出口俊一

デジタルニューディール研究所代表
DNDメディア編集長
金沢工業大学客員教授
ジャーナリスト

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5月10日
7:40
お気に入りの長靴。
長い物語になるのだろうか、ひと夜の夢で、あっけない幕切れとなるかもしれない。そんな期待と不安を抱えながら、ともかく予告通勤り『東日本大震災2ケ月、現地からの報告』をスタートします。みなさま、よろしく。
8:06 明日11日で二ヶ月目となる東日本大震災の被災地に向かっています。
10日朝、7時6分大宮駅発、新青森行の新幹線はやて115号に乗りました。所用時間は、盛岡まで2時間52分、自宅のある越谷市から距離にして524キロを走ることになります。
全席指定、ほぼ満席に近い。みんなどこにいくのだろうか。が、首に黄色の綿のマフラーを巻いて長靴姿という一風変わった出で立ちの乗客は、あんまり見かけない。人も近寄り難い異様さかもしれない。顔も大きく見えるらしい。 お隣りさんは、髪の長い古風なつくりの小柄な女性です。目元が涼やかです。 にこりと挨拶をかわしたら、首を傾げて眠り始めた。
車窓から、淡い緑の田園が広がる。遅い春、芽吹きの中に山桜が点描となって気持ちをなごませてくれます。 白く雲間から、ほんの少し青空が見え隠れしています。旅は夢と思いますか。と、するなら、これは僕のやるせない夢の始まりです。
8:18 棚田に水が入りました。雲が動く。
8:19 やはり、厚い雲は迫力があります。
8:20 なんか雲が迫ってくるようです。
8:56 青葉よし杜の都や夏の色 俊楽
9:14 どちらまで、とつい聞いたら、里の八戸という。なるほど、八戸美人なのだ。危うく、私も八戸まで、と口をついて出そうになるのを堪えて、聞かれてもいないのに、僕は〜といつものように自慢ばなしをしよう、とする。隣りの女性、含み笑いがいっそう、かわいい。釜石ですか、知り合いが居ます。ご一緒してよろしいですか?とその切れ長の目をこちらに向けた瞬間、目が醒めた。古風な彼女は、黙って仙台で降りたみたい、だ。さよなら、も言わず…。
9:15 仙台は、青空が広がっていました。
空が高〜い。
9:57 笑っていられるのも今のうちかもしれない。だんだん気持ちが重くなってきた。
数日前から新聞のスクラップを漁って、とくに社会面の切り抜きを始めた。ほぼ二ヶ月分はかなりの厚さになる。
涙ふいて、の見出しがところをとらえて離さない。ページをめくるたびに涙があふれ、切なさに胸が痛んだ。その中から選んだ切り抜きをバッグに押し込んだ。新幹線の中で開こうと考えたが、周囲を見てそんな状態でないことに気づいた。被災地の方々がのりあわせているかもしれない。
朝日の社会部記者出身で東京代表で、若い時...から友情を交わす粕谷さんから東日本大震災の現場で記者らは涙をながしながら書いている、と聞いた。
9日現在、死亡14,919人、行方不明9,893人、避難118,786人。
明日午後2時46分、どこで鎮魂の祈りを捧げようか。
盛岡着。
11:05 盛岡駅で知人らと合流しました。が、トラブル発生、ソフトバンクの電波が弱い。
ああ、想定外に。
11:05 盛岡駅から街へ。途中、岩手山を北上川にかかる開運橋からのぞむ。
ふるさとの山にむかいていうことなし、ふるさとの山はありがたきかな
啄木の詩が沁みる。
出迎えは、自民党岩手選挙区の支部長で地球環境・共生ネットワーク運営委員の高橋比奈子さん、EM岩手の責任者です。何から何までありがたい。クルマで現地の案内をしていただくのは、事務局の外山一則さん、35歳。これから外山さんと一路、国道106号を東へ。これが通称、宮古街道、沿岸部の宮古湾の被災地に向かいます。
11:38 岩手山 旭橋から。
11:41 石を割って咲く、石割ざくら。東北人は負けない。そのシンボルでしょうか。いのちの強さを教えている。
11:46 EM岩手の高橋比奈子さん、左、事務局の黒田さん、 ずっとクルマで案内してくる外山さんらと。ありがたや。
11:59 途中、区界高原に。北上山地を西、東の奥羽山脈との境目らしい。
やっと、電波が反応する。ここは盛岡に一番近い宮古市です。
14:51 被害が大きい宮古湾、沿岸部。息を呑む、無惨な景色が続く。ずいぶん片付いたという。懸命に平常心を維持しているように見えた。寡黙な岩手県人が、涙目で何かを訴えている。その胸の内が、読みきれない。微かに落胆、絶望の文字が脳裏をかすめた。
14:54 陸に船、藤原埠頭付近、
油の臭いがたちこめる。
14:56 うず高く積まれた瓦礫の山、宮古湾。
14:57
17:02 底引き網の船が港に入ってきた。
岸壁で船を待っていた、佐藤智之さん、58歳。
豊漁ですか?
いやあ、値段が付かない。半値ならいい方だ。
加工場がやられてどうにもならない、と。
背後の、漁協組合の加工場は、無惨な廃墟と化していた。
津波は、二階部分まで執拗に押し寄せ、攻めたて、さらにぶち抜いて通りの山をかけあがった、という。港の山側の民家は、土台しか残ってなかった。凄まじい破壊力だったことを印象づけていた。聞くと、岩手県内の24漁協にあった1万4200隻の漁船のうち、残ったのはわずか500...隻、宮古市など4市町村の7漁協でも5700隻のうち、100隻程度だという。宮古湾の藤原埠頭周辺は、県内有数の合板製造の集積地、これが津波にやられた。1000人の雇用が失われたまま、林業や関連業種への影響ははかりしれない。
電気設備、鉄工所、漁業に欠かせない製氷機能もダメージをうけた。
こうしその他工場が軒を連ねていた。いまは跡形もない。
残るのは、柱と残骸ばかり、3000人が職を失い、いまだ行方不明の人少なくない。
壊滅的な打撃だ。
さて、宮古湾から、あの山田町へ急ぐ。
17:06 宮古から山田町へ。海岸線の被害状況は、さらに著しい。どこを写したらいいか、そもそも…と、頭を抱えてしまう。地震、津波、そして三日三晩、街が火の海と化した山田町、駅前の惨状に立ち尽くしてしまった。
17:10 うむ。山田町駅周辺。
17:12 黒く焼けた駅前ロータリーのケヤキ、
なんか酷い様だ。
17:13
17:14
17:14
18:35 これは昨日の夕方18時半すぎのメモです。
釜石に入る。鵜住居地区は、町全部がやられていた。ひどい。防波堤も崩れ落ちている。がけに船が引っかかる。瓦礫の撤去が手つかずのままだ。日がおちてきました。電波が、よわい。圏外がなやましい。

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