◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2011/10/05 http://dndi.jp/

237万9656字の金字塔
 〜祝!10年目を迎えたDNDメルマガ〜

 ・読者からのご意見等を紹介
〜充実のコラム&連載〜
●黒川清氏の「学術の風」
「『世界級キャリアの作り方』、第10刷決まる」
「Impact Japanの理事会」、「秋のパリ」
●石黒憲彦氏の「志本主義のススメ」
第172回「続・産業革新機構」
●服部健一氏の「日米特許最前線」
第62回「オバマ大統領、新米国特許改革法をサイン
―世紀の新米国特許法は先願主義ではない―」
●塩沢文朗氏の「原点回帰の旅」
第81回「長春の近況(吉林省をあるく その4)」
●比嘉照夫氏の「甦れ!食と健康と地球環境」
第50回「福島の放射能汚染風評被害対策」
●滝本徹氏の第9回「医療・介護・健康産業月間」
●宮本岩男氏の第5回「自転車の購入」第4回「インドでの運転の仕方」


DNDメディア局の出口です。いま読み返すと、気恥ずかしさを通り越して、稚拙ながら精いっぱいの、相当の気のはいりようですね。何かに憑かれたように夢中で走りぬいた感じがする。むしろその一途さが、私にはたまらない。これからも柔らかな眼で時に鋭く、社会と技術の動向を、地域と人の未来をしっかり捉えていきたい。


 この10月でDNDメルマガ10年目に突入です。かなり高いところへきてしまった感がある。振り返ると、はるか遠く下界が霞む。めまいがしそう。気が付けば49歳から58歳になった。勢いで50を跨いだ。少しも変っていないよね、と意地になるのは顔しか映さない鏡の前のひとり言、それでも悩ましい更年期の50代をなんとか無事にくぐりぬけそうなのである。さて、肝心の読者の満足度は、どうか。


 「記憶を記録に」と、やや気負いながら綴ってきたのね。それが積み重なって膨大なボリュームになってしまった。原則、毎週1回のペースを守り、この号で433回を数えます。メルマガに載った個人の名前は、あいうえお順で人名が一発で検索できる仕組みとなっています。集計すると、ALLで2,353人(うち外国人が208人)にのぼった。


http://dndi.jp/mailmaga/name.html


 そこでDND研究所の古参格の清志君に文字数をカウントしてもらった。なんと全432回(被災地からの報告などのレポート含む)で、合計2,379,656 文字となった。238万とな。400字詰め原稿用紙で5,950枚、メルマガの1回平均が5,509文字、原稿用紙13枚強と出た。いやいや、キーボードを何回打ったか。デスクの前で何時間座ったか。ふ〜む。ペンだこならぬ、パソコンだこもできる。肩も凝るし視力も落ち髪の毛も抜けるわけだ。記者の現役時代に書いた行数を超えているに違いない。


 思わず、清志君にデータのバックアップ大丈夫かなあ、と、何かの手違いで一瞬にして237万文字が消える、という事態がないとも限らない。そうなったら悪夢だわ。まあ、ひとりでDNDをやってきたわけじゃない。連載コラムは、延べ26人に執筆の協力をいただいております。


 スタートまもなく連載を開始した経済産業省の石黒憲彦さんは課長時代から局長になっても投稿を続けてくださり、その秀逸なコラム『志本主義のススメ』は一番の人気で、原稿が止まると、どうしたのか、と問い合わせが入るほどです。本日で172回目、日本の経済を浮揚させる渾身のコラムです。いやあ、有難い。パン一切れの報酬もなく7〜8年間も続いているのです。その第1回は「大学発ベンチャー夜明け前」でした。


 さて、新書なら1冊分の文字数は、12万から15万字らしい。岩波新書は1ページ42文字×17行で200ページ前後なので、42×17×200=14万2800字。字数だけで見るとDNDメルマガの分量は、新書16冊から17冊分になる。さしずめ、中国の歴史書、司馬遷によって編纂された『史記』(しき)が、52万6500字。いやいや、あくまで字数、中身はともかくとして、なのである。


