◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2012/07/25 http://dndi.jp/

朝日新聞が比嘉照夫氏の談話をWebから無断引用の疑い

 ・朝日新聞青森総局、長野記者のEM批判記事の虚妄
 ・「非科学的」との批判記事、その大半が電話取材のお粗末
〜連載〜
・橋本正洋氏の第3回「ガラパゴスのカメの憂鬱」
山城宗久氏の第45回「これからの七夕」の巻

DNDメディア局の出口です。毎朝、それほど気に留めることもなくさらっと読み流す新聞記事、記事中の談話が少し不自然だなあ、とか、このデータの取り方はおかしい、などと感じる読者は、相当の読み手であってめったにいない。が、ひとたび書かれる身になって、目を凝らして活字を追うと、そこは驚愕の世界が待ち構えている。なんじゃこりゃ、と思わず口走ってしまうか、これも、あれも違う、と不本意な記事の仕上がりに飛び上って、怒り心頭に発してしまうか、いずれにしても穏やかではいられない。


だから、いつも繰り返し警告を発しているのです。取材の意図を確かめずに安易に取材に応じてしまうと、うっかりしゃべったことが、こちらの真意と違う捉え方で三面記事の餌食にされる。取材の意図をたずねてもはぐらかすふてぶてしい記者もいるから油断がならない。突然のアポなし訪問取材には気をつけろ、面識のない記者の電話取材になんかに応じてはいけない。


ウソは書くことはないだろうが、微妙に言葉尻をつかまえて誤解を招くような書き方をされる。悪く書かれてのち、記者の言動からそんな悪い風に書くようには見えなかった、というのが共通した感想だが、借金取りじゃないのだからドアを蹴散らして怒鳴り声はあげないのである。やわで涼しげな顔をしながら、不敵に笑ってバッサリやる。その点、週刊誌の記者は経験豊富なプロが多いから、取材の意図をきっちり相手に伝えることなしに記事にはしない。


新聞記者は、事実を書くように教えられているが、だからといって常に真実を書くと思ったら大間違いだ。しかも熱心なわりには取材経験の乏しい未熟な記者に狙われたら、厄介だ。今回は、ある批判記事をめぐるその取材の裏側を探りながら虚妄の新聞記者に迫りたい。


新聞社は、どこも中立、公正を取材の基本に据える。権威に屈しないとか、一部の関係団体などの影響をうけない、とか。それを社是として綱領にかかげている。特に、調査報道とはいわないが、独自の取材に基づく批判記事を書く場合は、相手先に正面から堂々と取材の目的を伝えて面会し、直接取材するのが、このジャーナリズムの世界の掟のようなもの。その労苦を惜しんではいけない。不意打ちを食らわすように、取材の意図を隠して取材をするなんて、もっとも恥ずべきことだ。繰り返しになるが、猟犬のような凄腕の週刊誌の記者は、甘ちゃんの新聞記者とちがってそんな手抜きはしない。そこは徹底されています。


批判記事を書く場合は、相手の言い分をきちんと掲載する、のは言うまでもない。まあ、そんな掟があるなしにかかわらず、ペンを持つ者の当然の責務であろうし、先輩らが培った記者の矜持でもある。そのイロハは現場で教わるものだ。


だが、それをしない、いわばネット頼みの"どんでも記者"が増殖している。30数年も新聞の取材現場に関わってきたぼくらには信じられないことが起こっているのだ。直接取材して相手に否定されるのが怖いのか、批判のトーンが弱まってデスクにボツにされるのが心配なのか、その真意はどっちにしろ、数多い記者のなかには、相手に直接取材をしないで一方的に誤った批判記事をのせて、得意になってツイッターで自慢する、奇妙な性格の記者が存在するということだ。


近年のソーシャルネットやブログの著しい普及で、パソコンの前に座って取材したいキーワードを検索すれば、それなりの情報が得られる。足を使わない。指先でググってちょいと電話すれば即席でもっともらしい記事ができあがってしまう。凄いと言えば凄い、危ういと言えばこんな危うい取材はない。


記者が、情報をネットから引用する時は、必ず出典を明らかにしなければならない。コピペしての丸写しはご法度で、その一部の引用とて無断でやっちゃいけない。記者のイロハを知ってか知らずか、ブログを書くような調子で批判記事を書く。そんな基本的なルールを無視した記事に批判の声があがり、物議を醸している。取材方法や本文を検証してみたい。


問題とされているのは、朝日新聞の青森版に掲載の「EM菌効果に『疑問』検証せぬまま授業」(7月3日付)の記事と、その続報のような「科学的効果疑問のEM菌 3 町が町民に奨励」(7月11日付)の記事です。


記事は、琉球大学名誉教授の比嘉照夫氏が開発した有用微生物群(EM)の効果が、科学的に疑問視する報告が多いのに、この微生物群を川に撒くという環境教育が県内の学校に広がりをみせており、県がその効果を検証しないまま学校に無償提供している、というもので、朝日デジタルにも転載され、そこには青森版の記事にはない「あいまいな効果を『事実』と教える教育に、批判の声も上がっている。」との記述が付け加えられていた。


