DNDメディア局の出口です。新聞が、いや新聞記者がおかしな具合になっていませんか。メディア動乱といえばいささかオーバーな表現だが、新聞人にとって昨今、これほど厳しい状況はあっただろうか。新聞の読者離れは今に始まったことではない。が、広告が多い少ないとかの経営に絡む問題ではなく、要するに「新聞記者」という存在が嫌われている、という現実に慄然たる思いを抱いているのです。
しかも、それがある種の攻撃のターゲットになっているように見受けられるのである。その象徴的な出来事が、先月20日、「自由報道協会」(ジャーナリスト、上杉隆・暫定代表)が主催した小沢一郎・民主党元代表の記者会見の席上で起こった。会場には、ネットメディアや、フリーのジャーナリスト、一般紙の新聞記者ら80人ほどが集まった。冒頭、小沢氏への質問は、「一人一問」との条件が付けられていたという。その模様はネットで中継され、その後も動画サイトで流れた。投稿やコメントは、その「一人一問」のルールを破ったとされる読売記者に厳しい批判が向けられた。
私は、知人がfacebook上にアップしたその動画の一部を見た。記者会見の終わりかけに上杉さんが、その記者の隣の席で立ち、背中に手をまわし向きをかえさせた。左腕をつかんで、ぐいぐい押しこんでいく様子が映し出されていた。別のジャーナリストが、どういうつもりでさきほどのことをおやりになったのか、と迫っていた。
廊下に出て、問答は続いた。カメラが回っている。上杉さんが「(どういう質問をしたか)中味は関係ない、小沢一郎も関係ない。私たちの主催の会見のルールで司会者の指示に従うと決まっている。あなたはそれに従わなかった。ルール違反、以上」と言った。
「聞きたいことを聞いただけ」、「元の質問の関連だから…それは許容されていたじゃないですか」と読売記者も抗弁した。すると、「何を言っているんだ。ルール違反をしたかどうかを言っている。中味はどうでもいい」、「そんな下手な質問をするから一発で聞けないんだろう」と上杉さん。その後も、関連質問は許容されていた、いや勝手にルールつくるなよ、などとの押し問答が続いた。
いやな雰囲気だ。記者を取り囲んで詰問しているように見えた。私個人的には、上杉さんのジャーナリストとしての活躍ぶりには敬意を表しているのだが、この場面は読売記者に同情した。
読売記者は、どんなルール違反をしたというのか。
読売オンラインが、この記者と小沢一郎氏とのやり取りをテキストで再現してネットにアップしていた。
≪10月20日の記者会見での小沢元代表と恒次記者(読売記者)のやり取り(呼称・敬称略)≫
◇
恒次…小沢さんは陸山会の今回の問題が起きてから、先日の意見陳述もそうでしたけど、政治資金規正法違反に関して、それが脱税とか汚職を伴わない場合は、実質的犯罪とは言えないんだという考え方を再三述べてらっしゃると思うんですが、
小沢…それは言ってません。
恒次…あの、そういう風に受け取れることをおっしゃってると思うんですが。
小沢…そんなことありません。(会場から笑い)記者会見、ちゃんと全部見ましたから。
恒次…そういう風に一貫して述べられていると思うんですが。
小沢…違いますよ。(会場から笑い)
恒次…2007年の2月に事務所費の問題が問題になりまして、小沢さんが会見を開かれた時に、政治資金の問題についてすべてオープンにして、国民が判断することが大事なんだという風に言われていて、私もその通りだなと思った記憶があるのですが、今回の問題が起きてからの小沢さんの発言を見ていると、その時の考え方を修正されたのかなという風に思わざるを得ないような表現をされている。実質的犯罪じゃないとか、形式的なミスであるとか、そういう風に言われているんですが、2007年の会見の時におっしゃったような趣旨で言えば、政治資金収支報告書に誤りがあって、それを国民の側が判断することが大事だという風におっしゃっているわけですから、その判断を誤らせるような虚偽記入があった場合は、もし汚職とか横領とか脱税とかいうことがなくても、これは実質的な犯罪と言えるんじゃないでしょうか。その点を、ちょっとお考えをお聞かせいただけたらと思います。
