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五月の光と風、「救世神教」の壮観なバラ園


 木洩れ日を仰げば群青の五月の空、どこからともなくやわらかな風が吹いてくる。果ても知れぬ極楽の余り風に違いない。そう確信すると、いつしかわたしはベンチの上で静かに目を閉じた。光と風との世界には、甘くふくよかな香りが絶え間なく流れてくる。五体に風を感じてたちまちこんこんと眠った。そして、夢をみた。
                        DND編集長、出口俊一






◇譬えれば、「地上天国」
 津市駅から南に車で15分ほど走った丘陵に宗教法人「救世神教」(管長、後藤崇比古氏)の本部があり、幸いにも今月21日からは始まったバラ祭りに一足早く招かれた。馥郁たる香りの正体は、いま一斉に咲き始めたバラ園からだった。広大な敷地に植栽されて誇らしげに咲いていた。底なしの日差しを浴びながら、ハミングするように揺れている。ここのバラ園はEM(有用微生物群)によって世界でも類を見ない無農薬で作り上げたという。それらひとつひとつの美しさは「地上天国」に譬えられるのかもしれない。





◇風の道
 三重県にこんな素敵な場所があるとは夢想だにしなかった。精緻で格式の建築群、さりげないほどの巨石や彫刻、その息をのむほどの野外の環境芸術、とくに「天空の庭」には魂を抜かれた。千年の昔からその地にあったかのような佇まいは、シンプルで抑制のきいた趣があった。手入れの行き届いた緑の芝、白い大理石、クスノキ、ヤマモモといった樹々、こんもりと周辺を縁取る森、コアジサイが白い花を見せていた。
 手元に「神恩郷」と名付けられた境内のバラ散策マップがある。バラ園は、尊崇の本殿「五六七殿」(みろく殿)正面の光明台前庭、向かって右側の仰光広場東側、神教地蔵尊周辺、少し離れたお祭り広場など数か所に分散しながらも、それらがひとつの道線で結ばれていた。その数、450種、2200本という。
 遠望すれば、白い花の水蓮が自生する長池越しに北に伊吹山、北西には琵琶湖がある。風の去来をさぐると、南方に伊勢湾、伊勢神宮が控えていることがわかった。その東西のどこかに風の道があるはずだ。





◇後藤管長先生とご面談
 案内された本部では、教祖の尊影に手を合わせたあと、奥まった一室でバラ園に関わる初対面のカメラマンや出版関係者らを紹介された。そして一緒に後藤管長に面談した。ダンディーな管長は、私たち一行をにこやかに迎えてくれた。管長とはその夜の懇親会、翌日の撮影会などで気さくにお話しする機会に恵まれた。その時々のソフトな語り口が琴線に触れるようで、いやあ、実に興味深いものだった。
 思わず、「管長先生はストーリーテラーですね」という言葉が口をついてでた。いつかちゃんと書かなければ、と心に決めたほどだ。





 


◇バラ研究所の中田邦子さん
 バラ園では、監修、指導にあたるバラ研究所所長の中田邦子さんが案内役を務めてくれた。散策の入り口に一歩踏み込んだら、もうほのかに香りが立ち上ってきた。花や葉の形状から、わたしの故郷、道東に自生するハマナスに似ているなあ、と思ったら、やはりそうだった。名札には「スプニール・ド・フィルモンコシュ」と書かれていた。調べると、ハマナス(ハマナシ)の直系とあったので納得した。
 根室からハマナスの種を採取して育てたことがあった。わたしが手入れしている日光の森に移植できないか、と考えたからだ。芽が出て喜んだのも束の間、ひょろりとして頼りない。20センチほど伸びたが、それ以上の生育はのぞめなかったという経験がある。





◇バラ祭りを控えて最後の仕上げ
 仰光広場東側のバラの道を歩いた。「ハイブリットの丘」という。1本の枝に1輪の花を咲かせる四季咲きの大輪が美しさを競っていた。中田さんは若い職員さんに枯れ始めた花の剪定を促していた。
 5枚葉の付け根から5ミリ上にハサミを入れる。すると、いまなら45日後にまた花を咲かせるのだという。「これもね、あれも、そう、そこのも取って、これも、これも…」と中田さんは、矢継ぎ早に指示するのである。
 「どんどん、(選定を)やるのですね」と言うと、「どんどんやります。まだまだやります」と明るい声の中田さん、「風が強かったり、雨があったりしてね、遺伝子が狂っていい花になれないものがあるんです。それらを剪定して次の花を咲かせるのです」と言って注意深くバラを見回った。21日から始まるバラ祭りまであと5日、作業は大詰めで一瞬たりとも気が抜けないらしい。





