◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2011/12/14 http://dndi.jp/

魅惑の海南島、カジノ・リゾート&プラチナ構想

 ・変貌する中国、知られざる海南島、最終回
 ・シェラトン、マリオット、完成近いGMG
 ・5つ星ホテルがひしめく亜龍湾リゾート
 ・松島克守先生さながら俯瞰経営塾
〜連載・コラム〜
 ・橋本正洋氏 第52回「アレキサンドリアの静寂とニューヨークの喧騒
 ・氏家豊氏 第18回「アジアとのIT開発連携- 社会インフラIT基盤開発 -」
 ・宮本岩男氏 第11回「インド人にとっての家族」
 ・滝本徹氏 第12回 「環黄海経済技術交流会議について」

DNDメディア局の出口です。連載ルポの舞台、海南島は11月8から14日の訪問でした。それからちょうど1ケ月が経ちました。1週間余りの滞在なのに、それ以来ずっと、海南島の思い出を綴ってきました。今回はその最終回となります。


 芝がまぶしい。手入れが行き届いています。


 亜龍湾のリゾートホテル

 う〜む、なるほど、これは聞きしに勝る豪華さだわ、たしかに凄いというか、息をのむスケールだ。世界に名だたる5つ星ホテルが、プライベートビーチの白い砂浜と熱帯植物の濃い緑の中に、ひっそりと、そしてゆったりと佇む。この静寂の中のゆとり、う〜む、見ちゃいけないもの目にしてしまったのか。


 海南島をもはや中国のハワイとか、東洋のマイアミなどとの表現は、使わない方が賢明と思い始めた。海南リゾート、亜龍湾ビーチで十分だ。それで意味が通じないとしたら、その人が物知りじゃないということ。この僕がそうだったように。いくら繕っても知らないことは存在しないことなのよね。


 海南島の省都、海口市入りして数日たったある夜のことでした。
 海口市の街の印象をつらつらしゃべっていた。昼も夜も活気があってしかも新しい創造的なプロジェクトが目白押しでしょ、そしてこんなに美味しい食べ物や手つかずの自然に恵まれている。住民らも落ち着いて仕事に励んでいる。まず、親切だよね、みんな。しかし、どこがリゾートなのさ、どこを見てもその片鱗すら感じられないじゃないの、と、つい酒の勢いもあって海南省政府の国際部長、呉松さんに突っかかった。まあ、半分冗談っぽく言ったのだが、そんな挑発にお構いなしに当の呉さんは、そのうち分かるから、と涼しい顔で取り合わなかった。


呉さんの言葉の意味が、もう帰る頃になって気が付くなんて、ね。まことにお恥ずかしい。海口に戻って呉さんに再会したら、きっとニタッと笑って、高級リゾートいかがでしたか、私が言った通りでしょう、と誇らし気に言われるのを覚悟しなければならない。


 亜龍湾の高級リゾートホテルとビーチ、知られざる海南島、いよいよそのベールを剥いでいく。百聞は一見にしかず、である。


 海南省都の海口市から高速道路で3時間余り、三亜市内の南山寺裏手のコテージ風のホテルに一泊し、翌日は朝から巨大な海上の観音像を一望し、仏教文化を継ぐ南山寺や大小洞天など一帯を観光した。パンフレットにNational Grade AAAAA Tourism Zoneとあった。周遊と参拝、宿泊施設が一体となった一大観光ゾーンなのだ。気分は俗にいえば日光東照宮の参拝と熱海の温泉ツアーを同時に体験するような行楽ムードなのである。


 南山寺周辺の高台から、
三亜ビーチの海上観音を一望する


 仏教文化を引き継ぐ海上観音周辺

微風、晴天。岩に菩提樹と文字を刻む。なだらかな丘陵に菩提樹が植えられている。政府要人の名前が根元の銘板に刻印されている。よく歩いたわ。汗ばむくらい陽気で、スイカやパイナップル、ココナッツの実など南国のフルーツが並ぶ売店でスイカを買って食べた。スイカはひとカップ10元、約130円、のどの渇きでふたカップ食べた。熟れて甘い。 カラフルな半袖シャツ姿の観光客が目立った。大型バスが次々とやってくるからお昼前には人であふれかえった。


