◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2011/12/28 http://dndi.jp/

2011年の終わりに

 ・あれこれ、あの人、この人…
 ・田中三彦氏の卓見、「科学技術"信奉"大国」
 ・2011メルマガ閲覧ランキング50傑
〜・1位:東北の人、憂いの中の優しさ
 ・2位:仙台のコメ作り名人と微生物の奇跡
 ・3位: 出口編集長 被災地からの報告!
〜連載・コラム〜
 ・石黒憲彦氏 第175回 「税と社会保障改革の一体改革」
 ・橋本正洋氏 第53回 「なるほど、日本の素敵な製品」
−デザイン戦略と知財事例集を発刊しました )」

 ・塩沢文朗氏 第84回「年の終わりに」
 ・比嘉照夫氏 第53回「究極の放射能汚染対策と東日本大震災復興への道筋 」

DNDメディア局の出口です。生涯、きっと忘れられないそんな1年が、それが間もなく過ぎ去ろうとしています。団らんの家、思い出のアルバム、そしてかけがえのない命を奪った。辛い悪夢のような年だった。深い悲しみでしたね。忘れようにも忘れられるはずがありません。そして原発事故、のどかな田園にはもう帰れない。牛が、豚が惨い状態で死んだ。列島は、子供の被曝が心配だ。放射能汚染に怯える日々は、年が改まっても変わらないでしょう。いつまで苦しめられるのだろうか、そんな足元から崩れ落ちそうな不安がよぎる。こんな年の瀬は、初めてかもしれない。


 感傷的に過ぎる癖があるから、ひと仕事を終えたらパソコンの前で頬杖をついて長らくぼっと耽ってしまった。今まで何をやってきたのだろうか、このままでいいのだろうか、答えのない疑問が次から次と湧いてきた。そんな中でもひとの情けや絆、それに多くのやさしさに接し、心打たれ、しみじみ生きていることの有難さをどれほど実感したことだろうか。


 親友が不慮の事故で5月27日に逝った。そのショックを引きずった。肉親が死んだ時より悲しかった。家族はどうか、僕も切ない。本当の兄貴分みたいだったから正月は喪に服すことにした。喪中のハガキに、生前のご交流、大変ありがとうございました。お花、メルマガ、ありがとうございました、と書かれていた。いやあ、参ったわ。


 その5月上旬に東北の被災地に行った。そして懸命に書いた。山田南小の佐賀敏子校長、釜石の佐々木雪雄さん、さか子さん夫妻、気仙沼の足利英紀さん、仙台の銀シャリ名人の鈴木英俊さん、名取・閖上の花卉栽培農家の橋恵美子さん、EMみやぎの小林康雄さん…励ますつもりが笑顔をいただいた。俊楽さんは詠んだ。


青葉よし杜の都や夏の色
みちのくや夢淡く逝く走馬灯
そら走れ右に左に夏の雲


 中国の四川大地震の研究視察に恩師の白鳥令先生、北海道の相田準一先輩らとご一緒し、震源地付近に行った。信州・塩田平は塩沢文朗ご夫妻が案内してくれた。翌週、海南島へ。親友の張輝さん、ビジネスモデル学会の松島克守氏と海南大学などで講演し、美しい海南島を探索した。現地の呉松さんとの心温まる数日間は忘れがたい思い出となった。師走に入って、念願のソニー龍馬会の会長で、『されど愛しきソニー』の著者の、蓑宮武夫さんとお食事する機会を与えて頂きました。多謝。近著『ビジネスマン龍馬』(PHP)は新年にご紹介する予定です。暮れに金沢工大の本校、地域防災環境科学研究所で先生らと懇談した。夜、閃光が走り乾いたような爆音が轟いた。冬の雷、鰤起こしだという。それも二発連続した。雪が降ってきた。常任理事で産学連携機構事務局長の村井好博さん、研究支援部長で工学博士の泉屋利明さんと充実した時間を過ごした。


