第84回 年の終わりに


 年の終わりが近づくこの時期、クリスマス・カードや年賀状に、過ぎ行く年の我が家のトピックスを800字ほどで書くことを恒例にしていることもあり、この一年間に起きたいろいろなことを思い返しています。その側らで、ややとりとめもなくこの文章を書き始めました・・・。


 私は今年の始め、こんなことをDVDのコラムに書いていました。

「新しい年、2011年が始まりました。新内閣も組閣されました。日本の将来の礎をきちんと整える新たな出発の年にしたいものです。」

 「新内閣」(菅内閣)は1年持ちませんでした。また、不幸なことに2011年は、東日本大震災のことを抜きにしては語ることのできない、大変な年となってしまいました。そして全く想定外の成り行きで、2011年は「新たな出発の年」となりました。


 東日本大震災は、未曾有の、そして決して再び起きて欲しくない大災害です。しかし、一歩も二歩も引いて考えるならば、この震災は、日本列島が生成して以来、これまで何回となく起きていた地殻変動の繰り返しの歴史を、冷徹な事実として現代の日本人に突きつけたとも言えるでしょう。


 それにしても人間というものは、何と忘れやすい生き物なのでしょうか。たかだか数百年前のことが忘れ去られています。自然の営みの時間的スケールに、人間は付いていけないのかもしれません。過去の大災害の記録が文書などに残されていたにもかかわらず、それが現代人の意識には止まらなかった。ようやく今になって、古文書などで語られていた地震、津波災害の記録が実感をもって受け止められ、将来の備えに活用されようとしています。


 いくら忘れやすい人間でも、しかし、今回ばかりは少し変わるでしょう。今回は、地震、津波に関する膨大な映像情報が残されました。実感を伴って過去の事実を学べるという意味では、これほど効果のある記録はありません。この記録を糧として、私たちは自然と人間の生活に流れる時間スケールの差の壁を乗り越えて、悲惨な災害の再発防止に努めなければなりません。


 しかし、今回の地震と津波によって引き起こされた災厄は、目に見えるものだけにとどまりませんでした。福島第一原子力発電所の事故によって、広範囲にわたって放射線物質で日本の国土が汚染されました。地殻変動によってもたらされる災厄に匹敵する、新たな災厄を人間が生み出してしまったといえるでしょう。放射性物質は、時間を経て他の安定元素に変化しない限り、どのような処理をしてもその総量は変わりません。人や生態系にどれほどの影響があるのか分からないにしても、大量の放射性物質を、国土の広範囲に、さらには周辺の海にも撒き散らしたということは、やはり大変なことだと思います。日本人はこのことに畏れおののき、これまでの行状を真摯に反省する必要があります。また、この大事故の原因をしっかり究明し、その記録を後世に残す必要があります。


 今となっては、起こしてしまった災厄の被害を最小限に抑え、一刻も早く、かつての生活環境を取り戻すための努力が重要ですが、それにしても、これまでの政府の姿勢には不信感が募るばかりです。「健康にただちに影響が出るようなレベルではない」と言いつくろい続け、発災から8ヶ月以上経って見えてきたのは、事故の深刻さと広範囲にわたる汚染、そして、止むことのない汚染地域、汚染食品の発見のニュースです。当時、過剰反応に見えた欧米諸国の反応−日本在住自国民への80km圏内からの退避勧告、自国乗務員による旅客機の日本発着の回避、東京から大阪への大使館機能の移転など−は、最近、明らかにされてきた事故の実情をもとに振り返って見ると、それほど法外な対応でもなかったように思えてきます。現実を冷静に直視したうえで国民に誠実に説明するといった真摯な対応をとることなく、当座を取り繕い、逃げの姿勢に終始していたように見える日本政府と、自国民を守るという国家の最低限の機能を発揮した欧米諸国の政府とでは、国のリーダー層の資質の差を感じます。


 国のリーダー層の資質といえば、日本の政治の体たらくはなんということでしょう。「国民に負担を求める以上は、政府の経費削減は徹底的に進める」といいながら、議員定数の削減には何も手をつけない。議員定数の削減を選挙公約に掲げながら、マニフェスト違反をあげつらう政党も、この問題には頬かむりです。それだけではありません。違憲状態にある選挙区の定員格差すら是正しようとしない。


 同じ政府の経費節減策でも、政治家は、一方で公務員給与を削減する法律の制定には熱心なように見えます。私自身が公務員であったから言うわけではないのですが、公務員の給与は決して法外に高いとはいえないと思います。そして、日本の公務員の多くは、国際的に見ても驚くほどよく働いています。少なくとも政治家と同じ程度には働いている。しかも、地味ではあるが、復興のための細かい実務や調整を厭うことなく、日夜分かたず取組んでいるのは彼らです。それにもかかわらず、自分の身を切ることはせずに、公務員の給与だけ約1割も下げるということにだけは熱心なように見える政治家とは、一体どのような神経をもった人種なのでしょうか?