 今となってはそのメルマガを最初から読むというのは難しい。私にもそういう気力は残っていない。が、幸いウェブ機能のユニークさというか、記事ひとつが検索にヒットし見知らぬ方から思わぬ問い合わせが舞い込むことがある。ロングテールの恩恵というのでしょうか、そんな時に、ああ、そういえばあんな事を書いたなあ、とやっと思い出します。冬物のスーツを取り出したら胸ポケットに万札を見つけたようなそんなうれしい驚きなのである。


 先行きが見えない中を手探りで困難に向うのを「Muddle through」(マドル・スルー)、もうとうに諦めたかと思ったら、アイツだけやり続けていた、変な奴だなぁ、あいつには驚くよ、という使い方を「Tenaciousness」(テネーシャスネ)という言葉をあてる、という。梅田望夫氏の『シリコンバレー精神』(ちくま文庫刊)の「あとがき」でそれらを知り、それを自分への励みとしてきた。泥の中をくぐりぬける、そういう時期があってもよい、なくてはならないと胸に刻んだ。その先に未来がある、と信じてやってきたから何があっても少しもへこたれないのである。


 「絶対にギブアップしない執拗さ」と。これじゃ単なる意地っ張りだが、シリコンバレー精神だから本当はニュアンスが違うかもしれない。が、僕の場合、案外、その意地っ張りなのかもしれないさ。


 メルマガは、DND運営事務局が02年4月に(独)経済産業研究所の奥の一角で産声をあげたその6ケ月後、10月2日付の配信が最初でした。だから10月という月は、特別の感慨がわいてくる。数あるメルマガの中でも古参株になってきた。記念の第1号は、「DNDがんばるぞ!メルマガ」と題し、行数にして11行と短く、「今回から定期的にメールマガジンをお送りします。あくまで、皆様のお役に立てることを目的に進みます。」と、内容はお知らせが主体でした。今とは、ずいぶんと様変わりです。


 思い起こせば、ほんの2年間の役回りなら、と前職の新聞社からの出向という形で引き受けた事務局長役が、あるいは己の人生を著しく変え身内を巻き込むことになろうとは、思いもよらぬことでした。人生の転機なったその経緯の詳述は別の機会に譲りますが、しんどいがお蔭で全国津々浦々にネットワークが広がりました。


 DNDメルマガの登録者は全国に、そして海外も含めてざっと1万1557人。大手企業の研究者や大学関係者が多いく、メディア関係にも500人余りのユーザーがいる。良くも悪くも長文のメルマガとして浸透した。有難いことに、多くのファンがいることを知っています。大学発ベンチャーの夜明けを記しその環境作りにそれなりの役割を果たした。当時まだ逆風の産学官連携の重い扉を開いてきた、という自負はある。


 大学から技術ベースのベンチャーが次々に生まれ、年間200社もの米国並みの水準に達した時期もあった。雇用や地域活性化に大きな成果をみた。大学に起業や経営のノウハウが蓄積された。上場企業も誕生しバイオやIT関連を中心に30数社に及んで今後さらに期待されるベンチャーは目白押し、この流れは止まらないでしょう。


 いま産学連携のフィールドで大学発ベンチャーを知らない人はいない。10年前は、そうではなかった。石黒さんの第1回のコラムも「大学発ベンチャーの夜明け前」だった。大学の産学連携や知財本部は勿論のこと先導的に動いた経済産業省や文部科学省、NEDOやJSTの貢献度も大きい。地方の商工労働部、監査法人、証券、VCがベンチャーまわりを支えた。ひとつひとつ暗中模索の連続でしたね。うまくいかなかったベンチャーもあるし行き詰った経営者も多いのも確かだ。それがベンチャーなのだから、再挑戦すればいい。今思えば、日本の新たな成長戦略の中に大学発ベンチャー1000社構想を盛り込んで仕組みをつくり、法を整備しそして人をつなぐという新たな戦略は、おおいに評価してよいのではないか。まあ、一時、心無いメディアが一部批判した。虚妄の大学発ベンチャーというひどい記事もあった。いまはすっかり、たばこの煙のように消えた。虚妄だったのは大学発ベンチャーじゃなくメディアの記事の方だった。