 名刹、南山寺で

広々とした公園内を巡回バスが、ホテルと名所地をピストンしている。乗り合わせたバスの運転手がミスった。"事件"はここで起きた。コースが複雑なためか、それとも新米なのか、若い運転手が止まるべき高台のホテルを通り過ごしてしまった。オイオイっていう感じだが、乗客らは、いっせいに大声を上げて制止を叫んだ。衝立を激しく叩いて運転手に、止まれ!と怒鳴る。エンジン音がその抗議を消し去って耳に届かない。あっという間に数百m先までオーバーランしてしまった。


 やっとバスが止まった。乗客らが運転台を取り囲んで罵声を浴びせかけた。が、バスは、後戻りできない。青ざめた運転手は沈黙するしかない。このエキサイトぶりは、尋常じゃなかった。バス停前、列ができる。しかしどうだろうか、きちんと落ち着いて順番待ちしていたことも付け加えておきましょう。


 きちんと列をつくって順番を待つ

彼らは、僕らと一緒で、中クラスのホテルに泊まっているのだと思う。まあ、それとて1泊1万円はくだらない。その宿泊代を家族で利用すれば、交通費も含めて結構な出費になるに違いない。特別の団体料金が設定されているのだろうか。デジカメを持参したカップルの笑顔がまぶしかった。幸せそうだから、見ていて微笑ましい。



 ここ三亜市、省都・海口に次ぐ海南島第2の都市で、人口52万人と資料にある。海口からは高速鉄道で片道2時間程度だという。なんとしても高速鉄道に乗って三亜に入りたい、とアピールしたが、すぐ諦めた。冬場でも日中の気温が20度前後もある。熱帯性気候だから常夏なのだ。ロシアや韓国からの観光客がどっと押し寄せている。そして近年、国際観光特区の優位性もあるのか、大型ホテルの建設ラッシュが止まらない。


 南山寺周辺の見学を終えて、一旦、海岸沿いの道路を南下していく。運転手はいつもの林さん、乗り合わせたのは何回も登場している張輝さん、そして好天に変わった11月11日に海口入りしたビジネスモデル学会の会長で東大名誉教授の松島克守先生、松島先生は最終日の14日の午後に海南大学で講演する予定だ。車中、往復6時間は、さながら松島先生の俯瞰経営学の個人授業のようで深く感銘を受けたし、楽しかった。


 もうひとり、この連載で初めて登場する女性がいます。甘登さん、海南省国際部、呉さんの部下でこの4月に入省した。Gan dengと発音する。香港大学を卒業した。よく気が付くし英語を自在にこなす才媛で、その応対ぶりには感心した。



 才媛、よく気が付く国際部の甘登さん

さて、3つのリゾート地が連なる約30キロの海岸を今度は東に向けて走った。三亜鳳凰空港近くの三亜湾がそのひとつ、次いで昔からのリゾート地で高層ビルが並ぶ市街地の大東海がふたつ目、大東海ビーチは埋め立てだろうか、海側にせり出した浮島の海側沿いにホテルやレストランが軒を連ねているのがわかる。


 ちょっと、と、車を止めてもらった。海の反対側に建築中のホテルが、大きくウイングを広げたような洋風の外観をあらわにしていた。玄関前は噴水だ。大きな池を配したリゾートホテルが完成間近だった。追い上げ工事が急ピッチで進められていた。麦わら帽をかぶった現地の人らが、庭や生垣の植栽の手を休めて昼に向かうところのようだ。


 ニイハオ!日焼けした女性の顔から白い歯がこぼれた。正面からやや離れた庭先に人魚姫の像が建っていた。松島先生も車を出てカメラを向けていた。ホテルの看板が見当たらないので、ホテルの名前は分からなかった。



 大型リゾートホテルが急ピッチで建設がすすむ

僕らの探訪は、いよいよクライマックスです。紹介したかったのは、ひと山越えた東側の弓なりのリゾート地、亜龍湾なのです。亜龍湾国家旅游度假区という、このエリアで最も美しい海岸線だ。サンゴ礁が棲息する海は透明度が高く、マリンスポーツやダイビングの世界有数のスポットもある。そんなプライベートビーチが延々7・5キロも続くのです。英語表示がYalong Bay National Resort Districtとあり、「天下第一湾」と呼ばれているらしい。

向かったホテルは緩い登り坂を超えた先にエントランスがあり、天井の高いガラス張りの吹き抜けは、外と内の風通しがよい。ある種の開放感があるわ。正面にロッソのフェラリーが鎮座する。このホテルのシンボルなのだろうか。照明を落とした螺旋の階段を下ると、ラウンジ風のフロアー、外に鯉が泳ぐ池が配置され熱帯の植物が景観にアクセントを与えていた。


