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石彫家、和泉正敏氏の世界-
・「天空の庭」(救世神教)礼賛
 その12 和泉先生と初面談
    ーもしノグチ先生が還ったらー



 「探しているのは、誰かなのか、どこかなのか。ずっと何かを、誰かを探しているような気がする」ー
 新海誠監督の話題のアニメ映画「君の名は。」は、心に響くセリフやシーンがふんだんに盛り込まれていた。言葉が生きているというのだろうか、きっと人間というのはこのような感情の動きを何気なくつぶやいているのかもしれない。
 映画は、「夢で出会った少年と少女が、やがて現実でも出会う」という筋書きなのだが、隠れたテーマが、「夢のお告げ」、「夢の世界」というものらしい。
 新海監督は、「夢のお告げを受けた少女が、人々を災害から救う」という物語は、『日本書紀』や『古事記』の中で語られてきた、と述べて、それは「かつてもいまも日本人にとってはもうひとつの生きた現実なんです」と注釈を加えていた。夢ということでは片づけられない確かな現実を突きつけているということだと、理解している。
 これは何かに、どこかに通じていないか。
 映画で、川を越えて向かう異界の聖地にご神体の巨石が映し出された。その時、反射的に腰を浮かせてしまった。この巨石のシーンが、なんと『天空の庭』の景色そのものに映ったからだ。いや、どうなのだろう、とわたしはわが目を疑った。巨石というキーワードがその神話の象徴として浮かび上がった、ということだ。



 わたしの場合も、ずっと探していたのかもしれない。その誰かと、巨石で巡り合うことになったのだ。いくつもの偶然が重ならなければ、このような出会いには至らない。後藤崇比古管長のお言葉を拝借すれば、必然は偶然のふりをする、ということなのだろう。

 さて、お待たせした連載の再開は、時計の針を3ケ月余り巻き戻すことになる。
                    DNDメルマガ編集長、出口俊一




◇9月13日という記念日
 連載に、「石彫家、和泉正敏氏の世界」ーと銘打ちながら、この連載は11回にもなっているのに、和泉氏がいまだ登場しないというのはおかしくないか、といぶかる読者も少なからず存在するかもしれないと心配になったほどだから、わたし自身もこれ以上引っ張るのには無理があるな、と感じていた。無理をしてでも8月8日の犬島視察は同行すべきだった、と悔いた。
 そんな矢先のこと、ふいに連絡が入ったのだ。
 後藤管長と和泉正敏氏の打ち合わせがあり、その日の午後からご一緒に『天空の庭』を散策しませんか、という誘いだ。9月13日だという。
 ついに、きたか、と気を引き締めた。後藤管長がわたしの心情を察してくれたのかもしれない。今度こそ、と気構えた。 
 石彫家、和泉正敏氏の息遣いや、割れた瞬間の石の響きを感じなければ、「天空の庭」の本質的な世界には到底たどり着けないのではないか、と思った。2度目のお誘いだった。






◇なぜ、人の心を魅了するのか
9月13日、もう一度、膨大な資料に目を通して、何をどうお聞きするか、などと考えていたら、図太いはずのわたしでもその前夜、なかなか寝付かれなかった。目を閉じたら、脳裏に去来するのは、「天空の庭」は、なぜ、人の心を魅了するのか、という問いだった。
 天上山にたって空を見上げると、果てしない宇宙のど真ん中に佇んでいるような気分にさせられる。「天空の庭」は、何を、意図しているのか、というもう一つの問いかけは、これまでの散策の間、常にわたしの心を占拠したままだった。なんら手掛かりがないまま、思索の淵を彷徨っていた。


