◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2012/03/21 http://dndi.jp/

沸騰アジアは生活産業で必勝策を狙え!

 ・31日開催のビジネスモデル学会の俯瞰的考察
 ・NHKラジオ「鎌田實いのちの対話」涙の最終回
 ・仙台で、いじめと仲間外れの"事件"2題
〜一押しイベント〜 
 ・3兄妹ソーシャルバンド「一途」@東京 MAROWA LIVE 〜まごころの絆〜
・山城宗久氏 第41回 「春の眠りの話」の巻
http://dndi.jp/22-yamashiro/yamashiro_n41.php
・黒川清氏 「AIESECの若者たち」
http://dndi.jp/14-kurokawa/kurokawa_Top.html

DNDメディア局の出口です。超円高による製造業の海外移転という苦渋の選択一辺倒のアジアトレンドを生活産業分野にちょっと切り替えてみませんか。3・11のあれから1年のルポはひと休みで、飲料や化粧品、それに外食にコンビニなどのアジア展開に目を転じると、明るい未来を見据えたビジネスの巨大マーケットが浮き上がってくる。変容著しいアジアは燃えています。さて、あなたはどうか、肝を冷やすか、頭を冷やすか。


前振りがながくなってしまいましたが、この31日に東大本郷キャンパス工学部2号館で開催される「ビジネスモデル学会春季大会」(会長・松島克守氏、実行委員長・張輝氏)の大会テーマ「生活産業のアジア展開」の僕なりの解釈です。俯瞰工学的な新しいアジア経営の斬新な処方が見つかることをお約束します。


生活産業ってやや聞き慣れないかもしれません。沸騰アジア、生活目線でこの動きを捉えよ!そんな感じでしょうか。いまここが日本にとってアジア攻略の核心です。松島会長によると、「製造業のアジア展開は広く認識され、また今回タイの洪水で厳しい損害を出したこともまだ記憶に新しい。その一方で生活産業のアジア展開も凄い勢いで進んでいます。今その生活産業の需要を刈り取りに行くフェーズになりました」と趣旨を語り、「これは歴史的なひとコマです」と断じ、この1日で半年分の知識が得られます、もしかしたら新しいキャリアも、と皆様の参加を呼びかけています。


委員長の張さんは「中国、インド、ベトナムなどの成長パワーを日本の成長戦略に取り入れるため、またアジア全体の成長に求められる日本企業の可能性やビジネスモデルのあり方を見出すため、政府、リーダー企業、学識者など産学官からの関係者が一堂に会し最新動向を共有する」とその意義に触れていました。松島先生も張さんも、これから紹介する石黒さんも、いわばDNDコミュニティの要の存在です。どうぞ、ご期待ください。


主なプログラムとお申し込みは以下の通りです。
http://www.biz-model.org/


基調講演者は経済産業省の論客で、DNDで「志本主義のススメ」を執筆する経済産業省経済産業政策局長の石黒憲彦氏が登壇します。「経済産業構造の転換と新たな産業創出〜『やせ我慢』から『価値創造』へ〜」をテーマに、きっと現状と課題、その処方の具体策もご提示されるでしょう。期待大です。


続く特別講演者にはアサヒグループホールディ ングスの古田土俊男取締役、資生堂中国事業部マーケティング開発部の大亀雅彦部長が、それぞれアサヒの戦略、あるいは中国女性の美しさを適えてきた資生堂の成功秘話や今後の展開の一端をお示しになるに違いない。とっても楽しみです。そして、法政大学経営革新フォーラム21事務局長で見識の増田辰弘氏も参戦します。また最新の研究発表をはさんで、締めは博識でかつユーモラスな"白熱トーク"に定評の松島会長をモデレーターにしたディスカッションに移ります。パネラーには東工大大学院教授、田辺孝二氏、ジャーナリストの姫田小夏さん、そしてわたしもその一人として参加します。アジア戦略の「出口」となれればうれしいですね。(笑い)


◇『AERA』の特集、アジア展開の新たな挑戦!
 さて、アジアの生活産業をいう視点でメディアを見ていくと、松島先生が指摘されているように「生活産業の需要を刈り取りに行くフェーズ」というのが実感です。 日本の味とおもてなしで新市場へ、活気あふれるアジアの国々へ、いまこそ出ていく時、新たな挑戦が始まった‐の特集は『AERA』(3月19日号)でした。


面白いのは、香港の一等地の繁華街に店を構えるカレーチェーンの「CoCo壱番屋」が、昨年5月に2号店を出した。女性の客が7割をしめる。香港はやっと緒についたところだが、これまで中国で20店、台湾11店、タイ16店、韓国14店を数える。タイの地元のカレーとは違うものなのだが、日本のカレーが好きだというタイ人が増えすっかり現地に定着した。現地に定着するというのがポイントでしょうか。ここ2、3年以内にはなんとインドに初出店を狙う。これを「インド人もびっくりプロジェクト」と名付けている。カレーはインドが発祥の地、日本にはイギリスを経由して入ってきた。今度は、カレーの里帰りをさせるのだという。


