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「還暦」と「老い」

 DNDメディア局の出口です。亀の甲より年の功、医者と坊主は年寄りがいい、とはよくいったものだが、齢を重ねることで物事の確かさや危うさの輪郭がくっきり見えてくるものなのだろうか。そうだとすれば、老いもまんざらでもない気がしてくる。あの時見えていたものがやがて実は本質とかけ離れたものだった、と気づかされることだってままある。ひょっとしたら還暦すぎて見えているものだってそれも一時の錯覚かもしれない。人物に関しての評価には、そういう意味でぼくは少しも自信がもてないのだが、その時に見えていたものを、その時は確かだったに違いないと、強く言い含めておかないと、これまでの人生が怪しいものになってしまいそうだ。はかなく足元から崩れそうになる。


過去もそうなら未来も同じだ。この先の晩年になにやら言い知れぬ不安が忍び込む。動きが鈍くなったぶんだけ感覚が鋭くなり、困ったことにさらに疑い深くなった。それにつれて用心深くなったのは僕にはよかったような気がする。どちらかというと何とかなるタイプの楽天家、悪く言えばお調子もんだ。しっかり見てきたつもりが、それは真実には程遠いほんのわずかな一面だったらしい。曲がっていたのは、その対象ではなくておのれの歪みだったかもしれない。


新聞記者のくせに、ではなく、新聞記者だったから、そんな一面的な捉え方しかできないのよ、という方が的を射ているようだ。真実を捉える、なんてそんなことはできやしないのに、真実を捉えたものと勘違いして有頂天になってしまうところが危うい、と、やっとこの還暦近くなって、そう思えるのだ。


ねぇねぇ、どうしたの、いつもの編集長らしくないじゃない、どこか具合でも悪いのじゃないの、やや考えすぎじゃないかしら、と僕を知る読者から冷やかされそうなのだが、身近に90歳近い老人を抱え込むと、なんていうのだろうか、近い将来の自分の姿と重なってくるのだ。老いの現実が他人事と思えなくなってきた。そんなことわかっていたつもりだったが、ここまでの実感はなかった。これが還暦の賜物だろうか。


生老病死とはいうが、死ぬことは少しも恐れない。それはほんと、よ。ついで病と老い、とくに老いは手強い気がする。近づいて慣れ親しんだら不気味に寄生して潜り込んで騒がれぬように浸食し続ける。あっと周辺が気づいた時は、手遅れというより、ご本人にその自覚がない、という不幸な結末を迎えるからだ。そこが老いの悲劇なのだ。ご本人に記憶がない、というのは案外、どうだろうか、それで幸せなのかもしれないが、その辺はよくわからない。


気を許すと、老いが時間とともに残酷さを増していく。肉体的な衰えや精神的な不安が、周囲を巻き込んで厳しい現実として立ちはだかるのだ。それは避けられないことなのだろうか。還暦を実は、楽しみにしていた。師匠がそのむかし、人生60歳から、と激励してくれていたからだ。しかし、いま老いを問い直す出口俊一、60歳ぐらい、迷い道に差しかかったようだ。



さて、老いを考えさせられたのは、山田洋次監督の映画『東京家族』だ。全編、どのシーンにも胸がつまった。瀬戸内海の小さな島から老いた夫婦が、東京に住む息子、娘ら3人の家族を訪ねてくる。その数日間の物語だ。小津安二郎監督の名作『東京物語』をベースにしたリメーク版なのだが、そちらはぼくが生まれた年の公開だからこちらも60年、『東京家族』の映画評に触れるなら、本家の『東京物語』を観てから、と思って近くのTSUTAYAに3度通った。本数が1本しかなく貸し出し中、予約はできないものらしい。残念ながらそれは断念した。まあ、その二つを比較して論じるつもりはないのだが、あれこれ時間ぎりぎりまで粘って資料を読み漁る癖が抜けないのだろう、と自分をわらった。


しみじみと映画を見た。『東京家族』の解説通りだった。大切だけれど煩わしい―東京で再会した家族の触れ合いとすれ違い、これは、あなたの物語、とあった。確かに、これは僕にとっても重い命題だった。


親と子、つれない子供たちの態度に、しょうがないと諦めながら口をつぐんでうつむいてしまう親たち。心では悪いなあ、と反省しながらつい反抗的な態度がでてしまう子供たち。解説では、それらをこんな風に言う。