 シェラトン・三亜リゾートのエントランス


 熱帯性の濃い緑が茂るホテル周辺、


 白い砂浜が広がるプライベート・ビーチ


 シェラトングループの5つ星リゾートホテルで、シェラトン・三亜リゾート、三亜喜来登酒店でした。会員制みたいなのだが、定かじゃない。1泊2万円前後で、別途15%のサービス料とあった。15%、を見て目を丸くする僕のようなタイプは、こういうところには来ないのだと思う。


 敷石にそって明るい方向に向かった。芝が目にまぶしい。屋外にマッサージ小屋がある。ハンモックを揺らすカップルが楽しげだ。写真を撮っているうちに一行からはぐれてしまった。遠くに、らしき姿が見えた。海が眼前に見えてきた。甘登さんが僕の方に向かって手を振っていた。そこは、東西に300mあるプライベートビーチだった。


 海が素敵でした。


 新婚さんの撮影スポットなのだろうか


 白い砂、青い空、寄せては返す波の音、その潮騒に心が洗われるようだ。おだやかできれいな海だわ。いやあ、11月中旬というのにまばらだが海水浴を楽しんでいる。やさしい風が頬をなでていく。デッキチェアーに体を預けていると浜辺でたわむれる子供らの歓声が響いてきた。新婚さんがカメラクルーの求めに応じてポーズをとっていた。白人女性の大胆なビキニ姿が目に入った。目の前の砂浜をぎこちなく歩いていくのは日本人の中年夫婦だった。隣のデッキでくつろぐ中国人風の家族は、子供も親も英語で話していた。国際色豊かな、別世界だわ。


 呉さんが、そのうちわかりますから、と言っていたのはこの亜龍湾のリゾート地のことなのだ、と、この時に初めて納得した。気持ちがいいからデッキで横になっていたら、ウトウトしてきた。


 海南島のその歴史の断章を反芻していた。ホテルの余興に楽しげなリズムのバンブーダンスが披露された。リー族、ミャオ族、回族と少数民族も多い、と聞く。インドネシアなど南方から流れ着いたのだろうか。レストランではご飯に赤米がでた。赤米と聞いて敏感に松島先生が反応した。ご飯はいらない、と言っていたのに赤米ならと面白がった。そして、古代米、これが日本の赤飯の原点だと、喝破した。また長らく流刑の地でもあったことはよく知られていた。その昔は、どんな島だったのだろうか。目をつむりながら遠い時代に思いをはせていた。 


 古代米の赤米だという。赤飯のルーツがあった。

それは遣唐使の時代にまでさかのぼる。奈良時代の帰化僧で、律宗の開祖、唐招提寺の創建などで知られる鑑真(688年〜763年)の海南島にまつわる余話がある。遣唐使と共に渡唐した普照と栄叡という留学僧が鑑真の渡日にひと働きする。彼らが揚州(現・江蘇省)の大明寺で初めて会ったのは742年10月、日本には正式の伝戒の師がいないので、しかるべき高僧を推薦いただきたいと申し出た。驚いたことにその際、鑑真自らが名乗りを上げた。


 鑑真はそれから6度に及ぶ密航の日本渡航を企てるが、748年10月の5度目の渡航は、楊州を出航したのだが東シナ海で暴風雨に遭遇し漂流した先が海南島だった。鑑真は、この地の豪族、馮若芳の歓待を受ける。この豪族は唐を行き来するペルシャの交易船を襲って莫大な財宝を手に入れていた。豪族は、鑑真に帰依し数々の財宝を供養として提供した。


 その貢物の中に、中国の書聖第一の誉れ高い王義之の真筆が含まれていたらしいのだ。中国ではすでに存在しない王義之の真筆が、日本に存在したという記録があるが、どうやらこの時の貢物とみられる。豪族から鑑真へ、そして鑑真から朝廷に献上されたのではないか、とは、朝日新聞取材班がまとめた『江南春行』(徳間文庫)の「鑑真のナゾ」に詳しい。その真筆は、朝廷に献上されのち、一旦は、正倉院によって管理されたが、その後、売却され行方不明になっているらしい。真筆だから、直に書いたもの。それが発見されたら、世界で唯一の王義之の真筆ということになるという。中国で残っていないのは当時の皇帝が死後、一緒に荼毘にふしたからだ、という。真筆に関しては大手の銀行が所蔵しているという記述が見受けられたが確認ができなかった。海南島つながりで王義之と結びつくとは思わなかった。