ふ〜む。ほんとうに批判の声があがっているだろうか。


全国の学校では、有用微生物群(EM)を使って校舎やプールの清掃、花壇や庭での花木の栽培に使われており、地域住民の参加も得て家庭雑排水で悪臭の川をきれいにする市民運動が活発に行われているのは事実。その活躍ぶりは、学校現場にとどまらないことはご存知の通りで、2010年3月に宮崎県内で流行した口蹄疫被害では29万頭に及ぶ牛や豚の殺処分現場にボランティアで入り、消毒や悪臭対策に効果を発揮して農水大臣から感謝状を受けた。昨年のタイの洪水による環境浄化などでも威力を発揮し、タイ国政府から多大な賞賛を受けEMが国策として採用されたというのは記憶に新しい。


福島の原発事故による放射能の除染でもEM堆肥を用いた栽培試験で、汚染土壌からコマツナへの放射性セシウムの移行の大幅な抑制が実証されたことがこの5月21日に福島県の発表で裏付けられたばかりでした。それらは比嘉照夫教授が連載しているDNDの『甦れ!食と健康と地球環境』で、随時、報告されている通りです。


東日本大震災の直後、気仙沼の足利英紀さんは、家も店舗も津波に流された失意の中で、死臭漂うがれきの街の浄化に近隣の人たちとEMを散布し続けた。米どころ、宮城県仙台市の蒲生地区で銀シャリを作っていた鈴木有機農園の鈴木英俊さんは、津波で田んぼがヘドロに埋まった。が、EMなどでヘドロや塩害を克服した。それらをぼくは取材をして回ってこのEMという希望の微生物群の凄さ体感した。大阪の道頓堀川、東京の日本橋川でも、EMによる河川浄化の運動が市民ぐるみで行われて成果を上げている。悪臭が消えた、鮎が戻ってきたなどの報告は、それほど珍しくはない。一般紙には、好意的にたくさん取り上げられています。こんないちゃもん記事は、ぼくが知る限り朝日の青森版だけです。


※気仙沼をEMで復興を:足利英紀さんの挑戦
※「仙台のコメ作り名人と微生物の奇跡!」


繰り返しになるが、朝日の記事は、事実なのだろうか。批判のためにネガティブな談話を集めていないだろうか。そして、ほんとうにEMを疑問視して青森県内から批判の声が上がっているのだろうか。EM批判の記事が青森県版のみに登場するのも不思議な気がした。


調べると、批判の声をあげているのは、阪大の教授が中心的でもっぱらエセ科学を飯のタネにしている菊池誠氏でした。EMの万能性を問題視しEMを批判している人物だ。記者は、かれらを疑似科学問題に詳しい科学者ら、と権威づけする。記事本文には、その"科学者ら"の談話が載っているので、引用しましょうか。


菊池氏は、万能性をうたっていること自体が、非科学的だ、とEMを容赦しない。万能性ってその定義にも触れず、具体的な指摘も記事にはない。だれも万能性なんかうたってないでしょうに。菊池氏が「非科学的だ」といったのが見出しにもなった。故意に強調されているように感じた。ひどい見出しだ。菊池氏が「殺人的だ」と言ったら、「殺人的だ」と見出しになるのだろうか。新聞の怖さを見た思いですね。



 朝日、青森県版に載った7月3日付のEM批判記事、長野剛記者の署名がある。

科学者ら、って誰れですか。万能性をうたう、ってどんな風にですか?万能性と決めつけて非科学的という方向に導く、このレトリックのまやかしは、危うさの裏返しでもある。万能性なら、と決めつけて非科学的だという見出しになる。恐ろしい飛躍です。


記事の末尾に長崎大学教育学部、長島雅裕准教授の談話がある。長島氏は冒頭に「疑わしい事柄を真実と教えれば、将来、生徒が疑うべきものを疑えなくなる恐れがある」と、もっともらしいが、抽象的で何を差しているのか意味不明だ。誰が疑わしい事柄を真実と教えているのですか? そのタラレバの不確かな論理の上に、「恐れがある」という結論を導き出していく。このレトリックも、意図的ですね。これが科学者の談話だろうか。そして教育学を教えているのだろうか。


さらに「本来は多様な対策が必要な環境問題を、EM菌だけで対処可能と思わせる…」、と長島氏はおっしゃるが、誰がEMだけで対処可能と思わせているのでしょうか、長島氏がご自分で推量しているにすぎないのではないか。それは、次のフレーズの「思考停止につながりかねない」という結論を導き出すための、つまり道具立てにすぎないことが明白です。記事で指摘された事実について、コメントするならいいが、記事が取り上げる現実の問題があやふやだから、科学者らの、談話も何を前提に話しているのか、ふにゃら、しているのである。


青森在住の一記者が、琉球大学発の研究成果である微生物群を問題視し、大阪と、長崎の科学者を批判勢力として動員するという離れ業をやってのけた感じですが、これには訳があるのです。


