◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2011/03/23 http://dndi.jp/

3.11 東日本大震災:東北の人、憂いの中の優しさ

 ・こんなことがなぜ、その意味を教えて!
 ・悲しみと心の痛みを実感できますか?
 ・「想定外」の新しい現実が、次々に。
 ・冬は必ず春への祈り、Pray for Japan!
〜近況〜
 工藤純平氏、西沢昭夫氏、佐藤利雄氏、赤木弘喜氏
〜連載〜
石黒憲彦氏、塩沢文朗氏、服部健一氏、比嘉照夫氏、
橋本正洋氏、山城宗久、氏家豊氏」

 DNDメディア局の出口です。なぜ、どうして、こんな惨い現実を突き付けるのだろうか。メディア報道の映像や雑誌の写真を見ていると、足元が揺らぎ呼吸が苦しくなってきます。なぜ、どうして、こんなことに、わかるのなら教えてください。しかし、恐怖で表情を失っても、泥水に流されても、死の淵をさ迷っても、寒さに震えながらも、言葉少ない東北人の顔は、どこか憂いの中にやさしさをにじませています。これが人間の本当の強さと私は思った。だからいっそう悲しまずにいられない。


 春を待つのどかな里が、幸せを囲む家々が、手入れの花や畑が、なだらかな浜辺が、生活の漁港が、記憶のアルバムや学校が、そして、日焼けした漁師やしわを刻む祖父が、一緒にいる恋人が、愛おしい息子や娘が、進学する希望の高校生らが、働き者の母さんが、逃げてって叫び続けた女性が、最後の一人踏ん張った町長が、あの人この人が…その悪夢が大切な尊い命を奪った。いつもの風景を消し去った。視界の先には、瓦礫と泥の廃墟が広がり、これまで目にしたことがない壊滅の現場でした。こんなことがなぜ、どうして、その意味を教えてください。


 2011年3月11日14時46分、その瞬間を境にいつまでも続くものと疑わなかったささいな日常が、突然止まり、恐怖の揺れと土砂を含んだ大津波によって破壊された無残な非日常に変わった。景色がゆがんだ。


 「あんまりだぁ、いやぁ、怖ぇがった。どうすんだべぇ。畑だってつくれなくなっちゃうべな。みんないなくなったさあ。どうしたらいいかわかんない」。


 やっと逃げのびた老婆が、悄然とした面持ちでTVのカメラにそう語った。その場にいないから、悲しみの激しさや心の痛みの深さが実感できないのがもどかしい。


■「想定外」の新しい現実
 その悪夢が、いまなお癒えないのです。この「想定外」の現実が、次々と新たに迫り、夥しいほどの課題は過酷すぎます。不思議だが、やり場のない怒りというものが、どこにもみあたらない。誰彼の責任を追及したからといって、何事かが解決する、とは限らない。これは諦めなのだろうか。もっと声をあげてもいいのだが、感情を胸の内に仕舞い込んでいるように私には思えます。しかし、近隣諸国が懸念を表し、支援の輪も広がっています。これはもはや我が国一国の問題ではない、と。


 余震が続く。今朝も2回、3回と緊急警報がなった。以来、余震の恐怖が離れない。せっかく生きながらえたのに避難所で命を絶つという不条理が相次いでいるという。原発事故は、先行きが見えないので軽々に論評することは控えたいが、被災者への避難指示拡大で放射能汚染に怯える非日常が、悔しいかな今度は不安定な日常に変わった。野菜や牛乳、水が汚染された。直ちに命に別状はない、という。その直ちに、というところに首をひねらざるを得ない。妊婦さんや幼児を抱える家族は、戸惑うばかりです。だから、直ちにうんぬん、という言い回しはやめてもらいたい。その言葉を使わないで説明してもらいたいです。帰るあてもなく明日もみえないこんな日常は、いつまで続くのだろうか。ひょっとしたら、これらはまだ序章なのかもしれない、という不安が頭をよぎる。「想定外」の新しい現実が、繰り返し足元を脅かす。