 大学発ベンチャー起業支援を標榜しながら、もっとやりたいことがあるのだが、それを果たしえていないのはやや心苦しい。わがDND研究所の体制の不備もあるが、政策的に腰が引けているような気がしてならない。次の10年のこちらの課題でもある。


 さて、メルマガでは、ご存知の通り、大学発ベンチャーばかりを取り上げてきたわけじゃない。毎週それをやると、息がつまりそうだし、それほどのマーケットが成長していないという事情もある。だから、地方の街を訪ねて街をスケッチした。八尾町、鯖江市、金沢市、飯塚市、松本市、弘前市、徳島市、日光市、足利市、素敵な街、素敵な人、そして豊穣の食、素晴らしい。海外に飛んでレポートもした。マルタ、サンクトペテルブルグ、チュバシ、モスクワ、ボストン、ニューヨーク、上海、成都、歴史と観光の街に芸術や文化が根付いていた。


 メディアスクラムの危うい局面では新聞メディアの姿勢に憤慨し、政治の不甲斐なさに苦言を呈し怒ったことは数知れない。慣れない映画評や書評にも手を染めた。ご存知のように3・11東日本大震災では、現地に4回足を運んで写真付きのレポートを続けた。行く先々の悲しみの現場で東北の人のやさしさに心打たれた。身近に接した方々の感動的な生きざまをも文字にした。先輩や友人、そして父の最後をも綴った。年齢のせいなのか、この間、涙腺が緩くなった気がする。ささいなことでも人の心の動きに過敏になり、すぐに泣けてしまうのは、どうしたことか。思い出しただけでも目頭が熱くなるのである。


 さあ、次の10年、何を目指そうか。身近にウェブの鬼才、工藤純平さん、番頭格の葛巻岳さん、デザイナーの杉山期さんらは健在で、経験も仲間も増えたのだから。次の戦略を練りながら、まあ、とりあえず私個人としては、メルマガの中から読み物に耐えうるものを選んで本にでもしようか、来年10周年記念にあわせて準備しようかと、とつらつら考えているところです。お知恵拝借ですね。


 丸9年間のご愛顧に心から感謝いたします。引き続きよろしくご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。


◇      ◇       ◇


■DNDメルマガ読者はどうみているか?


 実は、読者の方々からその都度、ご意見や激励、あるいはご批判や要望をメールでいただいております。そのいくつかをご紹介したいと思います。


■中央化学株式会社、渡辺信氏
「唐突で甚だ不躾ですが、迂生も齢70を迎え、この度10月20日を持ちまして、50年に及ぶ会社勤めを終了する運びとなりました。思えば出口さんとの、ほんの些細な出会いがメルマガを配信して頂ける機会に繋がりましたが、時に癒され勇気付けられ時に感動し、一緒に成って憤慨もしたり・・・と、毎回毎回出口さんの人情味溢れるコラムを読ませて頂くのが楽しみでした。
 長い間恩恵に浴するばかりで、何のお役にも立たない影の「DNDメルマガ」ファンでしたが、今後も出口さんを始めスタッフの皆様方の益々のご活躍を心から祈念申し上げ、略儀ながら御礼のご挨拶に代えさせて戴きます。長期間に亘り貴重な情報を数々ご提供いただき、心から感謝しております・・・本当に有難うございました。」          中央化学株式会社、渡辺信


□「有難いお言葉、一文字一文字が、心に沁みわたります。うれしくて天に上る心境でした。渡辺さんは中央化学の社長を経て現相談役の職にあり、メールはこの20日をもって一線を退かれるのを機にメルマガの配信を停止してほしい、との申し出でした。7〜8年前に一度、会社を訪問しましたね。以来、ずっとメルマガを読んでくださっていらっしゃったとは、ほんと、感激でした。渡辺さま、このメルマガは読まれないかもしれませんが、50年の会社勤め、お疲れ様でした。どうぞ、お元気で。またぜひ、お目にかかりたいと思います」。


