◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2011/10/19 http://dndi.jp/

涙の田んぼから希望の銀シャリ豊作

 ・3・11 希望のそれから3題
 ・仙台の名人、鈴木英俊さんから新米届く
 ・今月22日に鈴木さんの田んぼで収穫祭
 ・阿武隈から秩父に避難してエゴマを収穫
 ・釜石の佐々木雪雄夫妻が越谷で熱烈歓迎
〜一押し情報〜
 ・ビジネスモデル学会10月29日開催
  天沼大会委員長挨拶   
〜コラム&連載〜
 黒川清氏の「学術の風」
 「Project Hope理事会でスピーチ、Washington DC」ほか
 宮本岩男氏の
 第6回「自宅近くの散策」

DNDメディア局の出口です。宮城県仙台市の「希望の銀シャリ」、福島・阿武隈山中から「再起のエゴマ収穫」、そして岩手・釜石の「笑顔の夫婦」の3つを紹介します。「3・11 希望のそれから」。


 銀シャリ名人、津波で埋まった田んぼから
 見事にお米を収穫した。


【仙台発】
 仙台の銀シャリ名人、鈴木有機農園の鈴木英俊さんから拙宅に新米が届いた。茶色い米袋を抱えると、キュッキュッと米が弾む音がする。袋の両面に「自然の恵み、ひと工夫の一品」との文字に加え、「自然飼料と大地の恵みで育てたお米」とある。評判通り、すし職人が認めた銀シャリなのである。


 ひもを解く間もなくお米が袋から勢いよくこぼれて床を跳ねた。ひと粒ひと粒手に取ると、小粒ながらぷっくり膨らんで、色、形がよく艶っぽい。宮城県産の「ひとめぼれ」だもさ。握ったらギュムと鳴った。この音は丸みのなせる技なのだろうか。もう悲しい響きなんかは聴こえない。


 お米の輝きは、鈴木さんの魂そのもの、奥深く水晶のように美しい。あの時、敢然と独り立ち上がった鈴木さんの勇気の証と思った。有機は勇気に通じるのね。凄いよ、偉いよ、東北人の誇り、復興の希望となれ。誇らしげな笑顔が浮かんだら、たまらなく嬉しくて胸が詰まった。


 猛烈な津波が仙台平野を襲った。横一列に勢いが増し防潮林をなぎ倒して家々を巻き込んで行った。南北にのびる貞山運河を超えたらどす黒い土砂が田畑に流れ込んだ。車、屋根、材木などの瓦礫が散乱し、油やヘドロを含んだ海水で汚く淀んだ。海水が引かない。塩害が懸念された。3.11東日本大震災、あの時の悪夢が脳裏に焼き付いたままだ。


 仙台市宮城野区蒲生に広がる鈴木さんの田んぼ、この地域では農薬や化学飼料を使わずにとことん有機栽培にこだわった。コメ作り名人として知られた存在だった。作ったコメは、その大半がすし屋、うなぎ屋などの長年の顧客に高い値段で引き取られていく。が、鈴木さんの美田でさえ、瓦礫と海水、油を含んだヘドロ、それに悪臭、無残な姿を晒したていた。


 瓦礫の除去、それに塩害の怖れがある田んぼは、東北3県で1万9000ヘクタール、そのうち宮城県が1万2700ヘクタールに及び、とくに仙台市近郊の被害は甚大で、排水機場が壊滅的な打撃を受けて復旧の見通しが立たず、作付けは絶望的で農家の多くは、途方に暮れていた。



 5月14日の最初の取材で、瓦礫とヘドロの田んぼの前で鈴木さんと。


 鈴木さんは、違った。失うことの怖さもあったが、顧客に迷惑はかけられない、という思いが鈴木さんの気持ちを奮い立たせてくれた。自宅庭に深さ51m掘削して給水用の井戸を設置した。田んぼに必要な水を確保し排水は持ち運びの簡易な電源で動かした。雨水で代掻きを行った。微生物の力を大量に注ぎいれた。ヘドロは微生物が分解し、よい栄養素となると確信、塩害もそれほど問題にしなかった。比嘉照夫教授の指導や小林康雄さんら宮城県のEM関係者の協力、「てんつくマン」さんら全国からボランティアが訪れて鈴木さんの心意気を支えた。


