第92回 中国の産業活動と政治の季節(吉林省をあるく その5)


 先月の末に、中国吉林省長春市と吉林市を訪問してきました。今回で3回目となります。これで2010年夏から、3年連続して8月の下旬に長春市を訪ねたことになります。


 今年は、何とその長春で台風に遭遇しました。8月の終わりに沖縄から黄海を北上し、朝鮮半島の付け根から中国東北部を駆け抜けた台風15号です。長春は、北海道の旭川とほぼ同緯度にある、しかも内陸の都市ですから、台風なんてほとんど来ることはありません。後で土地の人に聞いたら、そう言えば10年ほど前に台風が来たことがあったなあという程度ですから、市民にとってもちょっとびっくりの天候異変だったようです。幸い、最盛期を過ぎ、速度を上げていた台風は、短時間で長春を通り過ぎ、市内に大きな被害が出ることはありませんでした。しかし、それでも28日の深夜から29日の朝にかけて長春を襲った風雨は結構激しいもので、朝、空港へ向かう車の中から見ると街のあちこちで細い街路樹が折れたり傾いたりしていました。


 そう、私にとっては、29日のお昼過ぎ、長春から大連に行く飛行機が飛ぶかどうかが非常に心配だったのです。翌日の30日の早朝、大連から日本に帰る予定だった私は、何としても29日中に大連に行き着くことが必要でした。格安航空券を利用したので、予定変更も簡単には出来ません。30日中には、是非、日本に帰り着いていたいのに・・・。でも、台風への感度の低い長春の人たちに台風の勢力や進路の予想を聞いても、返ってくる言葉は要を得ないものばかり。幸い、結果的には、大連行きの飛行機にはスケジュール変更もなく、予定通りの行動が出来ましたが、ちょっとしたハプニングで、私自身は大変に気をもんだものでした。


 長春市では、昨年はまだ一部建設途中であった、市をS字型に貫くライトレールが完成し、従来からの課題であった公共交通機関の整備が実を結びつつありますが、昨年と比べて中心部の道路の混雑は一層ひどくなった感じです。立体交差や地下鉄の工事など、街のあちこちで道路工事が行われている影響もあるようですが、引き続きモータリゼーションの拡大が続いていることがその混雑の主因のようです。地下鉄は同時に2つの路線の建設が行われていますが、その完成は2015年とのことなので、この道路の混雑はしばらくの間続いて長春の市民を悩ませるでしょう。それにしても、中国人の運転はすさまじいの一言に尽きます。混んだ道に、わき道からどんどん車やバスが突っ込んできて、要は自分の車の頭を相手の先に突っ込んだほうが勝ちという勝負を繰り広げます。おばさんが運転する大型バス(1)も、動きが身軽でないにもかかわらず車の鼻先の突っ込みあいに参加しますから、交差点はすぐに混沌の場所と化します。


 住宅の建設も、まだまだすごい勢いで続いています。街路がブロック単位で、高層住宅群に変わりつつあります。特に、街の中心部を外れた空港周辺はどんどん景色が変わっています。一軒一軒の住宅は決して狭くはないので、こうした形容はあまり適当ではありませんが、遠くから見ると無数の鳥の巣箱が中空に並んでいる感じで、今は良いけれど、20年30年後にこれらの高層住宅がいっせいに老朽化したときのことを想像すると、やや空恐ろしい感じがしないでもありません。そのころは、ちょうど中国社会が高齢化の時代に入る時期でもあります。


 こんなに住宅が増えていても、長春市では、以前ほどの勢いはさすがに衰えたものの、高層住宅の価格は依然として上がり続けているそうです。ただ、実需が伴っているのかという点では、やや疑問もあります。数年前まで帝京大学の大学院で勉強し、私たちを空港に迎えに来てくれた員(イン)くんは、前日、友人の誘いで住宅を見て回ったと言っていました。ただ、それは自分が住むためではなく利殖用です。(員くんは、卒業後、日本の牛丼チェーン店で、中国展開を担うスタッフとして日本で働いています。)でも、長春のある吉林省全体は、今も年率10%以上の経済成長を続けているようですから、これは経済の勢いをそのまま表している姿なのかもしれません(2)。


