◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2016/07/16 http://dndi.jp/

-石彫家、和泉正敏氏の世界-
・「天空の庭」(救世神教)礼賛 
 その7 石の力を知っていますか!



空が少しずつ落ち着いてきた。
 後藤崇比古管長との雨の散策は、「天空の庭」の奥まった「石床」にまでたどり着いていた。「石床」は、長方形の平石をタテに6枚並べてある、というのは前に「広場」として紹介した。その名の通り、踊り場のようで小さなステージにも見える。が、「つたい石」のながれからすると、矢の先端だから、ここで立ち止まってしまうのだ。
 それから、である。さて、これからどこに向かえばいいのか?

   動線に従って左手に向かうのか、土手を上がってぐるり右手に回ってもいいものなのだろうか。正面は、左右にせり上がった小高い丘で、そこを「天上山」(てんじょうざん)といった。 遠近法でいえば、「夢湖」に立って見ればだが、
「つたい石」がまっすぐ遠くに伸びている。その先に焦点を合わせると、作図の中心が一段高い「天上山」となる。すーっと横に線を引いたようにその緑の芝が鮮やかに天地をわける。奥深い森を背負うようにして舞台は上(かみ)、下(しも)とワイドにして果てしない。そのバランスのとれた空間構成は、いまだかつて目にしたことのない「地上天国」を投影したものなのかもしれない。その「天上山」の中心には、巨石が鎮座している。
『天之磐座』(あめのいわくら)と命名されている。
不思議なほどエネルギーを凝縮した感じに見える。写真の中になんどか見え隠れしていたと思う。その巨石がいやがうえにも目に入るのだ。書くのを抑えてきたのだが、わたし自身、水圧でダムが決壊する寸前のような緊迫した状態だ。
 この巨石をめぐっては、この連載のクライマックスのひとつとして取材をすすめているからだ。いまやっとすぐ手の届くところにきた。書けば気持ちが楽になるのだろうけれど、ぐっと呑み込んで、まだ取り上げない。
             DND編集長、出口俊一




◇後藤管長が示した先とは?
 さて、これからどっちだろうか?
 後藤崇比古管長は、
 さりげなく、「一応、こっちですね」と、左側の道を指さした。
が、何かまだ考えているふしがある。
「ここですぐに天上山に上がってしまうのは、まだちょっと物足りない」と言った。
「確かにね」と相槌をうった。
「先を急ぐ感じになりませんか?」と、付け加えるので
 再び「確かに…」と応じたものの、現代人の癖なのか、先へ先へと進まないと気が済まない。そういう悪しき観念に捕らわれる偏りを恥じた。
「ここで立ち止まって、もう少し考えてもらいたい」
 続けて、後藤管長は、思わぬことを口にするのである。




◇「裸足で歩きたい」
「一応、ここからは左側に向かうことになっているのですが、前に向かうことばかりじゃなくてね」と、ひと呼吸おいて、
「戻ってはどうですか?」という。
 まったく予期しない答えが飛び出したのだ。
「戻るのですか?」と素っ頓狂な声を上げていたかもしれない。
「はい、こちらから向かうばかりではなく、戻るのもいい。景色がまた違ってみえますね」と楽しげに言う。
 これも「寛容なる遊び心」なのだろう。
「夢湖」の縁(ふち)で、靴を脱ぐ。そのため、靴は、向こうに置いたままでしょう、という。
「靴を手に持って歩くのは、どうも格好がよくないというか、嫌でしょうから、また戻っていくのが自然かもしれません」
「なるほど」。
 きた道を振り返ると、新しい世界が開けているように映った。「洗心」の白い大理石、五剣山を縁取った「岩鏡」、その先に「天之御柱」と続く。「夢湖」が水を溜めているのがわかる。
「やはり、もう一度、ここを裸足で歩いてみたい」と思ったら、心が泡立ってきた。