 桧家ホールディングスの社外役員として、地域関連会社の新社長就任の式典、決起大会に呼ばれて挨拶した。35歳と若い有能な地域会社の社長が昨年に続いて誕生し、45歳の社長も誕生した。契約を取り、ひとを育て、組織を作り上げた、彼は誰にもいわれなくても最初から社長の仕事をしてきた、と社長の近藤昭さんがエールを送った。幹部に雇われ根性は、ない。恩返しを口にする。創業者の黒須新治郎会長は、リーマンショックの後に若干42歳の近藤氏に社長業を譲った。荒波が彼を育てる、と3年以内で売り上げ300億円、経常利益15億円の"贈り物"を提示した。誰もが無謀と思った。この難しい局面を一気に開いた。そしてグーンと力をつけた。業績も前倒しで達成し、その成果は予想を超えた。その目標の着地点で、売上400億円、経常利益40億円という数字が見え隠れしている。社長就任2年半そこそこで企業価値を11倍強に押し上げた。株価は15倍近い。そのためだろうか、やっと世間が、埼玉・久喜市にある桧家住宅に注目し始めた。ブランド力が向上したことを私も実感した。この勢いは止まらない。新年から上信越に新会社、神奈川県にも桧家住宅三栄ハウスが心機一転、戦線を広げていくことになる。従業員は、僕が社外役員に就任する当時は、360人前後でした。現在、1150人と3倍近い。雇用と地域経済を守る、その意味でも桧家ホールディングスの存在意義は決して小さくない、と思う。


 さて、これからご近所の岡田ファミリーとさんらと忘年会、明日29日は地元・越谷で忘年会と続きます。メルマガ終えたから、楽に飲めるでしょう。工藤純平さん、葛巻岳さん、八重樫清美さん、山崎洋揮さん、赤羽広行さんら、懐かしの顔ぶれ、経済産業研究所でDNDが産声を上げた時の事務局関係者と応援団です。


 あれこれ、あの人、この人…私のまわりも激しく動いた1年でした。


■いま光る田中三彦氏の「科学技術"信奉"大国」の警鐘


 メルマガ、10年に及ぶ443本の瓦礫のような集積の山にタグをつけて分類し、今年書いた40本のエッセンスを抜いて並べてみました。いずれも首が痛くなる作業だが、自業自得というのだろうか、ずいぶんたくさん書きなぐってきたもんだ、と驚くやら、あきれるやら、どこにこんなパワーが潜んでいたのだろう、と思う。読み返すと、込み上げてくるものも少なくないが、全部書き直したくなる衝動にかられる始末です。心中おだやかではない。


 書いた文章を削り、加筆してもう一度修正しては一字一句呻吟しながら労を厭わず書き直す。それを「寄せては返す波の音」と評されたのは、コラムニストの山本夏彦氏でした。夏彦氏は、この冠を本に付けた。なるほどなあ、と唸った。そのコラムのどこかに、世間をはばかって言を左右しチラチラ様子を見ながら、やがてそれが世間の流れになってくると、まるで昔からそういう主張をしていたかのような尻馬に乗るインチキな輩に注意せよ、という物書き屋を戒めた一文があった。


 福島の原発事故をめぐる一連の記事もそうだが、無責任な政府の片棒を担いだ連中が、またつい最近まで政権交代の旗振り役として肩入れしてきた御仁も俄然、手のひらを返したかのように、だから言ったでしょう、なんて平気で宗旨替えをする。変節の場面展開が、まあ、鮮やかといえばそうなのだが、少しは控えめにするのが見識というものじゃないかしら。まあ、他人様のことはどうでもよい。僕がいちいちケチをつけてもしょうがないし、その人の生き様だから文句は言えまい。



 国会にできた調査権を持つ福島原発事故調査委員会の委員長に黒川清氏が就任したことは、不信渦巻く今のご時世には一条の光明だろう。その黒川先生、難しい作業を承知で、しかも例年、年明け早々海外へ、ダボス会議へと多忙を極めるのが通例なのにもかかわらず、どんな思いでお引き受けになったか、とその心中は察するに余りあります。黒川先生は、言わずと知れた歯に衣着せぬ小気味良いスピーチに定評の数少ない国際派の知識人ですから、きっと心身ともに疲労困憊の避難住民の目線で多くの疑問に率直に応えてくれるに違いない。