■映像に涙、歌手のチョ・ソンモさんの歌が心に響く
 瓦礫に埋まる無残な現場が生々しい。この惨状をとらえた数多くの写真の中に、きつく脳裏に焼き付いた1枚があります。名取市の路上で独り若い女性が座り込んでいた。裸足で膝を組んで泣いていた。これが朝日の1面に載り、週刊朝日の表紙にもなった。何度、見ても涙がこぼれた。そうしたら、韓国から届いた被災現場のスナップを選んだ画像メッセージの中にその1枚を見つけてまた泣いた。いくつもの写真が心を揺さぶりました。なんと泥まみれの若い母親が、娘の亡骸を抱いていた。泣いてなんかいない。歯を食いしばって、しきりと堪えているように見えた。また黒髪の少女の健気な姿をみて、また泣いた。どうぞ、下記のリンクからご覧になってください。


 透明感のあるスキャットに続いて、韓国の歌手、チョ・ソンモさんのささやくような歌声とメロディーが心に染み入ります。知人を通じて翻訳を頼んでみたら早稲田大学に留学されている韓国女性がさっそく訳して送ってくれました。また、YouTubeにも歌が流れていることを教えていただいた。


 タイトルは『カシナム』(茨の木)で、その歌詞は、とげのある木に自分を重ねて、とげがあるため木に鳥が止まることができない。つまり隣人にやさしくできなかった自分のことを語っているという。


≪私の中の私、耐えられない悲しみ 生い茂った茨の森みたい 風が吹けばやせた枝が、お互いもまれてしきりに泣いている≫


 訳を送っていただいた韓国の女性からも、一日も早い日本の復興を祈るメッセージが届けられていました。有難いです。


 この先、どんな結末があるのでしょうか。「想定外」の新しい現実の前にただひれ伏してはいられません。力を合わせてこの試練を超えていきましょう。そんな祈りの声が聞こえてくるようです。


 大津波が去ってその1時間後に第二波が、さらに第三波が立て続けにそれも10mを超える巨大な津波が来るとは、想定していなかった。その破壊力もおおよそ想像を超えるものでした。避難所で精神的な不安からお年寄りが亡くなるなんて考えもしない。避難地域に飲料水や燃料、薬がこれほど欠乏するとは驚いた。地震の規模、範囲、そしてM9.0という空前の大きさでした。1000に年に1度いう地震に続いて大津波、爆発炎上…。


 そして、原発事故も「想定外」の連続で一進一退、放射能汚染の被害はこれも「想定外」の事態で、東京23区や三鷹市や多摩地域の一部の水道水に放射線物質が基準値を超え、乳幼児の飲料に警告が発せられた。野菜、原乳に続いて水道水にも不安が忍び寄る。度重なる余震、不穏な原発事故、そしてはるか上空に漂うかと思えば地下深く水源に忍び込む放射能汚染、先行きに楽観が許されません。不安が高じて起きる精神的な影響も懸念されています。きちんと想定できないものか。



■冬は必ず春への祈り
 さて、この12日間、原発事故の動向に心を奪われていたら、いつの間にか、東京・小伝馬町の街路樹の辛夷(こぶし)が、少し花をつけ始めていました。辛夷は、田打桜とも呼ばれます。桜に先がけて咲く辛夷を見て田を耕し始めます。辛夷の蕾が赤ちゃんの握り拳に似ているから、そんな名がついたともいわれています。


 辛夷の花は、どうも東北の風景に似合いそうです。聞くと、岩手の辛夷というのは、北に向かって咲くという。
 んだば、南部の武士はなあ、石割って咲ぐどいうから強いんだば〜。冬は必ず春に。そんな負けん気の東北魂を垣間見た気がした。


 Don't give up Japan, Pray for Japan! 海外からそんなメッセージがたくさん届いております。


■工藤純平さん、一週間ぶりに被災地から無事ご帰還
 私の周辺を少し、紹介しましょう。震災の数日後、津波で流された女川町の実家に所在不明の父親を探しに行った友人の工藤純平さんが、昨日、一週間ぶりに東京へ戻り、「父親は無事に見つかりました」と伝えてくれました。お疲れ様でした。