小沢…ちょっと、あなたの意見がちょっと違うんじゃないかと思っております。私は実質、犯罪じゃないという言い方をしているわけではなくて、まあ犯罪って言ったって、軽犯罪だって犯罪だから、そういう言い方をすれば、ちょっとでも法に触れれば犯罪だということになりますが。いわゆる実質的犯罪が、わかります?実質的と形式的と。実質的犯罪が伴わない場合は、今まですべて収支報告書の修正ですまされてきたという風に申し上げてきた。
恒次…実質的犯罪じゃないというお考えがどうなのかという風にお伺いしているのですが。
小沢…それは、法律学者でも誰でも聞いて下さい。実質犯と形式犯と2つある。
恒次…そうじゃない。
小沢…そういう意味のことを僕は言っている。
恒次…例えばですね、
司会者…なるべく簡潔にお願いしたい、この辺で区切らせていただきたいのですが。
恒次…ちょっと対話したいものですから。
(「対話じゃねえよ」の声)
小沢…それはあなたの考えであって。
司会者…すいません。終えていただけますでしょうか。
恒次…例えば、ディスクロージャー違反という犯罪の類型の中に、(上杉…あんたルール違反しているんだよ)例えば有価証券報告書の虚偽記入というのがございますよね。俗に言う粉飾決算っていう。
小沢…有価証券報告書の虚偽記入という、その法律は分かりませんが。
恒次…それは実質的犯罪じゃないんですか。(上杉…ちょっとあなたルール守んなよ)
司会者…お話の途中申し訳ありませんが。
小沢…みなさん、修正報告で。いっぱいあるでしょ。今でも。間違ったと言われるのは。私どもは虚偽記載しているとは思っていないんですよ。だけど、例えば仮にそれが明白に虚偽記載、いわゆる間違った報告書だったと、計算であれ、書く場所であれ、何であれ、その時はみんな修正報告で全部今までは通っているわけです。
恒次…そんなことないですよ。
小沢…そんなことありますよ。
恒次…修正報告だけで通ってない場合は多々ありますよ。(上杉…記者クラブのルール守っているんだから、守れよ)
小沢…あなたの考え方。僕の考え方を聞いているんでしょ。
司会者…そろそろほかの質問に移らせていただいてもよろしいでしょうか。
(2011年10月27日06時00分 読売新聞)
◇
これを読んで、どう思いますか。以下の箇所は、司会者の制止を聞き流して話し続けたのは、読売記者じゃなくて小沢さんの方でした。小沢さんが言葉を次ぐのだから、それに答えるのは記者として当然の行為でした。
小沢…有価証券報告書の虚偽記入という、その法律は分かりませんが。
恒次…それは実質的犯罪じゃないんですか。(上杉…ちょっとあなたルール守んなよ)
司会者…お話の途中申し訳ありませんが。
小沢…みなさん、修正報告で。いっぱいあるでしょ。今でも。間違ったと言われるのは。私どもは虚偽記載しているとは思っていないんですよ。だけど、例えば仮にそれが明白に虚偽記載、いわゆる間違った報告書だったと、計算であれ、書く場所であれ、何であれ、その時はみんな修正報告で全部今までは通っているわけです。
◇
小沢さんは、読売記者の質問に答えようとしているではありませんか。嫌がる小沢さんに無理やり追及の言葉を投げていたわけではない。司会者も上杉さんもここはしばし、納得のいくまで小沢さんに説明させる方が、開かれたジャーナリズムを標榜する自由報道協会の目指すべき方向性だったのではないでしょうか。読売記者にルールを破ったのはなぜか、と問い詰めるのはそもそも筋違いだったような気がしてきます。
自由報道協会は、今年1月、小沢氏の会見を開くのに合わせてフリー記者らが有志で設立した。フリー記者は、記者クラブが主催する記者会見には出入りが制限され、ある時はほとんど差別され続けてきた歴史がある。一方、既存の新聞、テレビなどは記者クラブ加盟社を縦に、フリーや週刊誌記者らの出席を拒んで締め出してきた。まあ、それだけにフリー記者にとって、既存メディアへの反感は少なからずある。そのフリー記者の主催する数少ない記者会見に出入りして、「ルールを破られてはたまらない」という気持ちは理解できなくもない。まあ、そういった積年の恨みが噴出したのだろうか、読売の記者の鋭い質問に小沢氏がつい口を滑らせそうになったので読売記者を途中で牽制したのか、どうか。内容は、興味深いやり取りに違いない。
