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北の厚田に眠る原田裕さんのこと(上)

【祝100回】塩沢文朗さんが執筆する、コラム『原点回帰の旅』が今回で目出度 く100回を迎えました。書くことの壁に戸惑う、とぼくへのメールに心情をのぞ かせてくれたが、確かにその連続と思うし、それは進歩した証でもあろう、と 返した。同じ歳の塩沢さんの前向きな姿勢にぼくも刺激を受けています。ライ バルといっては失礼かと思いますが、お互い行けるところまでいきましょう。 環境やエネルギーと言った専門分野から旅行のルポやエッセイなどその守備範 囲は幅広く、今後のますますの健筆を期待するものでございます。節目の100回、 誠におめでとうございます。(編集長)


DNDメディア局の出口です。報告しますね、にんにくの栽培は、今年もうまく 収穫できました。原田さんが、にんにく栽培にひとかたならぬ情熱をもってい たなんて知らなかった。にんにく談義というか、きっとタラの木の時のように 時間がたつのを忘れていたにちがいない。が、おしゃべりの相手がいなくなっ たのはさびしい。無念としかいいようがない。生きていてくれさえすれば見舞 いがてらお届けにあがったはずなのに。


それと昨年秋に日光に山を手に入れました。自然の森づくりは、気持ちが和 んで癒されます。つい先ごろ桜の苗木を植えました。立ち姿のいい吉野桜や八 重の仙台枝垂れ桜など5本植えた。原田さんの桜は、森に入ったすぐ東側の高台 を選びました。枝垂れ桜が好きだと、以前そんなことを言っていたから、その 枝垂れ桜を「原田桜」と命名しました。




枝先から淡いピンクの花びらが流れるように丘陵にそって咲いたら、さぞか し見事でしょう。どう、原田さん、桜の花びらを透かしてみるやわらかな光景 が目に浮かんできませんか。



◆2度目の収穫

6月に入って、今年も無事ににんにくの収穫を終え、収穫後、畑から泥土の残 るにんにく200本余りを家に持ち帰った。ビニールのごみ袋で4つ分、結構な量 で、葉や茎を残したままなのでかさばった。家人の手を借りて茎を切って、根 を落としそれらをひもで束ねた。数日、ベランダに吊るして天日干しにした。




梅雨入りが早かったので空をにらみながらの作業となった。にんにくを収穫 したら畑に並べて干すというのが一般的だが、梅雨入りしていたので急に雨が 降ったら慌てる。いわゆる動物的なカンというのだろうか、収穫のタイミング を外さなかった。梅雨入りから一週間、皮肉にも青空が広がった。その晴れ間 をつくように収穫日を選んだ。梅雨入り宣言は、これは本格的じゃないと空の 明るさから判断できた。


クワを中ぐらいに振り上げて根元から掘りあげた。付け根の土を静かに落と した。やぶ蚊が遠慮なしに襲ってきた。腰をかがめる作業はハードだった。た っぷり汗をかいた。にんにくを詰め込んだごみ袋を車中に押しこんだら、強烈 な匂いにむせた。が、気力がみなぎってくるようだった。



家で、皮をむいたらつるりとした乳白色の美肌、ほんのり薄紫色が入る。オ リーブオイルをたらしてホイル焼きにした。ハーブ塩をふってほくほく食べた。 実家では、食卓に初カツオを真ん中に青ジソとにんにくのスライスを重ねてみ た。義父母が笑って、こんなおいしいものは生まれて初めて、と目を輝かせて いた。



◆黒にんにくづくり  昨年10月に植えてから収穫まで8ケ月、米のとぎ汁で培養したEM活性液を撒い たり、米ぬかを使ったボカシで追肥をくれたりした。草取りも怠らなかった。 にんにくの植え付けには、前年に収穫したものを使う。毎年、その繰り返しだ。 にんにくを買う負担はない。そして、1個のにんにくから6片〜8片の種が採れる。 その1片が1個に成長するのだから、収穫期には6〜8倍に増える計算だ。


無農薬のにんにくは、買うと驚くほど高い。自家栽培はほんと安心だし、お いしいに決まっている。小さな畑で十分なのだからみんなもやれば、と知人に すすめる。楽しみはこれで終わらない。黒にんにくづくりである。青森の友人 から黒にんにくをもらって病み付きになった。青森の人の家には、黒にんにく をつくる専用の炊飯器があるようだ。それに習ってぼくも炊飯器をもう一台買 った。


