5年の歳月をかけて2003年8月に竣工した
世紀大橋から海口市内をのぞむ
活気があふれるレストランの店内、
海南料理は海鮮も豊富で満足度が高い
DNDメディア局の出口です。知られざる海南島、そのルポ「もう日本に帰らない」の巻の続きです。帰らないって意固地になったって所詮、予定通り帰ったじゃないの、それでもまだ書くの?って言われたら正直、返す言葉が見当たらないのだが、「もう日本に帰らない」と何度も僕にいわせたこの海南島の魅惑に迫りたい、と、まあ、そんな意気込みなのである。
11月9日午前、海南省図書館で講演し、聴講の海南大学の学生らの熱気で興奮冷めやらぬまま外に出ると、人懐っこい感じの小柄な男性が近づいてきて名刺を差し出した。僕が戸惑っている、と察した案内役の海南省科学技術庁の副局長の呉松さんが、彼、キムさんはこれから行くところの責任者でとても大切な人よ、と耳打ちしてくれた。呉さんのこの辺のさりげない気配りが絶妙で、ほんと実に感心させられるのである。
金華慶さん、名刺に海口国家特許技術取引センターと海南経済特区産業交易センターのふたつの総経理とあった。ここのトップなのである。すかさずiPhone片手に得意の"自撮自演"でツーショットを納めた。その後、昼食をはさんで夕刻までご一緒だったのだが、その実直で控えめな印象は変わらなかった
親しく肩を抱き合って何度となく写真に納まったのだが、その猪首型の骨格は屈強で厚い胸幅は特に鍛え抜かれていた。何か格闘技でもやっていたのか、残念ながら聞きそびれてしまった。昼食後にオフィスに訪問することになっていた。が、思わぬ大物と知り合って昼間から痛飲し肝心の海南島の特許最新事情の説明は、うわの空だった。
ご一緒した昼食の席で、こちら側の要請もあって海南省商工会のトップで実業家の羅さんを紹介していただいた。陽気で気取らない、天衣無縫という印象だが、なかなかの苦労人とみた。そうじゃないと、いまの地位にないもの、ね。その羅さんが持参した度数の強い白酒は、香りが高くスーッと鼻に抜けた。漢方の成分が入っているので飲んだ後には元気がでる、と羅さんは腕まくりして豪快に笑った。
この日の僕らのために安徽省の製造元から海南省に初めて入ったシロモノを持参したのだという。うれしいじゃないですか。その気持ちがたまらないよね。製造は元生堂、ブランド名は「一飲相思」とあった。なんだか意味深な銘柄だか、羅さんから勧められるままに何度も一気にあおった。そばで張輝さんが、出口さん大丈夫、と顔を近づけた。張さんの顔はちゃんと見えていたが、少し時計回りに動いているみたいな感覚かなあ。
冷酒と親父の小言は後で効く、という。そんなに飲んで本当に大丈夫かどうか、たぶん、夕方になってみないと、なんとも…と言おうと思ったが、そんな事を言う間もなくつがれてしまった。小さいガラスの盃を何杯も重ね、ちゃんと飲んだよ、と空になった盃を両手で返して底をひけらかして見えを切る。それが儀式らしい。羅さんも負けてない。羅さんの方が貫禄はあるが、年齢は僕が1歳上だ。還暦近い僕らが、お互いの酒の強さを競ってもしょうもないのだが、遠慮なく盃を受ける僕に対して、羅さんやその仲間の反応が微妙に変わってくるのがわかった。うれしそうに、たのもしそうに、やあ、やあ、なかなかやるじゃないの、という風に彼らがアイコンタクトを取っているのを僕は見逃さなかったのさ。
小一時間でひと瓶、ほぼ空になったから、相当飲んだかもしれない。昼食後、場所を金さんの事務所に移して海南省の特許事情の説明を受けた。が、その途中で、意識が途切れた。数十分、夢の中を彷徨ったらしい。すぐ前で羅さんもこっくり首をうなだれている。金さんと張さん、それに呉松さんらのやり取りが子守唄のように流れていた。目を覚ましたら羅さんと目があった。再び、笑った。
机の上に一冊の本が置かれていた。表紙に羅さんが写っている。商工会の年次総会など活動の記録を納めたものだ。会社の社長としてそして商工会の会頭としての活躍ぶりが紹介されていた。表紙をめくった右のページに、出口俊一先生、と僕へのメッセージが記されていた。筆さばきならぬペンの筆跡が見事だった。中国は、古の書聖を生んだ漢字の国だものね、その伝統がちゃんと生活に息づいていることを知った。
「贈送」と認めた羅さんの達筆な署名、ペンに勢いがありますね。
お礼を述べた。そして日本の特許の事を聞かれてゆっくり話したら、羅さんが、あなたの声や顔は政治家に向いているのではないか、と真顔でいう。確かに顔は大きい。態度も小さくないから政治家に向いているというのだろうか。昔、そんな誘いがちょっとあったが、家の神が首を縦にふらないだろうと思ってやめた、と冗談半分でいったら、そうだろうよ、と言って笑いが弾けた。
