第90回 化学技術がエネルギー問題を解決する-アンモニアが面白い(その2)-


 前回に引き続き、アンモニアの話をさせていただきたいと思います。今回の話の内容も、Nさんから教えていただいたことが、そのほとんどであることを予めお断りしておきます。


 今回の話に入る前に、前回のポイントを復習しておきましょう。


 今から約40年後、2050年に向けて人類の経済活動の規模は指数関数的に増大し、現在の6倍以上となることは確実。そうなると供給面でも、温暖化問題の面でも、人類がエネルギーを化石エネルギー資源に依存しつづけることが困難であることは明らか。


 再生可能エネルギーのうち、太陽エネルギーは無尽蔵に存在するが、太陽エネルギーは資源が地理的、時間的に偏在するために、それを活用するためには、太陽エネルギーの貯蔵、輸送手段を手にする必要がある。太陽エネルギーを電気や熱に変えるのでは貯蔵や輸送は難しく、化石エネルギー資源にとって代わるような役割を期待することは困難。石油製品のように、常温、常圧で液体として存在し、かつ、エネルギー密度の大きい化学物質に変換して利用することを考えるべき。そして、その化学物質から得られるエネルギーは石油製品と異なり、利用の際にCO2を排出しないものであることが重要。


 これらの観点から見るとアンモニア(NH3)は、太陽エネルギーのキャリア(担体)として非常に優れた性質をもつ化学物質。また、取扱いには注意が必要なものの、アンモニアは自然にも身近に存在する物質であり、私たちは長年にわたってアンモニアを使いこなしてきた経験をもつ。幅広い分野の専門家の参加を得て、太陽エネルギーのキャリアとしてのアンモニアの可能性を切り拓いていくための研究開発を進めていくことが重要、


といったようなことでした。


 では、私たちはアンモニアの可能性を切り拓いていくために、どのような取組みを行っていくことが必要なのでしょうか?


 前回、アンモニアは1910〜60年代に自動車やバスの燃料、さらには航空機の燃料として使われていたことがあると書きました。米国では、その後も引き続きアンモニアを燃料として使用する研究が行われているようです。これまでのところ、将来のエネルギー源としての可能性というよりは、安全保障の観点からの取組みが中心と思われます。化石燃料の供給ラインが何らかの理由で途絶し、利用が困難となるような万一の場合に備えた研究です。


 そういった研究の蓄積が存在するとはいうものの、民生技術の分野における燃焼技術は格段の進歩を遂げていますし、前回少し書いたように、化石燃料と異なってアンモニアは直接、火がつきにくいという性質がありますから、さまざまな燃焼プロセスを対象に、長期にわたり実証的研究を行い、アンモニアの実用性や燃焼機器の耐久性を確認する必要があります。これが今後やるべきことの一つです(1)。


 実は、Nさんはこれについて一定の見通しを持っています。Nさんは自身で既にガスタービンでの燃焼実験を行い、アンモニアを燃料としたガスタービンが所期の性能を発揮できること、排ガス中に含まれる可能性のある窒素酸化物(NOx)や亜酸化窒素(N2O)といった温暖化物質が問題になることはない(2)とのデータをとっています。(すごいですね。)また、現在、稼動中の火力発電所の脱硝プロセスでは、アンモニアが燃焼排ガス中のNOx除去を目的に噴霧注入されており、同プロセスにおけるアンモニア利用に関する技術は既に確立していることも確認しています。


 アンモニアにはこういった使い方のほかに、水素を貯蔵や輸送する手段(水素キャリア)として利用するという使い方も考えられます。こうした利用方法は、水素をアンモニアにして運び、アンモニアから再び水素を取り出して使用することから、非効率だとの、ある意味当然な指摘もありますが、貯蔵や輸送の面で極めて扱いにくい水素を、既存のインフラを活用しつつ扱えるようにするための手段として、検討に値するものではあるでしょう。


 ところで、太陽エネルギーをアンモニアに変えるのは、どのような方法によるのでしょうか。Nさんがこれまで検討した結果、有望な方法と考えているのは、以下のような方法です。


