◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2016/07/27 http://dndi.jp/

-石彫家、和泉正敏氏の世界-
・「天空の庭」(救世神教)礼賛 
 その8 レインマウンテン秘話
「イサム・ノグチさんがやってきた」



 小高い丘の「天上山」に近づくと、ふいに雨は上がった。
 おおよそ散策の道のりの中でも特段心に刻んでおかねばならない大切な場面で、雨が上がったのだ。ついちょっと前まで、あれほど激しく降っていたのが嘘のようだ。澄んだ空気にホトトギスがさえずりを返していた。その奥には「長池」という青い湖面に睡蓮が群生していた。森と池、大地と空、光と風、そこに緑、黄、白、朱、青、といった水彩的な点描がまばゆく映えている。
 この退屈しない楽しさをどう表現したらいいのだろうか。

『天之磐座』(あめのいわくら)、その巨石が目に入る。

 堂々と鎮まっている。

 後藤崇比古管長とわたしたちは、森厳な世界に踏み込んでいた。どの角度から眺めても何か心をふるわすような不思議なエネルギーに満ちている。神殿というのかもしれないが、ひれ伏さねばならないような威圧的なところはどこにもない。むしろ懐かしさと、やさしさと、そして包み込まれるような陽気なくつろぎさえ感じる。和泉正敏氏のモチーフなのだろう、虚飾を一切遠ざけた先にシンプルで壮麗な趣がある。

 不動という驚異の石組である。

 天晴れなほど巧みに分断し組み上げられていた。この庭園にこの巨石、この聖地の中心石となって空間構成が結ばれている。
 さて、どのようにしたものか。
『天之磐座』、やっと手が届くところにきた。その根源的なアプローチには、なお、多くの時間を要するであろう。急がずに対話を重ねながら、一歩前に出ようと思う。
             DND編集長、出口俊一




◇イサム・ノグチ氏の作品
 後藤管長が、「長池」の土手の縁から、なだらかな低地に歩みを進めていた。そこの彫刻の前で立ち止まった。
 うーむ、驚いたのは、彫刻の真下の地中に水が流れているのである。
「いい音がしていますね」
「水琴窟のようでしょう」と後藤管長は言った。
 カラン、カラン、シャバっと、甕にあたる涼味のある音だった。
 確かに、水琴窟の音だった。
 彫刻はイサム・ノグチ氏の作品と知った。水琴窟や手水鉢といえば、すぐにイサム・ノグチ氏の作品を思う。札幌のモエレ沼公園をモチーフにしたわたしのメルマガ『イサム・ノグチの祈り』(巻末参照)で取り上げたことがある。これ以上の場所はないように思った。
 和泉正敏氏の経歴を辿るまでもなく、和泉氏が25歳の時から25年間もの間、共同パートナーとして関わった彫刻家、イサム・ノグチ氏の作品が、この庭にあっても不思議ではない。
が、なぜ、これが、ここに?




◇新しい素材への挑戦
「雨の山」、レインマウンテンと名付けられていた。ある種の芸術空間を鋭く切り裂くというか、天空の尾根に連なるイメージなのだろうか。
 随行の小野薫部長に、何か作品についての説明がありますか、と聞いた。
 彫刻の下方に四角い銘板があったようだ。小野さんは、しゃがんで「雨の山、レインマウンテン、18分の3…」と声を出して読んでくれた。
 石ではないのである。どのような作品なのだろうか。
「雨の山」に関しては、この項を書くにあたっては、4年前に救世神教からイサム・ノグチ日本財団の池田文氏に問い合わせた際のメール等を参考にした。
 この作品は、亜鉛メッキが施された鋼鉄製で、イサム・ノグチ氏にとっては新しい素材へのチャレンジだった。1982年ー83年にはロサンジェルスの版画工房「Gemini G.E.L」(ジェミナイ)で開催されたイサム・ノグチ展に出品された26点のうちのひとつで、イサム・ノグチ氏自らが命名したということがわかった。日本では同時期に開催されている。
 ジェミナイ工房は、ノグチ氏が「エディションのある彫刻」をつくれるかどうか試したいという思いがあった、という。このアイディアは、後の美術館設立のための資金援助となり、その手段として創作されたものだった。


   

◇ナンバー「3」
 上記の「エディションのある彫刻」とは、同一の原型、例えば石膏などからブロンズに鋳造された数のうちの一つということを意味している。
「限定数」(Limited Edition)となるので、いくらでも複製が出来るが、その数を作家が決めたりする。ジェミナイ版画工房「Gemini G.E.L」のG.E.Lは、グラフィック・エディションズ・リミテッドの略だった。
 それで銘板に書かれた「18分の3」は、限定18体のうちの「3」番目の作品ということになる。

 イサム・ノグチ氏は、作品について語ることは少ないのだが、図録に自身のメッセージを残していた。
「それは芸術にとって新しいものです。このように作ることの驚くような新鮮さや直截さを私は楽しんでいます…それはずっと昔の貧しいアメリカのやり方と新しい航空技術とのコンビネーションです。ひいてはこれも過去から未来への贈り物であって、これを通じて、私自身の過去のいろいろな方向を美術館設立に役立つよう導いてくれています」
(イサム・ノグチ展図録、Hot Dipped Sculptures)


