第27回 科学と技術とイノベーション−その2 産業革新機構とルース駐日米国大使と


「知財ファンド立ち上げへの期待」

 8月7日の朝日朝刊に、「大学特許 稼ぐ種に 国内初の知財ファンド、設立発表」の記事が踊りました。他紙も朝日ほどではないにしろ、ちゃんと取り上げています。産業革新機構が、いよいよ本格的に大学の知財にも関わりだしたのです。


 産業革新機構は、それこそ鳴り物入りで設立された官製のベンチャーキャピタルです。経済産業省からは、その設立に奔走した担当課長の西山啓太氏と担当室長の佐藤太郎氏を執行役員及びマネージングディレクターとして送り出すほど、力を入れている組織であることは、以前「イノベーション戦略とNEDO」でもご紹介しました。その後、正直申し上げて設立前の期待ほど、世の中の注目を浴びる活動をしていないのでは、というのが筆者の個人的感想でしたが、今回の発表は、設立当初の熱気を感じさせるものでした。早速、佐藤太郎氏に連絡すると、「ライフサイエンス以外の分野でもパートナーを探して知財ファンドの立ち上げを検討中」、とのことでした。日経電子版によれば、太陽光発電やリチウムイオン電池だそうです。そういえば、内緒ですが(どこが?)筆者がNEDOにいるときに、就任間もない産業革新機構の能見公一CEOに、日本の技術開発状況と展望についてエネルギー分野を中心に簡単にブリーフィングしたことがありました。能見氏は、経歴からは技術開発についてはあまりなじみのない方と思っていましたが、佐藤太郎氏と二人で、熱心に話を聞いてくださいました。同機構の今後の進展が楽しみです。


 DNDでも何度かご紹介しているように、ライフサイエンス分野のイノベーションモデルでは、大学やベンチャーの位置づけは明確です。アステラスの竹中登一会長によれば、製薬会社の中ではイノベーションのシーズは作らない、オープンなリソースからイノベーティブな研究成果を持ってきて、企業の中で選択、育成していくのだ、ということで、そのオープンなリソースというのが、ベンチャーや大学の知財です。産業革新機構は、そのモデルの上で、今回のファンドを立ち上げているといえるでしょう。そのほかの分野、例えばITハード、輸送機械などでは、欧米や韓国に比べると、日本企業は必ずしもこうした明確なオープン・イノベーション戦略を持っている様には見えません。チェスブロウ教授(※@)のおかげで、NIH症候群(※A)からは脱しているようではありますが。ただし、自動車産業に関するリチウムイオン電池のような異業種に依存している分野であれば、必然的にオープン・イノベーション戦略をとらざるを得ないでしょう。


 科学と技術とイノベーション、これを一直線に貫いて成功に導く最後の鍵は、筆者の言うところのメルティングポット、るつぼの存在です。るつぼは、クラスターそのものであり、ネットワークでもあり、人材育成の錬金の釜でもあります。今回の産業革新機構のファンドは、そのるつぼを形成するための一つの姿になり得ます。そこには、産業革新機構を経由した経営人材のネットワークもあり、資金のネットワークもあります。報道によれば、製薬企業のOB(※B)からなる「知的財産ネットワーク」と連携してこのプロジェクトを進めていくようです。このファンドが成功するということは、そこにるつぼが形成されたと言うことになります。そしてそのるつぼから、次々とイノベーションが噴出される、そうなったら楽しいですね。


