◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2013/07/06 http://dndi.jp/

ホウノキの大きな花の物語

DNDメディア局の出口です。森に入ると、さて、どうだろう。森は、生き物、 癒し効果もあるが、危険もひそむ。その静寂な森は、人の心の隙を突いて挑 発の手を緩めることはしない。


単調な杉林を多様な広葉の森に変えられないだろうか、と昨年秋から月に数 回、週末を利用して日光の森に通っている。プロの力を頼んで杉の木を次々 とチェンソーで伐採し、やがて日が入り始めた高台にサクラやウメ、モミジ の苗木を植えたり、下草を刈ったり、と結構汗と泥まみれになるが温泉で汗 を流したら至福のひとときが訪れる。ぼくのような釘一本まともに打てない 不器用者でも根気よく続ければ得難い出来事に遭遇する。森は物語を紡ぐと いう。ほぼこの1年、ぼくの心を鷲づかみにして離さないホウノキの話をした いと思う。


◆大きな白い花

東京・昭島の昭和記念公園。昨年5月下旬、その午後からJR昭島駅の近くで経 済産業省主催のタウンミーティングのような会議が予定され、知人から要請 で取材に行くことにした。少し早目に着いて一目散に公園に向かった。ここ はメルマガで取り上げた『80日間の花嫁』の舞台となった場所でどんなとこ ろなのか興味があった。


パンフレットを頼りに広大な園内を散策した。大ケヤキや原っぱでのんびり 時間を過ごした。寄せ植えのバランスがすぐれたハーブ園にも行った。一人 なのでどこへ行こうとだれの遠慮もいらない。風の吹くまま気らくにレンタ ル自転車を走らせていた。


ある林の中を走っていた時である。大きな葉を揺らす一風かわった木々のト ンネルを一気に抜けようとした。甘い香りがした瞬間、チラッと白いものが 視界をかすめた。とっさにブレーキをかけて自転車を止め、ハンドルを握っ たままゆっくりと顔を上げた。頭の上の遥か先に、大きな白い花が飾り物み たいにこちらをうかがっていた。


なんだろう、こんな大きな花は見たことがなかった。自転車を道の脇にとめ て花に近づいてカメラを構えた。花もそうだが、花のまわりをかこむ葉っぱ がこれも特大だ。天から甘い香りがふっていた。下草が丁寧に刈られて風通 しのよいその一角だけが、南国の熱帯林にみられるような幻想的な雰囲気を 醸し出していた。花の中心部の赤紫色の突起物が天狗の鼻のようで異様に見 えた。



写真はうまく撮ることができた。日時は5月26日、この花の開花時期とうまい ぐあいに重なったみたいだ。時計をみたら13時20分だった。タウンミーティ ングの開始が午後2時、いやあ、遅れそう、自転車を返却して今度は徒歩で駅 反対側の会場に急いだ。会場についてもぼくの魂は、初めて目にしたあの白 い花に奪われてしまっていた。


ぼくは、それがホウノキだとは、しばらく気が付かなかった。ホウノキとい えば、小学校の版画の授業で使った柔らから材質の版木がそうだが、あのハ ガキ大の四角い版木のもとの木があのような大輪を咲かせるなんて思いも寄 らないことだった。版木と大きな白い花の接点がどこにもみえないのである。 また、ホウノキの葉を焼く朴葉味噌とてあの香ばしさから白い花を連想する のは難しい。


山を歩くと、ホウノキの葉が路上の吹き溜まりに落ちているのをみかける。 その大きな葉は、きっと丈夫なのだろう、朽ちて変色しているものの散って なお沿道にしっかりとその楕円の姿をとどめているのだから。


それから半年後の11月、思わぬところで再び出会うことになるのだが、一段 とエキゾチックに艶めかしさをそなえ、ときめくような胸騒ぎがした。



◆赤い実

昨年の11月上旬、道東の秘湯、養老牛温泉に立ち寄った。中標津空港から西 に向けて車で30分ほどの山間部にあった。途中、街に美しい牧草地が広がっ ていた。空気が違う、渓流は清らかだし、どこを見回しても遠望がきいての びやかな自然のど真ん中にあった。都会からこの地に憧れて移り住むという 理由が分かるような気がした。


源泉の宿が川沿いの森の中に3軒、目立たぬようにひっそりとした佇まいだ。 同級生の橋本辰彦君の案内で、その中の湯宿「だいいち」の湯に浸った。手 入れの行き届いた清潔な施設で、気持ちがよかった。渓流そばの露天風呂は いくつもあって楽しめた。日帰りで600円だった。


