第12回 朝日大記者、疋田桂一郎氏の3つの戒め その1
・「報道被害」を提起した「ある事件の間違い」レポート
・もう一度『新聞記者 疋田桂一郎とその仕事』に学ぶ
・柴田鉄治氏、外岡秀俊氏、鎌田慧氏らの秀逸な人物評
・朝日新聞に問う! “疋田飯場”のDNAはどこに消えた?
戦後を代表する新聞記者のひとり、と紹介すれば、どれだけのことを知ってそう言うのですか、と無言のうちに睨まれそうな気がするのだが、その無礼を承知の上であえて申せば、看板コラムを担当し、ある事件記事を検証したレポート「ある事件の間違い」などの筆者で、朝日新聞記者の故・疋田桂一郎氏をまず挙げたい。 「ある事件の間違い」、その冒頭、「警察発表は疑いながら聞くもので疑わない方が記者の怠慢といえる」とズバリ本質に切り込む。このレポートをベースに書かれた『支店長はなぜ死んだか』(上前淳一郎著)をご存知の方もあるでしょう。75年5月、ある銀行のエリート行員が重度障害児の幼女を「餓死させた」という罪で逮捕された。その後、有罪判決を受けて自宅に帰る途中に電車に飛び込んで自ら命を絶った、という痛ましい事件だ。「報道被害」、メディアの責任が問われた事件でもある。 疋田氏は、記者の取材メモや聞き取り調査を進め、供述書や公判記録を丹念につき合わせながら、報道の矛盾と問題点を浮き彫りにした。事件記者の現場を踏んだ一人としてこのレポートには、強い衝撃を受けた。疋田氏の人物像を詳細に綴った『新聞記者 疋田桂一郎とその仕事』(柴田鉄治/外岡秀俊編、朝日新聞社、2007年11月刊)には、その一部始終が収められている。記者必読の書だろう、と思う。いまでも何かあると、書棚から抜いてページをめくると、ジャーナリストの気構えを再び呼び覚まされる思いがする。 DND編集長、ジャーナリスト 出口俊一
◇外岡秀俊氏が見た疋田氏
「記者という生き方」について、この本の編者で朝日元ジェネラルエディター(編集局長)の外岡氏がその「序にかえて」の中で触れている。「新聞記者は、組織ジャーナリストの一構成員であり、一職業である」としながらも「新聞記者は一つの生き方を指すのかもしれない、という気もする」として、「ジャーナリストである記者であるかどうかを判断する場合も、組織に所属しているか、それで生計をたてるかどうかは、本質的な基準ではないだろう。裏を返せば、職業としての記者を任じている人の中にもジャーリストの名に値しない人は多くいるだろうし、職業についていない人の中にも、ジャーナリスト精神に富む人々は数多い」と語り、疋田氏はその本来の意味で、「骨の髄まで記者という生き方を貫いた人であった」と紹介していた。
◇柴田鉄治氏の疋田評
もう一人の編者、柴田氏は、この本の巻末の「結びにかえて」の中で、今回、疋田桂一郎記者の仕事をまとめて世に問おうとしたのは、「いうまでもなく、疋田さんの仕事を通じて、新聞とは何か、新聞記者とはそもそもどういうものなのかを、多くの人たちに知ってもらいたいと考えたからだ」と出版の意義に触れ、さらに疋田氏は、新聞がネットなどに足元を脅かされるずっと以前から「読者の信頼を少しずつ失ってきたことにいち早く気づき、警鐘を鳴らしつづけるとともに、新聞改革の必要性を叫び続けてきた人なのだ」という。疋田氏になる事件記事の検証レポートが社内報で紹介された数年後、犯罪報道、事件報道の在り方が問題になり、「報道被害」という言葉が生まれた。朝日新聞をはじめ各メディアでもその対応を迫られ、取材方法を改めたり、事件報道に関する新たなマニュアルを作ったりしたのである、として「疋田レポートは時代の先取り」だったと柴田氏は語っている。
◇鎌田慧の疋田評
本書にはもうひとり、疋田氏について語った人物がいる。ルポライターの鎌田氏は、疋田氏の印象について「やさしい眼差し、風のような身のこなし方から、あの透明感のある文章が生まれたのだ、と私は納得させられていた。すべて控えめで、静かで、かつての大記者というよりは、隠遁した無欲な老師という風情だった」と語り、彼の文章の極意である「無味無臭、真水のような」構え、「それはさまざまな修羅場をくぐり抜けてきた錬達の士の自然体でもあった」と書いている。