羅さんの家族の事を聞いたら、中学生の娘がいる、という。娘は米国か日本の大学に留学するだろう、という。その時は、相談にのるから遠慮しないで申し付けてください、と言ったらうれしそうに謝謝を連発し少しふらつきながら退出していった。
いやあ、目をつむると、羅さんの赤ら顔が思い出され、そして耳元に豪快な笑い声が響いてくる。中国、海南島、なんと情け深いしみじみとした国なのだろうか。傷んだ心身が少しずつ癒えていくのが分かるのです。ほんとうに、「もう日本に帰らないかもしれん」、とまたつぶやいてしまった。
金さんの説明が続いていた。海南省の特許の申請件数は2009年に1000件を突破し、現在累積で4000件に及ぶ。普及に懸命で、例えば、海南省機電工程学校という電子機械の専門学校は実用新案も含めて年間200件の申請を目標にしているという。講演と交流で行った海南大学では、特許の出願は年間100件でそのうち受理されているのが20件余り、との説明があった。特許の技術移転に伴う対価が1億元、13億円に上るというこの数字には正直、驚いたものだ。
考えればどういう手続きで申請されるのか、弁理士はいるのだろうか、と質問した。省内に弁理士的な専門官は一人しかおらず、申請先は科学技術庁の知的財産局で呉松さんの同僚が一手に引き受けているという心もとない状態だ。
今後、どういう計画なのか、
まず特許やライセンス権をパッケージで売る知財の証券化も進める。ネットをうまく活用した展開に力をいれたい。ドメインの取引なんかも視野に入れる、と金さんは言った。
なるほど、ね。少しは力の入れようの断片がわかった。オフィスの壁に、広東省深セン市に拠点を持つ電通信機器メーカーの最大手、華為技術(Huawei) の特許の申請が累計で4万2千件という表示があった。その下にパナソニックが2009年で1890件とこちらは1年間の特許取得件数だった。が、金さんは世界企業になるには特許や知的財産が欠かせない、と言い切った。
われわれは世界4大発明をしたが、
ただし…と自戒の込めるパネル。
魯迅の格言は、説得力がありました。
□甦る、魯迅の格言
張さんが壁に面白いパネルを見つけた。そしてこう解説してくれた。
中国は、世界の4大発明をした。ただし…というコピーの隣に、魯迅の格言が添えられている。
魯迅いわく、中国は火薬を発明した。外国人はそれを弾薬に使用した。が、中国人はお正月に祝う爆竹に使った。中国は羅針盤を発明した。外国人はそれを航海に利用し莫大な富を得た。が、中国人はそれで風水を読んだ。
張さん、それじゃいけないのよ。せっかくの発明がそれで終わって創新(イノベーション)に役立てられていない。魯迅がそう警鐘を鳴らしていたという。
確かに、ね。羅針盤は、まさに後悔だなあ、と漏らしたら呉松さんがそう、もうこれからは後悔をしないで、外に打って出る、まさに現代の航海なのよ、と真顔だ。イノベーションとは、技術をお金にすることだと、思うと付け加えた。この辺の呉松さんの理解の早さと言葉の深さの妙は、一週間のお付き合いのなかでひんぱんに気付かされたことだ。その度に、う〜む、うまいことを言うと唸った。そこでいまなぜ魯迅?と張さんに問うと、いまこそ魯迅なのではないか、と返された。
魯迅(ろじん、1881年9月25日 - 1936年10月19日)といえば、人間観察、洞察の鋭い近代中国を代表する文学者でした。今年は、生誕(1881年)から130周年の佳節を刻む。留学先の東北大学などでは記念のイベントも開かれたそうだが、魯迅の言葉が、いまになってリアルに甦るとは、ね。その格言にひとつに、「希望正如地上的路」「希望は地上の路のごとし」がある。
「希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。 それは地上の道のようなものである。 もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」、これは魯迅の有名な「故郷」の結びの言葉でした。ベンチャラスな含蓄に富んだメッセージと思いました。
さて、中国の目覚ましい経済の成長と相まって知的財産への意識が急激に熱を帯びてきているようだ。特許の出願は大学比で日本の4倍という報告が、東大先端研の教授、渡部俊也さんの調査「中国の万里の長城知財戦略・続編」(『DND連載・新興国の知財戦略』) で詳細に報告されていた。
