DNDメディア局の出口です。長いことメルマガをやって、そこで少しわかってきた。いやいや、やっと気づいた。それは、メルマガの題材で触れたくないモノ、避けて通りたいモノ、つまり苦手なテーマの代表格が3つあり、その筆頭が映画評、次に本の紹介、それからセミナー取材でしょうか。
へぇ〜と思いますか。順番が違うが、まずいわゆる"ドッカン"、読書感想文です。本を一冊読んで知識が増えると、その一方で様々な疑問が湧いてきます。本の中身も奥深いし、その周辺も複雑な世界を構成している。究めれば、それにつれて迷路に入り込んでしまう。ちゃんと論評するなら、著者の履歴を調べ、これまでの著作を漁る必要に迫られる。それら膨大な情報量に加え、ストーリーの構成なんかも評価しなくてはなりません。筆者の狙いやテーマの本質を伺うのだが、かといって、その結末を大っぴらに触れるのは、ご法度という掟を遵守しなくてはならない。結末を語ってしまえば、手品の種明かしじゃないが、これから読む人の興味を削いでしまいかねないからです。
さて、こんな離れ技を子供の宿題にしてはいけない。せっかくの読書なのに、感想文を宿題とすることで読書嫌いが助長されてはいないか。ある日本語の大御所は、読書感想文を強いるのは、1枚の切手に日本地図を押し込むようなモノとして、児童どころか中高生にも不向きである、と言い切っていた。本をたくさん読むことが大切で、読書感想文を書くことが重要ではない。その本が果たして面白いかどうか、読んでみなくちゃわからない。つまらない本の感想なんか書きたくないし、書きようがない。
で、次に、避けて通りたいテーマは、セミナーなどの取材です。先般のビジネスモデル学会のようなエキサイティングな講演が目白押しだと、終日、テーブルでメモしていても飽きないし、これらを多くの読者に知らせたい、と心底思うから、気持ちが前のめりになりながら、その労苦を厭うものではありませんでした。それとて講演者の講演趣旨をメモしたり、カメラでパワーポイントを映しとったり、それらを持ち帰って一から整理して構成を考えて綴るというのも結構、骨の折れる作業なのですよ。
今年でなぜか打ち止めになったが、第8回を数えた京都・国際会議場での産学官連携推進会議の取材は、毎回、しんどい思いをしていた。前日からスタンバイし、5つの分科会の会場を飛び回ってメモを取り、展示ブースを丹念に見て回って目玉の産学連携表彰の受賞理由を確認する―まあ、玉石混交でそれほどでもないものもある。先端的な技術の紹介など、目を見張るのも珍しくはない。懐かしい顔に出会うのもこの会議のいいところでもあった。が、その数日の取材で、実は体重が数キロ落ちていた。
バイオあり、地域連携あり、科学技術政策あり、とメニューが盛りだくさんだと、メディア側も担当部署の専門記者が定まらず、これらのフォローもしんどいから自ずと取材に足が向かない。記者が訪れても50行程度の、"アリバイづくり"でお茶を濁すのが実情です。登壇者が50人を超えるのですから、名前と肩書、それに演題を羅列しただけでも100行は軽く越えてしまう。それなのでチラシの案内のような記事になってしまうのです。登壇者の名前を書くスペースが新聞にはないわけです。
これと同様に、東京・有楽町で開催の「インベーション・ジャパン」は、その内容の斬新さに比べて、これも新聞メディアの露出が極めて少ない。一般の人にほとんど知られていないのは残念なことです。新聞業界の、自前主義が祟っているのか、主催が特定のメディアに偏すると、他のメディアが書いてくれない、という問題がある。主催側の新聞社だって複雑な事情があって、それぞれの部署が連携しないから、営業局主導のイベントは、編集局がそっぽを向いてしまう。まあ、取材が大変だからというのなら理解できるが、営業の片棒を担ぐのは嫌だ、という歪んだ編集部署の驕慢な体質がこんな場面であらわになる、のです。これは余談でした。
さて、一番やっかいなのが映画評です。いやいや、これまでメルマガでは結構、映画の論評をされるなかでしっかり深いところを突いているじゃないですか、という世辞にほだされて何本かトライしてみた。が、観て楽しい映画が、時として映画評を書く、という苦痛に気分が歪められてしまうのです。