「シリコンバレーを日本に作りたい!!」


 最近、うちのカミさんから、人生50年も過ぎて、これからやりたいことはないの、と詰問されました。つくづく考えるに、これまでやろうとして出来なかったとは何か、そうだ、それは、シリコンバレーを日本に作ることだ、と考えていたことを改めて思い出しました。1990年代からの米国の成功を見るにつけ、大学発ベンチャーがイノベーションビークルとして優れていたことは明らかですが、日本ではうまくいかない。政府は大学TLO、産業クラスター、大学発ベンチャー政策、ベンチャー税制などと、一連のイノベーション政策を打ってきましたが、その成果はまだ途上にあります。その遅延の原因の最も大きなものが、資金環境と経営人材環境であると感じます。政府は科学技術立国の旗印のもと、苦しい財政の中で、科学技術には出来る限りの資金供給をしてきました。東大や京大や東工大などの研究大学のキャンパスに行くと、立派な研究棟がならび、もう新しい研究ビルを建てる土地の余裕はほとんどない。NEDOでも、文部科学省・JSTが丹誠込めて資金供給してきた珠玉の教授は相当網羅してイノベーションに駆り立てています(失礼!)。先日ご紹介していたように、日本の研究者のレベルは、アジア1、世界でも最先端を走っています。では何故イノベーションが足りないのか。問題のひとつは大学、大学発ベンチャーを取り巻く環境、特に前述の資金と経営人材です。米国でこれを担っているのが、産業クラスターにおけるネットワークです。筆者は、大学連携推進課長の末期のころ、これらを打開するためMOT人材育成や地域ネットワークの政策を進めましたが、任期中には全うできませんでした。産業革新機構に期待するのも、こうした思いがあったからです。


 一口にシリコンバレーを日本に作る、といっても、問題は上述の2点だけではありません。MITに留学して人気ブログを書いておられたLilacさんが指摘している(※C)ように、シリコンバレーの成功は、るつぼ、特に移民によるそれこそ「人種のるつぼ」があるのかもしれません(ちょっと強引でしょうか)。でも、日本には、日本的なイノベーションモデルがあるはずで、日本的なシリコンバレーがあってもおかしくはない。筆者が知らないところで、たくさんのネットワークが形成され、るつぼが融合反応を起こしつつある、という予感がします。


「ルース駐日米国大使」


 先日、黒川清先生のご紹介で、米国大使公邸でのレセプションに出席しました。米国大使館が後援する、アントレプレナーへのメンター事業の立ち上げを祝ったものでした。そこには、事業で選ばれた日本の若い起業家と、それを支援する主として米国人のメンターが今後の飛躍を期して集まっていました。筆者と、前ニューヨークジェトロの三又裕生(※D)原子力政策課長の二人で、黒川清先生からのお誘いで訳もわからず参加しましたが、とても活気あふれる会合でした。佐藤太郎氏とも久しぶりに会えましたし、黒川清先生のご紹介で、日本の起業家としても有名な齋藤ウィリアム氏ともお話しできました。本来、日本政府が行うべきベンチャー支援政策を何故米国大使館はじめ、米国商工会議所などの米国の関係者が行ってくれているのがいまいち不思議でしたが、ルース大使に、筆者のイノベーション俯瞰論文を手交できたことを含め、とても意義のある時間でした。そのあと、大使に広島に向かう機中で読んでいただいたかどうかは知りませんが。ともあれ、こうした「日本にシリコンバレーを作る」ための様々な動きが見えるようになってきたことはすばらしいと思います。


 ということで、イノベーション国家戦略とは、というテーマで書こうと思っていましたが、思いの外、散文調になってしまいました。ではまた次回をお楽しみに??




i.Chesbrough先生も、カリスマ化?して、オープン・イノベーション教の教祖様みたいではありますが、近著「オープン・イノベーション」には、この概念が、必ずしも先生のオリジナルばかりではないことを示し、先行研究の功績が整理して記載されています。ここにもありますが、オープン・イノベーションの概念は、1990年代から提唱されていたのです。特に筆者が重要と考えているのは、コーエンとれヴィンソールの「外部技術を吸収するための力」を述べたもので、この二人は、この頃、オープン・イノベーションとほぼ同等の企業戦略を説明しています。(Cohen, W. M., and Levinthal, D. A. 1990. "Absorptive Capacity - A new perspective on learning and innovation." Administrative Science Quarterly Vol.35: p128-152.)
A. "Not invented here"症候群。自前主義を揶揄した言葉で、オープン・イノベーション・モデルとは対極にあります。
B.これも竹中会長からの受け売りですが、製薬企業において、事業部長クラスは、個別事業の立ち上げを数多く経験して、それらに関するいろいろな経営ノウハウを有しており、ベンチャーの経営層にもうってつけの人材がそろっている、とのことでした。
C.そういえば、Lilacさん、筆者のイノベーション政策関係者の月例懇話会にご招待しますので、DNDあてご連絡いただければ幸いです。
D.三又氏は、筆者とTLO法設立に奔走した仲間です。米国駐在で米国のイノベーション事情にも詳しいと思います。現在は日本の原子力産業の国際進出にも尽力されているとのことでした。



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