 アンモニアの製造には、現在、既に工業的製法として広く利用されているハーバー・ボッシュ法を用いることが出来ます。これは、水素(H2)と窒素(N2)からアンモニアを合成する方法です。このハーバー・ボッシュ法は、肥料に必須の窒素源として空気中のN2を利用することを可能とした技術で、希少な肥料原料であったチリ硝石の資源枯渇の問題を解決しました。このことから、人類の食糧問題を解決したと言われています。世紀の革新技術の一つと言えるでしょう(3)。今から約100年前に発明されたこの合成法は、これまでにさまざまな改良が加えられて、今ではかなり完成度の高い技術になっていると言われています。


 ただ、完成度が高いと言っても、この合成法は約100年前に考案されたものですし、反応に高温、高圧(400〜600℃、200〜400気圧)を要することから、エネルギー消費量の大きいプロセスです。最近では、この反応系の水素源、熱エネルギー源として利用されている天然ガス価格が上昇したために、アンモニア価格がここ10年間で3倍になり、肥料価格が高騰して開発途上国の農民の生活を圧迫しているという切実な問題も起きています。こうしたことから、アンモニアの合成法についても、画期的な触媒の開発や、窒素固定細菌などのバイオ技術を利用した新たな合成法に関する研究を中長期的観点から進めていく必要があるでしょう。


 当面は、アンモニアをハーバー・ボッシュ法で製造するとして、アンモニアを安価に製造するためには、安価な水素源が必要です。(窒素は、空気中に大量にあるN2を分離して使います。)水素は自然界には単体の形では存在しないので、これを安価に造りださなければなりません。


 太陽エネルギーを利用して水素を製造する方法としては、太陽エネルギーを熱エネルギーに変換し、その熱で発電した電気で水を電気分解する方法が考えられます。ここで、太陽エネルギーを、直接、電気にしないのは、太陽エネルギーを電気エネルギーに変換する際の変換効率が低いからです。この太陽熱を利用した発電技術は、(前回ご紹介したように)米国の砂漠地帯で既に実用化されていますが、発電コストを下げるために、電解効率や太陽熱の捕集効率の向上、太陽熱発電設備の小型化、軽量化、そして終日にわたって安定的に発電するため、捕集した太陽熱を長時間にわたり蓄えることのできる蓄熱材の性能の向上などの面で、まだまだ改良の余地があります。


 水素の製造コストが鍵を握ることから、中長期的には太陽熱を利用して水素をもっと効率良く製造する方法も研究しておく必要があります。そうした方法の一つとして、熱化学ISプロセスという方法が以前から研究されています。ISプロセスというのは、ヨウ素(I)と亜硫酸ガス(SO2)から生成する硫酸とヨウ化水素という物質の高温(それぞれ400〜500℃、850〜900℃の温度域)での分解反応を利用して水素を製造する方法(4)ですが、極めて高温域での反応であり、かつ、非常に腐食性の強い物質を扱う反応であることなどから、ISプロセスが技術的に成立することは確認されているものの、その実用化にはまだまだ多くの研究開発課題があります。太陽からは、1,000℃を超える熱を得ることも可能ですが、温度は低ければ低いほど扱いやすいですし、安価に得ることができるので、反応温度を、より取扱いの容易な温度域まで下げることの出来る触媒の探索を含めて、中長期的な研究課題として実用的なISプロセスの開発に取組んでいく必要があります。


 アンモニアのエネルギー・キャリアとしての有用性を実社会で確認するために、出来れば研究開発投資を行うのと並行して、既存の技術やインフラを活用しつつ、さまざまなフィージビリティ・スタディや実証試験を行うことも考えなければなりません。


 こうした観点から、Nさんは短期的には中小の天然ガス田から発生する天然ガス中の水素や、送電線などが整備されていないために未利用の状態にある水力資源からの電力を用いて製造した水素を利用する案も考えています。その水素を現地でアンモニアに変え、既存のタンカーや貯蔵・輸送インフラを利用して、日本に運んでこようという案です。


 私は、最初、この話を聞いたときには、未利用水力の活用はともかくとして、天然ガス田からの水素を利用するというアイデアは良く理解できませんでした。なぜなら、そんなことをするくらいなら、天然ガスをLNGにしてそのまま日本にもってきた方がはるかに合理的と考えられるので、天然ガスからわざわざ水素を取り出しアンモニアにして、それを日本に持ってくる意味が分からなかったからです。しかし、この点でもNさんの構想は良く考えられていました。