■杉田清氏
「杉田です。ご無沙汰しております。あまりにも長くご無沙汰をしておりますので、ご記憶はお持ちでないと思いますが。DNDメルマガ、毎号興味深く拝見いたしております。ご尊父一周忌の貴稿を拝読いたしました。緑いっぱいの上州の夏の風景を想像しつつ、感銘・共感を覚えます多くの記述に接し、思わずこのメールをお届けする次第です。遅ればせながら、お父上のご逝去、謹んでお悔やみ申し上げます。ご家族ご親族の皆様ともども、一周忌法要を終えられました現在の出口様のご心境、なんとなく拝察できますように思います。『どうも、われわれが年齢を重ねるほど、亡き父親の存在感が大きくなる』という、ある種の共通する体験についての、先日の友人たちとの会話を思い出しております。私の場合も、年々亡き父への思慕・畏敬の念が深まる感じがいたします。それが、父親というものなのかもしれません。
 出口様が、ますますご活躍を続けられますことこそ、ご尊父へのなによりのご供養かと愚考いたしております。とりとめのないメールを差し上げてしまいました。暑中ご自愛のほどお祈りいたします。 合掌 杉田清」


□「杉田清さん、お優しいメールに感激しました。杉田さんとはいまだ面識はないのではないか。しかし、思い起こせば2005年7月のメルマガで杉田さんのことを取り上げていました。もう6年も経っている。
≪杉田清さん。元・新日本製鐵フェローで日本工学アカディミー会員、熱、耐火、セラミックス分野の重鎮で、日本のモノづくりを耐火物技術の面から支えてきた工学博士、というのが率直な印象です。≫
 メルマガでの紹介の経緯に触れ杉田さんの業績を細かく書き込んでいました。た先般のメール、うれしく拝読しました。「亡き父親の存在感が大きくなる」、何気なく記述した一節をあらためて取り上げられると、なぜか自分が書いたものじゃないような不思議な気にさせられました。寒くなりますので、くれぐれもご自愛くださいますようお祈りいたしております。杉田さんには、やはりお目にかかりたい、と思いました」。


■寺尾和子さん(薬剤師)
「DND事務局 出口俊一様
 突然のメールで大変失礼とは存じますが、いつもDNDメルマガを楽しく拝読させていただいている寺尾と申します。DNDに登録させていただいたきっかけは、比嘉照夫先生のEMに関する緊急提案の記事がここに定期的に掲載されていることを知ったからですが、その後、黒川清先生の記事も定期的に掲載されていることを知り、とても嬉しい発見でした。
 黒川先生には私が前職の国際的医学出版社に勤務しておりました際に大変お世話になりました。また、その後に独立して小さな医薬出版社を設立後、日・英二ヵ国語の業界誌、GOR (Global Outsourcing Review)という雑誌を発行しておりました際にも、編集アドバイザーになっていただいておりました。
 今年1月、弊社では、マイケル・ジャクソンが1993年に提訴された際の真相をつづった書籍、"Redemption: The Truth Behind the Michael Jackson Child Molestation Allegations"の翻訳を私自身が担当しまして発行いたしました。http://amzn.to/o9GmX8
 本日、出口様が書かれた記事がアエラの2010年9月号に掲載されていたことを初めて知り、とても感慨深く、思わずメールをお送りさせていただきました。私自身はマイケルが亡くなった直後、「マイケル・ジャクソン裁判」と題する邦訳版を読み(日本語版が発行されたのは2009年5月)、マイケルが濡れ衣を着せられていたことを知り、それまでに
 「グレーでは?」と思っていた自分を非常に後悔し、その後、ありとあらゆる記事や書籍、音楽を手当たり次第に読んだり聴いたり、DVDを見たりして、前述のRedemptionに出会い、マイケルが1993年に提訴されたのも、全くのでっち上げだったことを知りました。そして、訳さずに居られなくなって直接に著者とコンタクトを取って、翻訳版を発行することになった次第です。
 本書の著者も以前、エンシノの近くに住んでいました。ご多忙とは存じますが、もしよろしければ、本書を出口様に贈呈させていただきたく存じております。ひとりでも多くの方に、マイケルが1993年になぜ和解したのか、どのような状況だったのか、真相をぜひ知っていただきたいと願っています。
(このとき和解して約22億円もの大金を彼の保険会社が払ってしまったことが、2003年の再度の原告家族からの偽りの告訴そして刑事裁判につながり、約10年もの間、音楽活動が制限され、究極的に彼を死に追いやってしまったと思っています)。」