◇午前5時半
 わたしは再び、「天空の庭」に立った。後藤管長と散策したその翌朝のことである。
 午前5時半、約束通り、秘書役の榎本勝仁さんがホテルに迎えに来てくれた。昨晩もそれも深夜、榎本さんが付添った。たぶん、帰宅されたのは午前零時を回っていたのだと思うが、それなのに疲れた表情一つなく、「よく眠れましたか?」とわたしへの気配りを忘れない。  
 ほんとうは、興奮でよく眠れなかった。
 午前2時、そして4時に、繰り返し目が覚めていた。
 雨は上がっていたが、「天空の庭」は、野鳥がさえずり、清新な空気に包まれていた。
 教団の本部前から、せっかくなので歩測してみよう、と考えていた。そのことは後藤管長に伝えていた。そばで部長職の小野薫さんが、「万歩計ですか」と聞くので、「いえ、1,2,3…」と数えていきます、と言ったら、「途中で、わかんなくなりそうですね」と後藤管長は、面白がっていた。はい、事実、そうなってしまうのだ。
「神恩郷」の敷地16万m2、それがどのくらいの広さなのか、次に訪れる方々の参考になるのではないか。




◇歩測
 さて、
 スタートのポイントは、教団本部の正面の中庭だ。その結果は…。
・中庭→仰光広場中央、80歩
・仰光広場中央→迎え石、200歩
・迎え石→夢湖、93歩
 わたしは「夢湖」のそばでランニングシューズを脱いだ。そして、いよいよ「つたい石」を裸足で歩く。石のきらめきを感じながら、下を向いて、1,2,3、と数えた。清々しい気分だ。
  ・「夢湖」→「天之御柱」、53歩
  ・「天之御柱」→「岩鏡」、53歩
  ・「岩鏡」→「石床」、130歩

「つたい石」、140mの歩測は、53+53+130=236歩だった。
 後藤管長の言う通り、「石床」から「夢湖」に戻ったら、239歩となった。3歩多いのは、平石の窪みの水溜りを避けたためかもしれない。
 もう一度、やってみようか、とそばをついてきてくれる榎本さんに声をかけた。
 すると、今度は、行が223歩だった。そして戻りが230歩、微妙に差が出るのはどうしたことだろうか。
 3回目に挑む。ところが、案の定というか、途中で数がわからなくなった。石を割るときの「矢穴」に気を取られてしまって、写真を撮りながら歩測したためだ。まあ、数が違うから面白いのだと思う。






◇『天之磐座』を仰ぐ
「石床」の前に立って、「天上山」の中央に堂々と鎮座する『天之磐座』を仰いだ。いつまでもここに居たいなあ、と思うと、なんだか、無性に懐かしさがこみ上げてきて、胸が詰まった。
 しばらく、そこに立ち尽くしていた。
夢想が膨らんだ。「卵石」が、浮くという。「卵石」のある場所を見返ると、その姿が消えていた。ひょっとしたら、まさか、卵石が浮遊してきたのではあるまいか。遠くから、「そうです」という後藤管長の声がして、「これは神話かもしれない」と意識したら、たちまち現実に引き戻された。
「どうかしましたか?」と榎本さんが心配してかけつけてきた。
「いやいや」と言って、さーて、とりあえず、このくらいにしておこうか。
そして、「靴、ありますか?」と聞くと、キョトンとしている。あっ!という声がもれたのを聞き逃さなかった。
「靴は、たぶん、脱がれた場所にあると思います」。
楽しみながら、今来た道を戻ればいい。前に進むばかりが人生ではない、と教えられた。
 ついでながら、石の数を数えた。水溜りの数も数えてみた。石の数は、42枚、榎本さんにも数えてもらった。やはり42枚と一致した。水溜りは正確じゃないが、たぶん13か所ぐらいあった。水溜りは、じゃぶじゃぶ、ぱしゃぱしゃと無邪気に水をはね飛ばした。