河原の冷気で色づいたブナやモミジが葉を散らしてはや晩秋の風情だった。 庭先に生簀が用意されていた。夜には、その蓋を開けてロビーのライトを消 して待っていると、どこからともなく生簀の生きた魚を狙って巨大なシマフ クロウが音もなく飛んでくる。それをロビーからガラス越しに眺めるのが、 この宿のご自慢らしい。


さて、と、帰る段になってロビーの壁付近の棚に、派手な色をしたオブジェ のようなものが並んでいた。飾り物なのだろうか、そこに大小3つ。トウモロ コシのように長細く、その中に赤い種がつまっているのがみえる。工芸品の ようなその造形に魅かれてしまった。



通りがかりの若い仲居さんを呼びとめて、これをひとつ分けてもらえないだ ろうか、と厚かましく聞いてみた。少し、笑みを浮かべて帳場に姿を消すと、 すぐに戻ってきて、オーナーが、差し上げますのでどうぞ、とおしゃってい るという。


「ええっ、いいんですか」と恐縮すると、「お好きなものをお持ち帰りくだ さい。どれでも…」とたいそう気前がいい。迷うことなく、一番大きなもの を遠慮なく戴くことにした。なぜだか、子供みたいに宝物を手にしたような うれしさがこみあげてくる。



帳場ののれん越しに宿のご主人の姿がみえたので頭を下げて礼を述べた。細 面の精悍なご主人は、にこやかに笑っている。ぼくから名刺を出した。とこ ろで、これはいったいなんですか、と聞いた。


ご主人が思わぬことを口にした。ホウノキです、と言った。えぇっ、これが そうですか、と腰を抜かすぐらい驚いた。昭和記念公園で目にした大きな白 い花、その真ん中にある天狗の鼻のような、あの突起物がこれなんだ、と再 び手のなかのそれをまじまじと見た。


種を植えると、芽がでますかね、とあたり前のことを聞いた。そうですね、 とご主人、柔和な笑みをくれながら、条件がよければ芽が出て育つでしょう、 と語り、ぼくが種を育てて日光の山に植える、なんてひと言も明かしていな いのに、森に植え替えるのには、少し時間がかかりますね、とぼくの胸の内 を見透かすように言った。



いやあ、あれこれ驚きの連鎖だ。ホウノキの種をゲットできたのは道東の旅 のなによりの収穫だった。


◆種を植える

北海道から戻って、さっそく鉢やプランターを並べて水はけのよい細かな鹿 沼土に培養土を混ぜて種を植えた。ホウノキの赤い種は、外側の殻から簡単 に取り出せると思ったが、これがそうはいかない。種が細い糸のようなもの で本体とつながって頑丈な構造になっている。細い糸は、白くてねばりが見 られたので、へその緒のようなものだと解釈した。それにしてもその形や構 造、それに朱赤の種を納める褐色の格子の殻など、ほれぼれするような造形 美だとしばし見入って、手に取ってうれしくなった。


庭に3つの鉢を用意してそれぞれに種を5〜7個ほど指で軽く押し込んで埋めた。 道東からは、このホウノキに加えハマナスの実やマユミの種も持ち帰って、 それらも順番に植えた。ついでにどんぐりも植えた。庭にたくさんの鉢が並 ぶことになった。


その頃、すでに日光の杉山を購入していたので、日の当たりの比較的いい場 所を選んで、それらの種を無造作に撒いたりもした。ひと冬を越して春先に、 いち早く芽をだしたのはどんぐりで、根室産のコナラが次々に産声をあげた。 用意したどんぐりは数百個にも及び、そのほとんどが芽を出して育ったので、 その大半を苗床にした日光の森に移植した。プランターの中の双葉が、自然 の森の中でどのように成長するか、すでに葉が虫に食べられたり、変色した りとその半分がさんざんな状態だが、色を濃くした葉に厚みと凄味が感じら れた。



どんぐりの次に芽を出したのがハマナスだった。ハマナスは双葉から10cm ぐらい大きさに育つのにほぼ3ケ月を要した。ハマナスはバラの原種で茎にト ゲが生えているのだが、枝先は細く添え木をあてないと頼りない。わずかな 風にも絶え間なく揺れて悲しげだ。北国の花木は、熱風の越谷でそだてるの は気の毒かもしれない。そのため、6月上旬に、梅雨の晴れ間をついて日光の 森にサクラやウメ、それに亡父のモミジの苗木などを植えた際、このハマナ スもサクラなどの苗木のそばに一緒に植えた。うまくいくだろうか、植物の 自然力を信じるしかない。


さて、肝心のホウノキだが、時々、鉢をのぞきこんでいるのだが、うんとも すんともないのだ。いまにも芽が出てくるような気になってしょうがないが、 しかし、春が来ても光がまばゆい5月が過ぎてもその兆候はなかった。あの硬 い殻を破るのは容易じゃなかったのだろうか。マユミの種もうまくいかなか った。少し残念な気持ちになった。


