◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2016/06/03 http://dndi.jp/

-石彫家、和泉正敏氏の世界-
・「天空の庭」(救世神教)礼賛 
 その1 「卵石」が動いた?



 木洩れ日の下での眠りが実に心地よかったのは、どこからともなく漂うバラの甘い香りの効用のためだろう。そこで夢を見たのだが、奇しくも夜の宴席で、夢に現れた彫刻家、イサムノグチ氏に繋がる建築、彫刻の美の系譜についての語らいに時間を忘れていた。視察したバラ園のことはメルマガにその様子を書き留めたし、それらの縁で生涯の出会いを得ることになったのだから、今回の訪問の目的は十分に果たせた、と思った。
 が、まさに怒涛の如く次なるミッションが追いかけてきた。さらに調べて書き綴らねばならない、と気がはやっていた。
 「救世神教」(管長、後藤崇比古氏、本部・三重県津市)境内の全体からすると、バラ園は華やかな表の顔で、それをある筋書きに譬えるのならばプロローグ、事の始まりといえよう。それならきっと、境内裏手の次なる「天空の庭」の構成と展開は、壮大でしかも神秘性に富んだ「奇跡の物語」と捉えるのがふさわしいかもしれない。そんな予感がして胸がざわついた。 夢の続きを急ごう。
                        DND編集長、出口俊一





◇未踏の石庭
 境内の東側の「ハイブリットの丘」のわきを抜けて緩やかな坂道を下っていくと、長方形の庵治石が垂直にしかも肩を寄せ合うように連続して並んでいる。屏風を広げたようなこれら一群を「迎え石」と呼ぶ。道を挟んだ対面に幅広の石が据えられている。磨かれた表面に「天空」の二文字、この広大な庭の中で文字らしきものを目にしたのは後にも先にもこれだけだった。設立の趣意書とか、製作者の銘文のようなものは見当たらない。
 石、それぞれある種、その容姿や佇まいが、何かを語っているのだとすれば、そこから見たまま感じとればいい。あるいは、どんなに言葉を多用してもその核心には及ばないということか。いずれにしても憶測だが、この抑制の効いたセンスに感心した。
 「迎え石」は、「庭にようこそ」という歓迎の意味なのだろう。その「天空の庭」は、石庭とはいえ、京都の「龍安寺」の石庭や梅小路公園の「朱雀の庭」とは甚だスケールが違い過ぎて比較にならない。実際に足を運んだことがあるギリシャの神殿や、マルタ島に見る古代の神殿「ハガール・キム」の彫刻とも違って、ここはかつて誰も足を踏み入れたことがない「未踏の石庭」といえまいか。
 庭に入って、まず見る、そしてどう感じたか。わたしのような粗忽者は、つい地雷を踏んでしまうようなヘマをやってしまう心配があるので、うかつな質問は慎まなければならない。ガイド役は、「救世神教」総務課の安藤信幸さん、無遠慮な質問にも気軽に答えてくれそうだ。視察には、写真家や雑誌の編集長らと一緒だ。




◇卵石
 安藤さんは、「迎え石」越しに丸みを帯びた石を指さした。
 「あそこに頭の部分が見えますが、あれを卵石と呼びます。卵ですから、何かが産まれるというか、ここから始まるというストーリーになっております」と、さらりと言う。
近寄ってみた。
 「卵石」は、その大きさを感じさせないくらい控えめで、こんもりとした小高い丘のくぼみに身をひそめている。卵だから、それを取り囲む土手は、孵化を待つ巣をイメージしているのだろうか。
 そのわきに立って、遠くに目をやった。どうだろうか。
 「うーむ、凄いなあ、凄いわ」と思わず感嘆の声をあげた。確かに言葉にするのは難しい。空が抜けて一陣の風、この爽快さ、心地よさはどこからくるのだろうか。
 すると、ふいにというか、安藤さんが、ある人物の名前を口にした。
 「この場所で、和泉先生が自らユンボを操作して周辺の土を盛って、その中にくぼみを作って石を置いたのです」






◇和泉正敏氏と言う人物
「和泉先生」。
 たぶん、彼が口にしなければ「天空の庭」の製作者はいつまでも明らかにならなかっただろうと思う。この景観は誰の手になるのか。その疑問に答えていない。作品群のどこにも製作者のサインがみあたらないからである。つぶさに見て回ると、その凄さは神業だった。
 作庭は、香川県牟礼町在住の石彫家、和泉正敏氏だと知った。これは偶然ではないのではないか、と身震いした。
 余談だが、その昔、イサムノグチの遺作、札幌の「モエレ沼公園」や金沢の「鈴木大拙館」を訪ねて取材した先に、和泉正敏氏の名前が見え隠れしていたからだ。その輪郭が、いまそこに、すぐ手の届くところにある、と思ったら再び胸が泡立った。