原作を丹念に読んで、これまでの作品をレンタルし、監督のモチーフというか、その特性を知らないと、まともな映画評にはならないのではないか、というある種の完璧性からくる強迫観念にかられてしまうのです。あれは、これは、と、自信がないから必要以上に情報やデータを集めてしまう癖がある。その深みに嵌って逆に災いとなることを身にしみてはいるが、これでもかぁ〜という旺盛な事前の準備は、何事にも疑い深いジャーナリストの性癖かもしれない。とことん究めようとすると、事実からどんどん遠く離れていくような絶望感に陥ることすらある。観終わって、その一番の感想は、これも嫌な性癖なのですが、「この映画は、果たして原作を超えたか、どうか」を自らに問う。
映画と原作は、それは世界が違うのだから比べる必要もない、という意見もあるでしょう。フラットな活字の世界を、映像と音と役者の演技で異次元に誘うのですから、勝負にならないかもしれない。が、わずか2時間余りの映画が、原作を超えることがあるのだろうか。が、読み手として、その原作から感じ取ったイメージやストーリーにおける数々の事実、そのドラマの軸というか、主題というか、原作の底流にながれる、いわば筆者や主人公の魂がちゃんとしているか、どうか。その辺を敏感に嗅ぎとってしまいます。
一度、映画を観て、いざ、あのシーンはどうなっていたか、と思い出せないと落ち着かず、次はそのシーンだけを確認するために再び映画館に人となる。が、これまた映画のストーリーや音楽に没頭して、いつの間にか映画館再訪の理由すら失念して気がついたら、つい肝心の場面を見逃していた、ということも起きかねない。映画が始まる直前まで、そのシーンをしっかりこの目に焼き付けておかねばならない、と言いきかせていたはずが、やがて映画が終わるころには意識が他に飛んでしまうわけです。
映画を見る時、まず、どこに意識を持っていきますか。そんなの面倒くさいなぁ、といわれるかも知れない。静に楽しめばいい。所詮、娯楽なのですから、という声が聞こえてきそうです。私の場合は、その冒頭のシーンに意識を向けます。それら数分の画面の動き、次の場面展開の興味が惹かれます。が、せっかく観ていたのに、その場面が思い出せない。なので、この映画にもう一度、足を運ばねばならない事態になってしまうのです。
そのもう一度、やはり足を運ばねばならない映画とは、この24日封切りになった松井久子監督の『レオニー』です。世界的な彫刻家で国籍をめぐる日米の狭間で彷徨したイサム・ノグチの母親のレオニー・ギルモア、その息子に並々ならぬ愛情をそそぐシングルマザーとしての苦衷の半生を捉えた物語です。
静かな感動にいまだ心がゆさぶられています。松井監督の女性として、母親としての完成なのでしょうか。幼いイサムノグチの目線を大切にしたシーンが随所に見られました。女性特有のいつくしみと思いました。
母親の子を想う心情は国を越えて共通していることを今更ながら思い知らされました。20世紀初頭の戦時下、日系2世のイサム・ノグチは、米国では日本人と蔑まされ、日本においてはアメリカ人として忌み嫌われた。この現実を痛いほど感じていた母親は、意を決っして最愛の息子のために日本に渡る。やはりその後、日本の「徴兵」を恐れて息子を米国に向かわせるのでした。
が、その晩年、イサム・ノグチは、自ら足を運んだ北海道・札幌の「モエレ沼公園」を設計した半年後に死去したが、モエレ沼公園は以後、彼の遺志を継いでそれから17年後に奇跡の完成を見る。
「モエレ沼公園」のオープニングについては、当時園長だった山本仁氏や私の中学の同級生で札幌市役所職員の三浦龍一さんらの力を得て、「イサム・ノグチの祈り」というタイトルで紹介していたので、封切り以前から強い関心を持っていました。また映画の資金的なバックアップに北海道ベンチャーキャピタル社長の松田一敬さんが尽力していることを知っていました。なんとしても興業の成功をと期待を寄せているところです。
さて、その映画の冒頭のシーンの以下のナレーションは、やはり、ドウス昌代さん渾身の『イサム・ノグチ-宿命の越境者』を熟読したものとしては、胸に迫るものがありました。その最初のセリフが、Mather、お母さん、という言葉から始まりました。この声の主は、あるいは生前のイサム・ノグチかと思ってしまいそうでした。
「Mather, if I want you to tell the story…」。