お正月に、養老牛温泉「湯宿、だいいち」のご主人、長谷川さんから賀状を 頂戴していた。その文面に、「ホウノキ、芽が出るといいですね」と綴られ ていた。ほんと、芽が出て成長したら、日光の森に植える、やがて昭和記念 公園で見たような大きな白い花が咲いたらどんなに喜ばしいか。そんな朗報 を長谷川さんに伝えられたら、海をわたったホウノキなんて、またひとつ駄 文が書ける。希望の種は、しぼんでしまった。ネットでみると、種の殻を剥 く、というような記述がめだった。だれか教えてくれないだろうか、と途方 にくれた。


しかし、ぼくの執念というか、一念が通じたのか、思わぬところで偶然、ホ ウノキに遭遇することになる。幸せの扉が開き始めたようだ。


◆ホウノキの幼木

花粉に弱い家内が、日光の杉林に近づこうとしない。花粉が真っ盛りの3月中 旬に一度、森に入ったら数秒おきに激しいくしゃみに襲われた。鼻も目もく しゃくしゃで表情はうつろ、やや熱っぽい。これは重傷と思った。その後、 一緒に行っても家内は森の入り口に止めた車内で待機するしかなかった。5月 中旬ごろになって杉の花粉の飛来がひと段落したあたりから再び、森づくり に加わった。


どこまでがうちの土地なの?と聞く。深く埋め込んだ赤杭を示して境界付近 にそって谷川に通じる急な斜面を上り下りしながら、広い森の隅々までぼく が先導して歩いた。山側の奥の方は、笹竹が背丈ほどに伸びてそれを伐採し ながらじゃないと前にすすめない。家内は、剪定鋏を器用に操りながらバシ バシと音をたてて足場を確保して前に進んだ。


この先は窪んでいるのでこれ以上近づくと危険だという崖際に着いた時だっ た。岩場で吠えるライオンみたいだなあ、と思って周辺を見渡すと、タラの 木の巨木数本を発見、それに続いて、一本の珍しい木が目に止まった。高さ3 mぐらいはあろうか、枝先からのびた萌木色の葉が、緑と黄色の風合いを加 えてゆらゆらとしていた。



ホウノキだわ、と口に出して言った。ぼくの森にホウノキをみつけた。幹に 手をやって木肌の感触を確かめた。しっかり根付いている。ゆすってもびく ともしない。うれしい、って小さく叫んだ。体が宙に浮く心地よさだ。崖際 なので体がほんとうに浮いたら、あぶないよね。森での発見は、ある種の感 動をもたらすものらしい。


ホウノキの雄姿を写真に撮った。が、ぼくの目に映った神々しさが写真には 反映されていない。ホウノキの上の方が逆光でハレーションを起こしている。 まあ、写真はまた別の機会に譲ろうと、踏み込んだ笹竹を起こして足跡を消 しながら来た道を戻った。



ホウノキの発見でやや興奮したのか、足取りは軽い。なんども振り返りつつ 赤杭にそって伐採が進められている平らなところ下に見て鉢から地植えにし た亡父のアザレアや花桃が並ぶ小高い丘に出た。その地点から谷川をのぞむ と、いくつも段々になっている楕円形の平らな場所が、かつて畑だったとい うのはうなずける。杉の木間から透けて渓流の流れがみえる。メジロやウグ イスの鳴き声が遠からず聞こえていた。


その地点から谷川を見下ろす風景は、これまで何度目にしたことか。午前中 は川下から日が上りこの小高い丘まで日が射しこめる。夕刻は右背後から西 日が弱々しい光を発しながら没していく。太陽は東から川を渡る。森は、東 側の谷に向かってなだらかに下り、左右に棚田のような平らな場所が7から8 か所ほど段々に連なってみえる。この場所が扇で言えば要、森の中心軸とな る。


さて、この単調な杉林をどのようにデザインしていくか、周辺を見渡しなが らいつも念頭にあるテーマだ。秋の紅葉から始まった森づくりだが、冬、春、 初夏、しかしまだ盛夏を経験していない。拙速は禁物、急いで手を加えず、 のんびりやればいいと自分に言い聞かせている。


さて、と汗をかいたので、いつものように温泉に浸ったあと、冷たいそばで も食べよう、と腰を上げた、その時である。


ぼくの目に、5枚の大きな葉っぱをひらいた幼木が飛び込んできた。迷わずホ ウノキの幼木と確認できた。小高い丘のすぐ下、斜面の上部のところに植わ っていた。高さが50pから60pほどあり、どこからでも目に付く場所にあっ た。それなのにこれまで気が付かなかったのが不思議なくらいだ。



