第100回 「私は何を積み重ねたか?」


 『銃・病原菌・鉄』という本(1)をおそまきながら読んでいます。この本は、前から気になっていた本の一つでした。もう15年も前のことになりますが、1998年にピュリッツァー賞を受賞したという本ですから面白くない訳がない。そこで、文庫版が出たのを機に買い求めて読み始めたという次第です。


 すごい本だなあ、というのが私の率直な感想です。テーマのスケールのなんと大きいこと。歴史の展開の原因について誰もが納得しやすい蓋然性と合理性の高い答えを求めて、論理の恣意性や飛躍を徹底して排除するために自分に向って発し続ける「何故」「なぜ」「ナゼ」。そして徹底して客観的な証拠に基づいて議論するという態度に圧倒される本です。こういったしつこさ、ねちっこさは、欧米人にはときおり見られますが、日本人にはあまり見られませんね。著者のジャレド・ダイアモンドは生理学者ですが、本の内容は生理学だけでなく、分子生物学、地理学、考古学、人類学、言語学といった幅広い学問分野に及んでいます。しかも、いずれもしっかりした各分野の研究成果に裏付けられた材料を用いて議論されています。こんな学際的で、かつ、専門的にも深い内容の本は、ちょっと日本の学者さんには書けないのではないかと思います。という訳でこの本は日本では滅多にお目にかかれない本ということができるでしょう。


 既にこの本を読まれた方も大勢いらっしゃると思いますが、この本のテーマを要約すると「なぜ世界は、富と権力がかくも不均衡な状態にあるのだろうか。人類はなぜ、それぞれの大陸においてこれほどまでに異なる歴史をたどってきたのだろうか」ということになるでしょう。約1万3,000年前、最終の氷河期が終わった時点で、世界各地で似たり寄ったりの狩猟採集生活をしていた人類が、その後各大陸で異なった発展の歴史をたどり、現代の世界各地における不均衡が生まれた原因を、著者は、人間の能力や人為的な要因を排除して、大陸の分布と気候を始めとする地球の自然条件にもとめています。


 科学技術の発展や宗教という、きわめて人為的な要因が大きく働くように見える問題についても、それらは多数の人間集団に確率的には確実に存在する天才や革新者が存在できたことが原因と考え、そうした集団の存在が可能となったのは人間が食糧の生産、獲得活動から解放され、知的活動に集中できる人々が多数生まれることができたためで、その背景にはその地域に肥沃な土地、温暖な気候、そして栽培に適した植物、家畜化が可能な動物の存在があったからとしています。


 現代の世界の富と権力の不均衡の原因を、あくまでもそれぞれの地域の自然条件の下での人間を始めとする動物や植物の合理的な進化や行動の変化にもとめる、一途とも言える著者の姿勢には、ややイデオロギー的な臭いすら感じますが、地球という惑星が自然科学の法則にしたがって46億年の間存在してきたことを考えると、こうしたアプローチにはかなりの説得力があります。ただ、これだけ多くの人間が地球上に生息し、社会・経済の急速かつ大規模なグローバル化によって人間の影響が地球全体に及ぶようになってから以降、人間の歴史を1,000年、10,000年単位という超長期で見た場合と視点を限ったとしても、それぞれの地域における人間社会の発展の道行きの差について、自然条件の差だけで今後とも説明が可能なのだろうかという疑問は、正直言って私には残りました。こうした疑問を感じること自体、人類の歴史の中でほんのわずかな有史以来の「歴史」の見方に強く影響されているためなのかもしれませんが・・・。それにしても人類がアフリカで出現した700万年前以降の長い人類の歴史の中で、ここ数百年に起きた人口の爆発と人類が手にした技術の発展と普及は、地球と人類の関係を大きく変えつつあることを改めて強く感じます。


 先にこの本では、人類社会の発展の原動力を、それぞれの地域の自然条件の下での人間を始めとする動物や植物の合理的な進化や行動の変化にもとめていると書きました。それが人類のこれまでの発展につながってきたのは、そうした進化や変化が着実に積み重ねてこられたからです。特に人類が、人類の大発展の基礎を培った定住農耕生活にいたるまでには、野生植物の耕作植物化や、野生動物の家畜化には、何世代にもわたる改良の積み重ねが必要でした。耕作化の可能な食糧植物と家畜化の可能な動物の野生種が存在し、気候や地形などの自然条件に恵まれていたために、人類の歴史の中で最も早く、今から約1万年前の紀元前8,500年頃に農耕生活が始まったメソポタミアの肥沃三日月地帯でも、その地域に自生していた小麦、エンドウ、オリーブなどが、野生種から耕作植物に改良されるまでに約3,000年かかったことになります。定住農耕生活が生まれる背景には、約100世代にわたる人間による改良の積み重ねがあったのです。


 定住農耕生活によって、人類は日々の食糧の確保に追われる生活から解放され、初めて余剰食糧を手にすることができました。食糧生産の増大とともに人口も増え、集団社会の中で分業が生まれました。分業により、社会の中で専門技能を生業とする職種が生まれ、軍隊を含む階層化された大規模社会と統治機構が形成されます。こうした社会の仕組みの発展も、何世代にもわたるさまざまな積み重ねによってもたらされました。


 専門職集団の誕生は、科学技術の発展にもつながりました。技術の発展も何世代にもわたる創意と工夫の積み重ねの賜物です。『銃・病原菌・鉄』によると、例えば画期的な発明といわれる「蒸気機関の発明」もジェームス・ワットという人間、ただ一人によって成し遂げられたものではありません。1769年のジェームス・ワットによる「蒸気機関の発明」は、1712年にトーマス・ニューカメンによって発明され、100台以上生産されていた蒸気機関を修理していたときに得た着想によるものだそうです。さらにそれに先立つ1698年には英国人のトーマス・セイヴァリーが蒸気機関で特許をとっており、それに先立つ1680年頃にはフランス人のドニ・パパンが蒸気機関を設計していました。そして、そのパパンの前にもオランダ人のクリスチャン・ホイヘンスが蒸気機関に着目していた・・・・・。


 約1万3,000年前から世代数にすると約500世代、こうした私たちの祖先が成し遂げてきた積み重ねの上に私たちの今があるのです。当たり前といえば当たり前の話ですが、人によって大小の差はあるものの、世代ごとに何かを積み重ねることによって人類は進化し、人間社会は進歩してきました。


 このように考えたとき、自分は人生の中で何か新しいもの、後の世代に残るものを何か積み重ねることができているのだろうかと考えてしまいます。微々たるものでも良いのだが、後の世代の蓄積として、社会の中で何か積むことはできたのだろうかと。


 日々の生活に流されていては、そうした積み重ねはできません。人間の生き方としては立派かもしれないけれど、真面目に、誠実に生きても、それだけではそうした積み重ねにはならないでしょう。何かの新たな知識や技術、新たな社会の仕組みを創るという意識をもって生活をしていかないと・・・。


 もちろん、これはそうした積み重ねに自分の生き方の重きをおくのかどうかという個人個人の価値観の問題ではありますが、この『銃・病原菌・鉄』という本は、自分の今後の人生の生き方について、一つの示唆を与えてくれた本となりました。




(1)Jared Diamond著、倉骨 彰訳、草思社





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