第83回 信州塩田平の秋を歩く
出口編集長を信州の塩田平にご案内しました。以前、何回か出口さんが塩田平のことを書かれていたのを目にして、塩田平の良いところをもっと知っていただきたいと思ったことが、そのきっかけです。塩田平は、私の本籍地と菩提寺のあるところ。故郷というほどの重たい縁のある地ではないが、小さいころからよく訪ね、愛着のある地です。そして塩田平の山懐に位置する別所温泉は、亡き父と母が出会った場所でもあります。
司馬遼太郎が「街道を行く」の「信州佐久平みち」の中で、塩田平のことを書いています。長野の善光寺から上田に入り、別所温泉、塩田平を経て、軽井沢、そして佐久平へと一行は歩いています。しかし、私は司馬遼太郎の書いた「信州佐久平みち」が、あまり好きではありません。司馬遼太郎のこの地を描く視線に暖かさを感じない。また、真夏の紀行であったせいか、風景に彩がない。そんな感じがします。また、塩田平については、歩くべきところを歩いていないようにも思うのです。この地に鎌倉文化の大きな影響を与えた塩田北条氏と、そのゆかりの社寺に立ち寄ったふしがない。
もう35年も前の紀行文(*1)に文句をつけてもしようがないが、塩田平に興味をもたれた出口さんには、せめて見るべきところを見てもらいたいと思いました。それでお誘いした次第。
今回の旅は、山々を彩る紅葉と突き抜けるような青空の秋晴れに恵まれ、そして同行者にも恵まれて、それは楽しい旅となりました。そして、当たり前の話ではあるが、人によって見るところ感ずるところは違う。自分にとっても新たな発見がある。そんなことを見つけた旅にもなりました。
出口さんは、メルマガにあるように人の匂いが大好き。そして、旅から映像を厳選して切り取る。そんな習性(失礼!)があるようです。常楽寺のお大黒さん(*2)の半田はつ子さん(85歳)との会話がメルマガに紹介されていますが、そんな地元の人との会話が、特にお好きなようです。(お歳まで聞きだしてしまうとは、これも習性ですかね。)おかげで、昔、父母から聞いたことのある「別所の常楽寺のご住職兄弟は、日本の仏教界を代表する人物」という話を再確認することが出来ました(*3)。また、会話の中で、ずっと昔、同年代の女性として別所温泉で暮らした私の母親のことが、はつ子さんの記憶の中に微かに残っていたことも、強い印象として残りました。ところで、はつ子さんのご主人、先代のご住職の半田孝淳氏の名は、「街道を行く」にも出てきます。
しかし、それにしても私自身は、筆が重い。題材にこれほど恵まれた旅はちょっとなかったと思うのですが、なかなか手が動かない。出口編集長と同じ材料で文章を書くという緊張感からではありません。何か信州の秋にすっかり圧倒されてしまい、それを心の中でこなしてから文章に書き下ろしていくことが簡単にはできなくなってしまったという感じなのです。
まず、この写真を見てください。塔が黄金色に輝いています。これは、これまでにも何回か写真でもご紹介したことのある安楽寺の八角三重塔。今年の夏、何百年ぶりに屋根が葺き替えられました。「屋根は銅板張り?」と出口さんが聞くほど、新しく葺き替えられた杉板が黄金色に光っている。それまで空を覆っていた朝霧が晴れ渡り、日の光が差したのです。こんな荘厳な三重塔は初めて見ました。周囲の紅葉も光っています。
次の写真はいかがでしょうか。これは塩田平にある前山寺の三重の塔を彩る、銀杏の黄葉です。黄葉が青空の下でまばゆいばかりに輝いて、主役の座を奪っています。前山寺の三重塔は「未完成の完成の塔」として多くの観光客を集める美しい姿の塔ですが、今回ばかりは銀杏の引き立て役です。そして、ちょっと視点を遠くに移すと三重塔の裏山、峨峨とした山体の独鈷山は紅葉で彩られています。
(前山寺の三重の塔と独鈷山)
塩田平に平安時代から鎌倉時代にかけて創建された寺社の多くは、千曲川の流れる上田市街、そして菅平に向かって「塵取」形に明るく開ける塩田平の南縁の独鈷山や夫神と女神の二つの山の山麓にあります。その山懐にたたずむ塩田平の寺から、暗い杉林を抜けた瞬間に目に飛び込んできたのが次の風景です。思わずブレーキを踏んで車を止めました。実際、私の車の後を走っていた出口さんの車でも、私の道案内などにはお構いなく、「車を止めろ!」と出口さんが叫んでいたそうです。実際、それくらいその景色のインパクトは強烈でした。
(上田市街に向かって緩やかに広がる塩田平−左手前が女神山、その右が夫神山)
何という明るさ。うっそうとした杉林を抜けた直後ということもあったでしょう。西に傾き始めたとはいっても、まだまだ力強さの残る秋の陽が、木々と農家の影を少しだけ伸ばし、コントラストを強めていたのも、目に飛び込んだ風景のインパクトを増した原因かもしれません。出口さんがメルマガに載せた柿の木とその向こうに広がる塩田平の構図には正直言って適いませんが、この写真にも、のどかで豊かな塩田平の風景が切り取られていると思います。
