出口俊一

デジタルニューディール研究所代表
DNDメディア編集長
金沢工業大学客員教授
ジャーナリスト

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5月11日
7:33 釜石市の両石町に居を構える、佐々木雪雄さん宅に泊まる。震災当日から10日前後、避難住民、移動中に難にあった方々の炊き出しをし、数十人泊めて救った心の深い人だ。大変なもてなしを受けた。朝は早くから、壊滅した鵜住居地区、両石湾を回ってくれた。半端じゃありませんでした。いま、その帰り道、電波のきく道沿いでメールしています。気持ちが揺らぎます。今のうち昨日夜までの写真をアップします。凄い話に溢れています。ドラマは、後日、急ぐは写真です。みなさま、激励に感謝、うれしいです。では!
7:39 恩人の佐々木雪雄さん。
7:43 避難所にもなっている山田南小学校へ。校長先生に、あの時の話を聞く。詳しくは、メルマガで。
7:50 山田町付近、海岸線をのぞむ。
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7:52 鯨山、浪板海岸、夕暮れ。
7:54 民家の二階部分だけ防波堤を越えた。
9:51 釜石駅にいました。北澤仁さまからご紹介された地元の岩切潤氏、釜石市芸術文化協会会長さん、素晴らしい。
10:09 新日本製鉄釜石にいました。手前、田中長兵衛氏は、横浜で商社を営む投資家です。初代の所長の横山久太郎。
10:32 伝統の釜石ラグビーを継ぐ、釜石シーウェイブスのGM、高橋善幸さん、46歳と面談。
11:08 シープラザ釜石+釜石市災害対策本部にいました。
11:47 あれからちょうど二ケ月、午後2時46分には、釜石市の全市民が黙祷を捧げます。あなたはどんな思いでその時を迎えますか?わたしの質問に釜石市の野田市長は、被災者の悔しさ、無念さ、悲しさのひとつひとつを心から共有し、この被害を防げなかった不甲斐なさを反省し、そして後世にこの教訓を残すことをお誓いする瞬間にしたい、と語りました。
11:49 釜石市の野田武則市長と小一時間面談。
12:25 釜石シーウェイブのサポーターになりました。高橋さんから、松尾の後任の洞口さんがなくなったことを知らされました。45歳だったそうだ。もう10年ぐらい経つらしい。景気や災害時で、釜石ラグビーは、いつも復興の先頭に立ってきた。こんどもそうだ。釜石ラグビーが健全なら釜石、岩手は、そして東日本は、大丈夫でしょう。頑張れ、釜石!
13:56 岩手県沿岸振興局にいました。岩手県水産技術センター所長の井ノ口伸幸氏と。
14:31 岩手県沿岸の振興に覚悟を決める、この人の存在は大きい。北海道美唄生まれ、北大卒の水産一筋です。いい話が聞けました。現場をよく掌握されてます。
14:34 釜石湾にいます。
14:49 釜石湾、防波堤に乗り上げた8000トンの巨大な中国船籍。
14:58 鎮魂の祈り、釜石湾で佐々木雪雄さんと黙祷する。黙祷を伝える防災無線が静かな港に響いた。あれから二ケ月、復旧の勢いはめざましいが、先行き不安はぬぐいきれない。

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