■東北大学、西沢教授、岩手大学ベテランコーディネーター佐藤利雄氏
 東北大学大学院教授で、大学発ベンチャーのリード役を務める西沢昭夫さんが、「本の洪水に埋まった研究室の復旧に手間取り、PCの救出が遅れた。幸い、ゼミ学生全員の無事が確認できました。小職にけがなどもなく、ライフラインの停止や食料の調達などで一時は厳しい状況でしたが、それも週末からは徐々に解消されております。地元の個人商店の頑張りが大きかった。この未曽有の大災害によって、わが国がどう変わっていくのか、変わらねばならないと思います」とメッセージをfacebookで伝えました。よかった、ですね。それにしてもその志の高さに敬服です。


 岩手大学産学連携コーディネータの佐藤利雄さんからは、気仙沼で九死に一生を得たが無事で、岩手大学ネットワークを通じて近況が入り、花巻を拠点に支援の輪を広げています。


■赤木弘喜氏の宮城県復興支援センター活動報告
 新潟の事業創造大学の教授、赤木弘喜さんから宮城県復興支援センターの立ち上げ、そして県外へ避難する被災者の受け入れ施設の段取りや支援物資の配送に奔走しているとの連絡が入りました。facebokには連日、その活動ぶりが報告されています。


≪?3月22日活動報告:救援物資搬送:目的地:女川町、石巻市雄勝町。今までいけなかった場所です。ようやく仮設道路ができて、地元の水産業の方が石巻市まで出てきての電話での支援依頼でした。やはり女川も雄勝も志津川と同じ状況です。これまで見てきた光景と同じ状況には声も出ません。懸命に生きようとする声も上がっていますが、戻れるか解らない状況であり、後継者もいないことから廃業される方も多いらしい。同行した鰍lKコーポレーションの松原社長(こちらまる特漁業部:私の教え子です。4歳しか違わないけど)がしみじみと語ってくれました。「銀鮭(養殖)が全滅だね。これから美味しい魚を食べられなくなるのかなあ。ここら辺にはよく釣りに来たんだよね。あの岸壁も!(海に落ち込んでいました)」。これからの沿岸漁業をどうするかを考えた復興計画が必要だと感じた。みなさんのお考えを頂戴したい。復興アイデアを出してください≫


 赤木さんのように、絶望の中から必死に立ち上がっている方々が多くいることを心強く思いますし、彼らに対して何ができるか、それは次のわたしたちの課題だと思います。


 DND連載の執筆者から、この事態へのお見舞いや難を乗り越える激励のメッセージが数々寄せられています。その便りにうれしい希望の響きを感じます。


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■石黒憲彦氏の「東北地方太平洋沖地震について」
 経済産業省商務情報政策局長の石黒憲彦さんは、『志本主義のススメ』の第162回「東北地方太平洋沖地震について」で、「皆さんが、互いに励まし合い助け合って生活をされている様子にもまた心打たれました。各地でボランティア的な支援活動が始まっています。自分にやれることが何か、やれることを進んでやろうとする人々の姿に涙が出そうになりました。日本人の忍耐力と自律的な秩序維持能力の高さに改めて感動しました。これは間違いなく私たちの底力の一つです」と語り、原発事故に関しては、海江田万里経済産業大臣ほか政務三役、事務次官以下原子力安全保安院、計画停電やエネルギーの生産流通の復旧を担当する資源エネルギー庁の関係者は、連日不眠不休で対応している、という。


 また、緊急支援と福島原発の事態が収拾されれば、いよいよ「復興」が最優先課題です。号令一下復興のための施策を直ちに打っていけるよう準備しています。日本の底力を信じて皆さん頑張りましょう、と呼びかけています。