種から大切に育てようと懸命になってもうまくいかないのに、と思うとこの 幼木が愛しく思えた。種が飛んできたのか、鳥が種を運んできたのか。偶然 とはいえ、種から芽が出て幼木に育つなんて、それもぼくの森で、自然の力 の逞しさを思い知らされた気分だった。


しかし、そこは斜面で足場が悪い。杉の小枝や葉をのぞくと、たちまちホウ ノキの幼木の根元があらわになった。葉っぱのわりには、根付きが弱そうだ。 根元の土が崩れないように伐採した杉の丸太を下に置いて杭を打って支え土 をかぶせた。幼木の左右に添え木を打ちつけてひもで結ぶことにした。


大きな白い花が咲くだろうか、天狗の鼻のような種が採れるだろうか、そん な希望がふくらんだ。ホウノキが自生する、ぼくの森が少し偉そうにみえる。


◆ホウノキを育てる

ぼくの場合、小学校から版画の時間で使ったハガキ大の版木がホウノキだっ た、とこの項の最初に書いた。それがやがてゴム板に変ったのはいつごろだ ろうか、とふいにそんな疑問に捉われた。版画なら、版画の名手で幼なじみ の太田正章君に聞いたほうがよい、と思い立って函館の彼に電話した。小一 時間、懐かしさがつまった時間が流れた。ぼくはいまでも版画で刷った彼か らの年賀状を大切に保存している。


彼も版木はホウノキ、そしてゴム板、やがて社会人になって小樽に住んだこ ろあたりから、「プリントゴッコになった」と笑った。版木を逆さに彫って 色づけして刷ってという作業がだんだん負担になっていた、とその理由を述 べた。そうだろうなあ、と同情した。


ぼくは、養老牛温泉からホウノキの種を譲り受けて種をまいたのだけれど、 残念ながらどれひとつとして発芽しなかった失敗談を伝え、なぜだろうね、 とつぶやいた。すると、太田君は、いやね、夕張の畑に父がイチイの木を育 てていた。それこそ何本も畑の隅に植えていたことがある、と前置きして、 どうもね、鳥についばまれないと発芽しない種があるらしいよ、そんなこと を父が口にしていた、と教えてくれた。


鳥が実を食べる。実の種は、鳥の胃の中で溶かされたものが、ふんと一緒に 山に落ちる、それが発芽の条件になっているのではないか、と解説を加えた。 なるほど、ホウノキの種はイチイの実と一緒なのかもしれない、と思った。 その翌日、ぼくは冷蔵庫に保存しているホウノキの種を持ち出して、台所で 器に酢水を加え、そこに沈ませた。残りは、果物ナイフで種の赤い外皮を薄 く剥いた。酢に浸した方は、柔らかくなって包丁が入りやすくなった。庭先 で、それを鹿沼土に培養土を加え、EMの活性液をかけた鉢に入れて準備をし、 そこに殻を剥いたばかりの種を9つ指で押し込んで埋めた。さて、どうなりま すやら、毎日、鉢をのぞきこむ生活になった。ホウノキの奇跡がぼくに起き てくれるだろうか。


◆ホウノキの来歴

 ホウノキの話は、この辺でおしまい。ただその解説書をさぐると、日本人 にゆかりの深い貴重な樹木だったことがわかった。


花は枝の先に9枚の花びらが集まり、上を向いて咲く。葉は大きく長さ30pぐ らいの楕円形で、裏面は白っぽく、これに食物を載せたり、包んだりした。 この葉を折りたたんでさかずきの代わりにして酒を飲んだことなどが万葉集 や古事記に出てくるのだそうだ。


 「我が兄子(せこ)が捧げて持たるほほがしはあたかも似るか青き蓋(きぬが さ)」



青々とした葉をつけたホウノキの枝をかざした姿が、高貴な人の持つ青色の 絹のかさに似ているという風情を詠んだものである、という。そしてホウノ キは、樹皮がなめらかで、ととのっている。木目も細密で、しかも柔らかい ため、枕にも使われた。


鎌倉時代、万葉以後の家集、私選集、歌合せなどから選に漏れた歌を集めた 夫木(ふぼく)和歌抄(36巻、藤原長清選)に、こんな歌がある、と、『北方植 物園』(朝日新聞社編)が紹介していた。


みちのくのくりこま山のほほの木の枕はあれど君が手枕


くりこまやま(栗駒山)、標高1,627.4m。初夏に馬の雪形が現れることから山 名がついた。宮城県、秋田県、岩手県の三県にまたがる。二百名山の一つで もある、という。それにしても粋な歌ですね、思わずほほがゆるむ。誰が詠 んだものか、詠み人知らずとは惜しい。ホウノキにまつわるその時代の日本 人の思いの深さが感じ取れる。葉の裏に経文を書いた地方もあった、という。