黒にんにくは、へぇ〜そんなやり方でできるの、というくらい簡単だ。皮を つけた1個丸ごとを炊飯器の底に並べて20個ぐらい重ねたら、保温のボタンを押 して、保温状態のまま12日から14日間待つ、すると、黒く仕上がる。手で皮を 剥いてその1片を口に放り込む、水ようかんのように柔らかくて甘い。炊飯器は、 猛烈な匂いを発し続けるからベランダに置いた方がよろしい。 




採りたてのにんにくを友人の岡ちゃんやご近所に、そして地主さんに分けた。 また、お世話になった名古屋のEM生活の知人には少しだが刷毛で表面の汚れを 取って箱詰めして送った。立派にできましたね、とお褒めを頂いた。今年の秋 にその一部を種として植えるのだ、という。


種があっちこっちにたんぽぽみたいに飛んでいく。そもそもは、気仙沼の足 利英紀さんと釜石の佐々木雪雄さん宅のものだった。それに昨年夏に訪ねた夕 張で買ったものや、青森産、群馬産のものも混ざって、いまとなってはどれが どの地方のものか、判然としない。


まあ、配り終えてそれで、やっと今年のにんにく仕事が終わったような気が した。日光の森を開墾して広いにんにく畑ができないだろうか。本格的なにん にく村の誕生だなんて、夢がふくらむが、野生のシカやサルの餌食になりはし ないか、と気をもんでいる。


◆原田裕さんの影響

なぜ、柄にもなくぼくがにんにくの栽培を始めようとしたのか、そのきっか けは原田裕さんの影響だ。原田さんは学生の頃からの付き合いで、ぼくにとっ て兄貴のような存在だった。


気前がよくて、どっさりいろんなものを送ってくれた。今度はにんにくを送 るという。それを期待した。言外に、段ボールでにんにくをどっさり送るなん て、たやすい御用ですよ、といわんばかりの自信が伝わっていた。


札幌の彼の行きつけの創作料理「ジャンボ」には段ボールで届けているのだ そうだ。親しいマスターが、にんにくの素材を生かした創作料理を常連客に振 舞って、今年の出来はどうのこうの、とにんにく談義に花を咲かせるらしい。 枝豆も登場する。その席で、それぞれの評価を聞きながら原田さんは、いやい やまだ修業の身、これからさぁ、と照れていたに違いない。照れ屋さんだから、 子供みたいにしていたことだろう。あれこれ言ってもらえるのが、それがいい んだわ、次にまたやるぞ〜という気持ちになれるから、とそんな胸のうちを吐 露していた。


惜しみなくふるまう、相手の喜ぶ顔を見て満足する、そういう人なのである。 ぼくは、その恩恵に預かったひとりだった。


フキと山ワサビの根っこを送ったから、というので楽しみにしていたら数日 後に届いたのは段ボールに2箱。ひとつかみもあるフキの根は泥にまみれながら 白く、それに紫色の茎が見事だった。早春の大地の匂いがした。無骨な根を掘 るなんて重労働だろう、と気に病んだ。それをぼくの庭に、実家次々に植えた。 いまも青々とした山ワサビの大きな葉が茂り、フキはもう食べごろを迎えてい る。


フキ食べるかい、というからハイ、と返事をしたら、ぎっちりとビニールに 詰まった北海道産のラワン蕗が丁寧に塩漬けにされていた。水に戻して塩抜き をしてさつま揚げと一緒に炒めた。柔らかくて味わい深かった。


また観光地で商売を始める、と聞いて、な〜に、じゃがいもを売ればいいし ょや、送るぅ〜って電話をくれた2日後に、北海道産のじゃがいもが届いた。そ の時は、さすがに腰を抜かしそうになった。食べても配っても減らなかった。 種類は、キタアカリや男爵など4種類もあった。


またある時には、彼の故郷である名寄の大福が人気だからとバラエティーに 富んだ冷凍の大福を、これも冷凍庫に入りきれないくらい大量に送り届けてく るのである。性格がおおらかと言うか、根っから人がいいというか。荷物が重 いから送料も結構な負担だと恐縮した。その都度、宅急便で送る手間を思うと 申し訳なさと同時に兄貴のやさしさが心に沁みた。感謝の言葉もない。