□「寺尾さまから、書籍2冊が届きました。さて、これをどのように紹介するか、呻吟しているうちに中国の四川省への四川大地震研究視察となり、そのタイミングを逸したままでした。本は、中国への機上で読みました。翻訳といっても裁判にかかわる専門用語が多いのだから、さぞ、大変な作業だったのではないか、と寺尾さまのご努力を痛々しく感じたほどでした。私もAERAに書いた記事では、相当の資料を読み込んだものです。
 それにしてもなんという偶然なのでしょうか。寺尾さまが、黒川清先生と比嘉照夫先生のお二人をご存知だった、とは。ほんとうに驚きました。寺尾さまにもぜひ、お目にかかりたい。書籍は、サイト内のDNDi文庫で紹介しましょう。寺尾さま、ご紹介が遅れて申し訳ありません。期待通りの労作でした。」


■Ben氏
「Ben@BPです。お世話になります。本日のメルマガ、実に感激を受けて拝読しました。
 これまで、原発にかかわった人は、受益者も、うけなかった人もそれぞれが総括すべきだと思います。貴君の総括は、実に観点が明確でした。原発というモンスターをこれ以上制御するという野望は捨てる。どんなきれいごとを並べても、一度壊した自然と自然で育てられる子供たちを幸せにはできない。幸せを壊す科学技術は、それが科学技術の望みではないはずです。関係者、各人が次代をどう育てていくかを問われているのが、3.11の問いかけであったはずです。一流と言われた国民が、ひとりひとりどう生きるかを謙虚に問い、議論すべき時が今なのでしょう!あまりにも、他人の意見を拝聴するという気風が抜け落ちている。傾聴と議論を活かす時代を再構築する時が今だと思います。我も生きよ、人も生きよ!そして次代に向き合うことが望まれているのではないかと考えさせられる昨今です。」


□「いま考えてみると、果たしてBen氏にちゃんと返信していたか、どうか、今頃になって急に不安になってきました。脱原発宣言をしました。3・11以後の東電、政府も含めて初動のアナウンスがきわめて悪い。事実を曲げて安心ムードを喧伝した罪は重いと思います。個別には言及しませんが、政治は未来への選択と定義するなら、私たちの責任は未来の子供らの不安要因を払しょくすることであり、それらを覆い隠して次世代にツケを回すなどということはあってはならない、ということでしょう。こういうご意見は結構多かった。Benさま、ご感想いただきありがとうございました。」


■桧家ホールディングス、監査役、吉本晴吉氏
「先日の桧家住宅の役員会ご出席、ご苦労様でした。今回の「東北有情・芝桜とミミズクの伝言」〜東日本大震災2ケ月、現場からの報告余話(1)〜には大変感動しました。
 佐々木さんご夫婦のお人なりには敬服しました。又、男女の兄妹のその後に胸が痛みます。一般的ではありますが、被災地の早期復旧・復興と皆さんの日々のご平安とご発展を衷心より祈念するものです。合掌  桧家住宅吉本」


□「吉本さんは、私が社外役員を務める(株)桧家ホールディングスのベテラン監査役の吉本晴昭さんです。定例の役員会では席が隣り合わせで何かとご相談をさせていただいている。時折、私のメルマガに対して感想を寄せてくれます。人生経験が豊かな先輩の言葉は深みがあります。ありがとうございます。


