第69回 朝鮮族の中国(吉林省をあるく その1)
眼下には黒く森が広がり、手前側の森と向こう岸の草原を隔てるように南東に伸びる河は、低く垂れ込めた雲のために今日は見えない日本海に向かって流れています。河の遠くには、鉄道用の鉄橋が架かっていますが、橋を渡る列車の姿は見えません。河の東側(左側)に目をやると、森のなかのところどころに湖と灰色のコンクリートの建物が点在しているのが見えます。私の立つ展望台には、湿気の多い風が、ときおり糠のような雨粒を運んできて、いかにも東アジアの辺境の地にふさわしい情景でした。
:湖の側はロシア領、豆満江の向こうは北朝鮮、川に架かる鉄橋の手前までが中国領、 晴れていると日本海が見える
ここは、中国吉林省延辺(えんぺん)朝鮮族自治州の防川(ぼうせん)。河の向こうの草原は北朝鮮。日本海に向かって流れる大河は豆満江(これは朝鮮語表記。中国語表記では図們江)です。私の立つ展望台のすぐ足元にはロシア国境を示す柵が迫っています。北朝鮮との国境は豆満江の真ん中。しかし、鉄橋の手前で中国の領土はロシアにとって代られます。中国は、日本海を目前にしながら、ここでは海への出口を閉ざされました。
できれば中国吉林省の大きな地図を見ていただければと思いますが、ここは吉林省(右の地図黒い部分)の東の端に位置する琿春(こんしゅん)市から、日本海に伸びている盲腸のような土地の先端にあたります。今度、この地域の歴史をきちんと勉強してみようと思いますが、どうやら現在の国境線は、清朝の時代にロシアに確定されたもののようです。さらに時代をさかのぼれば、昔はこの地域全体は高句麗の一部でした。南の遼寧省を通らないと海への出口がない現在の中国の吉林省は、省の経済発展を図るために、何とかロシアあるいは北朝鮮と協力して日本海への出口を得ようとして「図們江地域開発」を企図しています。
実は、琿春市の東30kmほどのところにはロシアのザルビノ港という良港があり、鉄道もロシアまでつながっているのですが、既に良港のウラジオストクをもつロシアがそうした協力に積極的でないのと、国境で軌道の幅が変わるために、そうした目論見はこれまでのところうまくいっていません。
ところで、私がなんでこの地を訪問することになったのか。私は、帝京大学経済学部の和田正武教授からお誘いを受け、今年の春から吉林省の経済産業発展の方策を研究する研究プロジェクトに参加しました。そして、研究プロジェクトの一環として8月24から31日まで、長春にある共同研究パートナーの吉林財経大学を始め、吉林省の各地を訪問したのです。27日から30日には吉林財経大学の協力により、吉林、敦化、延吉、琿春をマイクロバスで回る実地調査を行いました。さらに、週末には、北朝鮮との国境に連なる朝鮮族の聖地、長白山(白頭山)にも立ち寄りました。総距離1,000キロを超える大旅行となりました。
:調査団のメンバー:左から加藤帝京大学教授、 高橋東京大学名誉教授、和田団長、黒崎帝京大学教授、筆者
(実は、あまりの強行軍であったため、長白山のふもとの町(二道白河)まで行ったものの、時間が足りないことが分かって周辺の景勝地を何も見ることなく、次の目的地に向かうこともありました。)長春から琿春の手前、図們(ともん)までは片側二車線の立派な高速道路が整備されていて、こうした強行軍を可能にしたのです。(おかげで体は疲労でボロボロになりましたが・・・。)
今回、私たちが回った地のほとんどは、長春を除いて朝鮮族の多く住む土地です。延吉(えんきち)には、延辺朝鮮族自治州の人民政府もおかれています。この地は、古くは高句麗、渤海の中心都市の一つでした。
「昔は、街で聞く言葉は朝鮮語がほとんどだったのに、最近は中国語が飛び交っています。」とちょっと寂しげに話していたのは、調査旅行に同行した金松梅さんと何晰さん(写真)。(李賀さんは、長春生まれの漢族。)ともに帝京大学大学院に中国から留学してきている女子大学生です。金さんは延吉生まれの朝鮮族。何さんは長春生まれの満州族です。ともに朝鮮語を大事にしていて、高校までは朝鮮語で教える学校に通っていました。何さんに至っては、長春に生まれながら、満州族の親の教育方針で幼稚園、小学校は延吉に住んでいるおばあさんの家に預けられ、朝鮮語を身につけました。そして、大学は朝鮮族自治州の名門大学、延辺大学に進学したのです。ですからこの二人は、日本語、中国語、朝鮮語を使えるTri-lingualということになります。(ちなみに英語も勉強しているそうです。)
この三人の中国女性は、皆、素直で真面目でよい学生です。なかでも金さんには調査団の全員が、感心してしまいました。心遣いが優しく、よく気がつきます。自分の故郷を訪ねた遠来の客に、精一杯のおもてなしをするという気持ちが表れていました。性格も快活で、話をするときには、人の目をまっすぐに見て心の伝わる会話が出来ます。もう日本ではなかなか見ることの出来ないような素晴らしい娘さんでした。
:左から金松梅さん、李賀さん、何晰さん