◇イサム・ノグチ氏と丹下健三氏
 救世神教本部2階の応接間、ここは後藤管長と初めてお会いした場所でもある。思えば、初めて訪ねた5月16日から、ちょうど120日目にあたる。ずいぶんと日が経ってしまった。時間軸のゆらぎにめまいを覚えそうになる。
 誰が、この邂逅を演出しただろうか。
 イサム・ノグチ氏の彫刻芸術を25年間にわたって支えた和泉正敏氏、そして建築家・丹下健三氏の番記者10年のキャリアがある小生、ノグチ氏と丹下氏のお付き合いの深さからすると、和泉氏とは赤坂の草月会館でとっくに出会っていても不思議ではないのだ。わたしにとって和泉氏は、会うべき人、ずっと探していた人の一人である。
 振り返れば、金沢の鈴木大拙館の取材の時でも、そうだった。庵治石の壁がグラデーションとなっていた。和泉氏の労作のひとつだ。その壁と庭にスウェーデン産の黒御影石をみつけて和泉氏の仕事だと直感していた。札幌のモエレ沼公園の時でも、和泉氏は7000トンの石を運んだ。その時々で、和泉氏と遭遇するチャンスはあったはずだ。
 鈴木大拙館の訪問取材は、金沢工業大学の常務理事の紹介だった。開館間もない頃で、取材の後、確認のために牟礼にある和泉氏の会社に電話を入れていた。それがいわば唯一急接近した瞬間だったわけだ。


◇「イサム・ノグチの祈り」再掲
11年前に書いたメルマガだ。
※『イサム・ノグチの祈り』
http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm050810.html

 <いわば、丹下氏とノグチ氏は、旧知の仲、建築家と彫刻家としてお互い一緒にパートナーを組んでいたようです。有名なのは、いまも祈りが絶えない広島の原爆ドーム周辺の「広島ピースセンター」の復興整備です。
 1952年、丹下氏の設計で進められることになりますが、丹下氏の希望でノグチ氏に平和記念公園の脇に掛かる、ふたつの橋のデザインと原爆慰霊碑を依頼していました。しかし、ノグチ氏は、ご存知の通り、父は詩人の野口米次郎、母は作家、レオニー・ギルモアの日系アメリカ人としてロサンゼルスで生まれていた事情から、丹下氏の恩師、東大教授の岸田日出刀氏から丹下氏は「原爆を落としたのはアメリカだ。ノグチはアメリカ人であることを忘れないでほしい」と強く迫られた‐という。橋は、完成をみましたが、ノグチ氏の原爆慰霊碑は、そのため拒絶されてしまいました。丹下氏は生前、「建築家がすることと、彫刻家ができることを分けて考えなくてはいけない」と話していました>


◇和泉氏と会う
 さて、軋むような鈍い音を立てながら、やっと運命の扉が開いた。
ドアを開けたら、和泉先生は、わたしをみつけると、奥のソファからゆっくり立ち上がった。遠慮がちなのか、戸惑っていらっしゃるのか、スローなビデオをみているような動きだった。

「あゝ、先生、どうも」とご挨拶すると、
 和泉先生は、
「こんにちは、いつも素晴らしい文章を書いていただき、ありがとうございます」と柔和な笑みを浮かべて、手を差し伸べた。

 「先生にお会いするのが楽しみで、昨晩、ほとんど眠れませんでした」と素直に胸の内を語った。
「いやあ、とんでもございません。書かれているメルマガは、楽しい文章ですね」とメルマガのことを何度も話題にしてくれた。
 わたしは、名刺を出す準備をしながら、こういう初対面の時の相手の仕草から、その人がわたしをどのように感じているか、見ているか、職業的な直感が働く。誠に、恥ずかしいことなのだが、注意深く伺う癖が抜けない。
 それで、わたしは率直に本心をこう伝えた。
「いやあ、先生、会いたかったのですよ」
 先生は、少し照れながら
「そうですか、どうも、申し訳ありません」とひざに手をそろえて恐縮する。なんという奥ゆかしさなのだろうか。そのやわらかな言葉遣いに心底、参ってしまった。
 無礼なほどの元事件記者とは違って、夢に見た人は、繕わず、飾らず、自然体そのものだった。卓越した美意識を胸に秘めながら屹立した仙人のように思えてきた。
 石工は、その仕事の厳しさから、言葉遣いもね態度もですけれど、とても荒っぽいものなのです、と和泉先生はソフトに口にするから、荒々しさの微塵も感じられないのである。
 そのやさしい抑揚は、耳にしてすぐ、あゝ、丹下先生とよく似ているなあ、と思った。お静かな声の感じまでそっくりだ。そういえば、和泉氏の故郷・香川県は、丹下先生のご出身の愛媛県のすぐ隣で気候がおだやかな同じ瀬戸内海なのだ。