今度は、そのにんにくの番なのである。


「な〜に、にんにく好きだってかい? 早く言ってくれたらよかったしょ。 もうすぐさぁ、収穫したら段ボールに詰めてなんぼでも送ってやるぅ〜。」


兄貴の弾むような声が、いまだ耳元に残っている。


が、いくら待っても原田さんからにんにくは届かなかった。兄貴の携帯は、 突然、通じなくなってしまったのである。


◆遺影ににんにくを供える

それは震災の年の2011年5月のことだった。ぼくは取材のために5月の連休明 けから盛岡を起点に三陸海岸沿いを南下して釜石、気仙沼、女川、石巻、仙台、 名取を歩く1週間余りの計画を準備していた。


兄貴は、なんぼメルマガの取材といったって大変だなあ、宿は?車は?まず 体に気をつけてさ、と気づかった。その話の前後だと思う。にんにくに話題が 及んだのだ。原田さんの気持ちがぼくにのり移ったみたいだ。


どんなものか、試しに栽培してみた。2011年の秋に知人の岡ちゃんに頼んで 畑を世話してもらった。土を耕して有用微生物のEMをたくさん撒いた。初めて の畑仕事だった。


それらを復興パワーにんにくと名付けてその年の10月に植え付けた。群馬の 道の駅のおばちゃんが、にんにくを植えるのは10月10日と決まっているさ、と 教えてくれた。



それから10日後のことである。「大変だ、大変だよ、デグチさん」と息せき 切って知らせてくれたのは、岡ちゃんだった。そんなに慌ててどうしたかと思 ったら、「芽が出た、にんにくの芽が…」という。種を植えたのだから芽が出 るのは当然、と言ってしまったらみもふたもない。すぐに行って確認した。ス クーッと人差し指くらいの青い芽が顔を出していた。これも写真に収めた。



春がめぐって成長の勢いが増した。ひと雨ごとに茎も太く葉は青々としてく るのである。やがて葉が茶色く枯れてきたら収穫のサインだという。2012年の6 月上旬、雨を気にしながら家内と一気に収穫した。作物の収穫というのは感動 的だった。黒い土からよくもまあこんなに色白く育つものだ。


さあ、丹精込めたパワーにんにく、それらをぼくの大切な人に届けよう、と 心に決めていた。収穫したにんにくをボストンバッグに忍ばせて、その夏、北 海道へ向かった。いくら待っても届かないから、ぼくが届けに来たよ、といっ たら、兄貴はどんな顔をするだろうか。白いにんにくに触れると、ふいに涙が あふれてくるときがある。


その日は8月14日だったと記憶している。朝からしきりと強い雨が降っていた。 札幌の郊外の待ち合わせ場所まで地下鉄に乗った。奥様の典子さんが車で迎え にきてくれた。初めて会った気がしなかった。ご自宅は真新しく瀟洒な佇まい だった。ぼくは用意したにんにくを祭壇にお供えして手を合わせた。涙がとま らなくなってしまった。



5月27日のその日、いったい兄貴の身に何がふりかかったのか、納得いくまで 聞かせてください、と遺影に話しかけた。



◆その夕刻の不思議

不思議なことがあるものだ。その夕刻、風が吹き出したと思ったら急に空が 暗くなった。閃光と同時に落雷が轟いて激しい雨となった。ぼくは、家内と息 子らと知人の通夜のために今市の斎場に向かっていた。


いやあ、凄いなあ、こんな雨は滅多にないわ、と視界が不確かなので近くの コンビニに一時退避した。戸外は暗く豪雨のままだ。何度か兄貴に電話しよう か、と携帯に手が動いた。珍しくためらった。通夜の途中だから、と験を担い で控えたのだ。それが胸騒ぎだったのだろうか。ずっとそのことがひっかかっ ている。


北の黒い大地に臥しながら兄貴がぼくの名前を呼んでいたような気がする。 黙って逝くことはないでしょう。後で判明するのだが、ちょうど5月27日の夕刻 と同じ時刻だった。


雨は、夜9時をまわってウソのようにやんだ。東北道を走っていた。空の雲間 から煌々とした月が見え隠れしていた。車窓から急いでカメラを向けたが、月 はさっと雲に隠れてしまっていた。それ以来、月は姿を見せることはなかった。


(続く)