読売記者VS小沢一郎氏、小沢さんは、いまは刑事被告人である。裁判の核心である4億円の土地購入の原資は、どこからもってきたものか、政治資金収支報告の不適切な記載についてはどう説明するのか、記者ならその辺を突っ込むのは当たり前のことだと思う。それでなくても一般メディアの前には少しも姿をみせないのだから。さて、このやり取りを読みながら、読売記者がいいところを突いて小沢さんをコーナーに追い詰めていたのに…と思った。読売記者のボディーブローが効いていざ、という時に主催者がボディーガードしちゃった。とことんやってほしかった。まわりが助け舟をだした感じだ。
先月22日朝のNHKラジオ。その著書に触れて、「ジャーナリズムの仕事は、権力の監視です。権力は隠ぺいするから監視が必要で、いままでの(既存のメディアは)権力の広報だった、多様な言論が民主主義を支える。日本の人たちは、それができるのに自らが自主規制して多様な言論を排除してきた。もういい加減にしないと日本全体がおかしくなる」と上杉さんが語っていた。その通りなのだが、読売記者は、その上杉さんが期待するジャーナリズムの仕事に専念していたのではないか、と思うのだが奇妙な構図になったものだ。上杉さんの言うとおり、メディアは「ウオッチドッグ」、つまり番犬なのである。権力の監視役を担うべき番犬なのだ。政治家、小沢一郎さんは、権力者じゃないのか。
まあ、外野と言ったら失礼だが、ネットでつぶやかれるのは読売記者への批判ばかり。特権意識がある、とか、正義ぶって平気でルールを破る、といった声が目立った。サイトでアンケートをやっていた。読売記者VS自由報道協会、で大半の8割強が自由報道協会に賛意を示していた。これも、いったいどういうことだろうか。
質問は1回きり、というルールを守らなかった。しかし、読売記者が釈明していたように、1回の質問から派生した、キャッチボールだろうし話の流れである。要領を得ない回答なら、その意味を問うのは当然のこと。ましてこのやり取りはむしろ小沢さんの方が積極的に言葉を発していたわけなのだから、1回切り、というルールは通用しない。
ネットでは、多くの人が読売記者をあざ笑う。他の新聞は、そのことを触れない。情けないと言おうか、どうしてこんなわかりきったことが逆に作用してしまうのだろう。やりきれないわ。せめて私一人ぐらい、読売記者にエールを送ってもよいでしょうかね。
偶然、今回の連載『原点回帰の旅』で塩沢文朗さんが、「マスコミと神話」と題した原稿を寄せて頂いた。インターフォン越しに夜討ちにかけ回る昔を思い出して、塩沢邸に通った若い記者に同情した。が、塩沢さんのような取材対象者だと、後日、誘われて一杯ごちそうになることだってある。しかし、それも珍しいことかもしれない。
新聞記者の存在が嫌われる。その理由をあえて探れば、こうだろうか。その記者個々人の資質に原因があるのか、3・11の福島原発事故の放射線物質の飛散数値など、その事実を報道していないじゃないかという世間一般のムードが頂点に達してしまった結果なのか、あるいはツイッターやブログ、SNSといったネットを介した個人の情報発信の勢いによるものか、それらの複合要因なのかもしれない。
まあ、いずれにしろ、社会の情報の発信力は、ネットが既存メディアを凌駕してしまったことは確かだし、新聞は社会を写す鏡、それは過去の証文、すでに忘却の彼方に押しやられた感がある。新聞の存在が小さくなったというのなら、致し方ない。が、その鏡まで歪んでは困る。それでいえば、記者の矜持、ここが問われるのである。読売記者の、道場破りの勇士に記者の魂をみた気がしたのだが、裏腹にそれが失笑を買っているのである。政治家と記者の丁々発止が一字一句オープンになり、多くの人が見られるようにすることが大事、という主張と今日の展開の成果は、上杉さんのご努力の賜物だが、既存メディアとフリー記者の確執は相当、根が深いものがある。
※参考:「ルール違反だろ!」小沢一郎氏会見で″場外乱闘″ 上杉隆氏らと読売記者が口論に!http://news.livedoor.com/article/detail/5954124/