 また、これは本当にあまり知られていない話しとして、石黒さんの局の所管として以下のようなご苦労もあることを紹介しています。読んで知って、頭が下がりました。


≪あまりマスコミ的にはスポットを当てにくい話題なので紹介されませんが、私の局で日を追うごとに現地で逼迫化して調達支援している物品は棺です。私の局のサービス産業課は、葬祭業を所管する立場から、全国葬祭業協同組合連合会など関係機関、企業にお願いして関東をはじめ各地から夥しい数の棺(敢えて数字を述べません)を集めて被災地に送っています。ご遺体を整え、納棺するサービスも現地では人手不足でパンクしつつあるそうです。関東の事業者の方が進んで応援に入りつつありますが、葬祭サービス関係者の皆さんの社会的使命感の高さにも感動しました。通常のボランティアとは異なる側面もあり、移動の支援をすべく関係機関にお願いしているところです≫と。


■塩沢文朗氏の「東北関東大震災に関連して書きとめておきたいこと」
 塩沢文朗さんは、『原点回帰の旅』の第76回「東北関東大震災に関連して書きとめておきたいこと」で、まず「筆舌を尽くしがたい被害と惨状、そして現在も身の危険を顧みることなく復旧に従事されている方々のことを考えると、何もお役に立つことができない自分が軽々にものを書くことについて、憚られる思いがあります」と前置きして、心に残るエピソードの数々を紹介されています。


塩沢さんに届いた海外の友人からの激励も心を打ちます。 ≪・Shocked to see THE damage caused by THE earthquake and tsunami. Is it close to where you live and have you been suffered from any of it?? Please let me know as soon as you can. (オランダの友人から) ・I know you may be very busy right now, but when you get a chance, please let me know how you and your family are doing. We are extremely concerned about you and sad about what has happened in Japan. Is there anything we can do for you from here? (米国の友人から) ・The pictures on the TV of the earthquake and the tidal wave absolutely shocking and heartbreaking but the response to the tragedy absolutely amazing. Can well appreciate that currently you have enough 'on your plates ' to respond to such earthquakes as this. Will wait a few days therefore before contacting you again. Until then take every care - thinking of you (英国の友人から)≫


 日本国内でもTwitterを通じて「いい話」がいっぱい語られています。(Pray for Japanのサイトなどから)。


≪「子供がお菓子を持ってレジに並んでいたけれど、順番が近くなり、レジを見て考え込み、レジ横にあった募金箱にお金を入れて、お菓子を棚に戻して出て行きました。店員さんがその子供の背中に向けてかけた、ありがとうございます、という声が震えてました。」と。


「ある自衛隊員が言った。『被災地で炊き出しをした際、たとえ余っても自衛隊員は絶対食べないで缶詰の冷たいご飯を食べます。被災地の人用にお風呂を用意しても自衛隊員は入りません。そして出来るすべての事をやったらひっそりと帰る。それが自衛隊です。』自衛隊は日本の誇りです。」と。


「父が明日、福島原発の応援に派遣されます。半年後定年を迎える父が自ら志願したと聞き、涙が出そうになりました。『今の対応次第で原発の未来が変わる。使命感を持っていく。』家では頼りなく感じる父ですが、私は今日程誇りに思ったことはありません。無事の帰宅を祈ります。」と。


 涙が止まりませんね。塩沢さんらしくいい素材を提供してくれました。


■比嘉照夫氏の「地震災害後のEMの活用」
 名桜大学教授で国際EM技術研究所所長の比嘉照夫氏は『甦れ!食と健康と地球環境』の第39回「地震災害後のEMの活用」で、これまでの地震災害時のEMの活用事例を紹介していますが、冒頭、こんなメッセージを伝えています。


≪3月11日に起った東北関東大震災はマグニチュード9.0の超巨大地震であり、これまで万全と思われた対策もすべて無力化し、1000年に1回ともいわれる想定外のものとなっています。そのすさまじい破壊力は、悪夢の如くで、被災された方々には言葉もなく、ただただ念じ入るばかりであり、心からお悔やみと、お見舞いを申し上げるとともに、一日も早い復興を祈っています。またEM研究機構やEM研究所、EM生活社はもとより、NPO法人地球環境共生ネットワークや全国EM普及協会、財団法人自然農法国際研究開発センター、その他EMに関する多数のNPO法人やボランティアの方々には、震災後の衛生対策を中心とするボランティア協力もお願いしており、窓口をEM研究機構(098-935-0202、FAX0205)と地球環境共生ネットワーク(03-5427-2348、FAX5890)とし、具体的な対応に当ることになっています。≫


