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AAAS Award 晴れやかに黒川清先生祝賀


DNDメディア局の出口です。感動をもってお祝いを―。

敬愛する黒川清先生が、福島原発事故の原因を究明する国会事故調の委員長として渾身の調査報告書をまとめ逐一世界に発信した功績で、世界最大規模の学術団体「米国科学振興協会(AAAS)」から、栄誉あるAward for Scientific Freedom and Responsibilityの受賞をうけて、この4月19日夕、黒川先生ご夫妻を囲んでお祝いする会が開かれました。


党派を超えた代議士や国会議員のみなさんや、欧米の各国駐日大使や関係者、企業家やマスコミ、それに調査委員会を支えた「チームKUROKAWA」の面々もかけつけて黒川先生の幅広い交友ぶりを印象付けていました。


囲む会は、1部の講演&挨拶、2部の懇親パーティと会場を変えての2部構成で、いずれの場面でも黒川先生は晴れやかで、大勢の輪の中心にいながら笑顔を絶やしませんでした。きっとこの場面は、さぞ緊張されたのだろうと思われたのは、ご夫妻で登壇した花束贈呈のシーンでした。まあ、まぶしいほどのショットでしたが、やや照れていたご様子。それを眺めながら、みなさん楽しそうでした。


文字通り花を添えた感がある、フランスからお帰りで総合科学技術会議議員にご就任の原山優子さん、慶応大学大学院教授で黒川先生との共著がある石倉洋子さん、文科省局長で教育再生会議等でご奮闘の板東久美子さん、NHK解説委員の道傳愛子さん、慶應大学のSFC研究所の余語マリアさん、近くブリジストン本社の要職に着任される前田裕子さん、そして黒川先生の秘書の田原さん、松瀬さんとも久々にお会いできたのはなにより。


あらっ、気がつけばみなさん、いずれも知性が輝くキャリアな女性ばかりですね。お名前を紹介するならその方が華やかでお祝いの席にはふさわしいのではないか、と思う。



さて、お祝いのパーティに先立った第1部は、司会に前JST理事長で、やはり「福島原発事故独立検証委員会」委員長という立場で調査・検証報告書をまとめた北澤宏一氏でした。丁寧な英語で、誠実な人柄のままの差配ぶり。


冒頭、発起人代表として挨拶をされた元日本学術会議会長の吉川弘之先生のスピーチが、ある種の感動をもって迎えられるほどインパクトがありました。少し長めの引用ですが、ご紹介します。


吉川先生は、まず黒川先生の受賞に際して、3つの層で喜んでいる、と述べられ、その3つを順番に説明された。その1つは、調査委員長として大変重要な報告書をまとめられ、それを世界に英語で発信し各国から深い関心と大きな称賛が寄せられた点だ。とくに日本人の思考様式、日本型組織の病巣を鋭くついた。規制される側から規制する側が肝心なところを教わるというパラドックスを具体的に指摘した。2つ目が、それを要約すれば、日本社会の原則というか、なかなか変わらない悪弊に対しての黒川先生の果敢な発言を評価した。


例えば、出る杭を育てよ、との主張。格言というものはいい意味でも悪い意味でも捉えられるが、黒川先生の論説は、その格言の意味を明確に分析してみせた。出る杭をたたく、という日本の悪い習慣が、日本の活力を失わせている、と断じ、大学や大企業が国際標準からズレていることを繰り返し批判してきた黒川先生の勇気ある言論に賛辞を送った。


そして3つ目、ここがスピーチのクライマックスでした。日本を代表する科学者は、実は人間存在への理解が深く、しかもそれが村上春樹のような文学的表現だった。参加者に多くの感銘を与えたほどだ。あるいは、その洞察なくして科学者はつとまらないということなのだろうか、いずれにしても黒川先生にも強烈に響いていたようだ。


吉川先生は、わたしは想うのですが、と言って、こう語り始めたのです。わたしは想うのですが受賞の意味を考える階層の1と2の2つの層で、「黒川先生、おめでとう」と言うのには何か、心残りである(笑い)、もうひとつはやや飛躍するかも知れないが、と続けて、舌鋒鋭く迫る黒川先生の発言の背後にあるナイーブな感受性、そしてそこにはやさしい心があるということを指摘したいわけなのです、と強調した。


その手厳しい批判精神は、単に鋭いというだけでは不十分で、黒川先生のより深い心の中に、ひょっとしたら、今日の日本の状況が若者を抑圧しているという疑問があるのではないか、と推察する。ふりかえれば、80年代の経済の高度成長や、2000年以降の安定した科学技術の進歩といった状況は、若者の犠牲の上に成り立っている、そういう感受性を黒川先生はもっておられるのではないか、いわばこのような感受性に基づく若者への共感、これが黒川先生の言論の背景にあったのではないか、と思う、と黒川先生の内面に迫る。