 現存する書聖、王義之の模写の書、これも遣唐使からもたらされた。題名が『喪乱帖』、出典は東京・宮内庁三の丸尚蔵館、書の至宝から。

王義之に関しては、依然こんなメルマガを紹介していました。
※「書の至宝」の風http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm060215.html


 もうひとつ、これは胸が苦しい話だ。宿泊した南山寺近くのホテルに宿泊したことは書いた。その部屋のデスクに「非売品」と印字された書籍が数冊あった。ページをめくると、戦前戦後の海南島三亜の変遷を数々の記録写真で紹介していた。全4章の構成だ。その1章では戦前の漁村の生活ぶりから巨商の豪宅などを解説する。問題はその2章でした。


 日本軍の侵略、略奪という標題で、生々しい殺傷の写真が紹介されていた。1939年2月14日、日本侵略者遣海、在三亜湾登、15日占領、第四基地司令太田泰浩などの動向が詳述されていた。三亜湾に上陸した日本軍がその後、どのようなルートをたどって侵略したかについて触れ、司令官の名前や顔写真、日本軍の兵舎、戦闘機や戦車、残した刀の写真を掲載していた。銃剣で中国人の胸を刺し、刀で首を刎ねたショッキングなものまであった。この真贋のほどは判然としないが、ほぼこの通りなのだろう、と思った。海南島で日本軍の過去を見せつけられるとは想像しなかった。非売品だが、フロントにかけあって2冊買って持ち帰った。甘登さんがその無理な仲介の労をとってくれた。


 非売品の書籍など


 どのくらいビーチで休んだろうか。やや日が暮れかかってきた。周辺を見回した。松島先生が遠く南シナ海のその先に目を向けていた。うっすらベトナムの島影が見える、という。後日、松島先生は、海南島の地政学的な関係を「南シナ海波高し」とご自身のメルマガに書いた。http://dndi.jp/message/matsushima.php


 松島先生と張さん。



 私も一枚、記念に。

松島先生と張さんの写真を撮った。僕も海を背景に撮ってもらった。ゆっくり、ホテル側にもと来た道を戻った。歩きながら松島さんに言った。「いやあ、リゾートホテル見に来るところじゃありませんね」、すると、「遠くで思うものかな」と言って大笑いした。室生犀星じゃないが、うらぶれて異土の乞食となりますか、とね。



 DND海南島なんてどうだろう、旗揚げも近いかもしれない、と念を押す。海南島に移り住んでもいいかなあ、とそんな気になってしまうから怖い。


ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや



 完成が急がれるGMGグランド

中国、南端に浮かぶ海南島、シェラトンホテルを出た。その隣が三亜マリオット・リゾート&スパ、そしてヒルトン、リッツ・カールトン、ホリディ・インなどの5つ星ホテルが並んでいた。ここ亜龍湾リゾートにざっと23軒の世界級ホテルが点在していた。帰路、道を急いでいたら、やはり大詰めを迎えた建設中のホテルが目に飛び込んできた。車窓から急いでシャッターを切った。GMGグランドだった。GMGグランドといえばカジノと、シルク・ドゥ・ソレイユなどショーやエンタテイメントの一流の舞台で知られる、ラスベガスを代表するホテルのひとつだ。