◇魅惑のブラックティー
 そんな折、中田さんの携帯がなった。バラの百科事典を出版されたことがある「確実園本園」の前野義博さんだ。そういえば、我が家にある庭木の剪定に関する専門書が「確実園本園」という珍しい名前だったことを思い出した。バラの品種のことならなんでもご存知だという。植栽の構成やデザインを中田さんが、品種を取り揃えたのが前野さんだ。
 「この方にお聞きになればわからない事はありません」と中田さんが紹介するので、遠慮なく質問した。
 「この大輪、赤が渋いですね、いま教わったのですが、このブラックティーというのは、香りがたまりませんね」
 ブラックティーは物の本によると、貴婦人のように気高いとあった。濃い赤がビロードのように美しい。この多くのバラのなかでもひときわ目を引く大輪だ。
「もっと渋くなります」と中田さんがいうと、前野さんは、「まだ気温が高い。気温が高いと朱色になります。もっと赤くなります」と説明を加えた。
バラの花が気温で色を変える、とは驚きだった。秋の冷涼でまだまだ渋く、黒くなってくるのだそうだ。
 「それで、紅茶に似せて、ブラックティーというのですか」と再びお聞きすると、前野さんは「そうです、そうです」と繰り返した。が、「寒い方がいいのですか」とさらに聞くと、「そうです、そうです」とやはり二度、にこやかな笑みを浮かべて、「そうです」と言った。
その辺で止めておけばいいものを調子づいて、もう一回、うーむ、それは「紅茶文化の発祥、イギリス生まれだからでしょうか?」と相槌を求めたのだけれど、表情を変えて、「いやいや、これは日本生まれです」という。アテが外れて、一同の笑いを誘ったのは、それはそれでよかったのかもしれない。
 「いやあ、紅茶だから、イギリスかと思った。ぜんぜん違うんだ」と言いながら少し恥ずかしかった。
 気を取り直してください、とばかりに中田さんが淡い紫色のバラを手折ってわたしの胸に挿してくれた。なんともおやさしい。
 「白いジャケットに引き立ちますわ」、「バラとおじさん」とも付け加えた。確かにおじさんに違いないので、思わず「花とおじさん」の歌を口ずさみそうになったが、止めた。








◇白ヤギさんったら!
 余談だが、歌といえば、その翌日のことである。光明台前ではオールドローズのツルバラなどが斜面を覆っていた。そこに中田さんが、子ヤギを連れてきた。カレンダー用の写真を撮っていたカメラマンの山口幸一氏にディレクター役の八木波奈子さんが、子ヤギをバラの花のアングルにとらえられるかしら、と促した。子ヤギは、バラの花が好きらしくむしゃむしゃ食べ回っている。
 今度は、周辺を憚らず、面白がって白ヤギさんの手紙の歌を小さく口ずさんでみたのだが、誰一人、気づかなかったのか、それといった関心を示さなかった。





◇至福の時間
 朝のうち、いまにも降りだしそうな雲行きで、早朝はパラパラと一雨あって、清涼な空気が流れていた。雲が動いてその切れ間から日が差し込んだら、たちまち青空が広がってきた。どうも晴れ男がいるらしい。その青空もごく限られたこの周辺の上空だけだったことが後で知らされた。
 わたしは、参道を通ってお祭り広場に入り、色鮮やかなツルバラが誘引された白いアーチの下をくぐって、「このはなパレス」のテラスのイスに体を預けた。歩き疲れたのかもしれない。ご一緒してきたみなさんが、次にベジタブルガーデンに行くという。わたしは、すでにNPO地球環境・共生ネットワークの世話人、山路誠二さんの運転で視察を終えていたので、一人残ることにした。数人が生垣の剪定に取り掛かっていた。そばを足早に駆ける女性がいた。管長の奥様で、これから作業に向かう、という。みんな汗を流しているんだ。
 わたしといえば、ほぼ2時間余り、広大な芝生の先の4本のクスノキを眺めていた。日が昇って気温が上がるにつれて、傍らのバラがその表情を変えていく様子もつぶさに観察した。その変化を見ながら、考えるヒントをえることができた。至福の時間が流れていた。
 バラ園の撮影がこれほど難しいとは思わなかった。圧倒的で壮大なバラを俯瞰しようとすると、1輪1輪の花の個性が失われてしまう。至近から、花の表情を大きく捉えるのがいいようだ。が、欲張りだからなんとか、あでやかなバラ園のスケール感を引き出せないか、と腐心した。白いアーチに絡む赤いバラ、背景の群青の空が抜けていた。そのうちの何枚かに手ごたえを感じた。





