出口俊一

デジタルニューディール研究所代表
DNDメディア編集長
金沢工業大学客員教授
ジャーナリスト

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5月12日
12:14 大船渡の港、悪臭が鼻をつく。加工場から腐った冷凍魚かららしい。ここも壊滅したのでしょう。瓦礫の片付けが急ピッチですすむ。が、その量が半端じゃない。釜石から、気仙沼に向かう途中、大船渡、高田市を南下して気仙沼に入る予定。南へ、被害がますます激しさ。
12:24 大船渡の笹崎付近、あやや、ココも無惨、言葉もない。
12:26 静かな街に、海風が吹きぬける。無情、無言、街はなにも語らない。
12:32 どこを見渡しても廃墟と化した街がつづく。きついなあ。またここに住むことができるのだろうか。
12:49 わあ、なんにもない、たいへんだあ、あれ、海がここまできている、と、佐々木さん。この海岸線は、高田松原という海岸で、ずっと外れから外れまで松林だった。一本も残ってない。いやあ、荒涼たる風景だ。
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13:19 高田松原の海岸から、内陸へ戻ると、竹駒地区に入った付近も全滅だ。その距離4から5キロに連なる。いやあ、凄まじい破壊力だったことを印象づけた。恐ろしい。
13:28 果てしない。気仙川は、竹林が津波で枯れた。
13:53 国道45号をさらに南下し気仙沼に入りました。すると、ここも。
17:05 宮城県の最初の取材先は、漁港の気仙沼です。が、体が凍りつく。無惨としか、言葉がない。瓦礫撤去作業がすすみクルマの乗り入れが可能となった、鹿折地区、そして気仙沼港、地震、津波、そして火災で焦土と化していた。釜石での取材で、多くの人に直取材を敢行した。ルポする間もなく次から次へと、取材テーマが溢れて消化不良です。これらはメルマガで。ここでは一報となります。
17:07 グラフィックで、まず、報告です。
17:09 火が三日三晩街を焼き尽くした。異様な悪臭が漂う。
17:13 悪臭のなか、雨の中、遺体捜索に休みのない警察官、彼らは福岡県警から。写真の彼は8日目。まだ800人以上の行方不明者の捜索がつづけられていた。
17:18 陸に上がった船、その裏手で別の部隊が遺体捜索に。周辺は、不気味に静まり返る。瓦礫撤去は、やっと道路上が済んだ程度、見渡すと、心が折れそうになる。ともかく広大だ。想像を越えており、全体像を伝えきれないのが、もどかしい。高台に住む、そんな単純なレベルの問題ではなさそう。
17:20 次に、気仙沼港へ。目を覆う惨状が甚大さを増してきた。
17:23 巨大な燃料タンクが対岸から防波堤を乗り越えてビル建屋に突っ込んだ。
17:25 船が屋根に乗りあげたまま。こんな光景があちこちで見られた。悪臭が鼻についてきた。
17:31 湾岸から300メートルの遠くの路上に暗礁したサンマ漁船6隻が、津波に翻弄された。なんとかバランスを保つ。が、二ケ月たった今も、解体が、救出かの結論がでていない。漁船の保険問題や、救出の技術的見通しが立たないためだ、と居合わせた関係者の弁。
17:34 サンマ漁船は、富山県、宮城県の船で、漁の打ち切りで照明器具は海岸近くの倉庫に。その倉庫群が全部流された。火災で焼失した。
17:44 あちらこちら、ぱらぱらと作業員の姿が見える。わずか、コンビニはローソンがひらいていた。ソフトバンクも早かったらしい。が、食事どころはない。昨日、ホテルは駅前に1軒再開した。街は、まだ生活機能を失ったままだ。
17:54 有難い友人ら。釜石で二泊世話になり釜石から気仙沼まで送ってくれた佐々木さん夫妻、右、別れは辛い。左手は、気仙沼を案内し、宿泊させてくれる三陸EM研究会、理想産業代表の足利英紀さん、御自身の展望兼住宅が津波で流された。いま実家に身をよせていながら、比嘉照夫教授の指導のまま、学校やグランドのへドロの浄化、加工場、あるいは遺体まで精力的に活躍中されている。頭が下がります。
19:59 一 気仙沼市の被災者数が、地元の三陸新聞にでてました。死亡925人、行方不明612人、避難4,509人(56施設)。
21:19 気仙沼に本社を置く企業の7割が浸水ーと、三陸新聞が東京商工リサーチの調査をまとめていました。 浸水した企業数は、1,061社のうち、717社でした。
卸売業81%.一次産業76.5%.小売業75%、これら影響をうけた企業の従業員数は、9,854人。支店や工場を置く企業をふくめると、経済損失はさらに膨らむそうだ。まあ、浸水の定義が、壊滅的浸水か、床下程度かわからないが、従来型の津波による被害調査の域をでない。吹っ飛んだり、破壊的流出、さらに焼失というカテゴリーを意識しなかったのか、どうか、そこが知りたい。
21:36 現場からの報告は、ちょうど折り返し点に差し掛かりました。10日の出発の朝、11日の朝も今日の朝も明け方4時半には行動を開始していました。で、一日中かけ回ってヘトヘトです。そとは激しい雨です。寝る前にせめて楽しいエピソードを。
21:44 今朝は、釜石の佐々木さん夫妻と、畑仕事にいきました。うれしいうれしいお土産は、なんだと思いますか? スグリの木、北海道ではグスベリ、いやあ、50年ぶりの記憶、そして根のついた行者ニンニク、エシャロットです。わ〜い、うれしい。
21:49 ほうれん草、ウド、もみじかさ、たらの芽のてんぷら、わらびなど、無農薬の野菜、山菜をごちそうになりました。仲の良い佐々木夫妻。
21:53 どっさりお土産をいただいた。こちらではスグリ、北海道ではグスベリの実がなる木をもらった。庭に植えて大切にします。ありがとうございました、佐々木さん。d(^_^o)
22:09 憶に残る木がありました。高田松原は、松並木が根こそぎ、流された。が、一本残った。近づけないので写真にはない。しかし、丈夫な木、悲しみの木、大津波は樹齢を刻む大切な木をなぎ倒した。そのいくつかを紹介します。
22:17 山田町のけやき、火の海にのまれた。瓦礫で消防車が走れない。駆けつけても水がでない。夕刻、街の二カ所からあがった火の手は、瞬く間に街を焼き尽くした。写真は三陸山田駅前で黒く焼けたけやきです。痛々しく、苦しんで見えます。
22:26 津波による被害者への過去の慰霊碑が並ぶ釜石の両石町で。
22:32 砂浜が消え、数m地表がえぐられて岩場が突然、現れた根浜海岸で。舞踏をイメージした。
22:35 釜石東中学の正門前に残っていた。やはり、苦しそうに体をよじる。
22:39 松並木がやられました。第一波でぐらつき第二波で横になり、引き波でねじれた。根浜海岸で。
22:43 何度も打ちのめされたのだろうか。
22:45 下の枝がない、が、よく耐えた。
22:49 津波に土砂が削りとられて根があらわになったケヤキ。
22:52 こっちの松も頑張ったね。涙ぐましい。右の赤茶けた鉄塔は、NTTの電波塔。
23:00 希望のシンボルとなれ、ポプラ。負けませんでした。八風に侵されず、見てください、この堂々たる勇姿。バレリーナのようなシルエットが美しい。しばし見惚れていたら、熱いものがこみ上げてファインダーが曇った…。この一枚の写真で、わたしは救われた。

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