アエラでは、このほか2003年に上海に上陸したイタリアンのサイゼリア、現在中国に94店と多いが、出店の許認可に悪ければ4〜5ケ月も要し、法の運用も担当者によってばらつきがあるとその苦労の一端を明かしていた。モスバーガーが台湾に214店、シンガポールに27店と積極的だ。熊本ラーメンの味千は中国を中心に735店、多い時は「3日に1店」のハイペースで展開中だ。


10年後にはアジアで1000店を目指すのが、回転寿司チェーンの「スシロー」。2011年に売上日本一を適えたのを機に韓国に現地子会社を設立し、この春に2号店を出す。この会社にシリコンバレーでITベンチャーを立ち上げたキャリアの人材が参画し、ネタの質を追求する寿司職人出身の社長とタッグを組む。その他、牛丼の吉野家は、国内の800店舗を上回る海外1000店を16年2月までに目指す予定だ。居酒屋チェーン店などもしのぎを削っている。


縮むニッポン、沸騰するアジア。日本の外食産業は10年に23兆6450億円でピークの1997年より2割近く減った。アジアはどうか。総合研究開発機構の推計では、中国、韓国、タイ、シンガポールなどアジア10ケ国・地域の年間の世帯可処分所得が5000ドル以上ある「中・高所得層」は08年に9億4000万人いた。これが20年に19億5000万人、30年に25億9000万人へと急増する見込みだ。


中国の外食産業は現在30兆円を越えていると推計されるが、当面は10%の近い成長で、遠くない将来米国並みの50兆円市場になるのではないか、日本の外食産業はクオリティーの高さをうまく示せれば現地での一層の発展ができるとは、いちよし経済研究所の鮫島誠一郎主任研究員の指摘でした。


個人的に感じるところは、中国のハワイと称される海南島のカジノ構想にひっかけたような豪華リゾートホテルの建設ラッシュ、昨年11月に松島会長と、張さんと一緒した時にみた建設中のGMGや、プライベートビーチの優雅さは格別で、世界各国の有名ホテルがこぞって進出しているのには心底、驚いた。一般的なレストランでは、赤米が出されるし、ホテルの余興にバンブーダンスが繰り広げられていた。つまり、アジアは人種のるつぼと化しそれがごちゃ混ぜになってエネルギーが溢れているのである。ここに着目しない理由はない、ということでしょうか。


沸騰アジア、もうひとつの視点、生活産業のアジア展開は、いまホットで新しい。申し込みは29日まで。当日申し込み可能です。ご参加をお待ちしています。


■NHKラジオ「鎌田實いのちの対話」涙のフィナーレ
 東北のあの人は聞いていただろうか。


NHKラジオ、その日最終回を迎えた「鎌田實いのちの対話」、午前9時から3時間余りの総集編で過去の放送を振り返った。10時からはゲストに初回の番組に登場した、さだまさしさんがかけつけて座を盛り上げた。もう全編、笑いと涙の連続でした。鎌田さんらのいのちの声が響いてやはり涙があふれていた。3・11以降、ラジオの力が見直された。ラジオでいのちの対話が成り立つとは、これはどうしたことなのだろうか。


こんな素敵な番組をなんでやめちゃうのだろう。進行役で司会のアナウンサー村上信夫さんは、ジョークで笑いをふりまいた。深刻に陥らないでそのささいなジョークひとつに救われた。残念だが定年らしい。村上さん、ピュアだわ。スタートから涙声でした。毎朝のラジビタも終わるのだ。生きていりゃ、またどこかで会えるんだよね。番組ではそう繰り返していたように思う。この人ならフリーでも充分にやっていけるでしょう。番組は終わったがいのちの対話はどこかで続けられるだろうし不滅であってほしい。いのちこそが大切なのだから。3・11の教訓でしたね。


鎌田さんが残した言葉は、フランスの哲学者、アランの「幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ」でした。9年間、数えて32回、傷ついたいのちをやわらかな掌に包むような感動的がひろがった。特に3・11をまたいで、どれほど多くの人が生きる勇気を与えられたことか。心に生きるひかりが灯った。リスナーからの投稿を聞いて胸を熱くした。僕も毎回、心が揺さぶられた。昨年6月からラジオ生活を堪能しています。ラジオの声は、心の奥にやさしく、そっと遠慮がちに届けられる。そこが癒しの源泉かもしれませんね。



番組は終盤に入り、アナウンサーの村上さんが「泣いても笑ってもあと20分足らずになりました」と伝え、先ほどから子供は凄いね、と子供のことを話題にしていたことの関連で、数多くの投稿の中から高知県の小学校を卒業したばかりのヒロエさんを紹介し、その文面を読み始めました。( )内はさださんの合いの手です。