 委員10人の顔ぶれも、なかなかなものだ。個人的に注目しているのは、原子炉圧力容器の元設計者、田中三彦氏の存在です。先週の『AERA』にも国会事故調のキーマンとして紹介されていました。


 手元にある田中氏が書いたコラム「科学技術"信奉"大国」は、原発の危うさに警鐘を鳴らした渾身の内容なのだが、20年前に書かれたものなのであんまり知られていない。黒川先生同様、ここにもちゃんと生きてきた人物が存在した、というこれはある種の立派なエンジニアの矜持だろうし、人間の確かな証だろう、と思った。それなのでちょっと紹介したい。


 田中氏は、まず、こう言う。
〜チェルノブイリ以降、国と電力会社が資力と総力を挙げて展開してきた「反・反ゲンパツ運動(PA)は、なるほど強力だった。PAの消火剤をたっぷりかけられて、「ヒロシマ」同様、「反ゲンパツ」はいまやすっかり死後になった感がある。もし、それがよみがえるとすれば、それはたぶん、不幸にしてこの日本であのチェルノブイリの地獄絵図が繰り広げられるときであろうが、むろんその時ではもう遅い。〜
と。卓見ですね、この危うい事態を見越していた。


 そして、従来の事故調査の問題に迫って、こう言い切るのです。

 〜どうやら日本には度し難いほどの技術信奉があるようだ。原発をつくるのも技術だが、予想外の大事故を起こすのも同じく技術である。しかし、なぜか前者ばかりが称賛され、後者は別のことのように次々と忘れ去られていく。それどころか、こうした事故のあと国と学者が公表する事故原因の調査結果は、人々の間に技術不信を引き起こすどころか、「難しい原因をよく追究した。さすが技術者」といった類の、技術者への賞賛すら呼び起こすのだから奇妙である。
 おそらくそれは、科学者や技術者は俗世とは無縁であり、その活動は真実のみをもとめ、つねに中立、冷静であるという、拭いがたい先入観からくるのだろう。が、事実はそれとはほど遠い。私には、そうした先入観が、科学や技術にいつも無条件降伏してしまったあまたのジャーナリストたちによって、これまで増幅され、強化されてきたように思える。〜


 と、科学や技術信奉の危うさを喝破し、メディアの加担を指摘するのでした。
 ふ〜む、あらためて読みかえすと、これはコラムというより、エンジニアの叫びに近い強い覚悟がにじんでいることに気づかされます。実は、このコラムは『科学という考え方』(晶文社刊)という本の中に納められています。出版は1992年ですが、さきほどお読みいただいたようにその分析と訴えは、いまでも鮮度を失っていない。それどころか、福島原発の爆発事故以降に書かれたようなリアリティがあります。僕が、偶然、ぺらぺら読んでみつけたのだけれど、上記のところで飛び上るほどの興奮を覚えたし、いつ書いたのか、と知りたくて巻末の発行日をみるのにあわてたぐらいでした。雑誌に連載したコラムをまとめたもので、「恐竜はなぜ滅びたか」、「地球温暖化をめぐって」、「ワニとウマが住むヒトの脳」などサイエンスの不思議や日常とのかかわりをわかりやすく解説していて、とても面白い構成になっています。


 が、田中氏は、なぜ、原子力発電の設計技師が、その職を辞し一転、原子力発電に批判的な立場をとるのか、このエッセイがその答えでもある、と巻末にそっと触れられています。当時、まだ40歳そこそこだったのですね。


 僕は、田中氏のコラムを読んで、ものを書くことの意味と本質について教えられ、人生の有り様とは何か、について強い感銘を受けてしまったのです。


 ふ〜む、さて、果たして僕に、この膨大な数のメルマガを書き直す余裕が訪れるのだろうか、あるいは赤恥をさらしながら無為にいきながらえるのか、とつい不安になって内心穏やかではなくなってしまった。


 しかし、「記憶を記録に」という作業とすれば、これほどの記録は僕にとって得難いことではある。サーバーが動いている限り、このメルマガは永遠に読むことが可能な環境下にあるということは素晴らしい、と思います。