さて、次の写真は、蓼科の女の神展望台で出会った信州の秋の絶景です。日の暮れる前に着きたいと宿に急ぐ道の途中、この風景を目にして思わず車を止め、しばらくの間、時の経つのも忘れて見とれていました。
(蓼科、女の神展望台から−八ヶ岳、甲斐駒岳、白根山、仙丈岳)
日の入り直前の夕日が、八ヶ岳の山麓に広がる落葉松林を赤く染めています。夕闇が迫り、そのために落葉松林の山肌は、少しずつうすい藍色の靄の中に沈んでいきます。その靄の地平線には南アルプスの山々が影のように連なり、そして、もうすっかり暮れかかった東の空には、上弦の月が白い光を放って浮かんでいる。やがて、靄が影と一体となって夕日に映える八ヶ岳の稜線に近づく頃になると、鈍い橙色と藍色の織り成すグラデーションが山麓全体に広がり、凄みすら感じさせる風景となりました。
信州の秋の山は燃えるように赤くなる。こんな心の原風景を久しぶりに再確認しました。「錦秋」とは別の、広大な落葉松林だけが描き出せる紅葉です。
ところで、今回、塩田平を歩くにあたって、この地の歴史を少し勉強していたら、思いがけないことを知りました。「塩田」という名が、初めて史料に出てくるのは、平安時代の末期、承安四年(1174年)のことだそうですが(*4)、塩田平にあった荘園、塩田庄は、それ以前は安宗郷(あそごう)と呼ばれていたそうです。その「安宗」は九州の「阿蘇」に関係し、今から1400年ほど前に阿蘇氏の一族が大和朝廷から派遣されてこの地を治めたのだという。実は、私の父は熊本県の阿蘇神社の末社の家に生まれ、非常に不思議な縁で塩田平の一隅に位置する別所温泉にやってきたのです。何らかの因縁めいたものを感じてしまいました。
私的なことを書き連ねてもしようがありませんが、「非常に不思議な縁」だけでは何が不思議なんだかお分かりにならないでしょうから、少しお話します。もう80年から90年ほど前、信州の別所温泉の地から熊本県の旧制御船中学に数学の先生が赴任されました。その先生が、教え子であった私の父の長兄を非常に気に入ったところから、この不思議な縁は始まります。その先生は、お子さんに恵まれず、その長兄を養子に欲しいと思われた。しかし、さすがに長男を養子に、というわけにはいかず、次兄と養子縁組することになりました。次兄も軍医になったような人ですから、なかなかに優秀な人だったようです。ところが、この次兄は太平洋戦争で戦死してしまいます。残念がったその先生は、三男であった私の父を再び養子にとられたのです。
今の感覚では、動物の子供じゃあないんだから次から次へと養子っていうのも少し変、と思いますが、それほど父の兄弟が気に入られたということでしょうか。まあ、父の生家も九州山地の山懐にある阿蘇神社の末社ですから、食べていくのが大変で、次男以下はできるだけ外に出て行ってくれという事情だったのかもしれません。
とにかくそんな縁で熊本の阿蘇のふもとで生まれた父親は、これまで本人にとっては縁もゆかりもない別所温泉に来たのです。そして、そこで私の母親に出会った。そんな縁です。以前にも書きましたが、母もその母、つまり私の祖母の実家に養子として別所温泉に来ました。それも縁といえば縁。そして、普通であれば許されることが難しかった養子同士が結婚したのですから、時代を考えれば何とも浅からぬ因縁であると感じます。
(出口さんと明るく楽しい同行者たち)
最後に今回の旅の舞台裏を少し明かしましょう。右の写真をご覧下さい。楽しそうですねえ。実は、今回の旅は他に女性の同行者が二人いました。誰?なんて野暮なことは聞かないで下さい。とにかく、今回の塩田平の旅は、出口さんと男二人で信州の秋を静かに味わうなんていう旅では、決してありませんでした。というわけで、ここまでに醸し出してきた雰囲気を最後になって壊すようですが、それは結構にぎやかで楽しい旅だったのです。
ということで、ご案内どころか、私も楽しい秋の塩田平の旅を満喫した次第。
1) 「信州佐久平みち」だけの問題かどうか分からないが、「街道を行く」にはその紀行を行った年が書かれていない。ただ、唯一、文章の中に「田中角栄逮捕」のニュースがTVで流れていたことが書かれており、この紀行が行われたのが1976年だったことが分かります。
2) 私は、信州に行くとお寺の住職の奥さんのことを「お大黒さん」と呼びます。正しい呼び方かどうか確認したことはありません。父母がそう呼んでいました。
3) 出口さんのメルマガの中でも、紹介されていますが、常楽寺の先代の住職、半田孝淳氏は、現在第256代天台座主となられ、弟の清水谷孝尚氏は浅草浅草寺貫主を務められています。
4) 「信州の鎌倉 塩田平の文化と歴史」(昭和58年11月)塩田文化財研究所編
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