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-石彫家、和泉正敏氏の世界-
・「天空の庭」(救世神教)礼賛 
 その6  石は恋人、その声は聞こえますか?





◇「奇跡に近い物語」
 強い雨の中を歩いている。
 矢穴の跡が、ずいぶんと大きいのに気付く。
「凄いですね」
 と、わたしはなんども感嘆の声をあげた。「天の川」のその真ん中に一直線に敷いた「つたい石」は、小豆島の岩から切り出した花崗岩で、それは五剣山の庵治石とは双璧といわれる美しい石だ。
 その長さも圧倒的だが、見えている部分と埋まってみえない部分があるのだから、どれほど大きな石だったのだろうか。長いもので9mはある。その数42枚という。その42枚を別の機会に丹念に見て回ろうと、ひそかに考えていた。
「よくまあ、これだけの石を集められたものですね」。
 そう言いながら、わたしは後藤崇比古管長からの次の言葉を待った。
「もうたぶんこれが最後になるのではないでしょうか。最初は、半分に割ったものをさらにもう一回割ろうか、という考えも出た。枚数が足りないものだから。しかし、それじゃあ、せっかくの石がもったいない、ということで今の厚さを維持しようということになったのだが、果たして枚数が足りるか、どうか、瀬戸際でした」。
「夢湖」から「天上山」に至るまでその42枚の連続した平石は圧巻だ。それも自然の石を組み敷いていくのだ。灯篭を右に左に置いてみる、というような単純なものではない。やり直しがきかないから、ある種の緊張感をはらんだ魂魄を留めるような作業だったにちがいない。
「よく揃えられましたね」と再び問うと、
「それで、ほんとうにギリギリ、最後の1枚まで気が抜けなかったようです。今日、ここまで完璧に仕上がったというのは奇跡に近い物語性がありますね」と感慨深げなのだ。
「割れたりしなかったのでしょうか?
 と聞くと、42枚のうち1枚に限って意に反して割れたものがあったという。割れたのだから1枚が2枚になっているのだろうか。これも42枚の中から探しだしてみようか、と心にしまった。


 
:石を割る、和泉正敏氏、息をのむようなすごい光景ですね、緊張感が漂っています=救世神教教団からの提供

◇石を割る、ということ
 目を凝らすと、どれ一つとして同じものはなく、石と石のそのつなぎ目が絶妙で、しかも幾種類もの積み木をいとも簡単につなげたように写るのだ。その痕跡を留めぬように、さらっと静かにやる。それが飄然とした和泉正敏氏の流儀なのだろう。
「石は、この平石はどういう風に割るのですか?」とおもむろに聞いた。
 後藤管長は、しばし考えあぐねてから、
「パンを裂くように、というか、裂けていくように割れる」
と表現した。
わたしが
「スーッとですか?」と聞くと、
「そう、スーッと、身をはがすように」というのである。
「途中、石がたわむのでしょうか?」とわたしが執拗に質問すると、
やはり後藤管長は、言葉を選んで
「なんというか、身を裂くように、気持ちよそさそうにしてミシッ、ミシッという感じです」といった。

 後藤管長は、牟礼の仕事場に行って立ち会っていた。その時の石が割れる瞬間の神秘的な響きを聞いているのだ。石に新しい息吹をもたらすのかもしれない、と語るのだ。

   まだ自らの説明に納得がいかないらしい。もう一度、後藤管長が続ける。
「焼きたてのパン、ふかふかのものを想像してみてください。それも一斤のものを左右から裂いていくというか、ゆっくり静かに裂けていくように割れていくのです」とさらに詳しく説明を加えた。
 石は、二分割されるとき、静かにゆっくり割れていくというのだが、わたしの脳裏ではまだ、十分に割り切れないのである。



:つたい石の最先端である広場に平石を敷く作業風景=救世神教教団からの提供

◇一枚に重なる
「つたい石」は、最終コーナーにさしかかっていた。矢でいえば矢じりにあたる最先端で6枚の大きな長方形の平石が組まれていた。「広場」とも呼ばれている場所だ。
 後藤管長が、
「わかりますか」と手前の平石に目をやった。
 右端の右寄りの下方、いま立っている右側の平石に、えぐられたような窪みが雨をためていた。
 石の上の水たまり、たったそれだけのことなのだが、わたしは鈍感でというよりすぐにそれを確認できる視力がない。そのため、あっちだとか、こっち側だとか言って手こずらせてしまった。 「それです、手前の石、その窪みに水が溜まっているじゃありませんか?」
「わかりますか」、念押しはこれで2回目である。
 手前の窪みのある平石と、向こう端のやや盛り上がった瘤があるものとは、もともと1枚の石だった。そこの凹凸がぴったり1枚に重なるという。
「なるほど」
 つまり、6枚の組石のうち、端と端が同じ面で、その真ん中の4枚もそれぞれ2枚セットなのだという。
 面白いなあ、と思ったら、また心が泡立ってきた。ハマグリの貝合わせじゃないが、二分割のそれぞれを探しだしてみようかしら、そんな遊び心が沸いてきた。これも次の宿題にしようか、とメモ帳にペンを走らせた。