■匿名氏
Kさんのブログからそちらにたどり着きました。おそらくそちらには他意はないのでしょうが、「3.11 東日本大震災:東北の人、憂いの中の優しさ」
 の中のチョソンモの1枚目の動画の方に以下の2点において、不適切なところがあります。「人間の死体の手のシーンがある」こと、「昭和天皇と皇后の写真が埋まっているシーンがある」こと。一つ目は、放送等では決して採用されないもので、これがあるだけで、そちらのサイトが有害サイトに指定される可能性もあります。また、明らかに未成年は見てはいけないものです。ご注意。2つ目は、韓国ドラマ等によく1フレーズで入れるもので、独島は韓国のものだとドラマ中で登場人物に言わせたり、日韓合作ドラマで故意に日本海を出してきて東の海またはトンへと言わせたりするのと同じです。私も含めて、後者はかなり憤りを感じるもので、そちらが政治的にそう思っているのであればそのままにしておくのも自己責任ですが、気がついてないのであれば、これは重大な問題なので即刻消した方が私は良いかと思います。懸命な判断を求めます。なお、2枚目の日本語の歌詞の動画には何の問題もありません。たいへん美しい曲です。」


□「ご指摘に感謝いたします。なかなか微妙な指摘でした。私としては特別な意図はございません。これまでの新聞記者としての経験から、不適切だとは判断しませんでした。お気に召さないかもしれませんが、どうぞ、ご理解くださいますようお願いいたします。まあ、ご指摘があってこそ、こちらもあれこれ問い合わせたり、確認したり、という作業に入るわけで、ご指摘は謙虚に受け止めねばなりません。誠にありがとうございました。」


■堀内電機、武井信彦氏
「お世話様でございます。メールマガジンに震災被害者の方へのメッセージ掲載ありがとうございました。DNDさんからの今回の震災情報を(へんな言い方ですが)待っていました。『きっと一般メディアには出ていない情報が出口先生のところにはあるはず』と思っていましたので。自衛隊の方のお話し、定年間近の方が原発に行かれるお話し、日本人である誇りを感じます。すばらしい視点の記事をこれからも宜しくお願い申し上げます。 ありがとうございました。堀内電機・開発 武井」


□「信州・上田の堀内電機の広報、武井信彦さんからで、いつも激励を賜っております。また信州に伺いますので、その時はよろしく。皆様によろしくお伝えください。ありがたいですね」


■全国紙記者
「デジタルニューディール研究所御中 最新の情報や多様なコラムを読むのは、最初は楽しかったのですが、日本でベンチャー育成支援の政策が始まってからこれまで(つまり自民党政権時代を含めて)の、政策展開のいい加減さに対する点数が甘すぎるように思え、読むと気持ち悪さを感じることも多くなってきたことが、配信停止をお願いする理由です。民主党政権の出鱈目さは非道いですが、自民党政権やその時代の文科、経産両省の政策、予算配分の出鱈目さも目を覆うばかりでした。
 健全な批判精神が見受けられないのに、ジャーナリズムをうたう話がしばしば掲載されることに段々と、我慢できなくなりました。我が仕事ぶりを省みず、生意気な意見で後を濁すことをお許しいただければ幸いです。これまで、ありがとうございました。」


□「大手全国紙のY記者からの配信停止の理由についてのコメントです。ご本人にはまだ返信していません。返信する必要はないような気がするからです。『健全な批判精神が見受けられないのに、ジャーナリズムをうたう話がしばしば掲載されることに段々と、我慢できなくなりました』と。う〜む、しばし、考え込んでしまったさ。健全な批判精神が見られない、どういう意味なのだろうか。これも有難く受け止めました。健全な批判精神とはなにか、を、それ以来、ずっと考えながら書いているのだから。『我が仕事ぶりを省みず…』と謙虚なところはよしとしましょう。僕も若い時は、こんな風に先輩に突っかかっていたかもしれない。Y記者のご奮闘を祈ります」。





記憶を記録に!DNDメディア塾
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