 長春駅から長春国際空港を経由して、長春市と約100km離れた吉林市とを40分ほどで結ぶ高速鉄道も営業を開始していました。ただ昨年起きた高速鉄道の事故以降、最高速度は今でも当初計画より落として運転しているそうです。高速道路も料金所がすっかりモダンな姿に改装されて、ETCレーンも設けられました。昨年まで見られなかった、制限速度120km/h、飲酒運転禁止、居眠り運転注意などの標識も掲げられるようになりましたし、道路の脇には大きな広告塔が数多く見られるようになりました。


 その高速道路を通って吉林市に足を延ばしたのは、吉林市政府の関係者と意見交換をするためです。そもそも、私が吉林省をたびたび訪問することになったのは、「吉林省の産業事情(吉林省をあるく その3)」(連載第71回)で書いたとおり、吉林省に存在する第一汽車集団を頂点とする自動車産業と中国石油傘下の吉林石化という石油化学産業の連携関係を構築し、吉林省の産業と経済の発展方策を提言しようという、帝京大学と吉林財経大学の共同研究に参加しているからなのですが、そんな経験から垣間見たことは、中国の産業政策、さらには産業活動への地方政府のみならず中央政府の政治動向の影響の大きさです。


 まあ、中国という国のお国柄から、政治の影響が産業政策や産業活動に及ぶこと自体は意外とは言えませんが、それにしてもかつての国有企業はもちろんのこと、中国の地場の民間企業から、今では世界市場の重要なプレーヤーとなった国際企業にいたるまで、中国では目に見える形だけでなく、目に見えない形の制約を含めて、まるで水あめの中で泳がなければならないように、企業に対してその影響が及んでいるように思えます。


 まず、やや表層的な現象をあげれば、今回、吉林市で私たちとの意見交換に出てきてくれたのは、吉林市化学工業開発区の副主任という、多分30台の若い役人です。お隣の遼寧省出身で、精華大学化学科卒業のキャリア官吏。始めての地方赴任というところでしょうか。昨年は、同じような意見交換の場に趙(3)吉林市長自ら意見交換の場に出てこられたことを考えると、大きな違いです。尖閣諸島をめぐる日中関係の緊張の影響です。それでも吉林市の共産党宣伝部の副部長が、昼に招宴を催してくれたのは、彼らの現時点で示せる最大限の歓待の姿だったのかもしれません。昨年は、吉林市郊外の松花湖 の湖上遊覧にご招待いただいただけでなく、湖を見下ろす市の接待所で副市長以下による招宴にお招きいただいたのですが・・・。(なお、次の写真は、昨年、撮影したものです。)



豊満ダム(松花湖側から)


 目には見えない政治の影響として感じることは、この1年ほど、中国の産業政策がすっかり動かなくなっているようであることです。吉林省の第12次5ヵ年経済発展計画などに明記されている産業発展の方針も、それを具体化するための政策判断や施策が、最近全然行われなくなってしまったと現地の民間企業人が言っていました。大学の研究者からも同様の話を聞きました。今は、10年に一回の中国共産党の重要人事の季節。吉林省を含め、各省の共産党の書記(各省の実質的なトップ)や、省長などの異動が予定されています。こういった状況にあるため、新たな方向性を打ち出すようなことは誰もしないのだそうです。日本も全く人のことを言える状況にありませんが、中国のように、何をするにも政治の影響が及びやすい国では、それこそほとんど全ての行政分野で、人事の季節には末端に至るまで機能不全状況に陥ってしまいかねません。今後、政治と行政の絡まりあいの密接さが、中国産業発展の足かせになりかねないのではないかと懸念されます。