この英文が正しいかどうか自信がないが、この映画の冒頭で、イサム・ノグチが晩年になって初めて自らの出生と育ちの辛い過去を語り、それが「数奇な宿命の子」として彼をこの世におくりだした父親、野口米次郎と母親、レオニー・ギルモアの物語であることを伝えているのです。
≪僕の物語を書くとしたら、すべては父と母の生き方からはじめねばならない。今世紀初頭の、明治のあの時期に、母がなぜ日本に渡ったかというところからだ。いわば、ぼくという落とし子は、母がそのときにとった人生の選択の結果なのだ。また、母の労苦と、母の期待が、ぼくがいかにしてアーティストになったかと深く結び付いているはずだ≫
この文章は、ドウス氏の執念の取材によって発掘された、イサム・ノグチの「自伝用テープ」をドウスさんが翻訳した内容でした。83歳になってから本格的な自伝を残そうとした。テープに遺されたのは3晩かけてイサム・ノグチが語った幼児期から少年期へと至る心の風景だった、とドウス昌代さんは書いていました。その後、本格的に回を重ねる予定だったが、仕事に没頭するなかでイサム・ノグチは、その半年後に死去し、自伝は未完に終わっていたのです。その未公開のテープを探し出すのですから、書き手としてのドウスさんの執念には驚かされます。
原作と映画、そのふたつに交わりがあるのだろうか。映画を見て、再び、本を読み返してみると、原作の表層を軽くなぞったような演出が、逆に裏目にでてしまっているのではないか。映画製作の上で、何か差しさわりとなるような制約や厳しい条件が立ちふさがったのだろうか。個人的にはやや複雑な思いがしました。ドウスさんの圧倒的な事実の積み重ねによって、丹念に長い年月をかけて描かれたイサム・ノグチの真実の世界と、映画で演出された新たな創作の世界が、どうもしっくりこない違和感を憶えました。まあ、全体的には、出産の激しい場面が2度も繰り返されるなど松井監督の女性としての視点が冴える部分もあってインパクトを感じましたが、松井さんが一押しのイサム・ノグチに似せた彫刻家の登場のシーンや中村雅俊さんの創作部分は、いささか気になりました。気になったといえば、ドウス昌代さんのコメントがどこにも見当たらない。原作が原案となっている点、は何か意味があるのでしょうか。
知人で、映画評に詳しいJSTのScience Portalサイト編集長の小岩井忠道さんの最新のブログは、上映中の「桜田門外ノ変」(佐藤純彌監督)に触れて、原作と映画の両方を読んだり見たりすると、そのどちらもよくできている、と思った映画に「ダ・ヴィンチ・コート」(2006年)がある、と述べながら、映画の持つ興業時間という制約に加え、観客は1度しか作品を見ないというもうひとつ大きな制約に気付いた、と語っていました。なるほど、と感心した次第です。また、この映画も企画から製作まで水戸在住の高校の(小岩井さんの)後輩らが中心となって、いわば市民が作り上げた映画だそうです。
「レオニー」は、北海道の活性化に奔走し今回の映画ではあらゆる面で尽力した松田さんによると、こちらも地域起こしの一環でした。
イサム・ノグチの遺作が札幌モエレ沼公園ということで、松田さんの北海道ベンチャーキャピタルが札幌の地域おこしと映像・コンテンツ産業の振興を目的として映画ファンドをつくり、この映画に出資しているのです。北海道銀行、北海道新聞、ほくせん、北海道リースも賛同して松田さんのHVCのファンドに出資しています。
松田さんは、「カメラ監督、美術監督、音楽監督いずれも素晴らしい方に参加していただきました。当方が出資してからここまで3年、日米合作であるため、その間にハリウッドに行き現地プロデューサーや弁護士と交渉、ロケ現場のモニタリングなども行いました。 ぜひ、たくさんの人に見てもらえればと思います」と話しています。またはっきりしませんが、表に出ない控えめな大口のスポンサーもいたらしい。
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【メルマガで取り上げた主な映画評】
※小泉尭史監督の「明日への遺言」。
【08年2月13日号】「事実自ら笑う―映画『明日への遺言』に冴える巨匠の眼」
※ダ・ヴィンチ・コード
【06年5月24日号】「ダ・ヴィンチ・コードの『封印』」