第7回 もうひとつの産学連携 (1)
産学連携は、世界の多くの国において重要な政府の政策として推進されています。この背景には、原山先生が、その産学連携講座第16回「京の祭りの後に」で指摘されているように、高等教育の歴史、体系、制度等、初期条件は異なるものの、グローバルな社会の大きな潮流として、各国国民の「学」に対する期待、政府のイノベーションにかける期待の高まりがあるからでしょう。
日本でも今世紀に入ってから、産学の連携の推進は、重要な科学技術政策の課題の一つとしてとりあげられ、「ベンチャー企業育成政策」、「地域クラスター政策」、「知的財産の創造、保護、活用政策」等へとその裾野を広げつつ、産と学の間のさまざまな形、内容の連携強化を図るための政策が展開されてきました。
わが国の産学連携推進政策の重点テーマの変遷は、日本の産学連携活動の中核的イベントとして、今や京都の夏の風物詩の一つとなりつつある「産学官連携推進会議」の過去6年間の分科会テーマを見ることによって、おおよそ看て取ることができると思います。2002年の第1回会合から、ほぼ毎回のように議論されているテーマは、産学の共同研究、ベンチャー企業の育成、地域における大学をコアとした産学連携、大学の知的財産戦略に関するものです。2004年の第3回会合あたりから取り上げられ始めたのが人材の問題、そして、ここ2年ほどは、産学連携の国際的な展開を視野に入れたテーマが取り上げられ始めました。
私自身も、2005年と2006年の第4回、第5回会議の企画立案に携わりましたが、このころになると産学連携活動の重要性に関する認識は既に広く共有されるようになり、また、産学連携推進に必要となるさまざまな制度的仕組みもほぼ整えられてきたことから、議論は、むしろ産学連携活動を実際に担い、動かしていく人材の確保の問題や、社会や経済のグローバル化が進む中で国境を越えた産学連携を進めていくことの必要性など、産学連携を効果的に進めていくための、どちらかといえば実施面の問題に会議の話題の重心は移ってきました。
ところで、2006年の会議では、原山先生や東京大学の渡部俊也先生などと意見一致、意気投合して、5年目という節目を迎えた年に、ファクト・データをもとに過去5年間の産学官連携の進展の状況を振り返ってみようと「データから見る産学官連携の現状と課題」と題する第5番目の分科会を特別に設けてみました。地味なテーマで、どれほどの方々が分科会に参加されるだろうかと心配しましたが、思いのほか盛況で、自分たちが推進してきた産学官連携がどのような状況にあり、今後の課題として考えるべきことは何かということを、きちんとしたデータに基づいて振り返ってみたいと考えられた産学官連携関係者が多かったのには感心しました。その内容は、先述の「京の祭りの後に」の中で、原山先生がポイントをまとめられていますし、また、同分科会で配布された資料集に、当日、東大の馬場、渡部、本橋の各先生、科学技術政策研究所の桑原さん、富士総研の西尾さんたちから発表されたファクト・データとそれをもとにした分析評価が整理されています。
ところで、2004年の国立大学法人化を機に、大学のミッションとして新たに「研究成果の社会還元」が加わり(国立大学法人法第22条)、大学のミッションは「教育」、「研究」、「研究成果の社会還元」の3つとなったと説明されています。(「研究成果を社会につなぐ」:文部科学省資料)そして、その資料で見る限り、産学連携は、上記の3つのミッションのうち「研究成果の社会還元」のミッションに関連して取り組みが行われるべきものと位置づけられているようです。そのような目で、過去の産学官連携会議で議論されたテーマを振り返ってみると、そうした産学連携の位置づけからみて当然のことなのかもしれませんが、これまでは議論のほとんどが大学の「研究成果の社会還元」のミッションをめぐる問題であったことに気がつきます。
実際、過去の議論を利用可能な資料を基に辿ってみると、これまでの産学官連携推進会議の主要なテーマは、先に述べたとおり、「ベンチャー企業育成政策」、「地域クラスター政策」、「知的財産の創造、保護、活用政策」などで、「研究成果の社会還元」のミッションに直接に関係するテーマです。このほかのテーマとしては、第3回目に「科学技術関係人材の育成、活用」、第5回に「イノベーションの創出に向けた産学官連携の推進と人材の育成」というテーマでそれぞれ人材問題が取り上げられてはいるものの、ここでの議論は基本的に産学連携を担っていく人材、産学連携で生まれた研究成果を事業などの社会的利用に結びつける人材など、いわゆる「産学連携人材」の確保と育成の問題が中心でした。