 今回の吉林省訪問は、8月26日の日曜日に長春に入り、27日に吉林市を訪問した後は、28日に吉林財経大学とのセミナー、そして29日には遼寧省の大連に移動という極めて短期間の訪問でした。ですからほとんど時間がなかったのですが、今回の訪問で唯一とも言ってよい収穫は、張さんという長春の地場の企業の経営者とお会いできたことでした。張さんは、自分で自動車部品用の樹脂製品の製造工場を起こした方です。自動車部品といっても、まだまだプリミティブな部品しか出来ませんが、第一汽車集団に自社製品を納入できるまでになりました。第一汽車とトヨタの合弁会社、一汽トヨタへの部品納入ももうすぐ実現するようです。


 張さんを良く知る日本人は、一応の成功を遂げ、もう、心労と苦労の多い会社経営からいつ身を引いても豊かな生活を送ることの出来る、張さんの事業拡大にかける飽くなき熱情に感心していました。実際にお会いしてみると、歳は50代半ばを過ぎていますが、目は生き生きとして、また、言葉の一つ一つが重く迫力がある。そして、仕事に熱心なことはもちろんのこととして、とても礼に厚い。初対面の私を、自分のお客さんだからと言って、自ら車を運転して空港まで送ってくださるなど、精一杯の歓待をしてくれました。一期一会を大事にする。それをまさに身をもって示される方なのです。欧米のベンチャー企業の経営者にはない、礼に厚い東洋のベンチャー企業経営者像を見たような気がします。ただ、張さんは英語を話しません。その理由を聞いたら、「私たちの世代はロシア語を勉強したから」とおっしゃっていました。彼の歳を考えたら、これまでの人生でいろいろなものを背負いながら、しかし、そういったことは口に出さず、身を粉にして働いてきたということでしょう。


 29日、帰国の前日に大連に入り、長年、日本の商社の現地事務所長をやられている方と食事をしながら話をしていたら、貧富の格差の拡大とあいまって、上層部の顔ばかりを見て仕事をする役人と、人事の季節になると決まって起きる政策の停滞に対する中国の人々の不満が高まっているのではないかと、彼も話していました。そういえば今回の訪問では、地方政府や中央政府に対する不満の声を、これまでよりも数多く耳にしたような気がします。やはり中国は、経済の発展に伴って政治と行政の改革が、今後、一層重要な課題になっていくように思います。


 最後に、今回のコラムの話題とは関係がありませんが、大連で撮ったちょっと面白い光景を載せておきましょう。それにしても大連に行ってつくづく思ったのですが、実際に大連を見、大連で受けることの出来るサービスの水準の高さを経験してしまうと、あの長春や吉林は、まだまだ田舎だなあと痛感したものでした。大連では、英語と日本語が比較的通じ、中国料理だけでなく水準の高い日本料理も楽しめます。それでも長春や吉林の街がどのように変りつつあるか気になるのは、やはりそれらの町の人々と知り合ってしまったからだと思います。さて、来年はどうなっているでしょうか。今から楽しみです。



大連駅構内の風景(さすが中国の乗務員交代!?)



大連の高層ビルの谷間に残る旧市街




1) 第81回「長春の近況(吉林省をあるく その4)」に書いたように、おばさんのバス運転士は、どうも数多くいるようです。
2) 最新の統計でも2009年の数字しかないのですが、吉林省の経済成長率は2009/08年が13%の成長、2000年から09年までの年平均経済成長率は12%ですから、やはりその勢いはすさまじいものです。
3) この松花湖というのは、昔、日本が満州経営の一環で大工事を行って建設した豊満ダムでせき止められてできた湖です。この豊満ダムで発電された電力は、建設から70年経った今でも吉林市の重要な電源となっています。豊満ダムは、1934年着工、1942年に発電所として稼働開始。松花江をせき止めてつくられた堤防は幅1080m・高さ90mで、水力発電所の設備容量は約100万kW。

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