◇5番目の対の石を探す!
 スタート時点に戻って、まじまじと組石を眺めると、「夢湖」から数えて、1、2、3、4、この4枚が矢羽(やばね)にあたるのだが、4枚の石は、その左右の凹凸がピタリ重なることを発見した。凹凸には鋭い切れ込みが入っていた。石が固いのだろうか。

 矢羽のその継ぎ目となる、最初の石に目が奪われた。その緩やかな曲線がシェープリーで、なんと美しいのだろうか。
 なんども見ているはずなのに、3度目でやっと個性が際立つ石の特質がいくぶん判別できるようになった。流れるような形状に鮮やかな朱色のラインが右側に、それも平行に走っている。ほら、「迎え石」で見たあの朱の美しいラインと似ていないか。
 つい妄想が高じて、羽衣を想像した。天の川に天女が舞い降りるのだろう、と思った。
 ねぇ、「夢湖」から数えて、1、2、3、4、そして5、この5番目の石と重なっていた対の石はどれか。その石の片割れを探そうか、と榎本さんに持ち掛けた。残り37枚の中に必ずあるはずだ。手掛かりは、流線型で朱のライン、傷のない平らな石だ。
 それを見つけてどうするのですか、などというさみしい質問はしない。
 裸足で1枚1枚確認しながら歩いた。5でしょう、6、7、8、9、この9番目の石はどうだろうか。
「違うかな?」
「少し幅が狭い気がします」
「違う?」
「ですね」
「確かに幅が違うよね」



 10、11、12…
「これはどうか、12番目と、違うなあ、5番目の石はゆるやかな弧を描いているものね、このラインは似ているけれど、違う」
 すると、
「天之御柱」を越えた先で、榎本さんがこちらに手招きをしている。どうも、相方を見つけたようだ。こういう発見は、うれしい。しかし、それがほんとうに5番目と対の石かどうか、和泉先生に答えを確かめてみないといけない。
 それが、何番目の石かは、次の尋ね人のためにひとまず伏せておこう。




◇渡り初め、中村昌生先生からのメッセージ
「つたい石」は、平成23年3月3日、救世神教の御復活・立教祭の午後、「岩鏡」の除幕式と一緒にお披露目された。渡り初めは、多くの来賓や信者の方々によって行われた。後藤管長、和泉正敏氏ら関係者は、この日をどんな思いで迎えられたのだろう。
「つたい石」の渡り初めに参加した来賓のおひとり、京都工芸繊維大名誉教授で京都伝統建築技術協会理事長、中村昌生氏は、こんなメッセージを寄せている。
  「巨石の道を歩むと、不思議に足が軽い。虚空を行く感触である。清々しいその快さに心が浄化される思いである。まさに天空の道であり、天地未分の境地に遊ぶ思いである。作者は、天の川を地上に出現させることを意図したという。それは見事に具現された」(「天空の庭」奉納祝賀祭記念誌から一部抜粋)。


   

◇「これは神話」と後藤管長
 和泉氏は、渡り初めに先立って、「つたい石」は「時間とともに丸みを帯び、内側から美しさが現れてきます。どうか、たくさんの人に歩いて頂きたいと思います。裸足で歩き、足の裏から体全体の疲れを取る、そういう石の力を感じてほしいものです」と挨拶した。
 地中に眠って何億年だろうか、気が遠くなるほどの時空を超えて、いまこの時を待って新たに誕生した石の数々、和泉正敏氏の手で割られた瞬間に息を吹き返したのだ。
 「半端じゃなく古くて、新しい。そう捉えると、いったいいつの時代の上を歩いていることになるのか、時代がわからないのだけれど、古代の記憶を呼び覚ますような場所としてこれは神話になるのではないか」と後藤管長も驚きを隠さない。
 この先、千年、万年を経れば、人の足で磨かれた「つたい石」は、その内側からどんな輝きを放つことになるのだろうか。
 わたしたちは、そんな感動を覚えながら、約2時間の散策を終えた。
≪続く≫




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