 私の現地取材は最初が5月9日から14日にかけて宮古市から南下し、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市、気仙沼市、石巻市、女川町と南下した。一旦、仙台に入り14日朝から鈴木さんと合流し、田んぼがある蒲生地区を視察し説明を聞いた。


 その時の取材ルポは、『現場からの報告余話:その4』として「仙台のコメ作り名人と微生物の奇跡!」、「ヘドロ、塩害に強い有用微生物(EM)の驚異」などの見出しで紹介していました。


 このDNDメルマガはそれ以来も繰り返し読まれ続けています。9月の月間ランキングでは3位に入っています。


 さて、鈴木さんらは、5月の24日から雨に中で田植えを敢行していた。私が2度目に訪れたのは8月中旬でした。田んぼに稲が青々と茂っていた。ヘドロに打ち勝ったかのようにみえた。最大の懸念は、塩害の影響がどうなるかで、やはり不安な様子で田んぼを見回っていた鈴木さんの姿が印象的でした。ご自身も身内を津波で失った。震災以来、知恵を絞り人と会いやれることをすべてやってきたから、足腰にガタがきた。足を引きづって痛々しかった。それでも気丈に、私たちに肉厚でジューシーなトマトをふるまってくれていた。笑顔をそえてね。辛い日々が連続したにちがいないが、その胸のうちは知る由もない。が、6月8日のメルマガを配信したその夜、鈴木さんからお礼のメールが届いたのには驚いた。メルマガを励みとしまた楽しみにしています、との記述に私もまた心が揺さぶられた。返信するにも目頭がくぐもって文字が霞んでしょうがなかったのである。鈴木さんは毎日ブログを更新し、読んでコメントもする。深夜、ブログでつながる関係でもある。


 ご自宅にお礼の電話を入れた。凄いね、って言ったら、いやあ、いろんなことで…と声を詰まらせながら、みんなのお蔭です、と言った。次の言葉を待ったら、やはりまわりの人間関係が善の循環に変わってきた。有用微生物(EM)の働きと一緒と気付いた、という。震災、大津波は不幸な出来事だが、誤解を恐れず言えば、お互いの仲間意識や絆を大事にしてそれを広げることができた。マイナスをプラスに転じる契機となった。何があっても負けなかったのだと思うと、涙がでそうになる、と言った。



 田んぼからは10aあたり500キロの収穫があった。総面積が180aの規模で、おおよそ9トンの収穫となった。が、一か所、ササニシキが塩害にやられた。排水がよくなく手前の方ばかり水回りがよくて排水の方の後方に塩水がたまったらしい。いい教材になった。またカメムシが大発生した。今までになかった出来事だ。センサーでカメムシを感知しエアーで飛ばすのだが、センサーに引っかからない虫が稲に針を刺したところが黒く変色していた。これも試験とみれば素晴らしい教材になった。有機や微生物でない一般の田んぼも微生物をつぎ込んで試験的に稲を植えた。が、やっぱり土壌の条件が整わないと、微生物の働きも弱く収量も少なかった、と語ってくれた。10月初旬の稲刈りを終え、収量、食味も満足のいくものだった。放射能検査を民間検査機関に依頼した。放射性ヨウ素、放射性セシウム不検出だった。



 お祝い。待望の収穫祭が今週の22日の土曜に鈴木さんの田んぼを囲んで開かれます。出口さんもお出でくださいますよね、と鈴木さん。うれしい、うれしいお誘いにすぐにでも飛んできたい心境です。が、こちらは震災をテーマにした講演会で足止め、友人の小林康雄さんにもそう伝えると、きっとこっそり会場に姿を見せてくれるような気がする、とのメールにこれまた心にジーンとき た。


 さて、この銀シャリ、もったいなくてどうしていいか、わからない。一掴み、赤みがかった益子焼の辰砂の器に入れたら、乾いた音がした。お米ひと粒一粒がささやいているらしく耳を澄ませば、おいしいから早く食べてください、という風に聞こえた。ひとめぼれが、ささやいているのです。数粒を口に入れた。ぐっとゆるく噛んでいるとお米に歯が食い込んでいく。生米でもねばりがある。香ばしい。格別の食感でした。