すなわち、これまでの産学官連携会議では、大学の「教育」、「研究」の面での産学連携を真正面から取り上げた議論が行われてこなかったと評価できそうです。その意味では、今年(第6回)の分科会W(座長:(株)富士通研究所の吉川さん)は、新境地を開いたといえるかもしれません。この分科会は、「求められる高度理工系人材」というテーマで大学院教育のあり方を含む高度理系人材養成プロセスを検討テーマとしてとりあげ、人材教育面での産学官連携のあり方について問題提起しています。ただ、資料で見る限り、その内容は科学技術分野の博士課程のあり方の議論が中心となっていたようです。
しかし、もっと真正面から産学連携によって大学の「教育」、「研究」の質の向上を図る試みについて取り上げ、議論してはいけないという理由はないはずです。イノベーションの創造・促進が切望されている中、イノベーションを生み出し、担っていく人材を育成する拠点としての大学に国民の期待が高まっているのですから。米国では、産業界と大学との間で、教育カリキュラムの内容や教え方が時代に即したものとするための産学間の協力が定着していると聞いています。あいにくと講演会の資料が手元にないので、関係機関の固有名詞を言及できないのですが、東京大学大学院の武市正人先生の「わが国の情報分野の人材養成について」と題する科学技術政策研究所で行われた講演会(2005年4月)では、米国の大学では、コンピュータ・サイエンス学科の教育内容を技術の進展や産業界のニーズにマッチさせるために、大学の教員と産業界の技術者が比較的頻繁に集まり、こんなに基本的な講義テーマまで改変してもよいのかと関係者もとまどうほど、かなりダイナミックにコア・カリキュラムの見直しを行っていることが紹介されました。
でも、大学の「教育」、「研究」に関する産学連携の議論に移る前に、産学連携に最もなじむと考えられている「研究成果の社会還元」ですら、現状では大学がそれを「教育」と「研究」と同列に位置づけて力を注げる状況にないことを理解する必要もあるでしょう。大学にとって、企業等の外部機関からの寄付や共同研究等によって得られる収入は、現状では不安定すぎて、それに頼る体勢を作るなどということは到底考えられない状況だからです。実際の大学経営を見ても、運営費交付金で「教育」と「研究」活動を支えるための教育研究費が手当てされている一方で、産学連携のために必要となる経費は手当てされていません。そして、企業等の外部機関との寄付や共同研究等によって大学が得た研究費は、教育研究費とは区分されて管理されています。すなわち、大学の3つのミッションとは言いながら、産学連携は、まだ、大学にとっては「教育」、「研究」の外で、余力に応じて取り組む活動に留まっていると解されるのです。
大学が、その「教育」、「研究」、「研究成果の社会還元」の3つのミッションのそれぞれの側面において、産業界との連携を進めていくことを可能とするには、産学連携を進めることについての産業界から見た魅力を高めるよう、大学側の一層の努力が必要なことも事実ですが、同時に、産業界が産学連携の推進について、強く、一貫したコミットメントを行うことも必要です。上述したとおり、現状では、大学は「研究成果の社会還元」の活動においてすら、安心して必要な取り組みを進めることができないからです。こうした両すくみのような状況を打開する必要があることは、従来から言われていますが、その打開に向けた具体的な行動が必要です。米国において、教育内容面での産学協力が定着しているのも、米国の産業界が大学の教育の内容に関心を持ち、真摯な研究と協力を継続的に行っているからです。
ちょっと長くなったので、今回は、もう一つの産学連携、すなわち、産学連携によって大学の「教育」、「研究」の質の向上を図る試みの必要性について問題提起を行うことで筆を置きますが、次回は、大学の「教育」、「研究」問題の素人がこうした問題を論じる危うさを承知しつつ、もう少し、この問題を具体的に論じて、今後の議論の進展のために一石を投じてみたいと思います。
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