この記事で科学者ら、の一員に名を連ねた長崎大学の長島雅裕准教授は、実は、阪大の菊池教授の教え子だ、と、お二人の親しい関係を指摘する声もある。これが事実だったら、記事の構成になにかしらの、色が付きすぎという批判もまぬがれないであろう。大阪と長崎だから、まったくそれぞれが独立してコメントしているかのような印象を与えてしまう。また、この記事を書いた朝日新聞青森総局の長野剛記者は、京都大学大学院卒で記者歴15年、つい2年前まで東京本社の科学医療部にいた当時、ホメオパシー批判キャンペーンでは、やはり菊池氏の談話を使って記事を組み立てた。その時も、相手先に取材の意図を告げずに偏った記事を書く、と批判された。友好的な感じで近寄って、取材の意図は胸の内に隠したまま、都合の良いコメントを探り出す、と言うやり方に批判が上がった。今回のEM批判も同じ手法なのだろう。


長野記者が、記事に菊池氏を多く登場させるのは、まさか菊池氏の"手先"になっていることなぞ、あるわけがないと思うが、その関係性になにかしらの胡散臭さがついてまわる。


長野記者は、菊池氏とは以前からの知り合いだった。長島准教授も含めて、7月3日の記事掲載以前に長野記者のツイッターなどでは、彼らがEM批判を繰り返していたことが判明している。海の日の7月16日には、全国一斉にEMをまぜた団子を河川に投入するイベントが繰り広げられた。長野記者のツイッターでは、それを阻止しなければ、と言う意味の記述が散見された。EM潰し、が、彼らの共通の狙いとして仕組まれたとしたら、これはメディアの社会的いじめであり、言論のテロと断ぜざるを得ない。


長野記者は、この記事をどういう風に仕立てたのだろうか。その取材の跡をたどってみたら、比嘉照夫教授への取材をしていないことが分かった。比嘉先生への取材の申し込みの形跡もなかった。取材をしていないのに、なぜ、2回にわたって比嘉先生の談話が掲載されていたのだろうか。


記事を検証しよう。

7月3日付の記事には、
≪EM菌の効果について、開発者の比嘉照夫・琉球大学名誉教授は「重力波と想定される波動によるもの」と主張する。≫とあり、7月11日の記事にも≪開発者の比嘉照夫・琉球大学名誉教授は、効果は、「重力波と想定される波動による」と説明する。効果が確認されていない例が多く、理論も現代科学と相いれないとして、「非科学的」との批判がある。≫と問題にする。


そもそもこの「重力波と想定される波動によるもの」は、どこからの引用なのか。調べると、長崎大学の長島准教授が大学の講義「情報社会と科学〜波動〜」で使っていたことが判明した。「EM」を批判的に取り上げた箇所に、比嘉先生の講演の一部が引用されているのだ。


そのくだりを見てみると、2007年12月に、「波動」に関した記念セミナーに呼ばれて講演した比嘉先生のスピーチの一部だった。そこには「関英雄先生が確認した重力波と想定される縦波の波動によるもの」というセンテンスがある。このスピーチは、「WEBエコピュア」の「新・夢に生きる」に転載されているのだが、長野記者は、そこから一部を切り取って比嘉先生の談話として使ったことが明らかになった。そして、長野記者は「関英雄先生が確認した…」の肝心なところを削っており、原文の改ざんも行われていた疑いが出てきた。


Webから無断引用し、原文を改ざんして比嘉先生の談話のようにみせかけるのは、いかがなものか。これはでっち上げというのか、歪曲というのか、いずれにしても大きな問題をはらんでいることは確かだ。


その引用の仕方も悪意に満ちていた。「重力波と想定される波動による」とは、それだけ抜き取ると、いかにも記事に言う、現代科学とは相いれない非科学的な独自理論という印象を与えるのに十分な仕掛けだ。



 7月11日付の朝日新聞青森県版、続報になると、EMを使うこと自体を悪と決めつける。

河川が汚れる主な原因は、米のとぎ汁というのは周知の事実だ。その米のとぎ汁にEMという微生物群を加えて発酵させる。それを希釈して校庭の花壇や菜園に撒いたり、家庭のトイレやお風呂場に撒いたり、あるいは河川に注いだりと、まず米のとぎ汁を家庭から下水に流さない、というだけでも環境や河川の水質浄化によいというのは異論がなかろう。


次回は、朝日新聞の長野剛記者の取材の足跡をフォローしてみたい。青森に行ってみると、学校関係者らの間からEMへの批判は何ひとつ聞かれなかった。あったのは、朝日新聞への批判ばかりだった。


株式会社EM研究機構が25日、ホームページ上に
「朝日新聞記事に関する対応について」という見解を掲載しました。


【朝日新聞記者行動基準】http://www.asahi.com/shimbun/kisha.html
要点:参考まで、一部に「引用」は無断でもよい、と、誤った主張をする人のために、参考まで。
【インターネットからの取材】
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