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【福島発】
 農業には、雨の日も風の日もへこたれない逞しさ、それに何が起こっても大丈夫という明るさが、備わっていなければやっていけないのかもしれません。震災による大津波で被害を受けたとしても、あるいは大津波による原発事故で農地を追われたとしても…。


 福島県の阿武隈山中で、エゴマを生産・販売していた埼玉県の「モリシゲ物産」の矢島繁さんが、原発事故の影響で農地が警戒区域に指定されたため栽培を断念、埼玉県の秩父市に農地を借りて心機一転、6月に植えた種がほどよく実り、この度、800キロのエゴマの実を収穫した。埼玉県の外郭団体の紹介で秩父市内に1ヘクタールの土地を5年間、無料で借りることができた。一時は、阿武隈山中を追われ、エゴマ栽培を諦めなければならないと思っていた。


 よかった、よかった。矢島さんとは縁が深く、埼玉県チャレンジ・ベンチャーサロンの勉強会で知り合った。僕がコーディネータ役で3年続いた。矢島さんの相談は、阿武隈山中の畑が狭いため収量が限られる。そのため原料が枯渇して商品が半年で売り切れとなるという状況だった。そのため、エゴマの栽培地を信州・上田に手当てするお手伝いをしたことがあるのです。


 その顛末は、DNDメルマガ『荏胡麻のルーツ"知ったかぶり" 〜α−リノレン酸の効用を生かす新たなビジネス展開は、さて〜』に詳しく紹介しています。もう4年も前になるのですね。


その一部を紹介しましょう。


≪ある時、土をいじって肥料をやり、丹念に土壌を改良し、種を撒いて成長を待つ。そしてあくまで自然栽培にこだわるから、片道200キロに及ぶ福島県の阿武隈山麓まで週1回は車で走り、その夏場の炎天下、雑草を取って水をやり、そしてやっと収穫という、この時期つい先日に、台風9号が襲って…。「いやあ、吹きあげる風にあおられて横倒しになって被害がでましたが、生命力強いからきっとそこから茎を起こしてちゃんと実をつけてくれるでしょう。そう期待しています。ハッハッハ〜」。
 農業には、雨の日も風の日もへこたれない逞しさ、それに何が起こっても大 丈夫という明るさが、備わっていなければやっていけないのかもしれません。


 矢島繁さん、58歳。新潟県長岡市の出身で、一時期、ジャーナリストを志して大宅荘一マスコミ塾に通うのですが、早稲田大学卒業後は大手の食品会社に就職し、その後脱サラを経て、現在(有)モリシゲ物産の社長。約8年前からその福島の山で、荏胡麻(エゴマ)を栽培し、エゴマの商品の製造、販売を手掛けていらっしゃる。≫と。


 この14日、エゴマの実800キロを収穫したニュースがNHKで流れた。思わず、矢島さんに電話したら、あの節はお世話になりました、と述べ、あの日は、福島の山中に畑仕事に向かうため、久喜インターに入る直前だった。間一髪でした。いまでも入るには許可がいる。当然、東電には損害賠償を求めていきます」と話していました。4年前に、家内と草むしりにいきますからね、と言っていたのです。今度こそ、秩父の山に伺いましょう。


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【岩手・釜石発】
 もうひとつのそれからは、東日本大震災の取材でお世話になった釜石市両石町の佐々木雪雄さん、さか子さんの仲睦まじいご夫妻の近況報告です。DNDメルマガで、大変反響が大きかったレポートで、まだご記憶に残っていると思います。津波がきた日から、町会長として民生委員として被災者への炊き出し、市への名簿提出、通りすがりの見も知らぬ人に声をかけてお世話をした佐々木家の物語でした。


 5月19日配信の『東北有情・芝桜とミミズクの伝言〜東日本大震災2ケ月、現場からの報告余話(1)〜 ・釜石・両石町の佐々木雪雄、さか子さん夫妻の誉れ』


 僕が5月に行った時に二晩泊めていただいた。朝昼夜の食事、近隣周辺の取材現場へのエスコートと説明役を頼んだ。最終日は、気仙沼市へ向かう車中、大船渡市や陸前高田市の被災状況を検証しながら、僕の取材の手足となってくれた。8月の訪問の際も3泊した。やはり近隣を再訪した。恩人なのである。