その鎌田氏も「ある事件記事の間違い」に言及している。「その人となりのように、ち密にして沈着な文章」と前置きして、「いつものように華やかさはなくいかにも重いのは、同じ社の後輩の文章を槍玉に上げ上げなければならない躊躇いもあるが、決して一記者の錯誤を突いているだけでなく、自分が依拠してきた新聞記事そのもののあり方への糾弾となっているからである」と疋田氏に理解を寄せる。
「警察につかまるのは悪人にきまっている。悪人については何を書いても構わない、とでもいうのだろうか。このような事件報道が、人を何人殺してきたか、と思う」という疋田氏の憤怒の叫びに呼応して、「この指摘は、ほかならぬ新聞記者自身の自己批判として時代に先駆け、いまなお燦然と輝いている」と続けた。
そして、「(新聞が)欠陥商品であったなら、経営者にとってのダメージのはずだ。製造者責任ばかりか、人権侵害がくわわる。職業意識と品質管理の徹底、あらたな記事の評価基準の設定、それは疋田さんの遺言でもある」と喝破しているのである。
鎌田氏の疋田評も深く感じ入った。
◇日本記者クラブ賞で「新聞不信の声」
疋田氏は、新聞改革の提言として「わたしの言い分」欄を創設した。「少数意見を大事にしよう」という趣旨で、自らその実践の場として1ページの大型インタビュー記事を載せる欄を作った。この企画記事によって疋田氏は、1980年度の日本記者クラブ賞を受賞した。
さて、この受賞の時の挨拶を含め、新聞記事、記者の在り様について、疋田氏が何を語ったのか。その極めて重要と思われる主張をふたつほど、少し長めの引用になるが紹介したいと思う。
そのひとつは『1980年度日本記者クラブ賞「わたしの言い分」受賞の言葉』だが、35年前とはいえ、まったく古さを感じさせないばかりか、いよいよ疋田氏の杞憂が現実的に深刻の度を増しているような気がしてくる。
◇記者研修で「勝負は取材」
本書の第3章では、「取材の原点にかえれ-10年記者研修講義」の内容が詳しく紹介されている。新聞文章の質について語ったそのエッセンスを引用する。
とくに冒頭の「文章論」の中で、「われわれの仕事の勝負は取材にあるんだ、ということです」と述べて、
・よい取材なしによい仕事ができるわけがない
・説得力のある記事とか、人の心を打つような文章とかいうものは、必ず、材料が素晴らしいものである結果そうなるのであって、その逆ではない。
・文章だけでは人の心をうつことはできない。
と確かな取材の重要性を強調して、「勝負は取材にある」と断じるのである。
そして、いくつかの記事のチェックポイントを教えてくれている。
「記事のどういうところに問題があるのか。新聞文章について私がよく品質を問いたい、チェックしたいと考えることをいくつかあげてみます。まず、人物なり、出来事、現象、事柄に対して安易にレッテルをはることをチェックしたい。それから、すべて世の中の姿を一枚の鏡に映して見がちであること。もっと何枚かの鏡で多面的に映し出す努力をしないと、世の中の姿は見えてこないんじゃないですか。どうもわれわれ、物事をわかったような顔をして書きすぎているんじゃないか。先ほどのレッテルばりもそうですが、予断が多い。決めつけをしすぎる。私だけの感じ方でしょうか。何か、さっと割り切った、気持ちよさそうに断定的に書かれている記事というのは、そのことだけでなんとなく疑わしいという感じがこのごろしてならない」
疋田氏の指摘するのは、以下の3つの戒めだ。
(1)安易なレッテル貼り
(2)予断が多い
(3)決めつけをし過ぎる
以上を読んで、そうだなあ、とか、そういうことって多いのではないか、という印象をもたれたのではないか、と思う。
◇朝日記事の検証をもう一度
次回は、もう一度、2012年7月に報道された朝日新聞青森版のEM批判記事について、検証のおさらいをしてみたい。朝日新聞の大先輩が、取材の重要性をいくら強調しても現場記者にその真意が伝わらないのは、なぜか。“疋田飯場”のDNAはもはやどこにも引き継がれていないのだろうか。
勝負は取材、でなければいい文章はかけない。取材なしでコメントをでっちあげるのだから言語道断なのだ。しかし、3つの戒めどころか、取材先で、まさか「だまし討ち取材」を働く記者がいようとは、疋田氏だって想像しなかったに違いない。「新聞不信の声」、長野記者の取材を受けた大半が、嫌な思いをさせられていた。わたしは、こちらも新聞不信に拍車をかける罪深いことだと思う。次回、EMを一方的に批判した長野剛記者の取材姿勢を点検してみたい。