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-石彫家、和泉正敏氏の世界-
・「天空の庭」(救世神教)礼賛 
    その11 巨石の聖地、犬島



 猛暑続きの夏、8月上旬のことだった。
後藤崇比古管長から担当を通じてお誘いのメールが舞い込んだ。
 そのLINEのメールには、
 明日、犬島の丁場に入れることになりましたので、万が一、岡山にお見えでしたら、ご一緒しませんか-
というのだ。
 LINEは、少し間をおいて、
 午前11時に、宝伝港で和泉正敏先生と待ち合わせているそうです、と続いた。
 なんとまあ、豪華な顔ぶれ、夢にまで見た石彫家、和泉先生に会える、という期待で小躍りしたほどだ。
 さらに、
 一応お知らせまで、
 と、LINEメールは、あっけないくらい簡潔で、ひょうきんなパンダのスタンプは、これで用件はおしまい、という意味にとれた。が、犬島、そして和泉正敏氏と聞いて内心穏やかではいられなかった。わたしにとってこれは一大事だった。物事とは、ふいにこんな展開になるものだろうか。
                    DNDメルマガ編集長、出口俊一



:100トンもの巨石、神礎石がクレーンで吊り上げられた緊迫のシーン=写真家、藤塚光政氏撮

◇伝説の犬島
 犬島とは、瀬戸内海に浮かぶ岡山県の犬島群島である。正確には犬島群島太郎島と呼ばれている。石工の世界に多少の理解があれば、ピーンとくるはずだ。そこに丁場、いわゆる巨石の採石場があるからだ。太郎とは桃太郎を連想させてくれる。「神話づくり」は、ここから始まっていた。
 後藤管長ご自身の口から、『天空の庭』造営にまつわる珠玉のストーリーがこの犬島に埋もれていることを知らされていた。それらを丹念に発掘していくことが、仕え人としてのわたしの仕事であり、全体の構成からすると、この連載のプロローグにあたる。「天空の庭」(救世神教)礼賛の物語は、この巨石の聖地を抜きには語れないのである。
 後藤管長、そして和泉先生そろい踏みで、しかも伝説の犬島で会えるのだ。申し分のない舞台設定だ。後藤管長の演出にひれ伏すような思いだ。やっと巡ったチャンスでもある。この滅多にないお誘いに、わたしは舞い上がりそうになった。


◇8月9日、宝伝港で
 連絡が入ったのは8月8日の正午すぎで、犬島への同行は翌9日に設定されていた。一刻の猶予もならない。時間が迫っていた。
 東京を何時に出れば午前11時ちょうどの伝宝港発犬島行フェリーに間に合うのだろうか、と気をもんだ。朝一番になるのではないか、と心配もした。ちらっと不安がよぎる。
 東京駅を午前6時16分発のぞみ3号に乗れば、岡山駅には午前9時30分に到着する。そして少し余裕をもってローカルの赤穂線に乗り継ぎたい。
 岡山駅を午前9時54分に出ると、10時21分に西大寺駅へ。そこからタクシーで移動し20分ほど走ると宝伝港に着くことがわかった。逆算すると、やはり早朝に埼玉の自宅を出て、午前5時すぎの始発に乗らないと間に合わないことになる。


◇夢想
早め早めがよろしい。宝伝港が歴史的な出会いの場となるのだから、時計をみながら息せき切って移動する愚は避けたい。宝を伝える港、なんとも幸せをもたらすような語感がいい。犬島までフェリーで10分、どんなことになるのだろうか。
 ところで、和泉先生、どのあたりから島影がみえてくるのでしょうか、とフェリーに揺られながら、わたしはこんなことを聞いてしまうかもしれない。すぐ目の前に犬島が見えていたら、この質問は成立しない。うれしさの余りつい妄想に走り、勝手にイメージを膨らませているのだ。
 採石場へはどのくらい歩くのだろうか、あの『天之磐座』の原石が転がっていた場所を見てみたい。それをどのように分断し、牟礼へと運んだのか。この原石が見つからなかったら、「天空の庭」はどう変容していたかーなど次から次と広がる夢想をおさえられないのである。
 まだ、行くとも決まっていないのに、せっかちだからしょうがないけれど、想像するだけでもワクワクしてくるじゃないですか。これが一人芝居で終わらなければよいのだが、物語は、そんなにうまくは運ばないものらしい。




◇いまから17年前の奇縁
 後藤管長が、犬島の丁場に足を踏み入れたのは、いまから17年前の1999年(平成11年)の11月3日が初めてだった。後藤管長は、その時の様子をしっかり記憶していた。
 当時、尊崇の本殿「光明殿」の移設に伴って構築される基壇の建設のプロジェクトが進行中で、その中心石となる畳20畳もの大きさの神礎石が、この犬島から切り出されていたのだ。それを「日輪基壇」と呼ぶのだが、「日輪基壇」の神礎石は、「田」の型にした畳10畳ほどの4枚と、「田」の上部にややファサード風に外に突き出た格好の20畳もの巨石が1枚加わり、合わせて5枚の組石として持ち込まれる予定になっていた。
 いやあ、平石といっても100トンもある巨石だ。文字では、説明が難しい。写真をお見せした方がその実像を捉えやすいと思う。ここにクレーンで吊り上げられた巨大な平石の、緊迫した搬入シーン見てもらいたい。指揮を執るのは、和泉正敏氏で、人を押し潰そうなくらい圧倒的で、危険な作業現場なのである。