□大野伊三男さんからの寄稿(臨海の思い出)
メルマガでのご紹介ありがとうございました。20年前(1991年)東京港開港50周年記念事業に携わって以来の東京臨海副都心開発事業ですからあっという間の出来事のように思い出されます。くしくも今年は東京港開校70周年、そして臨海副都心開業15周年を迎えました。
臨海副都心の賑わい創出事業のきっかけは以下のような寓話から始まりました。
東京家に7番目の子供が誕生することになりましたが、誕生に苦労した父親Sさんは家庭を去り、Aさんが新しい父となりました。誕生した赤子は東京臨海副都心と名づけられ、たくさんの企業が進出し、住宅にも多くの都民が生活を始めました。しかし、新しい父親は赤子を冷遇したので、新たに誕生した街としてのインフラやサービス施設が不足することが明らかでした。このため、赤子を見捨てるのではなく、その誕生を祝い、将来の繁栄につながる様々の賑わい創出事業を展開して活性化を図ろうというのが生みの母親である港湾局長の考えでした。
誕生する子供には罪がない。祝福するのが人の道だ。嬰児を見捨てるなというのが広報係の合言葉となりました。しかしながら世間の目は冷たく、世界都市博覧会中止後の臨海副都心で大規模イベントの展開は無謀な挑戦と冷笑され、広報係スタッフは様々な困難(都庁内組織、警察、消防、近隣自治体の許可)と戦うことになりました。
また、フリーペーパーとしての「東京シーサイド・ストリー」は、東京臨海副都心の広報誌として創刊することを企画しました。産経新聞社にプロジェクト室が設置され、営業担当者から企画書が持ち込まれたのですが、ありきたりのイマイチ企画で何度か喧々諤々議論しましたが、私には新聞社の押付け企画としか思えずボツにしようと決めていました。
最後の打合せと臨んだ会議に都庁キャップとして辣腕を振るった出口さんがひょっこり現れたので驚きました。会議が始まるとすぐに我々の雰囲気を察知した彼は企画書を撤回して翌日のアポイントをとって引き上げました。
臨海副都心開発計画期から取材してきた経験から東京都や港湾局の開発にかける熱い思いや進出事業者の要望などを阿吽の呼吸で理解し、新進ライターの起用、ネーミングから紙面コンセプト、発行部数など全面改訂した企画書を書き上げてきました。臨海副都心開発始動期にふさわしい企画となり両者が合意してスタート、出口さんがプロジェクト室の担当者となり、長いお付き合いの始まりとなったのです。
一番のヒットは、駅やビル事業者からクレームのあった読み捨てポイとなり、60万部のチラシでゴミ箱があふれないようにするため、無料紙としてはボリュームのある32頁で始めたことだと思います。私はこの指摘が気になって何度も駅のごみ箱を覗いたものでした。その後、みなと未来地区など全国の臨海地区で類似のペーパーが発刊されましたが、長続きしませんでした。
「シーサイド写真コンテスト」は、臨海副都心開発者による建設工事記録ではなく、都民の目線による臨海副都心の魅力を記録したいという希望からはじめました。写真コンテストとしては破格の年間グランプリ賞金100万円という企画でした。「東京シーサイド ・ストリー」編集部に業務をお願いしましたが、事務量が多くてしょっちゅう赤字だと出口さんがこぼしていました。臨海副都心に建設された斬新なビルや公園そしてそこで繰り広げられる新しい街の生活、海浜風景、賑わいイベントなど鋭く切り取られた写真の応募に毎回熊切先生と審査会を楽しみました。
写真の魅力により、マンハッタン島のような海上都市の映像が東京のウォーターフロントの象徴として各種媒体で紹介され、東京ウォーカー、じゃらんなどの特集を飾ったことで、瞬く間に東京の観光名所のひとつとして臨海副都心が急成長しました。
3年目には「ゆりかもめ」に全国から観光客が殺到し、乗り切れない乗客で新橋駅は溢れ、バスで水上バス乗り場までピストン輸送したことが思い出されます。空気を運ぶ「ゆりかもめ」の汚名を返上できたと喜んでいるまもなく、早く車両を増設し輸送力増強を図れとメディアから叱責されました。