第96回 のどかだが、いろいろあった年末と年始の記録


 昨年の年末、とは言っても年末と言うにはかなり早い21日の早朝、築地に行った。今回はいつもの場内での魚の買出しの外に、是非、寄って見たいところがあったのです。それは、場外にある豆問屋の(株)山本商店。小学校の同級生、山本正人君がやっている店です。築地には、年に数回は行っていたにもかかわらず、これまで彼の店が築地にあることを知りませんでした。それに気づいたのは11月に催された小学校の同期会旅行でのこと。還暦記念ということで、幹事がきばって熱海への一泊バス旅行を企画し、そこに彼が全員分の豆菓子を差し入れとして持ってきてくれたのですが、その袋に店の名前と住所が入っていたのです。


 彼とは小学校の6年間、同じクラスでした。私の通った小学校は東京の文京区にあったのですが、当時としては少し変わっていて一学年2クラスだけ。そして6年間の間、クラス替えがありませんでした。さらにかなりの数のクラスメイトが、近くにある中学校に進学しています。また、下町の商家の子供が多かったこともあって、母親の間の付き合いも下町づきあいのような感じで結構盛んでした。ですからクラスメイト間のつながりは濃厚で、転居のため別の中学に行った私でも、今でもほぼ全員の顔を覚えているといった具合です。


 場外に3つある山本商店の店舗の中から、「大将」のいる店を見つけ、朝から本降りとなった雨でしっかりと濡れた傘の始末に手間取りながら、お客さんで混みあっている店先で「大将はどこ?」と声をかけると、忙しそうに立ち働く女性の店員が、少し怪訝な顔をしながら六畳間ほどの店の一角を指差します。視界に入っていなかったその一角は、小上がり風の帳場のような空間で、彼はレジの前に毛糸の編み上げ帽をかぶってちょこんと鎮座していました。店が混んでいるにもかかわらず、「大将」はお勘定を担当です。まあ、悪く言えば店に居ると邪魔なレジ係ですね(笑)。


 しかし、私に気がつくと、すぐに小上がりから降りてきて、店の「大将」ぶりをいかんなく発揮し始めました。「何がいいかな。やはりこの季節、黒豆だな」と独り言を言いつつ、店の奥の納戸から最上級の丹波の黒豆をお正月用に出してきて、豆の講釈と黒豆など煮たことのない我が妻に懇切丁寧に煮かたの説明をしてくれます。何ともいい親爺ぶりです。(ちなみに、この黒豆はお正月にとても美味しくいただきました。)そしておもむろに自分の奥さんを紹介してくれました。奥さんは先の女性の店員さん。何と細面で小股の切れ上がったというのはこういう人を言うのではないかというような美人です。店でのきびきびとした立ち働きといい、愛想のよさといい、身のこなしも若女将という言葉がぴったりの方です。何でも、学生時代、同級生の女子学生の妹に目をつけ、つかまえたのだそうです。小学校時代は女の子をいじめたり、悪ふざけをしたりしていて、何が「正人」だと言われていた彼が、今では、素敵な奥さんを持つ、下町の人の良い親爺として小さな会社を立派に切り盛りしていました。「この歳になって、ようやくいい親爺になったねぇ。」失礼ながら、思わず私の口からでた言葉に、「この歳になってお前に初めて褒められたよぅ」と笑顔が答えます。時計の針がいっぺんに50年も戻ったひと時でした。



山本正人君(山本商店のHPから)


 そんな明るく元気に働く気のいい彼も、実は、10年ほど前、生死の境をさまよい、長期間入院していたことを知っています。幸い、その病魔は克服しましたが、彼は、今でも酒は飲まずに薬を飲み続けています。愛すべき下町の「大将」、正人君の今後の健闘を心から祈りたいと思います。築地場外に行かれた折には、よろしかったら皆さんも山本商店に寄ってみてください。専門問屋さんだけあってとても良い豆を売っています。


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 大晦日。その日、久しぶりに研修先の病院の寮から帰ってきた娘を叱咤激励しながら大掃除をしつつ、我が家の敷地や塀の周辺に山ほど落ちて積もったクヌギやサクラの葉を集めて、庭の隅で娘と一緒に落ち葉焚き。何で大晦日にのんびりと落ち葉焚き?などと思われるかもしれませんが、年初にいただいた年賀状の処分をしたかったのです。ついでに、落ち葉焚きにはつきものの芋焼きも。さつま芋は定番として、今回は里芋も試してみました。塩を振って、はふはふ。これもとてもいけました。


 落ち葉が掃き集められて、少しこざっぱりとした庭が夕陽の影に沈み始め、火にくべられた葉書の火が明るさを増す頃、そろそろ家の中の掃除を済ませろという妻の声に促されて最後の年賀状を火にくべ終え、家の外の掃除を店じまいとしました。


 以前にも書いたと思いますが、我が家では大晦日の夕食からお正月モードに入り、家族で年末と年始のあいさつを交わした後、おせち料理をいただき始めます。今年は我が家も中食ブームにあやかって、料理屋さん作製のおせちです。さすがに手抜きなく、一の重から三の重まで50品目にも及ぶ、美しくお重に盛られたお料理をいただきながら、「紅白歌合戦」、「ゆく年、くる年」と典型的な年の暮れのひと時を過ごしました。それにしても、石川さゆりの「天城越え」は5,6年前のものが最高。あれほどの歌唱にはもう出会えないのかなあ。MISIAは強風で歌いにくそうだったなあ。砂が口に入らなかったのだろうか。いきものがかりの歌も良いけど、ロンドン・オリンピックの映像も歌を盛り上げた。やはり、ロンドン・オリンピックは、日本にとって2012年の大きなニュースの一つだったんだなあ、などということしか覚えていませんね。あれから2週間ほどしか経っていないのに。