 何でも世界に天然ガス田は数多くあるが、採算面で天然ガスをLNGとして輸出できるほどの規模を有するガス田は極めて数が限られているのだそうです。天然ガスを液化してLNGとする装置、輸出用のインフラの整備には約1,000億円もかかるためです。さらに、内陸の奥地にある天然ガス田では、輸送用のパイプラインの建設にも膨大なコストがかかります。このため世界には、未利用、あるいは、せいぜい自家用に天然ガスを採取している中小規模のガス田が2万以上あるとみられているそうです。こうした中小の天然ガス田の天然ガスの価格は、当然のことながら安い上に、アンモニア製造装置の価格はせいぜい300億円ほど。また、アンモニアの輸送は容易なので、LNGと比べても十分にコスト競争力のあるアンモニアを製造、輸出することができるとの見立てです。もし、中小ガス田がこうした形でエネルギー源として有用な資源となったら、地域の経済発展にも寄与しますから、開発途上国の産ガス国にとってもメリットは大きいですし、日本のエネルギーの安定供給にも資するものとなるでしょう。すなわち、日本と産ガス国との間でwin-winの国際協力関係が生まれる可能性があるのです。


 このためには、中小ガス田や未利用水力資源の有効利用の可能性、そして、アンモニアを既存のインフラを活用して利用する可能性について、コスト評価を含めた実証的な評価をやってみることが必要となります。さらにこの実験は、アンモニアのエネルギー・キャリアとしての有用性についての見極めや、エネルギー・キャリアとして利用する際に必要となるインフラ整備面での課題の確認、そして、アンモニアの社会受容性に係る課題などを明らかにすることに役立つでしょう。


 以上、述べてきたように、太陽エネルギーのキャリアとしてアンモニアを用いるという構想を進めていくためには、異なるタイムスパン(短期、中期及び長期)、フェーズ(基礎、応用及び開発)、そしてさまざまな内容の数多くのプロジェクト(研究開発、実証研究及び国際協力等)を合理的、かつ、戦略的に組み合わせ、推進していく必要があります。また、構想の実現には、国、公的研究機関、大学、幅広い産業分野の企業などの参加と連携が必要となります。このように研究開発の出口をしっかりと見据えつつ、総合的な取組みを進めていくことは、我が国の研究開発プロジェクトでは、これまでなかなかうまくできなかったことです。


 多分、そういった反省も背景にあったのだろうと思いますが、現在、国においては、文部科学省と経済産業省が一体となって、日本再生に向けたエネルギー技術の新たな研究スキームの構築に取り組みつつあるようです(5)。また、この構想は、総合科学技術会議を改組し「科学技術イノベーション戦略本部(仮称)」を創設することによって目指そうとしている、日本の科学技術イノベーション推進政策の成否を占うものになりうる内容と意義をもったものでもあります。


 そういった意味でも、太陽エネルギーのキャリアとしてアンモニアを用いるというこの構想は、興味深く、面白いものだと考えています。



1) Nさんによると、韓国では既にアンモニアの燃焼に関する国家的な研究プロジェクトが動き出しているということです。
2) ちなみに、理論的にもアンモニア(NH3)が燃焼した後に最もエネルギー的に安定(すなわち、最も生成しやすい)物質は、窒素(N2)で、NOxや温暖化物質のN2Oではありません。
3) この開発に携わったドイツ人のHaberとBoschはノーベル化学賞を受賞しています。なお、Haberの研究には、理化学研究所、東京工業大学、日本学術振興会の創設にも関わられた田丸節郎先生という日本人の研究者が大きな貢献をされていることを、ハーバー・ボッシュ法に関する資料を読んでいて知りました。
4) 詳しくは、例えば「JAEAニュース」第7号、2006年7月((独)日本原子力研究開発機構)のP2の「来るべき水素社会のために高温ガス炉によるISプロセスで水素を製造する」の記事などに比較的分かりやすい説明があります。
5) 2012年6月15日開催の科学技術振興機構シンポジウム、「日本再生に向けたエネルギー技術の展望と新たな研究開発スキーム」での文部科学省、経済産業省からの説明など。

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