 EM活用のポイントは、1.EMによる悪臭、水質汚染、その他諸々の衛生対策2.石油等を含む、化学物質汚染対策3.避難所および居住地でのEMの活用4.汚染された家畜や土地の浄化5.放射能汚染対策(※EM研究機構はチェルノブイリ原発事故から今日まで、その風下で被災したベラルーシに於いて、ベラルーシ国立放射線生物学研究所と共同で、EMによる放射能対策について研究し、様々な成果をあげています。) 6.再建に当ってのEMの活用−の6点。


 なお、これらについては、比嘉先生から以下のような留意点が記されております。


 「大急ぎでEMボランティアやEMに関心のある皆様にむけての情報発信を行いましたが、上記の情報はあくまでも個人の判断で活用するものであって、公的に認められたものではありません。国の方針や公的な方針は厳守されるようにお願いします。今後の件については、その都度、本誌やWEBエコピュアを含め、新しい情報を提供することにいたします。なお詳しくはEM研究機構(098-935-0202,FAX-0205)にお問い合わせ下さい)と。


■服部健一氏の「日本は必ず復興する」
 米国特許弁護士の服部健一氏の『日米特許最前線』の第58回「日本は必ず復興する」は、「神は何故こうも日本に大災害や大試練をもたらすのだろうか。」と問い、「関東大震災、2度の原爆、阪神・淡路大震災、そして今回の東日本大震災は超大地震に加えて大津波、そしてその上に原子力発電所の大破壊…。あまりに多すぎる。」とつないで、そして考えられる答えを導き出すという遠く米国から祖国・日本への熱いエールとなっています。どんな気持ちでこの文を綴ったのだろうか。


 大体外国の専門家は軽率なところがあり、国際原子力機関(IAEA)も来日早々に福島県内の牛乳と茨城県内のホウレンソウから放射性物質が検出されたことから、「厚生労働省は福島県産の全ての食料品の販売停止を命じた」と誤報を世界に流してしまった、との例を引き合いに「こういう軽率な誤報は世界にパニックをもたらすだけであり、迷惑千万といえる」と断じて、「これに関連して気になることは、『日本は真の情報を隠しているのではないか』という内外のジャーナリズムの推測的報道である」として、「大体、これだけの大事故で『真の情報』というようなものは、そう簡単にわかるものではない。というより、本当の『真の情報』は、全てが終わったしばらく経った後に判明することがほとんどなのだ」と言い切りながら、災害地や原発内部にさえ近づけない状態で『真の情報』を特定することは不可能なはずである、と、世評いわれる事実隠しへの蒙昧を打ち砕くのです。


 主題の必ず復興する、という確信は「原発復興作業にみられる日本人の計画性の緻密さと安全性の高さである』と指摘。


≪「フクシマ50勇士」の作業員は、防護服に放射線探知機を付け、一定値に達するとさっと身を引き、近くに待機しているマイクロバスに乗って、新しい作業員と入れ替わるという細心の注意で安全を確認しながら働いている。今のところ、少なくとも被爆による作業員の犠牲者は出ていないようである。


 この作業は、チェルノブイリの事故(広島に投下された原爆の400倍の放射性汚染)の後処理で80万人が動員され、放射線で6万人が死に、16万5000人が汚染で障害を負った(Wikipedia: Liquidator (Chernobyl)より)という理不尽な作業とは桁違いに異なる作業である。(中略) 日本が優れているのは、人権を無視するような人海戦術に頼らず、パニックに陥らず、着実に計画的に作業を進める点にある≫として、「だからこそ私は必ず日本が復興すると信じている」という最後のフレーズに服部氏の日本に寄せる万感の思いがにじんで見えます。