「さだまさしさん、(ハイッ)、もうすぐ60歳おめでとうございます、(ありがとうございます)。
 わたしは小学校を卒業しました、(いいねぇ)、やっとコンサートにいきます、(ハハア〜)、でも寮に入るのでなかなか難しいかもしれません、(えらいな〜)」


さださんは村上さんの語りに対して丁寧に相づちをうち、ヒロエさんとお話をしているかのような軽やかな反応を示した。しかし、「実は…」と卒業式に行けなかったことの理由が少しずつ明かされると、さださんといえば、すっかり口をつぐんでしまった。それまで陽気にはずんでいたスタジオ内は静まりかえった。進行台本なんて用意されていないようだ。さださんがおっしゃるように、段取りに真実なし、確かにそうだ。このケースでのトーンの明暗はリアルだったわけだから。


卒業式に行かない、その理由をヒロエさんはこんな風に綴った。


世の中、それぞれに震災とか、病気とか、お金がないとかの理由で学校にいけない人もいるのに、卒業式に行かないなんて、「甘えかなあ」と思って歯を食いしばって頑張ってきた。が、卒業式の20日前から心も体も疲れ果てたのだ、と、その苦衷を明かした。


ヒロエさんは、先日幼稚園の礼拝堂で卒業のお祝いしてもらった。園長先生から「これまでどうあれ、これからに希望をもって中学生活を送ってください」との激励にあたたかい温もりを感じた。続けて、「学校や先生を恨んだり憎んだりもしました」が、それでは自分の正義を押し付けてわたしも高慢になってしまうと感じたので、その日を境に許すことにした。そうしたら、気持ちがスーッとした、と胸の内を吐露し園長先生の祈りの強さを口にした。最後に、今はいない曾祖母や、知り合いの車椅子のおじいちゃんが教えてくれた、人間万事塞翁が馬の諺を胸に中学生活をがんばります、と結んだ。


ヒロエさんの、このしっかりした文面と、学校でのなんらかのトラブルに巻き込まれたことを印象付ける体験の悩ましさに、最初に声を上げたのがやはりさださんでした。


「こういう感受性の強い、しかも生きる知恵に悩んで、ひざを折っている子供たちが、残念ながらいっぱいいます。感受性が強い子たちが曲がらずに生きていく方が、変だ!」と声を大きくした。ひと一倍、いや数倍、子供へのまなざしが熱いさださんのことだから、ヒロエさんの話を聞いてやるせなかったのだろうね。その時は、ぼくもそう思った。


さださんは、いまどこか世の中が栄養過多だったり何かが欠落していたり、となんかおかしいという意味のことを口にしながら憤慨し、ちょっと考えないとね、と間をおいてGentleに「先生たち、がんばってほしいですね」と気持ちの高ぶりに抑制をきかせていた。そして、ヒロエさんの文章を「これは悟りだ」とさださんは断じました。鎌田さんも村上さんも、きっとうなずいていたことでしょう。ラジオではそこまで見ることはできないが、その場の雰囲気は容易に想像できました。


さしずめ、ぼくなんかだと、教育現場はどうなってしまったのか、先生方は何をやっているんだ、と怒りをぶちまけそうになる。さださんがいみじくもおっしゃったように、才能に恵まれた心優しい子が、学校で身も心もズタズタにされている。曲がらずに生きていく方が変だ、というのは彼の精いっぱいのヒロエさんへの激励だろうし、不合理な社会への雄叫びであり、警鐘なんだと感じましたね。


しかし、この投稿を録音していたので何度か、聴いた。聴くたびに、どこか不自然さがつきまとった。ひっかかったのは、園長先生の言葉が妙にきわだっているのと、「知り合いの車椅子のおじちゃん」という記述のところ、明確な根拠は示せるわけではないのだが、この文脈に違和感を覚えるのである。ヒロエさん以外の、だれかが手を加えていないか、という疑問がわいた。それでもいいのでしょう。



そういえば、東北の取材先で学校でのいじめのような話を耳にした。あんまり後ろ向きな話題は、復興ムードに水を差してはいけないと思って活字にするのを控えていた。教師もしっかりやってもらわないと、子供は心を冷たく閉ざしてしまう。


それは、三陸海岸へ向かう車中で知人が語り始めた。


いやね、仙台市内に住む近所のご主人から相談されたのだけれど、福島県の伊達市内近郊から親戚の男の子を預かることになった。小学児童である。福島原発事故の影響で、その家族は離散状態だった。その子ひとりが仙台の叔父の家に預けられ、そして昨年7月ごろに転校してきた。利発な子でよくしゃべり、よく運動もする。夏休みは、近所の子らとすぐに親しくなって野球に興じていた。持ち前の明るい性格からクラスに溶け込んで友達もできた。