 ついでにもう一言だけいえば、どのような国でも公務員なしでは国は成り立ち得ません。公(おおやけ)という中立な第三者の役割は、どの時代においても社会に必須のものです。こういった役割に就く人々は、立派な人でなければ困ります。社会から、あげくのはてには政治家からも叩かれたら、誰がそうした役割を喜んで引き受けるでしょうか?質の低い公務員をもつ国の不幸を考えてみたことがありますか。


 それにしても、国や社会の統治の仕組みの軋みが目立つようになりました。私は、大阪での政争内容と先般のダブル選挙の結果についてちゃんと勉強したことがないので、ただ単に何となく不気味なものを感じるといった程度の感想しか申し上げられませんが、大阪で起きつつある政治の地殻変動も、そういった軋みを感じている人々の気持ちの表れでしょう。


 国や社会の統治の仕組みの軋みといえば、12月4日の朝日新聞は、ユーロ危機では、民主主義のスピードが市場の変化に追いつけなくなっていると指摘していました。金融不安を払拭するために欧州各国がとろうとしている財政再建の措置、例えば年金の減額や公的サービスの縮小などの対応措置を講ずるためには、当然のことながら民主主義に則した手続きを要します。しかし市場は、手続きに要する時間を待てるほど気長ではない。これは新たなシステミック・リスク(組織・体系全体の危機)といえる問題です。


 いまさら言うまでもなく、システミック・リスクは社会のあちこちで、既に顕在化しています。経済発展に寄与してきた金融技術の発展は、世界経済を破壊するほどの脅威を生み出しました。情報技術の社会全体への浸透は、個人の主張を社会全体に対して表明することを容易にした一方で、それは個人の思索を深めるというよりは、世論の揮発性を高める方向に働いているように思えます。新興国の経済発展は、地球環境への負荷を高め、政治の世界でも新たな地政学的な不安定要因を生んでいます。


 人権の確立、技術の発展と普及、経済の発展。これらは、いずれも望ましいことであったはずです。しかし、こうした個人の状況の改善が、全体の改善につながらない。つながらないどころか、国や社会の統治の仕組みの軋みを生んでいる。また、国家という統治システムが、地球規模の問題解決には有効に機能できなくなっているのもご承知のとおりです。民主主義、国家、資本主義などといった20世紀に創り上げられた社会の基本的な価値観と仕組みの抜本的な進化が求められているように思います。私たちは、歴史の大きな転換点に生きているのではないでしょうか。


 年の終わりに振り返ってみると、わが身にも、明確な変化の節目には気づかないものの、確実に変化が起きつつあることを感じます。人生のフェーズが変わりつつあるという思いです。出口さんも「メルマガこれでいいのか、自らを問う2011年師走」で同じようなことを書かれていましたが、同年齢の私も、今年は喪中のはがきを数多くいただきました。既に40枚になんなんとしています。同年代の友人、知人の方々が、大事な親御さんを亡くされるという、つらい経験をされ、名実ともに家族の代表となるという人生の新たなフェーズに入ったのだと思います。それにしても、一人ひとりにとっては大変に重い死を、日常的な知らせのように受け取ってしまっていることを不思議に感じます。(ちなみに、我が家では私も妻も、40代のはじめに親を亡くしました。この部分、もし、ずいぶんと客観的な書き方になっているなあとお感じでしたら、そのためです。)


 そんなことで年賀状を出す数が減る一方で、今年は、15年ぶりに以前住んでいたオランダ、ハーグの地を数回にわたって訪れる機会に恵まれたこともあって、当時、国際機関(OPCW)で共に働いたかつての同僚の消息がずいぶんと判明し、送るクリスマス・カードの数は増えました。でも、そうした中でも時は着実に流れていて、何人かの同僚の訃報も耳にしました。分かっているだけでも、これまでに当時の事務局長のIan Kenyon氏を始めとして6人が亡くなっています。


 ところで今年は、これまでこのコラムには書きませんでしたが、イギリスのCotswolds地方の旅を楽しむ機会にも恵まれました。6月にオランダに行ったついでに、イギリスに足を伸ばしたのです。ヒースロー空港で車を借りてOxford、Stratford-upon-Avon、Cotswolds Valley、そしてStonehengeをめぐった2泊3日のドライブ旅行でした。6月の穏やかに晴れ上がった天気のもと、幾重にも続く穏やかな丘陵、そのところどころでのんびり草を食む羊の群れ、そして街全体に古い石造りの家が立ち並ぶ集落といった、Cotswolds地方特有の美しい風景や、昔の荘園の領主の館、Manor Houseでの贅沢な時間などを楽しむことが出来ました。観光案内書然としてしまいますが、いくつか写真を付けておきましょう。


 こんな美しい風景に恵まれながら、しかし、コラムの題材にしなかったのは、この「観光案内書然」というところが関係しています。やはり旅には人の匂い、歴史とのふれあい、あるいは、過去の自分との出会いといったようなものが必要であるように思います。残念ながら、このCotswolds地方の旅はそれに欠け、何か、きれいなものを見てきたということで終わってしまった感じがします。前回のコラムで書いた信州塩田平の旅とは、そこが異なるところです。


 はなはだ私的な記録となりましたが、東日本大震災、ユーロ危機といった歴史的な大動乱が起きた2011年。この大変な年を暮らした、一庶民の記録です。(12月19日には、北朝鮮の金正日主席の訃報が伝えられました。)




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