第74回 何のために書いているのだろうか
新しい年、2011年が始まりました。新内閣も組閣されました。日本の将来の礎をきちんと整える新たな出発の年にしたいものです。
巷では「タイガーマスク」現象が起きています。普通の人々が、社会の変革のために行動するという新たな潮流が生まれてきているのでしょうか。変革に向けた相変化が、なだれを打って起きる臨界点に社会が達しつつあるという予兆なのでしょうか。
こういった環境の中で、まとまったことを少しじっくりと考えてみたいとは思うのですが、やや忙しいこともあって、最近は、断片的にものごとを(考えるのではなく)感じる/想うようなことしかしていません。それで今回は、今年、自分で考えるべきテーマのようなことを断片的に書きとめるような文章になりそうです。
【何のために書いているのだろうか】
最近、歳をとってきたせいか、知り合いの方から著書をいただく機会が増えてきました。大変にありがたいことです。著作には、いろいろなものがあります。貴重な一冊をいただくのですから、できるだけ読後の感想をお送りするように心がけています。ただ、限られた時間の中で、テーマも趣きも異なるそうした本を読むことは、「生涯のテーマ」などというものを持つに至っていない未熟な私にとっては、乱読状態にますます拍車をかける事態となっています。
しかし、それらの本を拝見することは、実は、自分に向けて大きな問が投げかけられていることの気づきの機会にもなりました。それは「何のために、人に読まれることを想定した文章を書くのか」ということです。特に、著者の経験、体験や意見をもとに書かれた随筆集のような本を拝見したときに、この重い問が自分にも突き刺さってきます。このような疑問に対する答えは、随筆論などの世界では明らかなものなのかもしれません。しかし、このようなコラムを書かせていただいている自分に向けて、この問いを発してみると自分自身の答えは簡単ではありません。いろいろな動機がないまぜとなっています。
これまでこのコラムではいろいろと勝手気ままに書かせていただいていますが、実は、このコラムを書き始めるときに書いてみたいと思ったテーマについては、いまだに文章にできていません。このコラムを書いている間に、そんな「原点」について触れることができるのかどうかは、「何のために、人に読まれることを想定した文章を書くのか」についての答えを自分なりに出してからのことになるのでしょう。
【与謝野馨さんの経済財政担当大臣への就任をどう評価すべきだろうか】
「民主党が日本経済を破壊する」は、今般の内閣改造で経済財政担当大臣に就任された与謝野馨さんがちょうど1年前(2010年)の1月20日に上梓した本(※1)です。
この本のタイトルを見ると、今回の与謝野馨さんの経済財政担当大臣への就任は、ちょっとびっくりする出来事でしょう。実際、自民党はこれまで民主党を批判してきた与謝野さんの「変節」を、早速、責めています。週が明けて、一層、そうした批判の声が高まってきているようです。(そうした「変節」するような方は)信頼できない。したがって大事な政策を相談できる相手ではないと。この主張には、確かに一面の分かりやすさがあります。
しかし、本のタイトルなどの枝葉末節な部分を除き、この本の内容を見ると日本を立て直すための方策として、「日本経済には成長戦略が不可欠」、「高福祉・低負担はありえない」など、少なくとも経済、財政、社会保障、貿易政策などの重要な政策分野において、菅さんが民主党代表、そして総理に就任した際のマニフェストに書かれていることと、与謝野さんがこの本に書かれていることの間には多くの共通点があることが分かります。ちなみに、菅さんが民主党代表、そして総理に就任した際のマニフェストには「経済の拡大(強い経済)、財政の再建(強い財政)、社会保障の充実(強い社会保障)という好循環をつくります」と書かれていて、「強い財政」に関しては「早期に結論を得ることを目指して、消費税を含む税制の抜本改革に関する協議を超党派で開始します」とも書いてある。
私は、この本に書かれた日本を立て直すための方策案には大賛成です。また、与謝野さんは、以前から日本の政治家の中では数少ない、真のStatesmanだと尊敬している方でもあります。これは与謝野さんが1998〜2000年に通商産業大臣を務められたときに同省の課長として、その立派な仕事ぶりを近くて拝見する機会を得て、私自身、持つに至った評価です。ですから、これらの政策は、是非、進めていただきたいと強く願っています。
一方、共通点があるとはいえ、民主党のマニフェストには、あたかも事業仕分けの活用によるムダの削減によって財源の多くを確保するというような目くらましや、「新たな政策は、既存予算の削減または収入増によって捻出することを原則とします」のように、耳障りは良いが実効性の限られる「既存予算の削減」と、その具体的方策案を明示しない「収入増」など、その裏づけや具体的方法の提案のない記述が多いので、安易に賛成する気になれません。実は、これらのことが与謝野さんが民主党から距離をおいていた理由ではないかと密かに疑っているのですが、この点を除けば、菅政権の掲げた経済、財政、社会保障、貿易政策などの重要な政策分野の政策の方向性は、同じ民主党内の議員よりも、むしろ与謝野さんの考えの方が近いようにも見えます。
主義主張の面で与謝野さんも民主党も変節していないとすれば、では、今回起きたことは何だったのか?与謝野さんは民主党のどのような変化に着目し、または、「たちあがれ日本」の主張の何を捨てて、民主党政権に参加したのか?そもそも、「たちあがれ日本」と民主党の間には、実質的にどれほどの主義主張の差があったのか?実質的な主義主張の差がないとしたら、そもそも日本の政党を中心とする、議会政治とは何なのか?選挙で国民は何を選択しているのか?などという疑問が次から次へと湧いてきます。
