第94回 古代文化が花開いた地、日向の旅


 日本は照葉樹林文化圏にある国と、昔、本で読んだ覚えがあります。確か新書だったという記憶で検索すると、それはどうやら哲学者、故上山春平先生の「照葉樹林文化−日本文化の深層−」(1969年、中公新書)であったと思われます(*1)。


 照葉樹林とは冬でも葉を落とさないで、カシ、シイ、タブ、クスなど一年中緑色をしている常緑広葉樹の生い茂る森林のことを言います。これらの木は、葉に厚みがありつやつやとしているので、日がさすとキラキラと輝くことから、こうした名前がついたようです。「照葉樹林文化圏」という考え方には、文化人類学や考古学の世界ではいろいろと異論があるようですが、日本の中でも特に西日本の森は、人の手で改変が加えられる以前は、こうした樹林の森であったと考えられています。


 宮崎市から車で約1時間、宮崎平野の西端に位置する綾町は、そうした照葉樹林が国内最大級の規模で残っているところです。そして今年7月には、日本で5ヶ所目となるユネスコ・エコパークにも登録されました。このことからも分かるように、綾町は町を挙げて照葉樹林の保全に努めています。町の中心から車で15分ほどの照葉樹林に囲まれる渓谷には、長さ250m、渓谷からの高さ142mの歩行者専用の大吊橋「照葉(てるは)大吊橋(*2)」を架橋して、照葉樹林の森をさまざまな視点から経験できるようにするための自然遊歩道も整備しました。



照葉大吊橋と照葉樹林の山々


 また、この照葉大吊橋のたもとには、なかなか見ごたえのある「照葉樹林文化館」が設けられ、照葉樹林とそれが育む自然と文化のことを深く知ることができるようになっています。モッコク、ツバキ、イヌノキ、ヤマモモなどの照葉樹林の森を構成する低木や、シラカシ、アラカシ、イチイカシなどカシのさまざまな種類の樹木標本に触れて、それらの質感を体験することができます。照葉樹林のもたらす恵み−食料や油となる木の実−や、小動物や鳥などの照葉樹林の育む豊かな生態系、そして豊かで清浄な川の水を生む照葉樹林の森の力などが、工夫された展示物によって語られています。


 今回は訪ねることができなかったのですが、この綾町の北西20kmほどのところには、日本最大の古墳群のある西都原(さいとばる)があります。西都原は、古代日向の都として栄え、「古事記」「日本書紀」に登場する伝承地が市内に数多く残っているところでもあります。綾町の照葉樹林を見て、そうした古代の繁栄は、照葉樹林の恵みの大きさに支えられていたのだろうとつくづく思いました。そして、人口7,000人ほどの小さな町でありながら、照葉樹林の森の復元に努める綾町の人々の品格のようなものも感じました。


 さて、次の写真は皆さんよくご存知の青島です。私は、青島の名前は良く知っていたものの、新婚旅行の聖地というくらいの認識しかなく、まあ、江ノ島のような観光地だと思っていました。ですから、青島にも、まあ、有名なところだから、一回くらい見ておこう、くらいのつもりで立ち寄ってみたのです。



(青島)


 海岸沿いに建ち並ぶ土産物屋街を抜けて青島に続く海岸に出たとき、そんな期待は良い意味で裏切られることになりました。何とも開放感にあふれる気持ちのよいところなのです。青島は海岸から思いのほか沖合いにあり、青島に続く橋には日向灘の海風が吹き抜けています。橋の両側には、この地域独特の「鬼の洗濯板」と呼ばれる岩床が広がり、陽の光を反射させています。潮が満ちていたためか、白波が押し寄せ、橋の近辺では三角波が起きていました。



(青島の海岸)


 

 青島は、その珍しい地形から島自体が天然記念物に指定されています。「青島の隆起海床と奇形波蝕痕」というのだそうです。また、青島はその置かれた環境から、独特の植生を形成しています。そして、この植生も北半球最大の亜熱帯植物群落ということで、特別天然記念物に指定されています。


 青島は周囲が900mほどの小さな島なので、歩いて15分ほどで一周できますが、実際に歩いてみると島全体にヤシ科の枇榔などの亜熱帯植物が生い茂り、海岸から島の中の方を見ると、そこには、蔓や葉が絡まりあって、人が簡単には入っていけないような林が広がっています。ちょっとゴーギャンの絵で描かれている熱帯の世界のようです。そして、この周回遊歩道は、きれいな貝殻の砂浜が続く気持ちのよい散歩道です。きれいな貝殻を探しながら、海風に吹かれて歩くひとときは、何とも気持ちのよいものでした。


 

 青島には、青島神社が祭られています。こういった珍しい自然環境に恵まれた地ですから、昔の人が青島を神の世界とつながりをもった神聖な地と考えたことは、ごく自然なことのように思えます。昔は青島全体が霊域とされ、江戸時代までは一般人の立ち入りが禁止されていたそうです。


 その青島神社は、今では恋人の聖地です。神社の境内には、さまざまな縁結びのお守りやおみくじが用意されています。中でも、恋人に関する願い事が神様だけに届くよう、願い事を紙に書いた後、その紙を清水に溶かして流してしまうというご祈祷(?)は、何やら妖しげでご利益がありそうでした。それにしても、これほどたくさんの種類の縁結びのお守りやおみくじのある神社は、これまで見たことがありません。天邪鬼の私は、ここでお願いしてもダメなら望みなしということなんだろうなあと思わず思ってしまいました(笑)。それにしても、そうした願いをもつ人の何と多いことか。絵馬とおみくじの数が、それを物語っています。でも、縁結びへの願いというのは明るくていいですよね。




 実は、今回の旅は、熊本県にある父の実家で催された伯父の5年祭(5回忌)に出席した帰りに、宮崎空港にレンタカーを返すということだけ決めて、あとはほとんど何も考えずに宮崎県内を回ってきたものです。先の綾町に行ったのも、ネットで妻が予約した宿がたまたま綾町にあったからで、綾町が宮崎市から更に西へ1時間もかかるところだと知ったのは、宿泊する当日のことでした。


 そんな無計画きわまりない旅でしたが、熊本からの行程で霧島火山の麓を抜け、小林市、都城市、日南市(青島)と日向灘に広がる地域、そして綾町などを回ってみてつくづく感じたことは、これらの地は、古代人にとってはどんなに地形と自然に恵まれた過ごしやすい土地であったろうかということです。


 昨今のモノにあふれてはいても、閉塞感とストレスいっぱいの日本を見ていると、神話のふるさととなったこの地、日向の古代日本人の精神的な豊かさを少しうらやましく感じてしまいました。



(小林市と都城市の市境付近から見た霧島火山)


※(1)上山先生には、かつて何回か直接お話を聞かせていただく機会を得ましたが、今年8月に91歳で亡くなられました。


※(2)この「照葉大吊橋」は、平成18年大分県の九重町に「九重夢大吊橋」が完成するまでは、世界一の歩く吊橋だったそうです。


記事一覧へ