◇「自然はいまなお生き続けている」
 また、1984年、カサハラ画廊で開催されたイサム・ノグチ展の図録には、このような解説が目に止まった。その一文を引用した。

「(略)岩、雲、山の形を、また雨、風、空と目の前に広がる風景がそこにみられる。新しい創造が自然であるということがノグチ作品の特筆のひとつでもあるが、自然はいまなお生まれつつある、今なお形になりつつあるという感覚がそこにある。
 亜鉛のつくる偶然の模様の上につけられた筆跡が思わぬ形となって表れてくるのを楽しんでいたという。先入観の制約を捨て、新たに開いた分野に新しい出来事が現れてくる。
 イサム・ノグチは宇宙空間の様々なプロセスを通り抜けて、私たちに古いゆえに新鮮な世界の感覚を取り戻してくれる」

 この解説は出色だ。なかでも「自然はいまなお生まれつつある」というのは実に至言だ。傷んだ石の彫刻も自ら修復すると和泉氏の言葉を後藤管長が紹介したことを思い出した。多くの人が歩くことによって「つたい石」が磨かれて輝いていく、というのもそういった自然流露の概念なのだろう。それはイサム・ノグチ氏と和泉正敏氏の作品に貫かれている共通のテーマなのかもしれない。


◇喜びの和泉正敏氏
 さて、後藤管長が命名した「天上山」、その周辺を一望する場所に「雨の山」がある。
「雨の山は、天の山に通じている」と後藤管長は語った。
 なぜ、この作品なのか?

 それは「天空の庭」起工が2009年3月3日、その数日前のことだった。
 後藤管長は、
「イサム・ノグチさんがやってきたんです」という。
 作品を入手した、という言葉は使わない。「イサム・ノグチさんがやってきた」と表現した。
滅多なことではない、その驚きを隠さないのである。
 そっとくるんでしまってあった。さりげなく和泉先生にその件をお伝えしていたが、さて、どうしたものか、後藤管長の苦悶が始まる。
 設置場所としていくつか候補があった。置くのならやはり庭しかないと思ったという。が、和泉正敏氏が作った庭にイサム・ノグチ氏の作品を置くのはどうか、置きましょうかというのも、ためらわれた。
 ある時、「ここはどうですか?」と打診してみた。そこが、今の場所なのである。すると、和泉氏は、「嬉しいです」と喜んでくれた。和泉氏の仕事ぶりをイサム・ノグチさんにとっておきの場所で見ていただくことになった。

そうしたやり取りを聞いて、和泉先生のイサム・ノグチ氏に対する思慕の念というか、その思いはとても強いものがあるのですね、と聞いた。
「いやあ、とても深いものがあります」と後藤管長は言った。

 和泉氏は、
「和泉もなかなかいい仕事をしている、と言ってくれるかのぉー」と感無量だった。




◇共同パートナーという存在
 こんな秘話を聞いてから、しばらく胸にしまっていつか書こうと温めていたのだ。どんどん膨らんで熱い思いと一緒に溢れ出てきた。
 和泉正敏氏が、ふだん、どんな思いで石に打ち込んでいるか、その一端をつかみ取るヒントになった。感動的ですらある。
 共同パートナーとは、双方そういう存在なのだろう。その相方の幻影が常にささやきながらそばで見守っているに違いないー
 と、思ったら、パソコンの画面がたちまち曇って、落涙した。
 睡蓮の咲く湖面、野鳥の澄んださえずり、涼味のある水音、そういった「天上山」の光景が浮かんで、わたしの脳裏から片時も離れないのである。


◇残った者の責任
 イサム・ノグチ氏を語る和泉正敏氏と、東洋文化研究家のアレックス・カー氏との対談「イサム・ノグチがたどりついた牟礼」のひとコマである。
・カー氏
「私はね、イサムさんの芸術は、和泉さんの作品で生き続けていると思っているんです」
・和泉氏
「(略)それでいま、もしノグチ先生が生き返ってこられたとしたら、誰に一番興味を持つだろうかと考えますとね、非常に面白いんです。誰が掘っている石を見たいのか。誰の建築を見たいのか、誰の絵を見たいのか、やはりこの場所(牟礼)は気になるのではないかと思うんですね。ですから、ここに残った者にはきちんとしておく責任がありますよね」
(2004年7月発行のエクスナレッジムック刊『イサム・ノグチ生誕100年』より)




◇でも言わない!
 後藤管長との散策、もうかれこれ1時間半、歩きながらの語らいは気持ちよく続いた。
わたしが、「さて、管長先生」と声をかけて、
「ところでこの作品を設置した場所というのは、何か意味があったのですか?」
とその真意を聞いた。
「いやあ、ちょうど、ここは水琴窟みたいな音がするし、左右、全方位で眺められるとても面白い場所ではないか、と思いましたから」
「あのぅ」と神妙に、もう一度、
「あのV字の中から見えるのをご存知ですか?」
と探りを入れた。
すると、後藤管長がきりっとこちらを見据えて、そして、
「発見しましたか?」と言って笑った。

「言わないでおこうと思っていたんですけれど…」
「そうでしょう、言わないです」
「書かないでおこうと思っているんですけれど…」
「この写真も難しいですよね」と後藤管長が言った。
 それはもう数枚、証拠写真はおさえてある。いいアングルのものが撮れていた。が、その事は、後藤管長には内緒にしたままだ。
 さて、どうしたものかー
公開しようか、言わないでおこうか、心は千々に乱れるのである。
≪続く≫




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