今年の我が家のおせち料理(外注おせちです)


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 明けて元旦。


 この日、私の体に奇妙なことが起きました。朝、お雑煮をいただいた後から何となく寒気がし始めました。そのうち体が震えるほど寒気がひどくなり、熱も出てきて体温計で測ってみると、39度を超えているではないですか。さすがに家人もびっくりして、近くの休日診療をやっている病院と連絡をとりましたが、元旦ですから熱が出た程度では、さすがにどの病院も「すぐに来ていいですよ」などという訳がありません。研修医の娘は、「熱が出始めたばかりだとインフルエンザかどうか分からないから、解熱剤でも飲んで、家で寝ているしかないんじゃあない」と冷たく言います。私自身は朦朧とした頭で「これで正月休みはパァか」とか「インフルエンザだと休み明けの重要な会議にも出られないかもしれない」と結構、深刻に考えていましたから、「お前も一応医者だろう。診断もつかないのか?」と悪態をついても、娘は「人間の体って、わからないことが多いんだよね」と平然としています。しようもないので、解熱剤を飲み、頭には熱さましの保冷シート、体は毛布にくるまって、いつもは時間をかけて拝見する配達された年賀状にも目を通す気力もなく、居間のソファで寝ていました。それでもサッカーの天皇杯の決勝は横目で見ていましたが・・・。(それにしても、昨シーズンのガンバ大阪は気の毒でした。)


 ところが、そうしているうちに不思議なことに夜には少し食欲も出て、年賀状を見る意欲が出てきました。さらには2日の朝までには、きれいに熱は下がってしまったのです。


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 そして2日の日。すっかり気分が良くなりました。昨日だったらとても考えられないことですが、近くのショッピング・センターの初売りに行きたいという娘の希望に応えて、何と、家族で出かけてみようかという気分になるまで回復したのです。そして実際にも初売りに行ったのです。いったい、あの熱は何だったのでしょう?本当に「知恵熱」だったのかもしれない。(しかし、その効果は見えず・・・。)


 ところで、久しぶりに初売りに行ってみて、当世初売り事情というようなものを垣間見たような気がします。まず、初売りの日の、特に午前中の混雑は大変なものです。普段、きちんと商品を陳列している高級ブランドショップも、セール品の置かれている棚は空き巣が入って引っ掻き回したような状態。店員が商品をたたんできれいに棚に戻す間もなく、商品が手に取られ、そして乱雑に放置されます。さらに、「自分は時代に置いていかれている」と一種のカルチャーショックを受けたのは、「福袋」って中身を見ることができるんだということを知ったことです。「福袋」の口は開けられていて、中の品物の素材もサイズも柄も確認して買うことができます。私自身、2着入って総額で2万円以上するパジャマを5,000円で買ってきました。今、結構、お気に入りで着ています。うーむ、これは何だ?バーゲンとどう違うのだろうか?いや、バーゲンよりよほど安い。ひょっとして初売りは、今やもっとも強烈なバーゲンになっているのではないか・・・。生活に必要なもので、デザインなどをあまり問わないものであれば、絶対に初売りで買った方が得ですね。これは、今年、最初に学んだことです。


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 正月も3日目。午前中は、家族で借りてきたDVDの映画をのんびりと鑑賞。そのあとお昼は火鉢の炭火で餅焼きということにしました。昨年、20年以上、庭にころがっていた火鉢を使おうと思い立ち、洗って汚れを落としたあと15kgの灰を買い求めて火を入れる準備を整えました。さらに五徳と火箸と炭の火起こしを買い揃え、少し良い炭も買って冬を待っていたのです。


 ところで、現代の家で火鉢を使うのは結構大変です。まず、炭を熾す直火というものが家の中にありません。我が家は調理器具がIHヒータということもあって、結局、カセット・ガスコンロを物置から探し出し、それに火をつけて炭の火を熾すという、何をやっているんだか分からないことになりました。また、火鉢を使うときの換気が心配ということで、窓を少し開ければ、当然、そこから冷たい風が結構入ってきて、これも何をやっているんだか分からない状態です。


 まあ、そんないろいろなことはあったのですが、火鉢での餅焼きは、期待通り、焼けるまでのゆっくりとした時間を楽しませてくれました。そして炭火でしっくり焼いて食べたお餅は、餅の香りと歯ごたえに、なつかしさを感じるものでした。


 そしてその夜、娘は都内の寮に帰っていきました。案の定、寮まで車で送らされたのですが、娘は私が元旦に熱を出したとき、真っ先に「これで3日の夜は、電車で帰らなければならなくなった」と思ったそうですから、私の体調が回復してもっとも恩恵を被ったのは娘かもしれません。もちろん私自身も、寝たきりの正月にならなくて本当に良かったですけれど・・・。ところで、娘の寮への往復のドライブは、帰京のラッシュに遭うこともなく、正月の静かな夜の東京の街を感じることができるドライブで、決して悪いものではありませんでした。


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 以上、まったく私的な日記のようになってしまいましたが、一人の日本人のある年末年始の記録でもあります。





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