【ご挨拶】今週は、DND関連の一押しイベントの紹介と、連載コラムの紹介が中心となります。ぼくのメルマガは、後半に少々という程度です。なお、連載に関しては、米国特許弁護士、服部健一氏の第65回 「アップル/サムスン特許訴訟の約800億円の評決は妥当か」はDNDの号外としてこの日曜日に特別配信しました。いまさらながらに秀逸な原稿でした。読みやすく、丁寧で、それで面白い。知人らから賞賛の声があがるなど、大きな反響を呼んでいます。再掲しました。
DNDメルマガ「ひと夏の北海道」は3回にわたりました。写真を組み込んだURLと後日談を後半に載せました。こちらも目を通してください。根室と夕張の豊かな自然の再発見となることでしょう。
■新着コラム■
●黒川清氏の「学術の風」
「国会事故調報告書が一般書店で発売開始」
「国会事故調 -6」「野中郁次郎さんと私の対談のお誘い」
「国会事故調 -5:事故調査委員会の始まりの頃の「意外な」応援メッセ
ージ」
「Bergenから」
●石黒憲彦氏 第189回「西洋との対比で日本の原点を探った二つの古典」
●塩沢文朗氏 第92回「中国の産業活動と政治の季節(吉林省をあるく その5)」
●服部健一氏 第65回「アップル/サムスン特許訴訟の約800億円の評決は妥当か」
●橋本正洋氏 第6回「MOTとスイス」
〜秋の一押しイベント〜
■「EMフォーラム2012」10月6日(土)、沖縄
〜EMによる予防医学と災害対策〜一般参加可
DND連載中の比嘉照夫教授が「総括講演」を行います。入場無料。
・その他、基調講演に医療法人照甦会理事長・杉本一朗氏、タイ国事例発表「洪水災害時におけるEMによる衛生対策」としてタイ国陸軍大将のピチェット・ウィサイジョン氏、タイ住宅公社元総裁のウォラヌット・ジェタムスタポン氏らが登壇予定。福島の復興支援関連の報告多数
■風雅な日本の秋
DNDメディア局の出口です。残暑が厳しい。こんなにカラカラ天気だと、ひと雨ザーッと欲しいですね。雨の多い月は、一般的には梅雨の時期だが、関東が9月というのは台風に関係しているからだ。その台風に音沙汰がない。渇水が心配されます。
今朝、庭に水を撒いていたら涼風が吹き抜けた。見上げると鰯雲、上層の巻積雲、しみじみとした秋の到来だ。天高く馬肥ゆる秋、確かに空が高い。これは元々中国のもの、馬が肥えれば北方の匈奴が攻め込んでくるから用心しろ、と言う意味らしい。大気が澄んで空が高く感じられる情緒的な日本と、常在戦場の覚悟を迫る中国とでは意味がまるで違う。秋の雲、浮かんでは流れ、湧いては消える、とは角川の俳句歳時記。短くも的確な雲の描写に感心した。なんと風雅な日本よ。
そして秋は月。夕月夜、有明月、月光、小望月、月今宵、十五夜、十六夜、立待月、居待月、臥待月、雨名月、十三夜、豆名月、星月夜、その歳時記から秋の月を拾うと、こんなにも多く俳句の季語として使われていることに驚かされた。
名月や杉に更けたる東大寺 夏目漱石
みちのくの如く寒しや十三夜 山口青邨
子規逝くや十七日の月明に 高浜虚子
さて、中秋の名月は、昨年は12日でした。今年は30日にあたるという。名月を愛でる習慣は、これも中国から伝わった。そちらからもこの月をご覧になっているでしょうか、と離れ離れになった恋人らが、遠くから月に思いを託すのは今ではその中国ではなくアジアの同胞の中ではベトナム人の心情に通じているという。彼らの落ち着きと奥ゆかしさはこの辺にもあるのだろうか。
■ひと夏の北海道、後日談
先週まで3回にわたってレポートした「ひと夏の北海道、根室‐夕張編」は、メルマガ配信の後に、DNDメルマガ一覧を掲載したサイト内のバックナンバーに写真を組み込んでアップしております。が、メルマガのテキスト配信のみで写真編集を終えたメルマガを見ていない方もいらっしゃるのでそのURLを載せます。写真をご覧になってください。根室や夕張といった北海道の海、山の美しい自然を再確認することでしょう。まあ、我が故郷自慢のようなものですから、その辺はご容赦ください。
□9月5日配信:【ペンケ川でのアカハラの記憶、再び ひと夏の北海道、夕張の続編】
□8月30日配信:【息を吹き返した45年ぶりの遠い幻影、ひと夏の北海道は、夕張編】
□8月23日配信:【未来の扉を開いた厚恩の地・根室から】
ここに登場する中学時代のクラスメートとはfacebookでの交流や、メール等がひんぱんになりました。後日談として、夕張続編の「アカハラの思い出」に登場する6年生の兄貴は、フルネームでは鳴海静雄さんで、三浦龍一と浅からぬ姻戚関係があることが判明した。鳴海さんのお母さんはご健在で札幌に住んでいるという。しかし、静雄さん本人は、22〜23歳の時に交通事故に遭って逝去したことを知らされた。三浦から、その当時の記憶としてこんな話を聞いた。
告別式の日、参列者の中にある若者がいた。焼香を終えた後で、鳴海さんの母親のところにあいさつに見えた。彼は、生まれつき体が不自由だった。実は、と、目に涙をためながら兄貴との関係を語ったそうだ。ある夜、札幌の駅周辺で見知らぬ連中に取り囲まれていた時、静雄兄さんがそのイジメの現場に飛び込んで、「かれをやるなら先にオレをやれ!」と凄んでその場をかわしてくれた恩人だという。新聞かなにかで訃報を聞いてかけつけたらしい。いやあ、鳴海さんの兄さんは、いつでもだれにもやさしい存在だったのだ。惜しい人を亡くしたものだ。札幌に行ったらお母さんに会ってお礼を言いたい、と三浦に伝えた。
夕張ではこの9月8日に夕張北高の同期会が夕張で開かれた。三浦と、太田正章は長い時間、昔話に花を咲かせることができた、と太田から報告をもらった。その翌9日、雨の中を太田は単身、鎌を持って母校の旧向陽中学校に向かった。雑草に覆われた石碑の周辺の草を刈った。草刈りの時だけ雨が上がってくれた。雑草を刈ったら、野草化したハッカの匂いが立ち込めた。が、ハッカは見つけられなかった、という。偉いなあ、そしてみんないいやつだ。ぼくの誇りだ。