 いつ、どこで、だれと、何をしていたか、カレンダーの日付の枠からその記憶のひとつひとつがまざまざと甦ってきます。新年は、少しペースは落ちるかもしれませんが、こんなスタイルで書き続けていくことをお伝えし、2011年の締めのメルマガといたします。どうぞ、みなさま、よいお年をお迎えください。


■2011メルマガ閲覧ランキング50傑
DNDメルマガの2011年の主な閲覧ランキングを発表します。
1位:【3.11 東日本大震災:東北の人、憂いの中の優しさ 】
■3.23配信:No.413
 これは反響が大きかった。透明感のあるスキャットに続いて、韓国の歌手、チョ・ソンモさんのささやくような歌声とメロディーが心に染み入ります。この映像は、実は、黒川清先生から教えられ、メールでURLを送っていただいたものでした。
http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm110323.html  
「なぜ、どうして、こんな惨い現実を突き付けるのだろうか。メディア報道の映像や雑誌の写真を見ていると、足元が揺らぎ呼吸が苦しくなってきます。なぜ、どうして、こんなことに、わかるのなら教えてください。しかし、恐怖で表情を失っても、泥水に流されても、死の淵をさ迷っても、寒さに震えながらも、言葉少ない東北人の顔は、どこか憂いの中にやさしさをにじませています。これが人間の本当の強さと私は思った。だからいっそう悲しまずにいられない。
 春を待つのどかな里が、幸せを囲む家々が、手入れの花や畑が、なだらかな浜辺が、生活の漁港が、記憶のアルバムや学校が、そして、日焼けした漁師やしわを刻む祖父が、一緒にいる恋人が、愛おしい息子や娘が、進学する希望の高校生らが、働き者の母さんが、逃げてって叫び続けた女性が、最後の一人踏ん張った町長が、あの人この人が…その悪夢が大切な尊い命を奪った。いつもの風景を消し去った。視界の先には、瓦礫と泥の廃墟が広がり、これまで目にしたことがない壊滅の現場でした。こんなことがなぜ、どうして、その意味を教えてください。
 2011年3月11日14時46分、その瞬間を境にいつまでも続くものと疑わなかったささいな日常が、突然止まり、恐怖の揺れと土砂を含んだ大津波によって破壊された無残な非日常に変わった。景色がゆがんだ」、と書いた。

2位:【仙台のコメ作り名人と微生物の奇跡!現場からの報告(4)〜】
■6.8配信:No.422
 思い出深い。鈴木さんとの交流は、深夜のブログを通じて続いています。銀シャリを見事に育て上げましたよね。凄い、凄い。希望の銀シャリの続報は、書きました。
 「もうお手上げ、と思ったら鈴木さんは諦めていない。作付けに意欲を燃やしていた。いまがコメ作りの名人の腕の見せ所なのかもしれない。ヘドロと塩害、揚水排水ポンプの損壊という三重苦を乗り越えられるだろうか。鈴木さんは、こんなことでへこたれては百姓の名に恥じる、とでも言いたげだ。これまで培った勘と経験、それに微生物の力を信じてどこまでやれるか、まずやってみなければ、はじまらない。
が、鈴木さんが怒りを込めて言う。ヘドロを除去するって、簡単に言うけれど、厚い場所で10センチ、平均的には5〜6センチもある。ヘドロを取れって、どうやってとんの?そんなねぇ、現実味がないでしょうな。昔、ヘドロで汚れた川をEMの活性液を撒いてきれいになり、シジミまで育てた経験を思い出した。だから、EMでやればヘドロは除去しなくてもいい。ただ、水がないと田んぼはどうにもならない。水をどこから引いてくるか。」
http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm110608.html

3位:【東日本大震災から2ヶ月 出口編集長 被災地からの報告!5月10日】
■5.10配信:No.418
主にルポで、写真をメーンに構成しました。
「長い物語になるのだろうか、ひと夜の夢で、あっけない幕切れとなるかもしれない。そんな期待と不安を抱えながら、ともかく予告通り『東日本大震災2ケ月、現地からの報告』をスタートします。みなさま、よろしく。」
※スライドでみる被災地 http://dndi.jp/311slideshow/index.html