その知財戦略を「万里の長城」を冠にしてGreat Wall Patent Strategyというから気構えが、おのずと違ってこようというものです。Great Wall Patent Strategyの余波が、中国の南に浮かぶリゾートの島、海南省にもストレートに及んでいるということだろうか。
技術経営創研代表の張輝さんと私が講演に臨んだ海南省の特許週間の開幕式は、前回のメルマガで紹介したが、いやあ、なんともお祭りムード一色で、省の幹部が大勢出席していたところからもその力の入りようがうかがえた。国際観光特区、経済特区、その優位性をさらに揺るぎないものにするには、新技術の開発とそれに伴うイノベーティブな知財戦略だ、と呉さんに迷いはなかった。
□海南島の最新動向、ふたつの施設を紹介
熱帯の海南島を中国のハワイ、とのみ思い込んでいると、海南省の行く末を見誤ってしまいそうだ。経済特区の優位性を最大限に生かした知財戦略に総力あげていた。特許出願や意匠、ブランド戦略に至るまで、とくソフトウエアを中心とした動きが一気に加速していたのである。まざまざと、海南省の新しい現実を思い知らされることになる。
国際創意港が入居する海口市の人民大会堂正面、呉さんと張さん。
街の中心部に位置する海口市人民大会堂、この建物の威容さとは裏腹に正面左手にガラス張りのおしゃれなショールームの入り口があった。「獅尚、Sphinx」の看板が目に付く。深センに本拠を置き、北京、上海で幅広くビジネスを展開するデザイン会社だという。
白を基調にした壁面に、家電製品からごみ箱、椅子、時計、ブックマークまで数百点の新しくデザインの製品や試作品が並んでいた。奥には、海に浮かぶホテルや、都市のグランドデザイン、オフィスビルなどの大きな模型がカクテルライトに照らされていた。ここでデザインしたものが、実際の建築・設計に採用されたケースもあるという。
ここは張さんがネットで調べて訪問先に選んだ。時計は、とっくに夕刻5時を回っていた。一歩、足を踏み入れたら昼間の酒が飛んじゃった。
案内役は、新疆ウイグル出身の女性で名前を呉さんといった。科学技術庁の呉さんと同じで、Wuと発音する。案内されるまま見回っていると、そこで本のページにはさむBookmarkを土産に買った。豚と、蛙と、蚊をモディファイしたユニークなものだった。ひとつ50元、620円だから安くはない。目に留まったのがハエ叩きの形をした時計だった。う〜む、面白いと思って値段を聞いたら、試作品で売り物ではないらしい。粘ったが、徒労に終わった。ひょっとしてなんとかなるかもしれない、と思ったが甘かった。ここはそういう雰囲気は最初から少しも感じさせなかった。
経緯は、昨年、海南省政府のトップが深センに出向いてこの会社の代表に誘致を頼んだことにはじまる。トップ交渉だった。今年4月に開設した。名称を意匠・デザインの拠点を目指す「海南国際創意港」(Hainan International Creative Harbor)」とした。この施設の訪問者は10月で1万人を超えた。
また企業の誘致は広く中国全土に加え、世界各国から募っていく考えだ。入居は、事前の審査はあるが3年間は無料だ。税制の優遇も図られる。3年後のオフィス賃料はいくらか、と聞いたら、それは政府が決めることだ、と語った。入居の会社をサポートし応援しているのだが、どんな支援をしているか、それには具体的な答えが返ってこなかった。
唐さんは、ここのスペースに入居していることがブランドで、「売上が20%上がった」と説明した。第一期の募集で、入居企業は54社、一社平均10人前後の会社だが、海南省の地元企業に加えて、隣りの広東省深セン市からも移ってきた会社も少なくない。スタッフは現在70人、入居費が入らないのだから人件費もかかるだろうけれど収入や運営費はどうなのか、と突っ込んで聞いた。
本社が契約を結んでいる企業が534社を数えるが、そこからの移転企業もあり従来のコンサルやブランドフィーが入るらしく経営に心配はしていない、と言った。
日本も含めてどんな企業の誘致を優先しているか、と続けて質問した。観光関連やデザインの会社、ホテルの設計・デザインの会社、そしてイノベーション農業をデザインする会社の3つを挙げた。
凄いところは海南島に居ながら視点が常にグローバルであること、イノベーションの展開を意識しながらビジネスを創りだしていることではないか、と感心した。そこに集まる人材も中国全土からエリートが選ばれていること、彼らがそのポジションに誇りを持っている、という印象を持った。
