第73回 ハーグ再訪 −「OPCW将来構想委員会」への参加−


 思いがけなく、先週、オランダのハーグ市、私たちが1993〜96年まで住んでいた街に行ってきました。本当に1ヶ月ほど前までは、こんな機会が訪れるなんて考えても見なかったような展開の結果でした。


 「化学兵器禁止機構(OPCW:Organization for the Prohibition of Chemical Weapons)の将来構想諮問委員会にメンバーとして出席してほしい」という急な要請を、ほんの1ヶ月ほど前に外務省と経済産業省から受けました。このコラムでも第38回「記録に残しておきたい話(2)−国際機関をゼロからつくり上げたある英国人の話−」で書きましたが、OPCWは、世界から化学兵器という大量破壊兵器をなくすことを目的とする化学兵器禁止条約(CWC: Chemical Weapons Convention)に基づいて新設された国際機関です。オランダのハーグに本部があり、私は1993〜96年の間、その新たな国際機関を創る準備作業に、暫定技術事務局(PTS:Provisional Technical Secretariat)の一員として参加していました。


 OPCWは、条約の発効要件が整った1997年から正式にその活動を始めました。今では加盟国数が185カ国となり、国際査察官170名を含む事務局員数約500名、年間予算規模7,500万ユーロの組織となっています。あまり詳しいことをお話してもしようがないのですが、OPCWは大きく2つの役割を持っています。一つは、現在、米国やロシア、そしてイラク、シリア、インドなどの国々が保有している化学兵器とそれを生産する施設の破壊を行う、いわば「軍縮」の実施機関。(ただ、残念ながら北朝鮮は国際社会の説得にもかかわらず、OPCWには加盟していません。)もう一つは、化学兵器の原材料となりうる一般工業薬品の化学兵器原材料への転用を防ぐ、いわば「不拡散」の監視機関としての役割です。


 後者の活動は、世界の一大化学工業国である日本も大いに関係していて、そうした不正な使用が起きていないことを確認するため、皆さんはあまりご存じないと思いますが、OPCWの国際査察官が年に10ヶ所ほどの化学工場に査察にやってきています。前者の活動にも、実は日本は一時期、関係していたことがありました。みなさんご承知のオウム真理教の「第7サティアン」−あのサリンが生産された施設です−を破壊する際に、OPCWの査察官がきちんとした破壊が行われたことを確認しに来ています。このほか、現在、日本政府が進めている旧日本軍が中国に残してきた遺棄化学兵器の破壊作業も、OPCWの査察官が第三者の立場から監視しています。


 OPCWの活動について、私はある程度の基礎知識と経験があり、今の仕事もまったく関係がないというわけでもないのですが、私だって仕事があります。その委員会とはどんなものか、そして何故私なのか、どれほどの時間がとられる委員会なのか。わざわざ足を運んで説明に来ていただいた外務省と経済産業省の方に聞くと、こんなお話でした。


 −OPCWの「軍縮」の方の仕事は、比較的順調に進み、一部を除いて2012年4月(条約が発効してから5年目)には条約の規定どおり、世界に存在する化学兵器、化学兵器生産施設の破壊がほぼ終了することになった。(ちなみに、これは大変な成果といえるでしょう。)それにともなって、OPCWの事務局(TS:Technical Secretariat)の仕事の内容も大きく変えることが必要となる。


 その一つの考え方は「軍縮」から「不拡散」の方に仕事の重点を移すこと。別の考え方は「軍縮」関係の仕事の一段落に伴って、組織を縮小すること。ただ、これまで条約で期限が定められていた「軍縮」関係の仕事を優先していたために、「不拡散」の分野の仕事は後回しにされてきた部分があることは事実。(例えば、転用リスクが比較的低いと考えられるカテゴリーの一般工業化学薬品生産施設のうち、これまで査察できているのは、世界の4,500の施設の20%程度に留まっている。)また、化学兵器テロ活動の防止や化学兵器が使用された場合の緊急被害対応支援を行うための専門的機関としての役割などの新たなニーズも出てきている。

 こうしたことから、事務局長は2012年以降のOPCWのあり方に関して提言してくれる賢人会議のようなものを設けたいと強く希望している。それが「OPCWの将来構想委員会(Advisory Panel on Future Priority of the OPCW)」である。事務局長は、その委員会に、日本からは化学産業分野の識者を出してほしいと要請してきた。−


 おおよそそんなご説明を受け、まあ、いろいろあったのですが、結果として委員をお引き受けすることになりました。それで、先週(12月13〜17日)、思いがけなくハーグに行ってきたのです。