◇遺言状「彼自身の道」
 和泉先生への最初の質問は、ノグチ氏の遺言状からお聞きした。
 作家、ドウス昌代著の『宿命の越境者、イサム・ノグチ』の終章、エピローグによると、ノグチ氏は、死の前年に作成し直した遺言状で、未売却作品を含む固定資産のすべてをイサム・ノグチ財団にのこした。預貯金は、長い事親身に尽くしてくれた日米の7人に分配した、とある。
「遺言状にはもうひとり、和泉正敏氏の名前がある」として、死去する半年前、自伝用テープに残された和泉先生へのメッセージを紹介している。わたしは胸が熱くなった、と和泉先生に伝えたところだ。
それによると、
「和泉はぼくのすることになんでもついてきてくれた得がたい協力者だ。いずれ彼は、彼自身の道を歩むだろう。」
 後段の一節、「いずれ彼は、彼自身の道を歩むだろう」という期待とも予言ともとれるノグチ氏の伝言は鮮烈だ。今、ほんとうにノグチ氏の遺言通りの道を進んでいる。その象徴的な舞台が、まぎれもなく不動の巨石を配した「天空の庭」だと思う。
 わたしは、和泉先生にその「いずれ彼は彼自身の道を歩むだろう」と書かれた個所をなぞりながら声を出して読んだ。
 すると、和泉先生は
「すみません…」とポツリ言って、宙を見つめながら、当時のことを思い出しているのだろうか、しばらく言葉が続かなかった。次の言葉を待った。
 やや間があって、「いろんなことがありましたね」と言った。
 何か、こみ上げるものがあるのだろうか、その当時のことを静かにゆっくりとしたリズムで語りだしたのだ。師匠でもあり共同パートナーでもあるイサム・ノグチ氏のことを「ノグチ先生」と尊敬を込めた。




◇回想「地元では知人を作らない」
 わたしが25歳の時にノグチ先生と出会ってそれから25年間、亡くなるまでずっとご一緒しましたから、日本に来られているとき、香川県に来られているときは、ほとんど毎晩、一緒に食事をしていました。
 ノグチ先生がニューヨークに滞在の時は、世界中から友人知人がお見えになるので、毎晩、違う方と食事をしないといけなかった。しかし、牟礼ですと、誰もこないので、「イサム家」でいつも食事をしていました。牟礼のまわりで採れる新鮮な野菜や魚で、お手伝いさんが料理してくれていました。ノグチ先生は、いつもおいしかった、とその感想を伝えていましたが、お手伝いさんに、食べ物とは、舌で味わい、目を喜ばせ、香りで鼻を楽しませるものと、教えていたのは聞いたことがあります。
 イサム家には、時折、僕にノグチ先生を紹介してくださった元香川県知事、金子(正則)さんが見えたり、東京から料理人が訪れたりしておしゃれな食事を作ってくれていました。でも、地元では知人を作らない主義でした。

 「日本人の風習として昔は、食事の時はしゃべらないのがいい、とされていましたが、(和泉)先生は、どうされていたのですか?」と話を向けた。

 そうですね(笑)、黙っていては居住まいが悪い。毎晩のことですが、何か話題を作らなければいけないものですが、ノグチ先生は、勘の鋭い人でしたから、その場の雰囲気を楽しく過ごすことにつとめていらっしゃいましたね。




◇「石が好きなのがいい」
 最初の頃の話ですが、食事で二人っきりになった時、ノグチ先生は、いろいろとアドバイスしてくれました。例えば、僕のことについて、
 ひとつ、学校を出ていないのがいいといいました。たぶん、美術学校のことだと思います。次に、英語を話さないのがいい、ともおっしゃってくださいました。そして、なにより石が好きなのがいい、と。だから、「僕と一緒に石の勉強をしましょう」と言われてことを鮮明に覚えています。
 また牟礼に「イサム家」が完成した時の1967年頃だと思いますが、その時にノグチ先生は、こんなことも言われていました。
 それは、お金が一番人間をダメにするんですよ、とね。次には、車が世の中の風景を悪くする。車が増えると、道路が増える、と。そして、アメリカの真似をすることは悪い、これからはアメリカの真似をしないでください、とも言われました。
 まあ、そんなことを折に触れて次々と教えてくれました。