◇寛容な遊び心
 「つたい石」、それは「天の川」の真ん中を巨大な矢が貫いているように見える。
後藤管長に「矢に見えますね」とそれとなくつぶやいてみると、「矢です」という答えが返ってきた。それもきっぱりと、少しもためらいがないのである。
 降りしきる雨のなか、傘をさすというやや面倒なことをのぞけば、「救世神教」の神恩郷の散策は清新で気持ちが落ち着く。加えて、後藤管長との対話は、まあ、一見とりとめがなく終始ユーモラスなのだが、とても奥が深いものがある。
 なぜ、矢のような形なのだろうか。どのように割るのだろうか。
 その平石に歯形のような穴が一列に並んでいる。鍵穴のようにも見える。石の中をその矢であたりをつけて様子を探ろうというのだろうか。石の目を探ったのかもしれない。
 超然とした石組の佇まいを見ていると、石を割る、分断するというのはとても尊いことのように思えてきた。石が割れる瞬間の響きとは、どのようなものなのだろうか。
 後藤管長とのやり取りで、その響きから何億年という時空をまたぐひそやかな信号が託されているのかもしれない、と思うようになってきた。それを「復活の呪文」とでも譬えておこうと思う。
 思えば、太古の時代から連綿と続く厳粛な儀式に似ていないか。石割とは、とても神秘的な瞬間なのではないだろうか。
 全長140m、たぶん世界一長い自然石を組んだ「つたい石」、連続してそれもある一点に向かって一直線に走る。その上を靴を脱いで歩いてください、という。匠の技が随所に散りばめられた作品の上を、それも裸足で体感することができるのだ。そのような石庭をわたしは一度も見たことも聞いたこともない。
 後藤管長と、和泉正敏氏のその寛容な遊び心には心底、恐れ入った。その熟達した神技の一端を垣間見るような思いなのである。






◇和泉正敏氏が明かす
 小豆島の石切り場からは、もうこのような良質の大きな塊は、手に入らない-と和泉正敏氏は、季刊誌『光明世界』のインタビューでその点に触れている。「つたい石」の由来や特徴、採掘の難しさ等を述懐されているので、その一部を紹介したい。

ー現在では、もはや良い石の入手が困難になってきたようですが。
・和泉先生
「はい、残念なことに、石自体の産出も難しくなり、今は(小豆島の)採石場の件数も減少し、掘る人も少なくなってきました。6-8mもの大きな花崗岩を採りだすことができなくなり、今回の「つたい石」は、広い山の中で一か所だけ、無傷の塊が見つかったのです。その後はなかなか採れません。本当に不思議なことでした。
今は日本では、川や山で石を採掘することは、かなり制限されています。天の川つたい石に、必要な分量だけ手に入ったという状態です」

ー石の割り方も伝統的なものと伺いましたが?
・和泉先生
「はい、遠くは中国や韓国から島根、京都の辺りを通って入ってきたのでしょうが、」維新矢を立てて、ゲンノウで打ちこみながらの割り方です。それは静かに、石が二枚に剥がれていくとでも申しましょうか、これが『技術』ですね。外国の方も作業場を視察に来られるのですが、石割の光景を目にすると大変驚いておられます」


◇石は、宇宙と交信するー
 そして小豆島産の特徴について、こんな風に語られていた。

 ー昨年、この牟礼の工場で「天の川」つたい石の石割作業を見学させて頂き、大変感動しました。今でも石の割れる印象的な音が耳に残っております。(中略)改めて天の川の意匠と、石の特徴をお聞かせください。
・和泉先生
「昨年(2009年)「天の川」に据えたつたい石は、小豆島産の花崗岩です。小豆島産の石で、大阪城の正面に見える巨大な太閤石は二百五十年以上経ったいまでも、生き生きとした岩肌ですね。年とともに美しくなっていく石が一番良い石ではないかと選びました」

「また杉や檜材のような、真っ直ぐ平らに割れる特徴があります。目に沿うと、一面はきれいに割れる石もありますが、二面がきれいに割れる石は少ないのです。ですから、機械のない古い時代から、割って薄い板がとれるのは小豆島の石でした。その石肌には、雲母や長石、石英などが詰まり、きらきら輝いてきれいです」

「浜辺で砂浜を見ていると、水に洗われ、空と話をしている感がありますね。月明りでもきれいですから、もしかすると石は宇宙と交信しているのではないかと思います」




◇石は恋人
 うれしいことに、このインタビューを読むだけでも穏やかで幸せな気持ちになれる。石彫家、和泉正敏氏のその慈しむような石への思いがひしひしと伝わってくるからだ。
 この原稿を書き上げたのが、7月7日の七夕だった。漆黒の夜に満天の星、こんな日の天の川は、どのような輝きを見せているのだろうか。
 わたしは、その後藤管長との散策の翌日早朝、スポーツシューズに履き替えて再び、「神恩郷」に向かった。そして、靴を脱いで、「つたい石」を歩いた。次回は、「つたい石」からの新しい発見について報告しようと思う。
 あらら、メルマガを綴っていると、再び、「天空の庭」が、恋しくなってきた。石は永遠の恋人なのだ。






              DND編集長、出口俊一
≪続く≫


※関連
・-石彫家、和泉正敏氏の世界-「天空の庭」(救世神教)礼賛 その5 石の聖地、牟礼と五剣山
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