 その佐々木夫妻が、親せきの越谷市内の岡田正さん宅に仕事の関係で先週から滞在している。これはちょうどいいとばかり、この16日午後、近くの公民館で開催の講演会にこっそりお招きした。僕の講演のテーマは「東日本大震災と四川大地震の現場報告〜私たちはいま何をすべきか〜」で、1時間半、映像と写真を使って熱弁をふるった。講演内容の一部に、佐々木夫妻の献身的な振舞いを紹介した。


 写真で釜石の惨状を辿りながら、佐々木夫妻のことに触れた。その最中に場内の照明をつけさせて、皆さん、ここでひとつお知らせしたいことがあります、とマイクでアナウンスし、なんとこの会場にいまお話しした佐々木夫妻がいらっしゃいますのでご紹介します、とやった。場内は、どよめきがおきるほどの騒ぎとなったのです。


 では、佐々木さんご夫妻に、岡田さんの奥様、どうぞ、正面のステージへどうぞ、って呼びかけた。さあ、どうぞ、どうぞ、みなさん、拍手を〜でボルテージは最高潮に。盛り上がりましたね。佐々木さん夫妻、岡田さんの奥様にあいさつをしてもらった。僕の講演が終わり、いつもなら僕のところにいろいろ名刺交換だ、なんだかんだと列をつくるのに、この日はさか子さんらがみんなの輪の中にいて姿がみえなくなるほどでした。さか子さんの手を取って涙するご婦人の姿もありました。


 その夜、岡田さん宅で高級の霜降り牛ですき焼きの鍋を囲みました。雪雄さんが、こんなことを言う。


 なんだか出口さんは午後一で講演があって忙しいはずなのに、わざわざ私たちを家に招いて手作りのおいしいシジミのラーメンをごちそうしてくれた。ねぎがたっぷり、やわらかいシナチク、うずまきのナルトも2枚入っていた。食べ終わって、なんだか嫌な予感がしてきた。講演の席で、ひょっとしたらステージに呼ばれるのではないか、と。


 講演が始まって、やけに僕らの話題を集中的にするから、ひょっとしてひょっとすれば、これはやばいかも、と感じていた。そこでいきなり電気が点いたので、きたかなぁ、くるかなぁ、と身構えていたら、「なんとこの会場に…」で、わーついにきた、と思ったんだよね、いや〜や、と楽しそうに語っていた。


 さか子さんが、ラーメンはとってもおいしかった。しっかり出汁がとってあってうま味があってあっさり、前の日から市場に行って食材を買って、こんぶをどっさりつかって出汁をとるなんて、うれしいことです。


 それにしても釜石の私たちの家に来たときは、首に黄色いマフラーに長靴姿でしょう、今回は背広姿がとっても貫禄があって立派に見えました。素敵でした、と、こちらもうれしそうでこぼれるような笑顔を浮かべている。遅くなって家内が迎えに来た。ますます帰れなくなった。あれだ、これだ、そうだ、しかし…と深夜、おそくまで歓談が続きました。しかし、秋の夜、しみじみと人のやさしさが感じられる。ゆっくり、ゆったり、ナチュラルな生活が静かに流れていきます。



 佐々木雪雄さん夫妻と、ご子息の俊さん夫妻(真ん中)、岡田さん夫妻(左)


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 「3・11 それから」をテーマに、この10月29日、東京・本郷の東大キャンパスでビジネスモデル学会(松島克守会長)の秋季大会が開催されます。どうぞ、ご参加くださいますようお願いいたします。会場の受付周辺に運営委員として参加しておりますので、見かけたらお声掛けくださいね。


 http://www.biz-model.org/


 大会実行委員長の天沼光太郎氏は、こんな抱負を語っています。 「今回は、3・11東日本大震災と、福島原発事故による放射性物質広域汚染に よる災害で、被災地の産業や製造業、商業基盤、そして雇用の喪失などその影 響は全国各地に広がっており、その損失は計り知れないものがあります。その 一方で、今回の震災現場では、様々な面で日本人の現場の底力を見ることがで きました。この大会では、これからの日本の展望を開くため、多様な分野で変 化するビジネスモデルについてスペシャルなゲストを多方面から招いて最新の 状況を報告、発表していただきつつ、パネル討論では参加者全員で熱い議論を 交わしたいと思います。ふるってご参加ください」





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