誰よりも近いはずなのに、時々遠くに感じてしまう―。


息遣いが伝わる静寂なスクリーンに呼吸をあわせた。橋爪功演じる父親が、同郷の友人と飲んで酔いつぶれる居酒屋で「どっかで間違うてしまったんじゃ、この国は」と叫び、「なかなか親の思うようにいかんもんじゃの〜」とつぶやくシーンがある。この親の怒りとも嘆息ともつかぬ心模様は、心に重くズシーンときた。


撮影は、クランクインからまもなく3・11の大震災に見舞われて一時延期に、シナリオも書き直したという。山田洋次監督の人間や社会を捉える確かさが、その辺に見え隠れしてはいないだろうか。大事なことは囁くようにさりげなく伝えた方が効く、というものだ。妻の吉行和子さん、二男役の妻夫木聡さん、長女役の中嶋朋子さん、その亭主に林家正蔵さん…役者のリアルで真摯な演技に不覚にも涙がとまらなかった。見てはいけないものを目の前に突きつけられたような気分だった。今度、見に行く時は家内を同伴せずにひとりで観てみようか、と思う。


それから瀬戸内の小島にひとり戻った父親が、この先、残された人生をどう歩んでいくのだろうか。日々の生活に精いっぱいの東京の子供らは、この父親とどうかかわっていくのだろうか。そんな疑問を残しながら静かに映画は終わった。が、それからが、ぼくの『東京家族』になる、と思った。


解説では、ラストシーンに触れて小津監督の『東京物語』は悲観的に捉えているが、『東京家族』は希望をつないでいる、とあった。だから、小津映画を見ていないからなんとも言えないのだが、小さな島で老人がひとり、その彼に自立した暮らしが訪れるだろうか、いつまで続くのだろうか。洗濯や、食事…世話付きの近所の協力があるから、長年住み慣れた故郷は、そういう互助的な好意に恵まれているのは確かだろう。が、妻の急逝でひとり暮らしを余儀なくされた、ひとり暮らしのお年寄りに、どのように接していけばいいのだろうか、ぼくがそうなったとしたらどのように生活を切り盛りすればいいのだろうか、大病を患ったら、認知症になったら…不気味なほどの不安がかま首をもたげてくる。


まあ、考えれば、『東京家族』を老いの引き合いにだすまでもなく、数々の記憶に残る映画にはそんな設定のものが少なくない。好きな映画のひとつ『ニューシネマパラダイス』もしかり、舞台となるシチリアの故郷を捨てて旅立つという設定だったし、最近話題を呼んでいる岩波ホールで上演の『最初の人間』はフランスから植民地のアルジェリアに入植したフランス人移民の心情に迫ったカミュの自伝的遺作だが、苦難に耐えながらアルジェリアに残る母親、その孤影が痛ましいほどだった。


ひだまりの窓際で無心で針仕事をしている母親に主人公で小説家のジャックが話しかける場面が印象的だった。


母さんは言っていたね、頭のいい子がやらなければならないことは、それはこのアルジェリアの街を出ることだ、と、ぼくの才能や個性は、そのすべては母さんゆずりなんだ―と。すると、穏やかな顔で、母親が「お前が幸せなら、私は何があっても大丈夫よ、それで十分だから」と静かに返した。


このやりとりに重い気持ちが吹き飛んだし、救われたような思いだった。古今東西、時代が変ろうとも母親の子を思う気持ちは共通している。自分のことはさておいて、まず子供の幸せをいつも祈っているものだからだ。親と子、これは永遠のテーマなのだろうか。


ひとり暮らしの親を心配する子供の視点と、子供の幸せを願う親のそれと、そのいずれの立場でもある現実にふと、我が身を重ねて不覚にもまたここでも涙してしまうのである。



 必見の映画『東京家族』


 岩波ホールで15日まで、
 上映のカミュの自伝的遺作『最初の人間』


こんな統計が発表された。国立社会保障・人口問題研究所の1月18日発表の将来推計調査によると、2035年、今から数えて22年後だが、65歳以上の世帯が2021万世帯に達し全体の4956万世帯の41%を占める。2010年の1620万世帯に比べて400万世帯も増える見通しだ。総体的に世帯数が減少する中で、とくにひとり暮らしの世帯は高齢者世帯で突出し、2010年の498万世帯から1・5倍の762万世帯に膨らむ。さしずめ、それまで42%余りを占めた夫婦と子供の世帯が23・3%にまで減少する、という。