4位:【世界最強の炭素繊維‐その誕生秘話〜空前の米ボーイング「787」を支える日本の技術と日本人〜】
 ■これは2007年7月11日配信のメルマガですが、強いですね。繰り返し読まれているヒット作かもしれません。ようやく就航しましたかね。
 http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm070711.html

5位:【気仙沼をEMで復興を:足利英紀さんの挑戦〜現場からの報告余話(3)・人生の親友、原田裕さんに捧ぐ】
■6.2配信、】No.421
 自ら家兼店舗が流されたのに、気仙沼の復興にいち早く立ち上がった。EMの足利さん、ご自宅にひと晩お世話になりました。先日、やっと市内に仮設のテンポを開設知る運びになった、という吉報をいただいた。忘れられない。末尾に、親友の原田裕さんに触れていました。
 「悪臭がひどくなってきた。いやあ、体が凍りつく。無惨としか、言葉がない。瓦礫の撤去作業でやっと道が開いたところだ。津波の上を火が走った。火が燃え続けた。港町は焦土と化していた。雨の中、遺体捜索に休みのない警察官らは、福岡県警から、という。まだ800人以上の行方不明者の捜索に懸命だ。あれは?っと、指さしたのが、巨大な船だ。いきなり目に飛び込んできた。どうしたの?あれは、と足利さんに何度も聞いた。恐ろしいものを見てしまった。…なんという、光景なのだろう。」
 「苦労人だが、懐深い人情家でした。かけがえのない友人を失った。気が遠くなりそうです。昨日、通夜、本日、告別式でした。大勢の祈りの中で旅立ったことでしょう。いけなくてごめんね。探したかい。行ったら、泣いてばかりで立ち上がれる自信がないです。お別れの言葉なんて嫌だし…。純朴で、愚直で、一所懸命な人のために、そして僕のメルマガを楽しみにしてくれる人のために、書いているのです。いや、こういう人がいるからこそ、書き続けられるのかもしれません。これからも優しく見守ってくださいね、ありがとう、原田さん。このメルマガは、故郷の大地に逝った、あっ晴れな原田裕さんに捧げます。」

6位:【東北有情・芝桜とミミズクの伝言〜現場からの報告余話(1)〜】
■5.19配信:・釜石・両石町の佐々木雪雄、さか子さん夫妻の誉れ・三陸海岸縦断、4泊5日の取材経過と総括編、No.419
 人生の出会いというのは不思議です。もうすっかり親戚兄弟のお付き合いになりました。釜石の両石町で震災直後から地元の会長として奮闘した話を紹介しました。佐々木さんが、うれしいってメルマガを読んでなんども涙していました。こちらもやりがいが感じられ、救われたのは僕の方かもしれません。40年、お付き合いの岡田正さんの奥様のご親戚でした。10月に偶然、越谷に来てくれて、僕の講演会に飛び入り発言をしてくれました。感動が広がった瞬間でした。その夜、岡田さんの自宅で懇談中に、さか子さんが、「こういうのを本当の幸せって、いうのかしらね」と涙ぐんでいたのが昨日のことのようにまぶたに焼き付いています。
 「震災後の最初のメルマガで『東北人の憂いの中の優しさ』って、それが本当の人間の強さと思う、と書いた。実際、飾らないし気取りもなかった。知らないところでたくさん、泣くことだってあるはずだ。が、人前で涙をこらえていたかもしれない。ほんの少し、その辺の事情が見えた。なんともそこのところが抱きしめたいくらい切ない。その先々で知り合った人々とのふれあいを思い浮かべると、あらあら、不覚にも熱いものが込み上げてとまりません。
 東北の三陸海岸を歩いた4泊5日の被災現場からの報告、その余話です。私の旅はまだ終わらない。夢の続きをお読みください。」
http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm110519.html