さて、みなさん、快適な海南島に拠点を置いて成長するアジアを視野にマーケッティングを考えてみるのもいいものかもしれない、と思いました。いっそのこと、DND海南島を作ろうか。もうひとつの新しい動きは、海口市から高速を車で走って30分の老城インター近くあった。
広大な敷地に先端の企業群を集め、海南省のハイテクパークの建設が勢いよく進む。
入り口に「孵化楼」の大きな看板が目に付いた。一部開業し巨大なITパークを計画している海南生態ソフトウエアパーク(Hainan Resort Software Community)でした。
模型の前で、楊淳至総経理、張東風副経理らが案内に立ち説明する。2009年から開始し2013年までの第一期の5年計画で、投資額50億元(650億円)将来は2〜3万人就業のハイテクパークを整備することになっている。広東省屈指のハイテク企業である電子機械産業集団が海南省と組んで開発を進めている。規模は、100haと広大で、現在の計画達成率はその1割程度だが、中国を代表するソフトウエア会社、東軟、Exigen、長城信息、海航信息、天涯在線や米国のhp、などの193社がすでに入居ずみだ。
hpのオフィスをのぞいた。2階から3階の細長いオフィスに若者が机を並べていた。海南省4ケ所あるhpの研修プログラムを経て新規に採用された有能なエンジニアだという。一心不乱にパソコンに向かっていた。ああ、しんどい空間だなあ、とつぶやいたら、張さんがいえいえ、これから彼らの未来が開けてくるから恵まれた環境に違いない、と言った。
まず楊さんらの説明が続く。緑多い自然の豊かな環境の中で新規事業や創業が次々生まれる様な仕組みづくり、そんな人間回復のコンセプトを第1に定めた。確かに、建物の空間はほどよく、植物園と見間違うような熱帯の花が咲き樹木が覆い茂っていた。高速から至近、海口港も近いうちにこのソフトウエアパークに近い場所に移る予定だ、という。
資料によると、やはり海南省の経済特区"一島一区"を導入し、経済発展の最重要戦略と位置付けた。国家主席の胡錦濤さんも足を運ぶという力の入れようだ。
テーマは、単なるコンピューターサイエンス、ソフトウエアに加え、Natural Ecology、Human Ecology、そしてIndustrial Ecologyの自然、人文、産業の生態系、Human Resources Solution、Financing and Incubation、Public Technology Supporting、そしてCo-marketingの、人材育成、創業支援と資金調達、公的技術支援、それに市場開拓など4つのプラットフォームを設定し、それをThree Ecologies and Four Platformsと統一して呼んでいる。
たぶん、リゾート的な快適性の趣向を凝らし、ここにいるだけで創造的アイディアに溢れる仕掛けを意図しているように感じた。確かに、散策していて気持ちがいい。屋内にも小川や噴水、蓮池が整備されわんさと緑が溢れていた。植え込みにこぼれるような花が咲いていた。
ああ、コーヒーが飲みたい。快適な空間というならコーヒーが飲めるスペースがあってもよさそうだが…と呟いた。近くにおいしいコーヒーの店がある、という。そうだろう、熱帯性気候なのだからコーヒー豆を栽培しているに違いない。
さて、案内役は武漢出身で、華中科学技術大学の大学院のMBAを持つ張さん、もう一人の張輝さん、海南省政府の呉さん、運転のうまい林さんがギアをトップに入れ変えた。高速にのってどこまでいくのだろうか、近くに…と言ったが、やがて車は30分から40分走った福山というコーヒー栽培が盛んな西の街に着いた。
駐車場に車を止めたら、周辺は、コーヒーの焙煎の香りが立ち込めていた。広々とした敷地は整備され、自然環境のすばらしいところで挽きたてのコーヒーをいただいた。ああ、生気がみなぎってくるのがわかる。失敗したのは、そこのコーヒー豆を買い損ねてしまったことだ。
コーヒー一杯の僕のわがままのたまに、高速を西に東に往復2時間、嫌な顔もせずにもてなしてくれた。コーヒーのほろ苦さを味わいながら、海南省の人たちの心からのもてなしについホロッときそうだった。う〜む、これじゃ、もう日本に帰れないなあ、とまたそんなことを思ったら、西の空がにわかに明るくなった。低く強い太陽が顔をだした。この島について初めて浴びるやわらかな日差しでした。あしたもいいことあるに違いない。次号に続く。
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