◇「卵石」という生き物
 「卵石」は、手のひらにのせて、いとも簡単にくぼみの中にそっと置いたかのように映る。
「うまく収まるものだ」。
 感心しながら、前に後ろに角度を変えて見入った。
 すると、その尖がりがある方が生き物のように見えてきた。卵の殻から顔をのぞかせている。うーむ、「ねぇ、これ顔に見えませんか」と安藤さんに聞くと、「ハイ、そうおっしゃいますね」と笑っている。
 右に左に、前に後ろにと、ぐるりと見た。その一瞬、皺くちゃの目元が、少し動いた。笑ったように見えた。
 驚きを隠しきれず、つい、「いま、ねぇ、目元が動いたのだけれど…」と、やんちゃな子供みたいに、訴えた。
 澄ました顔で、「ハイ、そうですね」と安藤さんが頷いた。なんだか普通のやりとりじゃないみたいだが、一瞬、安藤さんの目元も動いた。その表情があまりにも卵石に似ているなあ、と思ったが、今度はそれを口にしなかった。


◇神戸の川から産出
 この石は、どこから持ってきたのだろう。
 安藤さんによると、和泉先生のところにあったものですが、そもそもは、神戸の住吉川産の御影石で、丸みを帯びたところは、和泉先生がご自分で叩いた、「叩いた?」、つまりノミで削って丸くした、という。台座には、庵治石が使われていた。
 面白い形だなあ、触ってもいいだろうか。確かに美しい。
 ノミをどのように入れたらこんなきれいな形になるのだろう、制作にどれくらいの時間がかかったのか、丸みを帯びたところと、皺くちゃの顔に見える部分との関係性はどういうことなのか、そんな疑問が次々にわいた。
 が、初対面で、うるさいジジィと思われたくないので、それらをグイッと呑み込んで、聞きたい衝動を抑えた。


   

◇イサムノグチの遺作、石の滑り台
 「札幌の大通公園にある彫刻をイメージした…」。
 少し離れたところで、同行の一人、「救世神教」部長、小野薫さんの声が耳に飛び込んできた。
 小野さんが、他の参加者に説明しているのだ。
 「札幌の大通公園」というフレーズが、わたしの隣で解説する安藤さんの言葉と重なった。が、わたしは、小野さんの言葉を聞き逃さなかったのは、「卵石」を囲む土盛りの形状が、それに酷似していたからだ。
 札幌の大通公園の彫刻とは、イサムノグチ氏の「ブラック・スライド・マントラ」と名付けられた石の滑り台のことだろう、とすぐにピーンときた。そして、わたしはイサムノグチの遺作、「モエレ沼公園」に思いを馳せていた。
 それは11年前のことだ。
 「モエレ沼公園」の完成に伴って、わたしは『イサムノグチの祈り』と題したDNDメルマガでイサムノグチ氏について書いた。
http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm050810.html

 少し引用する。
 ≪ノグチ氏が初めて札幌を訪れたのは、1988年3月29日、雨まじりの寒い日でした。現在「モエレ沼公園」の園長で、当時、札幌市の造園課環状緑地係長で担当の山本仁さんは、ノグチ氏に同行して案内役を務めていました。ノグチ氏に提案をしてもらう予定の候補地を3箇所用意し、モエレ沼は本命から外れた、いわば第3の候補でした。しかし、モエレの現地に足を踏み入れると、「ここは僕の仕事です」と、不確かな日本語ながら、はっきりとそう言い放ったという。≫


※(画像:札幌市HPより)

 初代の園長、山本仁さんという人物に電話をし、実際に面会したことがある。
山本さんは、この滑り台について、まず登り口から胎内に入り、一歩一歩階段を上がり人生を歩み、視界の広がる高みに立つ。そして一気に滑り始めることでスリルに満ちた人生が始まる、と言うストーリーが秘められているのではないか、と推測していたのである。(冊子『イサム・ノグチ&札幌モエレ沼公園』から)。

 さらに、その石の滑り台が、札幌の大通公園に設置が決まった時のイサムノグチ氏のこんな言葉を紹介するのである。
「彫刻をお尻で感じてもらい、お尻で磨かれて完成します」
石の彫刻は、設置を終えて完成ということにならないらしい。石は生きている、ということなのだろうか。「天空の庭」を見る目が微妙に変化した。




◇不思議なこと
 山本さんは、熊腰のどっしりした体形の柔和な人だった。
最初は電話取材だったのだが、わたしのメルマガ『イサムノグチの祈り』を印刷して義父に見せたところ、読み終えないうちに個人の電話帳を引っ張り出して札幌のダイヤルを回した。その先が山本さんの自宅だった。
義父は、唐突に、「先日、元新聞記者の出口さんという人から取材の連絡がなかったかい?」と聞いた。
「いまそばにいるのだけれど、わたしの娘の旦那さんなのね」と付け加えた。山本さんは、実は、わたしの妻の従妹という間柄だったのだ。
あの時、その偶然を面白がっていた。が、山本さんの訃報に接したのは、それから間もなくしてからだった。
≪続く≫