◇写真家、藤塚氏が捉えた「日輪基壇」
 下の写真は、写真家、藤塚光政氏が、2000年11月9日に撮ったものである。
 それぞれが縦横均一にして気品にあふれている。ため息がでそうなくらい美しい。確かに滅多にお目にかかれるものではない。よくぞ、これほどの平石を探しだしてきたものだ、と感心させられる。
 この平石も犬島から採掘したものだ。後藤管長は、「日輪基壇」の神礎石の故郷、犬島の採掘場所を一度、ご覧になっていただけないか、という誘いを和泉氏から受けていた。前に書いた通り、それが1999年11月3日のことだった。
 しかし、その数日前、犬島の採掘場ではひとつの騒動が持ち上がっていた。岩場の中腹からまたとないスケールの大きい巨石が姿を見せていたからだ。それが『天之磐座』の原石となるとは、だれも想像しなかったに違いない。
 物事が何かにむかって動いていく、必然は、偶然を装ってやってくる-とは後藤管長がよく口にする名言だ。後藤管長の訪問をその原石は待っていたのかもしれない。
「天空の庭」の構想はまだ生まれていなかった。が、17年前の11月3日の奇縁が、すべての始まりだった。




◇労苦を語らない和泉先生の流儀
 その石の有無もさることながら、それらを切り出す石工職人の技術にも驚かされる。もはや、このような石は二度とお目にかかれないだろう、と言われている。職人も数少なくなり、石そのものが存在しないからだ。
 これらの巨石を無事に調達し、瀬戸内海をはさんで犬島から牟礼、そして陸路、三重県の津市にある教団の本部へと移送し、それらを礎石として組んでみせた。
 サッとこんな風に書くと、いとも軽々とした作業のように受け止められがちだ。これが大間違いなのだ。深夜、国道をふさぐ格好で大型トレーラーが5台、列をなして走る、搬送の模様を映したビデオテープを拝見してわたしは、この無言のドキュメント映像に打ちのめされたのである。 切り出し、搬送、設置等、一連の作業は、うっかりしていると重大事故につながりかねない、という。人智を超えた命がけの難行でもあった。
 が、この連載を続けているわたしの率直な感想でもあるのだが、その労苦の陣頭に立つ親方、和泉氏の口からその手の苦労話がひと言も漏れてこない。ご本人は、あんまり自分のことを、特に汗をかいた裏話を語ることを好まない流儀の人である、という記述を何かで読んだ記憶がある。 後藤管長は、そういうお人柄をよくご存知で、その苦労がどれほどのものか、そのところの呼吸は、最初の出会いから感じ取っていたふしがある。




◇犬島訪問を断念
「天空の庭」は、なぜ、人の心を魅了するのか。
天上山にたって空を見上げると、果てしない宇宙のど真ん中に佇んでいるような気分にさせられる。「石庭」といっても従来のその概念ではとらえられないのである。わたしのこの連載の悩ましさもその一点に尽きる-と前回書いた。
 そして、まだ見ぬ、憧れの石彫家、和泉正敏氏の息遣いや、割れた瞬間の石の響きを感じなければ、「天空の庭」の本質的な世界には到底たどり着けないのではないか、と続けていた。そのためにも和泉先生にはお会いしておかねばならない、と思っていた。
しかし、8月9日は、いま取り組んでいる別のミッションの原稿の最終チェックの日と重なっていた。後藤管長、和泉先生との犬島訪問は、わたしの都合で実現しなかった。
 私の担当で、編集に携わる丸本充彦さんにLINEで、泣く泣くお断りのメールを送った。そして、犬島の採石場の風景とともに後藤管長、和泉先生お二人のツーショットを撮ってもらえるようにお願いした。写真が後日、約束通り届いたが、やはりその場にいないとリアルに伝わってこない。




◇犬島のリベンジ
 わたしは、犬島から採掘された巨石、「日輪基壇」の神礎石と、「天空の庭」の『天之磐座』のふたつの物語を同時に書き進めようとしている。どちらを優先させるべきなのか、それをどう絡めたらいいのだろうか、と呻吟していたら、あっという間に時間が経ってしまった。
 が、それから3週間後の8月29日、丸本さんから再び、LINEメールが届いた。
管長より伝言です、と断って、
 13日は、教団に和泉先生がお見えになります。その夜、会食にご同席はかないますでしょうか、という。
 わたしは、間髪入れず、
 13日の件、了解いたしました、と返事をし、
 可能なら、管長先生、和泉先生と「天空の庭」を散策できれば、この上ない題材になろうか、と思うのですがどうでしょうか、と伝えた。
 犬島では実現しなかったが、後藤管長、和泉先生、そして、わたしを含めた初めての顔合わせになりそうだ。
 犬島のリベンジと思うと、再び、心が泡立ってきた。和泉先生に何をお聞きしようか、と考えて、ノートにメモを取ろうとするが、考えがまとまらないのと、ペンを持つ手にふるえがきた。
 ≪続く≫


※関連
・-石彫家、和泉正敏氏の世界-「天空の庭」(救世神教)礼賛 その10 「神話づくり」ー石庭は、ご神意ー
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・-石彫家、和泉正敏氏の世界-「天空の庭」(救世神教)礼賛 その9 後藤管長の「天の物語」
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・-石彫家、和泉正敏氏の世界-「天空の庭」(救世神教)礼賛 その8 レインマウンテン秘話 「イサム・ノグチさんがやってきた」
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・-石彫家、和泉正敏氏の世界-「天空の庭」(救世神教)礼賛 その7 石の力を知っていますか!
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