吉川先生は、一気に話し続けると、一拍おいて、慎重に言葉を選んで、「日本の将来を担う若者を抑圧して、我が国にどんな将来があるというのか、という切実な問いかけが背後にあったのではないだろうか」とささやくように訴えかけていた。


う〜む、なるほどと、いつのまにか吉川先生のスピーチに聞き入って会場は静まり返った。一流の科学者は、それでまたユーモアを忘れない。米国から帰って日本社会に適応できない黒川先生が、というところで場内から笑いが湧いた。最近、東大の入学式で黒川先生がゲスト講演を行ったことを高く評価をし、次第に黒川先生の発言が表に躍り出てきた、と言った。わたしも今回の受賞には、感動をもってお祝いしたい、と結んだ。


よく練られた、メッセージ性のあるスピーチでした。吉川先生の人気は、この辺の人物への関心とその洞察力にあるのだろうか。こちらも感動をいただきました。



さて、次にステージにたった本命の黒川先生だが、まず吉川先生のスピーチに感謝しながら、日本社会に適応できない“変わり種”と言われた点について、確かに”変わり種“だったと認めて、場内から笑いを得ていた。講演では、7ケ月に及ぶ「怒涛の日々」を時にユーモアを交えながら語り、未曽有の福島原発事故の本質や問題点、それをどのようなミッションで調査、検証したのか、を振り返った。


たぶん、こんなエピソードも交えたと思うのだが、英語なのでぼくには少し荷が重い。


間違ったらごめんなさい。以下は、新聞のインタビューでも答えていた内容なので、それほど間違っていないとは思うのだが、どうだろうか。例えば、入省年次で上り詰める単線路線のエリートの、先送り体質、決断しない無責任ぶり、組織至上主義といった彼らに巣食うおごりや慢心を指摘し、なれ合いにひそむ歪んだ組織構造、それに疑問をもたない日本人、いな日本特有のマインドセットが根本原因の底流にある、と喝破し、時に語気を強める場面もありました。黒川先生は、ストレートに本質を突くんだ。それだから聞く者の心に響くのだろう、と思った。予定の30分は45分とオーバーしたが、パワフルで熱っぽく、身振り手振りの熱弁でした。


政治家のみさなんも大勢、かけつけていた。1部の挨拶に、民主党の国会議員、松井孝治氏、公明党の代議士、齋藤鉄夫氏、2部で自民党の復興担当大臣、根本匠氏、みんなの党の小野次郎氏ら、それぞれ親しみを込めながら憲政史上初の国会事故調設置前夜の秘話や、黒川先生の人となりを紹介していました。さすがに先生らは、スピーチが上手い。そして気配りを忘れないのですね。うっとうしいくらいの、といっちゃ怒られそうだが、感心しました。


松井氏は、国会事故調の設置に関して、会場に姿を見せていた民主党の荒井聡氏、参加は適わなかったが深く関わった塩崎恭久元官房長官、現農林大臣の林芳正氏、公明の遠藤乙彦氏らの名前を挙げて解説を加えていた。


黒川先生は、締めの挨拶で、参加者全員にお礼の言葉を述べて、やはり怒涛の7ケ月を支えた「チームKUROKAWA」のみなさんに対して、「Great team」と最大の謝辞を繰り返した。いやあ、料理もおいしかったし、雰囲気もよかったし、ね。参加してよかった、としみじみ感じました。


最後に、2部の司会は、柔和な物腰の宮田清蔵先生で、ぼくが客員として数年お世話になった東京農工大学大学院の技術経営研究科は、当時の宮田学長の発案でしたね。主賓として元駐米日本大使の藤崎一郎氏が素敵なコメントを英語でされました。駐日大使で挨拶されたのは、1部でArne Roy Waltherノルウェー大使、2部でUrs Bucherスイス大使館特命全権大使でした。


また会場には、帝人の大八木成男社長、ソニーコンピューターサイエンス研究所の所眞理雄氏、経営共創基盤代表で「会社は頭から腐る」の著者の冨山和彦氏、元東京工業大学学長の相澤益男氏、東大教授で産業競争力会議の民間議員に就任した橋本和仁氏、慶應大学教授でフォトニクス・リサーチ・インスティテュート所長、小池康博氏、元JST理事長で現役時代にサイエンスポータルなど6つのウェブサイトを構築した沖村憲樹氏、沖村さんから「最近、出てないね」とメルマガのことを指摘されちゃいました。そのサイエンスポータル編集長を7年勤めた元共同通信局長の小岩井忠道氏、そのくらいにしましょうか。なにせ多士済々、百数十名の方々が参加されたのですから。


久しぶりに、黒川先生から強烈なパワーをもらいました。それでもまだ余裕があったのか、メディアの盟友、小岩井さんと近所の居酒屋へ立ち寄って盃を重ねた。


温めの燗も胸に沁みた一日でした。