 なぜ、GMGなのだろうか。三亜には5つ星ホテルが30数軒を超える、という。海南島でいま何が蠢いているのだろうか。


 車中で松島先生との会話が続く:
「〜しかし、セメントとか鉄鋼など建設に必要な資材が相当量、外から運ばれてきているのだろうね」
と何気なくふると、松島さんがこんなことをいう。
「セメントなどは外から持ってはこないのよ。中国で作るか、現地で生産している。こういうものは持ってこない」
 続けて、僕がいう。
「いやあ、ホテルのオーナーに会いたいね。どんな意図で、あるいは戦略に基づいて進出をしているのか。その採算や将来の見通しを取材したい。そうしないと、この取材がおさまらないなあ」。
 松島さんは、
「それは香港とか、シンガポールかもしれないよ。投資に関してはそちらの方じゃないだろうか」と説明したあと、
「いやあ、出口さん、すっかり海南島取材モードですね」と、こちらの顔をうかがっている。
 「もう覚悟の取材です。海南島まるごと特集、海南島を丸裸にする、全容解明という意気込みですかね。いやね、先生ね、なんでも書けばいいというものではない。知らせなくてはならない部分と、読んで面白い部分を切り分けて書く、それが求められる」。
 それに間髪入れず、松島先生の言葉は、こうだ。
「感動を与えなくてはね、感動を、面白くね」と言って、
「ある意味、あそこ(亜龍湾リゾート)をみて感動したよね」、「この三亜周辺は、相当動いているね、工事がね、この感じは…」としみじみいうのである。
なんですかね、この建設ラッシュは、経済特区という優位性だけでは語りきれませんが、と問うと、松島さ先生は、こういうのである。
「カジノだろう、カジノ・リゾートかもしれない」と。


 松島先生と一緒に。


 松島先生の読み通り、この大型ホテルのラッシュは、カジノ・リゾートが狙いなのだろうか。2009年にカジノを合法化したシンガポール、そして香港、マカオと連なるアジアのカジノ・シンジケートの中に、海南島が名乗りを挙げるのも時間の問題かもしれない。アジアのカジノブームの成否の左右するのは、中国人観光客の呼び込みいかんだという。うまくいくか、どうかはやってみなければわからない。が、外国資本をこれほど惹きつける呼び水になるのだから、これは凄いパワーではある。


 海南島は、カジノというより、食糧の自給自足、再生エネルギーによる地産地消の持続可能なプラチナ構想による安定社会、世界のモデル都市を構築すべきではないか、と松島先生は付け加えた。前東大総長で三菱総研理事長の小宮山宏氏と行動を一緒にする松島先生らしい提言だ。「プラチナ構想」に関する本を近く出版するという。
※プラチナ構想とは:プラチナ構想ハンドブック


出口さん、やらない?
珍しく松島先生が猫なで声で、そっと、語りかけてくる。
「応援するよ」と付け加えるのだ。誘ってその気にさせて間髪入れずダメ押しする。これが松島流の俯瞰学的説得術かもしれない。
DND海南島版プロジェクトの旗揚げ、どう?「龍馬だったら、どうしたろうか」。
松島先生が構想の一端を語る。

台風があるから、水の心配はない。熱帯性だから食糧に事欠かないし、海には海の幸が豊富だ。人口900万人、土地がフラットだから耕地面積が広い。が、人口はこれ以上増やさない。あとは、エネルギーだなあ、とひとり言をいう。

風力?波?太陽光? わりに地熱が安定するのだけれど、この島に火山はないのだろうか、と聞くから、ホテルで買った観光ガイドの「10大自然生態」に中に、海口火山群の地質公園があることを、つい口を滑らせた。

「おおっ、それで決まりじゃない」と早い。わずか10分とかからない。
地熱は、コストがかからないし持続可能ですよ、と念を押し、これでエネルギー問題は解決です。あとは、「出口さんの決断次第…」と迫る。

 冗談が、どうも冗談と思えないから不思議なのだ。思えば、DNDのデジタルニューディール構想は、松島先生のアイディアをベースに動いた。今度は、DND海南島「プラチナ構想」、ひょっとしたらひょっとするかもしれない。
もう、その気になっている。


■            ■           ■


 書きたいことは山ほどある。そのために下書きやメモを大量に起こしました。書いていないのは、海南大学での講演と交流、中国熱帯農業研究所での講演と研究所の報告、香料飲料植物研究所の視察とコーヒーのおいしさや人気の背景、多くの共感を育んだ松島克守氏の海南大学での講演、そして窓口の呉松さんの日本留学物語など興味深い話題がたくさんありました。せめて写真でお見せしますね。


 少し、心残りなのだが年の瀬も近いことだし、「変貌する中国、知られざる海南島」の連載は、この魅惑の島の行く末を引き続いて見守っていくことをお約束して、この辺で締めます。都合4回に及ぶ長い海南島のルポをお読みくださった皆様に心から御礼を申し上げます。


 海南大学で多くの教授陣と向かい合う。


 一緒に記念撮影


 中国農業研究所での交流風景


 年間100万人の訪問客を数える香料飲料植物研究所


 香料飲料研究所の中は、整備されて気持ちがいい。


 ココアの実


 花がきれいです。


 


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