「海外にもご一緒に行かれましたね」
 はい、そうです。ノグチ先生のお父様(野口米次郎氏)の関係もあってか、インドにまず先にご一緒しました。ガンジー記念館の設計、ネール首相のお墓の設計などを手掛けておりました。インドはノグチ先生にとって格別の場所だったようですね、とても親しい友人や、知り合いの建築家も多くおられました。




◇丹下先生のこと
「原爆慰霊碑についてはどうでしたか?」
 やっぱり、残念だった、と、思うようにいかなかった、と、亡くなる(享年84歳、1988年12月30日)まで、未練がましくというのではなく、そんな風に素直な気持ちを語っておられました。丹下先生との関係はノグチ先生が亡くなられるまで続いていました。
 あれは、ノグチ先生80歳の誕生日を祝う会が東京の草月会館1階の「天国」で開かれた時でした。「天国」はノグチ先生、草月会館の設計は丹下先生というのはよく知られています。僕もお手伝いさせていただきましたが、そのパーティの席上のことでした。
 丹下先生がどこからともなくスーッと姿を見せたのです。たぶん、いま考えると後ろから回って、僕の前にお出でになられたのだと思います。
 丹下先生が「和泉さん、ありがとうございました」と言って、頭を下げられたのです。もうその時の驚きと言ったらない。丹下先生は、現場には一度も姿をみせませんでしたが、見えない場所でご覧になっていたんですね。
 その礼をする、というその美しい姿を見て、やはり一流の凄い人だなあ、と思いました。




◇回想「和泉は何をしているのか?」
 最近、夢でも、でしょうか(笑)
もし、ノグチ先生が天国からこの地上に還ってこられたら、とそんなことを考えることがあります。
 還ってこられたら、一番先にどこに行かれるだろうか、と考えるのですね。たぶん、まずニューヨークではないだろうか、ウオール街にRed Cubeがあり、チェイス・マンハッタン銀行プラザには沈床園、それにノグチ先生の美術館、イサム・ノグチ・ガーデン・ミュージアムがあります。人間ですからね、ニューヨークに最初は行かれると思う。
じゃあ、次はというと、
 それは、東京ではないような気がします。東京は見なくても、どうなっているか、だいたいわかる。
 まあ、少し手前みそになりますが、
 和泉は何をしているのか?
 あの続き、一緒に石の世界を追いかけた25年間、あれから和泉はどういう仕事をしておるのか、ということにやっぱり興味がある。その仕事がいいか、どうかは別にして、何をしていたか、何をしているか、に興味があるのではないか、と思います。ノグチ先生のそのような声が聞こえくるようですね(笑)




◇「ノグチ先生は、僕の立場になって感謝する」
 「天空の庭」にノグチ先生が来られたら、それは大変喜んでくれると思います。ノグチ先生の笑顔が感じられますね。
 この広い石庭を自由に、存分にさせてくれた救世神教さん、明主様、谷元先生、後藤管長先生皆様に、ノグチ先生は僕の立場になって、感謝してくれるのではないか、と思います。逆に、和泉がいま何もしていない、たいしたものも作っていなかったら、がっかりされるにちがいない。
これだけの広庭での制作を許してくれた管長先生には、僕に代わってお礼を言われるような気がしてなりません。
 ただ、どうやってこれから仕上げていくか、が大切なところです。ノグチ先生が元気でおられたら、「こうしたら面白いのではないのか?」というみんなが喜ぶようなヒントをくださると思います。

「和泉先生が仕事に向かわれる時、ノグチ先生ならどのようにされるのかなあ、というそういう思いというのはやっぱり少しはありますか?」と聞いた。
あります。あります。
 いつも、そのために夜、テレビもみていません。ラジオもなんにもない。ひとりだけの部屋で、朝から夜明けとともに目を覚まして、自分が関わっているところやお世話になった人々のことが頭からはなれません。特に「天空の庭」は、あそこはどうしようか、とずっと考え続けています。
 同じものは作ってはいけない。それではどうするか、考え抜いていくと、ヒラメキというものが降りて来る。やっぱりヒラメキでしょうね。会議で何か決める時は普通の土木工事になってしまうのですけれど、その未知なるヒラメキのために、自分ひとりで考え抜くことになりますね。それをノグチ先生は期待されているものと確信しています。




◇和泉先生の続編
 次回は、『天之磐座』をどのようにして分断したのか、ということをお聞きした。その驚異の一端を明らかにしていきます。ご期待ください。≪続く≫



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