DNDメディア局の出口です。ねぇ、もう師走なのね。早いもんだ。いやあ、振り返れば長く切ない1年になるかもしれない。こんなに感情が揺さぶられたのも珍しい。年内、あと1ケ月、どうか無事に年の瀬を迎えられますように、と祈らざるを得ない。
未曽有の大惨事となった3・11東日本大震災、この先どういう影響が及ぶのか不安が増幅する福島原発事故、深い悲しみと向き合った年でもあった。個人的には札幌に住む、かけがえのない40年来の友人を事故で失った。何もね、死ななくてもよいものを、と何度も思い出してはため息をついた。
昨年夏、父が82歳の生涯を閉じた。今年は、夕張や根室といった中学、高校時代の同級生から相次いで喪中のハガキが舞い込む。そういう時期なのだろう、と還暦近い己の年齢を思い知らされた。親をどんな風に見送ったのか。それぞれに言い尽くせぬドラマがあったはずだ。
親が老いる。やがて看病や看護に追われる。逃げないでこれを機に親と向き合うぞ、と気構えれば、それも愛しい日々となる、と思う。成人した子供らがちゃんと社会人として生活しているか、職が定まらずひきこもりになるケースも少なくない、という。将来が不安なのだ。折り返し点を過ぎて人生7合目、納得のいく生き方ってどういうものなのだろう、今年ほど強く意識した年はない。
脱東京を宣言し、越谷にオフィスを移した。東京を背にしたら、北関東、東北、北海道、そして北陸が間近に見えてきた。中国やアジアも視野に入る。ただ、東京に出るときは、東京に行く、と口に出る。そんなこといままでなかった。
脱テレビ、逆にラジオ生活の恩恵で、夏7月からラジオ体操を始めている。シャキッとする。
気持ちがよいのが、ラジオ体操の第一と第二の間奏のピアノにあわせた首の運動です。前、後ろ、横、ぐるり回す一連の動きです。パソコンに終日向かってお仕事しているご同輩にお勧めしたい。次に、第二の前曲げと後ろ反り、後ろに反ると、ふくらはぎ、腿、股関節がミシミシと音がなる。不得手は、片足跳びで最初の一歩が合わないと、リズムに遅れてみじめになる。きっと子供の時もそうだったのだろう。
昨日午後、メルマガに向かっていると、信州は下伊那郡松川町の南朝日さんからりんごが届いた。ずっしり重く、ひんやり冷たい。信州の冬も運んできた。うれしや、ありがたや、電話すると、メルマガ頑張ってください、と励まされました。ほんと律義な先輩だよね。こういう方が存在しているから、日本はまだまだ捨てたものじゃない。元NECの役員で、日本事務機の代表取締役社長時代に知己を得た。南さんには、DND開設早々の頃、公私ともにお世話になった。いまも信州から見守ってくれている。りんご屋だったから、その甘い香りは、格別、懐かしい。
すると、学生時代から親しくしている越谷の岡田正さんから電話で、筍が届いたから取りに来て、という。えっ、今頃筍?りんごを数個持参して、夜、伺った。かわいらしい孟宗竹の筍で、奈良県生駒の高山町の特産だという。土から掘ってすぐ送ったらしく皮に泥がついたままだ。それを奥様が皮のまま焼いてごちそうしてくれた。皮がむかれてひとまわり小さくなった。が、黄金色だ。焼き目が香ばしく甘く豊かな匂いが、たまらない。ほくほくと口に含むと、生駒の里の土の野趣を感じた。贅沢な一日だなあ、とこの平穏をしみじみとかみしめた。
遅く家に戻って、家人が寝ている間に、そそくさと筍ご飯の下ごしらえをした。昆布出汁、お酒、それにしょう油というシンプルな味付けだ。油揚げと一緒に煮てそれを炊飯器で炊き込む。スイッチを入れて寝た。やがていつの間にか2階の寝室にまでしょう油の匂いが立ち上ってきた。やさしい自然の味だが、匂いがコットンのようにやわらかだ。
目をつむりながら、ひとりの書家を思い出した。唐の時代、8世紀ごろの草聖、壊素(かいそ)という。書展で目にした。奔放な書がモチーフだ。
代表的な作品が「苦筍帖」(くじゅんじょう)と呼ぶ わずか2行14文字の書状だ。上海博物館蔵の直筆の絹本墨書だが、僕には走り書きのメモようにしか見えない。
「苦筍及茗異常佳。乃可逕来。壊素上」。素人眼にも、その筆さばきはほとばしるような命の高揚ぶりが伝わってくる。「めずらしく佳い筍(たけのこ)と茶があるから、すぐにでも来られたし」。 その2行に凝縮された牧歌的な日常を垣間見た。
筍だもの、急がなくちゃね。筍は早春の食べ物と疑わなかったから、生駒にこんな筍もあるのだな、と感心した。旬を食うは、今も昔も変らない楽しみです。筍ご飯は、うまくできていた。今朝、家人らがお弁当にして仕事場にむかった。
夕刻、メルマガをほぼ終えたところで、岩手県・釜石の佐々木雪雄さんから自家栽培の大根、赤かぶが届いた。葉っぱが、やわらかでしっとりしている。無農薬で、この夏からEMを使っている。申し訳ないなあ、電話すると、これから沢庵を漬けるから、おいしいのができたら送る、という。どこまでやさしいのだろうか。大根は、おでん、だろうか。この冬は、気持ちがあったかです。
□防衛局長のオフレコ会見の"暴言"の真意
◇ ◇ ◇