 不思議なめぐり合わせと感じるのですが、実は、こういった思いがけない展開とは別に、OPCWの関係者から10月末頃に1993〜96年の暫定技術事務局時代に働いていた職員の同窓会(Reunion)をやろうという提案のメールが飛び込んできていました。11月26日(金)の夜、小奇麗で暖かい雰囲気で私のお気に入りだったハーグのAmbassador Hotelで、ワインを飲み交わしながら当時の思い出話を語りませんか。そんな案内です。初代の事務局長の故Ian Kenyon氏の奥さんもイギリスから参加するとのことです。行って久しぶりに懐かしいみんなの顔を見たい。暫定技術事務局の三美人と言われたかつての女性職員も参加するようだ。でも、さすがにそれだけで日本から行くのは無理ですよね。そんな訳で、私からは「みんなと会いたいけれど日本からの参加は無理。みなさんによろしく」と返事はしたものの、ずっと26日のことが気になっていました。するとsurpriseなメールが飛び込んできたのです。その女性職員のひとり、住所が不明となっていたBernadetteからのメールでした。また、これをきっかけとして何人かの昔の同僚からメールが送られてきました。ほとんどの人が、もう、職を変えてオランダを離れていましたが、昔の仲間の消息をずいぶんと確認することができたのです。


 そんなやりとりがあったものですから、先週のオランダ行きが決まったとき、早速、まだオランダに住んでいるBernadetteと連絡をとり、ハーグで会うことにしました。久しぶりの再会の場所は、もう15年ほど前に、Bernadetteを含む何人かと一緒に行ったことのあるハーグ市内のすし屋。小さな運河の横に建つ長屋の一角の小さなすし屋です。話をしだすと、あっという間に15年のブランクは消えて、当時の懐かしいよもやま話となりました。彼女は、そのとき暫定技術事務局の受付に座り、外来者の受付、電話の応対、外出する事務局員の車の手当てなどをやってくれていました。毎日、ほぼ朝から晩まで各国代表の勝手な意見に翻弄され、疲れきって会議場から帰ってくる私たちを、歌うような声と輝く笑顔で迎えてくれたものです。でも、やはり15年の年月は重く、彼女ももうすぐ40歳。離婚して2児の母親となっていました。日本のすし屋とは異なって照明を落とした店内ではあまり良くは見えなかったけれど、その美しい顔には皺が何本か刻まれているように見えました。聞いてみるとそのすし屋も、半年ほど前に中国人の経営に代わったとのこと。時の否応ない流れを感じます。


 この季節ハーグは暗く、冷たい風と雨が吹き付けます。時おり日が差しても、フェルメールの「デルフトの風景」のように、うすい水色の空とそこに浮かぶ白と灰色の雲の端がわずかにうすい橙色に色づく程度の弱い光です。その空の下に、さまざまな形のファサードの家々が軒を寄せて建ち並び、昔住んでいた近くのクリンゲンダール公園は凍てつくような風が吹き抜け、冷たい景色が広がっていました。それでも思いもかけず訪れる機会を得たハーグの3日間はとても懐かしいものでした。


 さて、そんな横道の話からもどって将来構想委員会の話も少し書いておきましょう。そのためにハーグに行ったのですからね。この将来構想委員会の開催には事務局長は大変に力を入れていて、参加者の旅費、ホテルの宿泊費はすべてOPCW持ちです。委員会のメンバーは、ヨーロッパだけでなく、14人のメンバーの半分ほどは私のように、日本、中国、米国、ブラジル、そして南アなどと遠方からの参加者です。実は、メンバーは錚々たる顔ぶれで、委員長は、ストックホルム国際平和研究所理事長、スウェーデンの駐米大使を務めたEkeus氏。国連の軍縮分野の代表的人物です。このほか米国からは、前駐オランダ大使のJavis氏、ロシアからは元軍縮代表部大使で化学兵器禁止条約の起草委員会の委員長を勤めたBatsanov氏、ブラジルからは元駐仏大使であったAzambuja氏、アルゼンチンからは外務省副大臣のMoritan氏、インドからは駐ネパール大使(インドの在外大使館としては最大の大使館の大使らしい)のSood氏など、以前、いずれもジュネーブにある国連の軍縮会議の代表(大使)を務めたことのある主要国の大使が名前を連ねています。そんな委員会に私がメンバーとして参加するのは不釣合いだとは思うのですが、日本からは化学産業の観点から意見を言える人材を是非出してほしいということで、いろいろな方の推薦もありこんなことになったようです。



 先週の第一回目は、OPCWの活動の現状と将来展望についてOPCW事務局の各部長からブリーフィングを受けました。続いて2回目は2月、そして2011年の6月までにあと2回の計4回のお勤めがあるようです。本当に思いがけなく、またハーグとのつながりができました。委員会は、14名の委員が小さなテーブルを挟んで自由討議するという形式ですし、メンバーがメンバーですから結構重いのですが、まあ、かつて国際機関で働いていた経験もあり、リラックスして議論することができます。また、ドイツの委員のTrapp氏、委員会の事務局を務めるFeaks氏(英国)は旧知の間柄でもあり、そんなところは気が楽でもあります。そして、正直言って5月6月といったオランダの素晴らしい季節にハーグを再訪できるのも楽しみではあります。


 ところで、先のReunionの話には続きがあるのです。Reunionの会合で、暫定技術事務局ができて20周年になる2013年に、再び、大Reunionをやろうということで話が盛り上がったそうなのです。何しろ20周年ですからね。きっと懐かしい人といっぱい再会できるチャンスになるのではないかと思います。そのときは、私たちも家族もReunionに参加したいね、と家族で話しているところです。



記事一覧へ