◇バラのジャムを召し上がれ!
 ガーデンから戻ったみなさんと一緒にテラスで昼食をとった。サンドイッチやスコーン、ケーキをいただいた。ケーキやチョコのひとつひとつに色とりどりのバラの花びらが添えられている。スコーンには、バラのジャムをつけてどうぞ、と言う。香りを食すという贅沢を堪能した。勿論、お茶はブラックティーをお代わりした。





◇バラ園はEMの先進事例
 バラ園は管長肝いりのプロジェクトとして発案された。地上天国の教えに花の存在は大切だという。それから3年、無農薬によるバラ園の実現は、世界でも類をみないという。バラには病害虫が発生しやすいからだ。葉全体に黒い斑点が広がる黒点病、新芽やつぼみ、葉の表側に白い粉がつくうどんこ病、害虫は年中アブラムシなどの発生に脅かされる。
 それを克服したのが、EM技術だった。琉球大学名誉教授で、全国花のまちづくりコンクール審査委員長を務める比嘉照夫氏の指導の賜物なのである。
 EMのボカシによる土づくり、バラの土は深さ50センチまで埋め込んだ。毛根が行く届く深さなのだという。定期的に欠かさないEM活性液の散布、200倍に希釈していた。こういった先進的な事例から得られたデータがEMの成功事例として他の場所でも役立つことになる。21日から始まったバラ祭りは、好天に恵まれて1000人を超える参拝者でにぎわった、そうだ。


◇胸中故郷という夢の続き
 あんまり気持ちがいいので、ふらっと眩しいほどの緑の芝を歩いた。そしてたどり着いたのが、その日陰のベンチだった。あおむけになって木洩れ日の写真を撮っていたら、つい夢の世界に誘われた。それは4年前、わたしはこの天空の庭に一度、訪れていたような気がしていた。胸中故郷というのだろうか、わたしには懐かしい光景に思えてならない。そんな熱い思いがこみ上げてきそうだった。
 イサムノグチ氏、モエレ沼公園、和泉正敏氏、鈴木大拙館、アーキテクトファイブ、丹下健三氏、後藤崇比古管長、比嘉照夫氏…なんという系譜なのだろうか。
次回は、静かに、その夢の続きを語ろうと、思う。


◇世界一の無農薬のバラ園を実現!
EMの開発者で指導にあたってきた琉球大学名誉教授、比嘉照夫氏の話

 私は、28年も前から救世神教にEMを活用した自然農法の指導を行っています。ここ数年、ほぼ完成の域に達し、応用問題にチャレンジできる体制が整ってきました。  必然的とも思われる様々なスパイラルな結びつきで、EM技術の力量を試すチャンスがまわってきました。すなわち、バラの無農薬栽培です。バラは、本来薬木であり、農薬を使用しなければ、香料はもとより、様々な機能性食品にも応用できる超越した潜在力を持っています。これまでにも、EMを活用した無農薬栽培の小さな例は多数ありますが、救世神教のバラ園は、そのスケールとそれを実行する技術力があり、中田さんという希有なバラの専門家の三位一体となった強力なベースに支えられています。その結果は、世界一の無農薬のバラ園であり、観光日本を代表する新名所を作り上げ、バラの機能性を活用した新しい産業の芽も育ち始めています。すなわち、自然の力を最大に活用するイノベーションの原点的存在にもなりつつあり、今後が楽しみです。