 以下は、ご覧の通りです。

7位:vol.327 「上場予備軍は死なず」
8位:vol.414「資料-23年福島第一・第二原子力発電所事故について 」
9位:vol.423 「岩手・山田南小、佐賀敏子校長の気構え〜現場からの報告(最終回)〜」
10位:vol.418「東日本大震災から2ヶ月 出口編集長 被災地からの報告!5月14日」
11位:vol.416 「丹下健三氏の『東京計画1960』に学ぶ」
12位:vol.429「写真1枚のリアリティ〜中国・四川大地震の研究視察から(その1)〜」
13位:vol.418 東日本大震災から2ヶ月 出口編集長 被災地からの報告!5月12日」
14位:vol.381 「大学発ベンチャーの秘訣 」
15位:vol.418 「東日本大震災から2ヶ月 出口編集長 被災地からの報告!5月13日」
16位:vol.404 「世界を変えるfacebookのファンタジー」
17位:vol.420 「妻の形見〜現場からの報告余話(2)〜」
18位:vol.414「 3.11 3・11東日本大地震、1ケ月の検証」
19位:vol.326 「大学発ベンチャー20年度調査報告:経産省」
20位:vol.418「東日本大震災から2ヶ月 出口編集長 被災地からの報告!5月11日」
21位:vol.391「ビジネスモデル学会 驚異のプレゼン」
22位:vol.201「飯塚で、35年目の恩返し」
23位:vol.336 「国富を担う」産業革新機構が始動
24位:vol.426「 ヘドロに咲くよ、希望の花」
25位:vol.352「 朝日の投稿かたえくぼの切れ味」 26位:vol.419 「私の3・11、東日本大地震ドキュメント:その1 」
27位:vol.415「 3.11東日本大震災 急がれる復興計画への第一歩」
28位:vol.439「 変貌する中国、知られざる海南島ルポ」
29位:vol.253「iPS細胞論文発表の舞台裏〜米科学誌への投稿20日遅れの局面を土壇場で差し切る〜」
30位:vol.382 『「はやぶさ」支えた日産リストラ組』
31位:vol.436 「大野伊三男さんのウィニングラン 」
32位:vol.417「東日本大震災2ケ月、『出口編集長、現地へ』の予告」
33位:vol.432 「堂々と、微笑み絶やさぬ政治学者、白鳥令氏の矜持〜中国・四川大地震の研究視察(その4)〜」
34位:vol.402「足利のココ・ファーム創設者、川田昇さん逝く」
35位:vol.305「夢ごころ〜足立美術館の創設者、足立全康氏の夢とロマン〜:〜夢のお祝いDNDメルマガ300号、あの頃この人〜」
36位:vol.117「続マルタ:駆逐艦『榊』の真実」
37位:vol.365「 電気自動車をめぐる覇権の構図」
38位:vol.172「東大、覚悟の『技術経営戦略学』を設立」
39位:vol.425「福島原発事故による国家的破局のシナリオ」
40位:vol.337「 東武浅草で靴磨き60年目の危機」
41位:vol.288「DND速報!大学発ベンチャー企業数1773社、IPO23社に」 42位:vol.411「 一罰百戒の妄想」
43位:vol.430「さらに震源地をゆく―都江堰・天馬鎮、岷江上流、水磨鎮へ〜中国・四川大地震の研究視察(その2)〜」
44位:vol.408「 facebookで綴る2011年冬、九州・福岡の旅」(前半)
45位:vol.428「8・5 父の一周忌に寄せて」
46位:vol.427「福島原発事故と政治を問う」
47位:vol.164「重粒子線治療への期待:沖縄からの報告」
48位:vol.362「 蓑宮武夫さんの祈り:『されど、愛しきソニー』」
49位:vol.437 「読売記者VS自由報道協会のある"騒動" 」
50位:vol.394「再訪、ココ・ファーム・ワイナリーからの報告」


■ご挨拶
   本年も残すところ3日となりました。みなさま、くれぐれもお体をご自愛くださいまして、烈風の中を堂々と歩み続けることを心からお祈りいたします。ご意見や励ましに感謝申し上げます。どうぞ、よいお年をお迎えください。ありがとうございます。
 
  DNDメディア局編集長、出口俊一、スタッフ一同  2011年12月28日





記憶を記録に!DNDメディア塾
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