◇福島からの転校生に、ふざけんじゃない、と先生怒鳴る。
 "事件"は、昨年秋に起こった。体育の時間でした。一本の綱で大勢が縄跳びをすることになっていた。集団競技の一種なのだろうか。参加する全員が、飛んだ数を数えながら足並みをそろえた。15、16、17…そこで縄が足にひっかかってみんなの足にからんだ。ああっとため息がもれた。またかぁ〜。


何度か、同じことが繰り返された。縄を足にひっかけたのが、その転校生だった。すると、先生が、ふざけるんじゃない、何回もなにをやっているんだ、と怒鳴ったという。心の風船がパーンと音をたてて割れた。快活で陽気な転校生は、それが原因でふさぎ込むようになった。12月に入って学校を休みがちになった。朝になると、お腹が痛いと訴える。病院につれて診断してもらったら原因ははっきりしない。たぶん、ストレスなのではないか、と医者が言った。


新年を迎えて、登校拒否が続いた。福島の両親と相談したら学校を変えた方がよいという結論だった。ざっとこんな顛末だった。同乗のひとりが、いやあ、本人にも問題があるのよね、福島では通用しても転校先ではそうはならないこともある。いじめは悪いが、いじめられる方もそれなりの原因をもっているのじゃないか、という。他のひとりは、特に原発で仮住まい世帯の子供は転校先でいろいろ苦労をしているみたいだ。気の毒だ、と言った。


ぼくはそれを聞いていて、ひどい先生だ。先生と呼ぶ資格はないのじゃないの、といった。想像するに、足をひっかけた。またそれを繰り返した。縄は、足元に落ちている。クラスメートはため息交じりに、またかよ、とあきれ顔だ。中には、しょうがないなあ、と同情的な子もいただろう。そんな時、あなたが転校生だったら、どういう態度をとるだろうか。照れ笑いを浮かべて、どちらかというと頭をかくしか手はないような気がする。すみません、今後、気をつけま〜すとはいえないものだ。そのへらへらと照れ笑いしている姿を、ふざけていると受け取った先生に、どちらかというと教育的配慮がないといわざるをえない。これは教育者としてどうなのだろう、頑張ってほしい、ということか。


ひとりがうまくやれない。こんな時、ほかの児童にどう聞かせたらいいのだろうか。○○君だって一生懸命やっているよね。しかし、うまくいかない。みんな○○君を応援してあげて。最後まであきらめない、いいね○○君、きっと君ならやれるはずだから。友達も応援しているよ、って彼の気持ちを斟酌してあげるべきでした。問題が起きた時こそ、それこそが、生きた教育のチャンスなのだから。みんなと一緒に足並みを揃えられないからといって、罵倒し、大勢の前で恥をかかせて突き放すやり方は、教育現場と対極にある軍隊の忌まわしい教練風景と一緒じゃないのかなあ、と車内で言った。みんなそうかもしれないなあ、とうなずいた。


◇仙台のある復興組合が、鈴木英俊さんを排除
 これはまた別次元の"事件"です。仙台市宮城野区でいちはやくヘドロと塩害にさらされた田んぼの復旧に取り組んだ銀シャリ名人の鈴木英俊さん、これまで何度かメルマガで取り上げたのでご存知の方も多いはずです。その鈴木さんのことなのだが、いま地元のJAから仲間はずれにされている。津波によって多大な被害をこうむった宮城野区周辺の米農家を中心に、復興組合が設立された。農家で津波の被害をうけていれば誰もが申請して加入を認められることになっている。が、鈴木さんは復興組合にいれてもらえないのだ。自分の田んぼの一部で田植えを行ったことが、問題にされているらしい。


宮城のお米、その美味しさと輝きを消してはならないと、ひとりヘドロの田んぼにたった。5月の雨を利用して田んぼの代掻きをやった。下旬には田植えもやった。どうなるか、その結果はやってみなければわからない。秋になってわずかだがお米の収穫に希望をつないだ。


自宅近くにボーリングを掘ってポンプで地下水をくみ上げた。それで水を確保し、微生物でヘドロを克服した。NHKをはじめ、多くのメディアに取り上げられた。仙台発の希望となった。しかし、そういう人を仲間外れにしていいのだろうか。


3月1日の午後、鈴木さんのご自宅にうかがった。これで3度目だった。玄関で、鈴木さんが一言も発しないで、僕の顔をみるなり目頭を熱くしていた。うっすら涙がにじんでいたことを前のメルマガに書いた


しかし、胸の内に、そんなわだかまりを抱えていたとは気づかなかった。激励の意味で、鈴木さんに手紙を書いた。そして、こんな不当な差別を許すべきじゃない、と思って取材を始めた。


お知恵のある方はご一報をお願いします。





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