今回、与謝野さんは、ご自分が政治家として信じることの実現を優先する道を選ばれたということだと思いますが、やはりいろいろな事情で焦られた面があったことも否めないでしょう。あるいは、実は、民主党が見えにくい変節を遂げたのかもしれません。いずれの場合でも、手順、手続きの面では問題がないとは言えないと思います。それも含めて、今回のことを日本の政治のあり様としてどのように評価するか、よく考える必要があると考えています。矮小な個人批判で終わってはいけない。今後、政治やマスコミの論調がどう動いていくか分かりませんが、この問題についてはよく考えて自分なりの評価をもちたいと思っています。
【中国のインフラ整備は、中国に何をもたらすのだろうか】
1月10日に中国吉林財経大学の先生方4人が日本に来られました。昨年のこのコラムで何回か書いた(※2)、吉林省の経済産業発展の方策を研究する帝京大学と吉林財経大学との共同研究プロジェクトの打ち合わせと日中双方における研究の進捗状況の中間的な報告と意見交換のためです。
吉林省は中国東北地区、旧満州地域に位置し、「中国の2%(※3)」を構成しています。主要な産業としては、自動車産業、石油化学産業、食品加工業、医薬品産業などがあります。自動車、石油化学産業の成り立ちについては先のコラムで既に書いたので、食品加工業と医薬品産業について少し説明すると、前者は中国最大の生産量を誇る吉林省のトウモロコシ、後者は長白山(朝鮮では白頭山)の付近で採れる漢方薬原料(朝鮮人参、熊、鹿、茸)がその発展を支えている原動力となっています。吉林省の経済発展は、上海、南部沿岸地域だけでなく、隣の大連を擁する遼寧省にも及ばないために、省としては焦りを感じているようですが、中国経済の発展とともに日本から見れば極めて順調に進んでいます。
この日、中国側から誇らしげな報告もありました。建設中だった長春から吉林の間の高速鉄道(新幹線)がちょうどこの日開通し、120km離れた両都市を20分で結ぶことになったというのです。この鉄道で、長春国際空港から市内までは9分で行けることになりました。この高速鉄道は、数年後には吉林省内の9つの主要都市間を結ぶ計画で、長春から550km離れた吉林省東端の都市、琿春(フンシュン)まで2時間半で結ばれます。また、先のコラムでも書いたとおり、高速道路の整備はもっと進んでいて、既に吉林省の東西、南北を結ぶ幹線路線が約1,000km開通しています。驚異的なのは、これを2015年までに吉林省内だけで4,500kmまで延長する計画であることです。実際、ほとんどの計画路線で建設が始まっています。日本の高速道路の総延長が約8,000km弱といいますから、その規模の壮大さがお分かりいただけると思います。
ただ、そうした誇らしげな報告を聞きながら、気にかかることもありました。日本で新幹線と高速道路網が整備されて何が起きたか?経済の発展に伴って、都市化が進むのは必然的な現象といいますが、それは、地方の人材を吸い上げ、都市部への人口集中を加速する一方で、地方都市の疲弊を加速化したのではないか。私は不勉強で、新幹線と高速道路網の整備の功罪の一部しか見えていないと思いますが、そんな懸念が心をよぎりました。こうした現象を中国はどう考え、それに対してどのような対策を打とうとしているのか。吉林省シリーズの第2回目、「物価から見える中国」(第70回)にも書いた、中国の都市と農村の所得格差を解消するために解決しなければならない構造的な問題の大きさと難しさを考えると、都市部の不動産価格の急激な高騰と相俟って、中国社会の先行きの不安要因を増幅しかねないと思います。ちょっと勉強してみなければいけない問題です。
【こんなことも気になる・・・】
NHKの「世界ふれあい街歩き」はシンプルな番組ですが、大変に人気のある番組のようです。私も、大好きです。先週の「イギリス、コンウォール地方」もなかなか楽しい街歩きでした。番組はNewlynの港町を中心に散策するのですが、そこにはイギリスの海抜ゼロメートルの基準地点が置かれています。ところが、この海抜ゼロメートルの基準というのがなかなか複雑。気圧、干満の差などの調整だけでなく、それらの安定性、風や潮流や波の影響、さらにはその地点の砂の溜まりやすさなどを考慮して、イギリス全土の数多くの候補地の中からNewlynが基準地点として選ばれたとのことでした。
では、日本は?と調べてみると、東京湾の平均海面が海抜ゼロメートルの基準となっているそうです。しかし、疑問はいろいろ湧いてきます。日本の海抜ゼロメートルの基準と外国の基準は同じ高さにあるのか?世界各地の標高はどのように比べるのか?日本国内には東京湾の海面水準と異なるために、標高はプラスでも実質的には海面以下の土地があるのか?などと疑問が次々と湧いてきます。「高度」という身近な概念で捉えられている実態の複雑さに、めまいのようなものを覚えてしまいました。
ちなみに日本の高度は、東京湾の平均海面(実は、海面水準の計測結果からどのように算出しているのか私はきちんと理解していません)から24.4140mの高さにある国会前庭に置かれた日本水準原点が基準となっているそうです。ただし、この水準原点も関東大震災による地盤の沈下で、設置当初の24.500mから現在の値に変更された数値だそうです。
まだまだ、いろいろ勉強して知識を得たり、知識をリニューアルしたり、そして考えたりしなければならないことは山ほどありそうです。先ほどの「このコラムを書き始めるときに書いてみたいと思ったテーマ」に手を付けられるかどうか、まったく見通しは立っていませんが、今年は「何のために書いているのだろうか」について自問自答しながら、少しは皆さんのお役に立つことを書ければと思っています。今年もどうぞよろしくお願いします。
1)「民主党が日本経済を破壊する」 与謝野馨著、2010年1月、文藝春秋新書No.717
2)第69〜71回のコラムを参照ください。
3)吉林省は中国全体の面積の1.95%、人口の2.05%、GDPの1.99%を占めるそうです。
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