第98回 春が来て・・・


 今年の東京は3月の声を聞き始めるといっぺんに暖かくなり、春が来ました。そして桜が16日には咲き始めこの週末(23、24日)には満開となりました。花が早く咲きすぎて、何か惜しい感じがしないでもありません。今年の桜は新人の門出を祝う桜というよりは、別れや旅立ちを飾る桜なのでしょう。


 毎年、いろいろな桜が思い出に残りますが、今年は代々木公園で見た、宵闇にほの白く浮かぶ桜が印象的でした。時刻は「宵」と呼べる時刻をとっくに過ぎた夜の10時ごろ、都会の明かりが空の雲に反射して、街灯もないのに広場と広場を囲む木々の姿が暗いなかでもはっきりと見ることのできる不思議な暗さの中で、その桜は枝いっぱいに花を纏って白く浮かび上がっていました。


(代々木公園の桜)


 我が家の周りには山に自生する桜や山桜があって、おかげさまで家に居ながらにして桜の花を楽しむことが出来ます。



 上の写真は、部屋から見える桜です。我が家の敷地のすぐ横に桜の木が自生しているおかげで、朝、起きてカーテンを開けると桜の花が窓いっぱいに広がります。次の写真は、家の反対側からこの桜を撮ったもの。つまり我が家の建つ台地の斜面に桜や山桜、そして梅や桃の木があって、毎年、春になると花を一斉に付けてくれるのです。ここはちょっとした花の谷になります。



 とても贅沢な風景です。ですから、我が家では花の季節の週末には、家のベランダか屋上で花見のお弁当を広げて花見としゃれこみます。いつもは季節に合わせてロゼワインなどを開けるのですが、今年は、前日にやや飲みすぎたこともあって、お弁当のお供はお茶でした。(実は、先に書いた代々木公園での夜桜は、オランダ、ハーグにいた頃の仲間たちと参宮橋でしこたま飲んで、酔いを醒ましながら代々木公園を横切り、渋谷まで歩いて帰った途中で見たものです。)


 この贅沢な桜も、しかし、散るときは結構大変です。文字通りの花吹雪で、それはそれで美しいのですが、散った花びらは家の窓や壁に張り付き、排水を詰まらせます。窓や壁も洗わないと花びらが張り付いたままなかなかとれなくなります。まあ、それでも贅沢な悩みというべきでしょう。


 花びらといえば、桜の散った花びらが川や湖の水面に模様を描くのを“花筏”というそうです。花筏とは何とも風流な言葉と思いますが、“花筏”にはやはり虚しいニュアンスが伴います。友人から句会への入会を勧められてから、“花筏”という言葉を使って作句してみようかなどという気持ちになったことがありますが、「○○や 行くあてのなき 花筏」の発句の○○の部分がどうしても思い浮かばず、もうやがて2年が経とうとしています。句で詠みたい風景のイメージは頭にしっかりと浮かんでいるのですが、なかなかピタッとくる言葉を思いつきません。作句を意識して、改めて自分の語彙の少なさに気がつかされています。


 桜の花が終わると木の若芽が一斉に伸びて、色とりどりの若芽の季節です。緑にこれほどの色の種類があったのかと思うほど、さまざまな緑色が家の周囲にあふれます。


 家の柿の木もさっそく芽吹き、葉を広げようとしています。この柿の木の芽吹きを見ていると生命のみずみずしさと力強さをいつも感じます。そして、ちょっと目を離している隙に、木々は夏の装いに変わっていきます。






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