱はそれぞれ個性的で、犬島の平石のほか、牟礼の庵治石、「つたえ石」に使われた小豆島産の石、北木島産の品格のある石も散見された。我が国の有数の石切り場の名品を集めた贅沢なピラミットなのである。
 連載のクライマックスは、神礎石や天之磐座を産出した瀬戸内海の犬島の巨石が、この『天空の庭』シリーズの“核心”と捉えていることを告白しなければならない。取材当初から、それほど深い思いれがあるのだ。
わたしは、この『天空の庭』シリーズで犬島の平石について触れていた(※3)。
【◇いまから17年前の奇縁
 後藤管長が、犬島の丁場に足を踏み入れたのは、いまから17年前の1999年(平成11年)の11月3日が初めてだった。後藤管長は、その時の様子をしっかり記憶していた。
 当時、尊崇の本殿「光明殿」の移設に伴って構築される基壇の建設のプロジェクトが進行中で、その中心石となる畳20畳もの大きさの神礎石が、この犬島から切り出されていたのだ。それを「日輪基壇」と呼ぶのだが、「日輪基壇」の神礎石は、「田」の型にした畳10畳ほどの4枚と、「田」の上部にややファサード風に外に突き出た格好の20畳もの巨石が1枚加わり、合わせて5枚の組石として持ち込まれる予定になっていた。
 いやあ、平石といっても100トンもある巨石だ。文字では、説明が難しい。写真をお見せした方がその実像を捉えやすいと思う。ここにクレーンで吊り上げられた巨大な平石の、緊迫した搬入シーン見てもらいたい。指揮を執るのは、和泉正敏氏で、人を押し潰そうなくらい圧倒的で、危険な作業現場なのである。】
※3【メルマガ-石彫家、和泉正敏氏の世界-・「天空の庭」(救世神教)礼賛 その11 巨石の聖地、犬島(http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm160924.php)】

 このモエレ沼公園でも和泉氏が、人を押し潰そうなくらい圧倒的で危険な作業現場に立ち壮大なピラミット造営の指揮を執ったに違いない。わたしは、完成度の高い秀逸な仕事を粛々とやり抜き、まるで軽々とこなしたような涼しい顔をしてその労苦を口にしない和泉氏の野武士的な人柄に魂が奪われそうになるのである。




◇遠い小樽
 「歩測」による体力勝負の取材はこの辺で打ち切って出直すことにしようか。反対側のスロープをゆっくり下ってすそ野で右に折れた。振り返ってプレイマウンテンの全景を仰ぎ見た。石段は、山の陰に隠れていた。
 白いスロープが続くこちら東側が表の顔なら、石段がある西側が裏の顔なのかもしれない。わたしは芝の上に倒れこむように横たわった。円を描いて宙を舞うトンビの下をひとりの旅人がスロープを上っていく。頂付近で、両手を広げているのが米粒のように小さく見える。この人も空を飛ぼうとしているのだろうか。
 数多い急な石段を上り下りした疲れからだろうか、それと犬島の平石の衝撃からか、芝の上でやがて眠りについてしまった。空を飛んでいる夢をみた。子供の頃から繰り返し見た夢だ。なぜ、ふとんの上で泣いているのだろう。家を出ていった母が妹の手を引いてふいに姿を現した。後姿に変わってだんだん遠のいていく。声が届いてくれない。遠い小樽…。
 空をみているのか、空から見えているのか、どっちなのか戸惑った。空からみえるのは、知らないはずの幼いころの姿だった。













※関連
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