■橋本正洋氏の「夜警国家」
 特許庁審査業務部長、橋本正洋氏の『イノベーション戦略と知財』の第39回「夜警国家」は、冒頭、「東北地方太平洋沖地震の被災者の皆様に衷心よりお見舞い申し上げます。今回、この未曾有の災害は我々に様々な、重大な教訓を残しつつありますが、現状で私見を総括してみたいと思います」と述べ、テーマの「夜警国家」の意味を縷々解説します。


 なかなかふるった書き出しで、その「夜警」については、アムステルダム市の中心にある国立美術館のライクス・ミュゼウム、ここにオランダが誇るフェルメールの「牛乳を注ぐ女」などの名作が所蔵されていますが、中でも圧倒的なのが、レンブラントの「夜警」です。この「夜警」には、さっそうとした服装の「夜警」たちが描かれています。


 その心は、政府が夜警だけをする、つまり、自由主義による国家または政府の市場介入を極力回避する国家らしく、あえていえば小さな政府を目指していくと、最後に残された政府の仕事は「夜警」だけだと言う意味になります。


 特許庁のような執行官庁にいると、原子力安全保安院のような規制部署も同じで、保安院の規制は夜警そのものといえるでしょう。夜警は普段は見回りをして、人々に注意を呼び掛ける(規制値を決めて、規制対象を監視する)だけです。日々忙しく暮らしている市民には、のんびりしていると見えるかもしれません。が、いざ盗賊がくれば、火縄銃を抜き、生命をかけて盗賊から市民を守るのです。今回毎日テレビで会見している保安院の同僚 も、被災者を救護し支援する自衛隊も、そして文字通り命を賭して放水活動をやり遂げた消防・警察の職員もみな「夜警」といっていいでしょう。みなほとんど不眠不休で頑張っておられます。夜警が目立つのは、社会にとってはあまりいい状況ではないかもしれませんが、その存在が市民に認識されることは大切なことです、と今日的な「夜警」の意味を読み解くのです。


 もうしばらくすると、我々が夜警を十分やり遂げることができたのか、できないところがあったとすればその原因はなにか、そして小さな政府の中でいかにそれを克服できるのか、が明らかになってくるでしょう。そうしたことを検証の必要性を説きながら、もう一つの教訓として、「夜警」たちの職業意識の高さに言及します。


 「現場の意識、といってもいいでしょう。現場が頑張っている限り、日本は不滅だと思う」と断じているのです。


■山城宗久氏の「あれから一週間」
 東京大学産学連携本部副本部長の山城宗久氏の『一隅を照らすの記』の第37回「あれから一週間」。山城さんの原稿は、先週すでに投稿があり、サイトではご紹介していました。山城さんから、これは原稿というより近況のメールをいただいたのをこちらからお願いして原稿に仕立ててもらった内容です。3月11日の大地震をどう感じてどのような行動を取ったか、被災地の東北は旅をして回ったばかりの思い出の地であることなどが、毎度の山城タッチでテンポよく書かれています。


■氏家豊氏の「沿岸地域の抜本的な居住地移転を」
 氏家豊氏の『大学発ベンチャーの底力』は第13回「沿岸地域の抜本的な居住地移転を」は、やはり東北関東大地震に関するEXTRA版です。ご自身が宮城県の内陸の出身ということから、今回の大地震には、ひとかたならぬ思い入れがあるようです。


 「多くの人が頭を去来します。無事だったろうか。身内は何とか無事でしたが、友人・知人、その身内関係者が沿岸地域にも多くほんとに心配です。あまりの犠牲者数をきくと、そら恐ろしくなります。本当に駄目だったかもしれない。なお重い筆ですが、いろいろ考えるとことは急ぎます」と、その行間から氏家さんの息遣いが伝わってきます。各地の実態を踏まえ情報収集して、緊急医療を行き渡らせるための国家レベルの「災害医療情報センター」的な司令塔の早急な設置を訴え、特に今回の大津波被災地域は、より内陸の高台に抜本的に居住地移転すべきとし、「これは、地震国日本にとって、『復興がんばろう』では全くすまない話で、今回被災されていない日本の他の沿岸地域も含む、国家レベルでの大方針が待たれます、と提言しています。




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