のんびりした中国・海南島から帰ると、そのわずか1週間の旅だったので今浦島とは言い難いが、わが目を疑うようなことが頻発していたのは、どういうことだろうか。見るにつけ、千々に心が乱れ激しい胃痛に襲われる始末です。ある種の興奮のるつぼに嵌って、そしてもがき苦しむ、そんな姿が哀れにすら見えてくるのです。海南島があんまり、よかった反動かもしれないが、このところいっそう、やや間違いないと確信を抱くようになってきた。今回のメルマガは、海南島のルポをひと休みして、ほんの少しの間、日本を離れたために見えてきた、危うげな日本人のリアルなビヘイビアを取り上げたい。
新聞は、見ない方がかえってやきもきしないですむし、心が落ちつく。そしてやっぱり新聞記者なんかとは付き合うものではない、としみじみ思うのである。
沖縄防衛庁局長を更迭の大きな見出し、何事かと言えば、不適切な発言があったからだ。この国は、その意図は別にしてもひとたび新聞に書かれたら、その発言ひとつで容赦なく首が飛ぶ。新聞は、暴言問題と決めつけた。沖縄県の仲井真知事は、「コメントもしたくない。口が穢れるからね」と吐き捨てた。この強い不快感はどうしたものか、と新聞に目を通すと、普天間の飛行場を宜野湾市から名護市へ移設するための環境評価書の提出時期について記者が質したら、「これから犯す前に犯しますよ、といいますか」と発言した、という記事が地元の琉球新報が報じて騒ぎになった。犯す、とは女性を犯すという意味らしいが、これが事実ならひどい表現であることには違いない。
問題発言の局長は、防衛相の聴取に対して、「やる」と言ったつもりで「犯す」という言葉を使った記憶がないが、今にして思えばそのように解釈されかねない雰囲気だったと思う、と大筋その"発言"を認めているという。
この局長の釈明内容は、文書で発表された。朝日から引用。
「『やる』前に『やる』とか、いつごろ『やる』ということは言えない」、「いきなり『やる』というのは乱暴だし、丁寧にやっていく必要がある。乱暴にすれば、男女関係でいえば、犯罪になりますから」といった趣旨の発言をした記憶がある。「やる」とは評価書を提出することを言ったつもりであり、少なくても「犯す」というような言葉を使った記憶はない。しかしながら、今にして思えば、そのように解釈されかねない状況・雰囲気だったと思う、と言っていた。
「やる」か「犯す」かでは雲泥の差がある。記者が早とちりをして「やる」を「犯す」と誤解した可能性はないのか。僕なんか、この辺をあいまいにしながら一方的に「犯す」という不適切な表現が強調されていくのを黙ってみていられない性分なのね。一問一答を全部、明らかにすべきだ。誰か、テープを取っているだろうに。
居酒屋でね、泡盛なんかを小さ目の器で飲みながら、新聞記者を囲んで完全オフレコと言って釘を刺していたから、つい気が緩んだのか。非公式な会合といえばオフレコ、レコーダーのスイッチをオフにするという意味で書かないという紳士協定が成立していたはずだ。これまでの取材経験からすれば、まあ、飲みモードのざっくばらんな宴席の与太話はネタにしないのが常識だ。その常識がもはや通用しない。オフレコが外に漏れるなら、オフレオ会見は影をひそめていくだろう。
懇談の席には、10社の記者がいた。その発言を"暴露"したのは、琉球新報一紙だけとでした。微妙な言い回しとして脚色されることもままある。今回がそうだという確証はない。が、後日、その会話のやりとりが表に出てまたひともんちゃくするケースも珍しくないのよ。
なぜ、琉球新報は書いて、それ以外の9社の記者らはその"暴言"を記事にしなかったのか。朝日が社会面で書いた。琉球新報は、オフレコという認識はあったが、「人権感覚を疑う内容の上、重要な辺野古移設にかかわる発言で、県民に伝えるニュースだ」と判断した、とある。もうひとつの地元紙、沖縄タイムスは、記者との席が離れていて、発言をはっきり聞き取れなかった、と話していた。メディアは、自らの社の当時の対応を明らかにすべきだろうなあ、と思ったら、朝日は、途中から参加し、発言時には同席していなかった、という。他の7社はどうだ。なぜ、書かなかったのか。
飲んだ席でね、気を許してはならない。お役人は、新聞記者を信用してはならない。ネタのためなら人を斬る、そういう人たちのであることを教えている。
ひとたびニュースになれば、その微妙で核心部分はぼやかされたまま、処分に走る。一斉に攻撃する。みんなで責め立てる。環境省でもあった。送られてきた汚染の土を持ち帰って、捨てた。確かに、迂闊だった。が、総務課長らに徹底処分という大ナタが振るわれた。大臣も報酬返上という厳しい姿勢を見せた。女性とバーで逢引のシーンを写真に撮られた。命がけで昼夜広報の前面にたった経済産業省の審議官が左遷の憂き目にあった。ほんのちいさなうっかりが、その人を奈落の底に突き落とす、いまの日本の危うさは、ささいなことも容赦しない崖っぷち状態なのである。
ある種の興奮のるつぼに嵌ってもがく。こんな日本でいいのかしらね。ささいなことはもっとおおらかでよい。事の浅深、軽重を見きわめる洞察力がなきゃいけない。ほんとうにむきあわなければならないところ、その課題は脇において依然、あいまいにしたままなのだ。このバランスの悪さが気になる。
大宅壮一さんなら、加虐的集団ヒステリック症候群と言ったか、どうか。辛口コラムの山本夏彦さんなら、浮き世のことなら笑うしかないと笑うだけである、と切り捨ててそっぽを向いたかもしれない。
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