空が、青く透けている。
南北に対を成す2本の御柱は、右手が高さ7.9m、重さ14トン、もうひとつが8.1mで19トンと多少の差はあるけれど、いずれも巨石であることには変わりはなく、天晴れなほどのシンメトリーを描いている。それらをそっと、そして軽々と、鳥の風切り羽根でも立てたように映るのである。
屹立した「天之御柱」(あめのみはしら)を仰ぎみながら、どのようにしたら端然とした形状を創作しうるのだろうか-
石を割るという神秘的なその瞬間はどんな響きになるだろうか-
と、その石彫の深淵にふと思いが走る。
広大な空間設計の総指揮を執った「救世神教」の後藤崇比古管長は、どんな祈りを込めたのだろう-
制作者としての石彫家、和泉正敏氏はそれをどのように拝し、さらにどう昇華させたのだろうか-
お二人の阿吽の呼吸をかすかに感じながら、これらの命題に対峙しなければならなくなっていた。
DND編集長、出口俊一
◇さりげなさ
石の選定から掘削、切り出し、搬送、そして設置に伴う基底部の工事とて、たぶん相当の力技でなかったか。しかし、いま石の重みをうかがわせる難工事の痕跡は目を凝らしても見あたらない。「天空の庭」は、自然の中の静寂な佇まいなのである。
ファインダーをのぞくと、すまし顔というか、圧倒的な重量にも関わらず、一切の虚飾を遠ざけようとするかのようで、譬えれば、切ないほどのさりげなさなのだ。
この御柱を、その象徴として捉えれば、ここは神話性に富んだある物語のドリームゲートと呼べるのではないか。そう思うと、穏やかな心持ではいられなかった。
その緊張をほぐしてくれたのは、ガイド役の安藤信幸さん、そして、部長職の小野薫さんだ。いつの間にか小野さんがわたしのそばについてくれている。一緒の方々は背中を向けながら何かに導かれるように遠い人になっていた。
◇数々の疑問
「御柱を支えるのにどのくらい埋めているのですか?」。
「はい、1mも深くは行かないと思います。80cm程度でしょうか」。
「いやあ、大変でした」などいうことは口にしない。安藤さんは、表情を変えず、軽く「80cm程度」と言った。わずか80cm、そこに重々しさはなく、淡々と言うのである。だから、工事の大変さが実感として伝わってこない。
傍で、小野さんが、「基礎はコンクリートで固めております」と補足した。
そうだろうね。
重力がかかってぐらっと傾いたりしないのだろうか。左右の間隔にはどのような計算に基づいているのか。クレーンで吊った時に、クレーンの鉄のフックが石の表面を傷つけたりしなかったのか。なぜ、台湾産なのか。
浮いては消え、そしてまた疑問が次々と湧いてくる。
◇白亜の「洗心」
ぼそっとこんなことを口にした。
「和泉先生が台湾でお仕事されていた時に、すでに御柱の構想は生まれていたようです」と安藤さんが思い出したように言う。台湾に関しての説明は、それっきりだった。調べなければならないと、手帳にメモした。
資料によると、和泉正敏氏が2007年、台湾に出向いていたことがわかった。国立故宮博物院正面2階のバルコニーに野外彫刻を制作していたのだ。その作品「無為/無不為」には、台湾の花蓮産、蛇紋大理石が使われていた。その石と同一のものだ。花蓮とは、どんな石の峰なのか、イメージが、まったくつかめないのである。
その少し先に、花蓮産の大理石が横たわっていた。3つの組石だという。
「洗心」と名付けられている。その中心の白い石は、長さ6m、幅2mもある、という。平らな石のうえに水が流れている。どこから湧いてくるのだろうか、石の上を流れる水からの音はない。静けさの中で時折、カサッと耳に残ったのは、樹々の葉だ。
しゃがんで水の行方を追うと、いま通ってきた御柱の影を映しているではないか。その容姿は青い宙の中で揺らいでいた。「洗心」とは、いい得て妙と感心した。この場で、俗世間の穢れが清められるだろうか。
◇一生一石
花蓮産、蛇紋大理石、悲しいことにわたしにはその大理石の価値がわからない。どのくらいの価格なのかと、聞くことすらためらわれた。だって、宅急便で物を運ぶというようなわけにはいかない、という程度のことなら少しは理解できる。
歪まないように巨石を垂直に立てるのだから、その作業は息をつめた緊張の連続だったに違いない。石彫家とは、巨石を自在にあやつる神の手を隠し持っているのかもしれない、と思った。経験と勘、しかし、そればかりじゃないらしい。
「天空の庭」をめぐる和泉正敏氏という人物の存在、そして、後藤管長との奇縁に思いを巡らすと、その出会いは一期一会、さらに一生一石という言葉が浮かんだ。
◇緑の風
目を遠くにむけると、まっすぐに石畳みが続いていた。「つたい石」だという。
「その石の上を裸足で歩いてみてください」という安藤さんのアドバイスに従った。わたしが履いていた靴は、アウトドア用のひも付きのブーツなので手間がかかったが、そそくさと脱いで、それを手にしながら、裸足で石の上を歩いた。足の裏がなんとも気持ちがいい。健康にもいいのではないだろうか。
これは彫刻か、モニュメントか、わたしには上手に捉えられない。この壮大な空間の美しさは、そのいずれの範疇にも納まらないのだ。まあ、石庭と言うものは、見たまま感じたままでよいというのなら、それこそ、「これは何ですか?」とは聞いちゃいけないような気がする。制作者から愚問と一蹴されるかもしれない。それでもはやり聞いてみなければ始まらない、と、心は千々に乱れたままなのだ。
まっすぐ正面から風が吹いてくる。ひんやりした緑の風だ。遠くから水の気配がする。
◇管長からの電話
余談になるが、この14日午後、東京・日比谷のプレスセンターで、パナマ文書をめぐる勉強会が開かれていた。わたしはそれに参加していた。
携帯が鳴った。小野さんからだった。用件を聞かずに通話を拒否した。しばらくして再び、携帯がなった。表示が番号だけだったので登録されていない方からだった。が、講演中だったが、iPhoneの画面をいったんスライドして応答し慌てて切ってしまった。
どなたでしょうか、いま会議中なので後ほどおかけいたします、と静かに応じて相手を確認しておくべきだった。
時間をたぐると、小野さんの着信の前にメッセージが入っていた。
「管長に出口さんの携帯番号を教えました。電話がかかるかもしれませんので、よろしくお願いします」と。そのメッセージも見ていなかった。
講演が終わって、しばらくして小野さんに電話して、初めて気づいた。
翌日午後、後藤管長に失礼のほどをお詫びした。が、用件を聞いて思わず声をあげてしまった。
「いやねぇ、そばに和泉先生がいたもので、どうか、と思って…いや、それはまたの機会に。大丈夫ですよ」
管長は、穏やかな響く声で笑いながらそう言った。
やっと引き込んだ和泉先生との接点、その輪郭を捉えるチャンスが巡っていたのに、スルリと手元を抜けた。粗忽者、大事なものを逃した。
≪続く≫