また、偶然にも今朝のNHKラジオ深夜便の「明日への言葉」は、ゲストがNPO仙台敬老奉仕会理事長の吉永馨東北大学名誉教授で、テーマが「理想の最後を考える」だった。その冒頭の、統計に驚いた。


高齢化が急速に進んでいる日本の社会で介護が必要とされる人が470万人、このうち要介護度4〜5が120万人を超えた。心身に障害があって自分で何もできなくなった状態の人の数である。特別養護老人ホームの施設は我が国に40万床しかなくどの施設も満杯、一施設で100人、200人の入所待ちがざらにある、という介護の厳しい現実が紹介されていた。


つまり、要介護の数字は申請者数で、その実際ははるかに500万人を超えている。介護に大変な思いをされている方々の声なき声が聞こえてきそうだった。


吉永さんご自身は今年85歳、介護の先頭に立って介護ボランティアと介護のマッチングを進めているが、体が動くうちは60代、70代の方々に介護ボランティアを通じて積極的に介護の実態を体験してもらいたい、と説いていた。


ぼくが吉永さんの話に共感したのは、介護だからと言ってあれこれ、しなくてもよろしい、そばに寄り添っているだけでもいいのだ、というメッセージでした。


調べると、2000年当時の要介護数が218万人、2010年が469万人と倍以上に。介護費用はこの10年で、3.6兆円から7.9兆円に膨らんだ。それが2025年には20兆円に増えるという見通しだ。高齢化社会のツケとみるか、長寿の代償とみるか、いずれにしても老いの問題は、きわめて深刻な現実なのである。




 実家の庭に咲いた福寿草、次々に咲いた

老夫婦が住む庭で福寿草が一輪、黄色い花を咲かせた。2月初旬のことだった。それからしばらくたって訪ねると、今度は一気に十数個の花が群れ競っていた。土から4〜5cmほど顔を出しまばゆい光を放っている。肩を寄せ合う大所帯のだんらんのようだ、としばし見入った。


ひとりで咲くよりおおぜいの方が楽し気だ。やがて花は散ってそのあでやかさを消しさるのだが、土の中では深く根を張って見えないところで支え続けていくのだろう。


今年89歳の父と87歳の母、ぼくにとっては義父母になるのだが、学生のころからお世話になっていたし、偶然だが赴任先が栃木という近しい関係で若い頃から行き来した。その家にもたくさんの思い出がつまっている。義父母には子供や孫、ひ孫も大勢いるのだが、それぞれが独立して所帯を構えているので、そうそうみんなが集まるということはひと昔に比べたら極端に少なくなった。遊びに来られても、老夫婦ではその対応ができなくなっているのだ。


家内とぼくが交代で、あるいは一緒に訪ねていく。買い物や食事、掃除、庭の手入れまで、あれこれやるのだが、父は寝ている時間が増えた。母の気苦労も痛いほどだ。父や母は、居てくれると安心、身近にこうやって一緒にいられるのはなにより幸せと感じています、と繰りかえし口にする。が、父が同じことをひんぱんに質問し始めている。日毎に心配が増幅していく。


実家に泊まった。翌朝、妻を実家に残してひとり自宅のある越谷に戻った。やらなければならないことが、結構ある。愛犬の散歩のあと、玄関を掃除して家のごみと一緒にまとめて外に出した。湯を沸かし、酒粕を溶いて甘酒を作る準備だ。そんなのは数分の仕事だ。昆布で出しを取る。そこに小さく切ったじゃがいもや人参、玉ねぎを一緒に放りいれて、魚の切り身を落として粕汁にしようかと準備した。夕刻、家内が帰ってきた。病院のつきそい、家事等で疲れている。精神的な負担が重くのしかかっているように思う。


介護とまではいかないが、一緒に寄り添う、そんな時間が、愛おしく感じられる今はいいが、その先がやはり心配なのだ。それは、明日の自分たちの姿であるということを強く感じるからだ。





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