彼女らの身分証明書を見せてもらいましたが、そこには朝鮮族とか満族と記されています。延辺朝鮮族自治州は、中華人民共和国の成立当時は吉林省と並ぶ地方行政区の地位にありましたが、ほどなく吉林省の一部となりました。現在、延辺朝鮮族自治州に住む朝鮮族は約200万人で、人口は減少傾向。徐々に漢族が増えてきています。延吉市では漢族が人口の約60%を占めるまでになりました。そんなこともあってか、彼女らによると、以前は自治州政府のトップは朝鮮族、No.2は漢族だったが、最近は何代か続けて漢族がトップを占めるようになったとのことです。
しかし、経済的にはこの地域は依然として朝鮮(韓国)の影響を極めて強く受けています。第三次産業のウェイトが大きいとのことですが、その背景にはこの地の朝鮮族の多くが韓国に出稼ぎに行き、出稼ぎ資金や物資を送ってくる。そういった資金や物資を元手として延吉市では商業が栄える。こんな構図があるようです。表には出ないけれど国境を接する北朝鮮からの脱北者も相当な数が流入し、土木作業などの低賃金労働を支えていて、経済的な補完関係が成立しているといった話も延吉で会った日本企業の関係者から聞きました。
延吉では金さんに朝市を案内してもらいましたが、そこでは朝鮮人参や松茸といった中朝国境に連なる長白山の山の幸とともに、北朝鮮の海産物も売っていました。ちなみに松茸の値段は、1kg160元(約2,400円)。日本で出回る中国産の松茸の1/3以下の値段です。
ついでにこの朝市の喧騒ぶりを見ていただきましょう。食料品は野菜、果物、海産物、食肉、乾物など何でも売っています。ここで朝食をとる人もいるようで、お餅、揚げパン、チヂミを作ってその場で売る店が並んでいます。お惣菜も買えます。すぐ隣の国、北朝鮮で伝えられる食糧危機がうそのように中国、延吉では物資が豊富です。市場には、肩揉みの店や生命保険を売る店も出ています。ちなみに肩揉みは10分5元(75円)で、死亡保険金は、50,000元(約75万円)。こちらの労働者の人たちの給与は、大体1,000元/月(約15,000円/月、年収に直すと18万円)ですから、まあ、保険金の額は日本のそれとほぼ同程度ということでしょうか。
ここに住む人たちは、先ほど記したように教育を朝鮮語で受けることを選択できます。テレビ放送も朝鮮族自治区の放送局があり、朝鮮語の番組を流す専門チャンネルがあります。街の看板、街路の表記、交通案内板などは、すべて中国語とハングルの併記になっています。街での日常会話も朝鮮語がほとんどの場所で通じます。さらに、ここでは韓国のKBSのテレビも問題なく見ることが出来ます。それでここに住む朝鮮族の人たちは、中国の朝鮮語放送よりKBSの放送のほうが面白いと言って、そちらを見る人のほうが多いようです。
実際、私たちが吉林省を訪れていたちょうどその時期、確か8月26日から30日まで北朝鮮から金正日主席の一行が私たちとすれ違うように吉林、長春に来たのですが、中国のTVで訪中を初めて報道したのは29日でした。一方、KBSはもちろん即日そのニュースを、訪中の背景とともに伝えていました。(私たち一行も、金正日主席の吉林省訪問で高速道路が突然閉鎖となり、長春から吉林まで回り道を余儀なくされるという影響を受けました。ところで高速道路の長春インター近くで足止めを食っていたとき、暑い中、道路掃除に急に動員されたおばさんが「まったく迷惑といったらありゃしない」と大声で文句を言いながら箒で道を掃いていたのには、皆が笑ってしまいました。)
中国の朝鮮族の人たちにとって、北朝鮮はどう見えるのだろうか。そんな興味で、大変に微妙な質問と思いながらも金さんに聞いてみました。彼女の答は「私の親戚は韓国にしかいないけれど、親戚の親戚は北朝鮮に居るので、時々着るものなどを送ります。」という返事でした。北朝鮮という国家に対する感情のニュアンスは分からなかったものの、やはり同じ民族が暮らしているところということで、北朝鮮の人々をはるかに身近に感じているようでした。
:長春の北朝鮮レストラン
ところで長春には、経営者は中国人だが北朝鮮公認で北朝鮮料理を供し、音楽を楽しませるレストランがあります。最後の夜にそこで夕食をとることにしました。松茸の炒め物、ハタハタの開き、シシャモの干物、ヒラメの刺身など中国料理とは明らかに異なる料理を出します。また、北朝鮮音楽大学卒業の女性従業員が、給仕サービスとともに、質の高い音楽演奏のサービスをします。(写真参照。胸には北朝鮮の国旗のバッチを付けています。)大変に人気のある店とかで、清潔で料理もおいしい店だったのですが、同行した中国人の「ここでは北朝鮮の国立音楽大学の卒業生が働いていますが、その月給は800元。うち、600元は北朝鮮国家に納めさせられるそうです」との問わず語りの話の裏からは、この地域に住む中国人の北朝鮮に対する感情が垣間見えたような気がします。
延吉からほんの30kmも東に行った図們からは、中国の国道(そして今年10月に完成する長春から琿春まで続く高速道路)は、豆満江100mに満たない川幅を隔てて北朝鮮と国境を接して走ります。北朝鮮は本当に眼と鼻の先。脱北者を防ぐためか、木材を伐採しつくしたためか、北朝鮮側には草原が広がります。のどかな風景ではあるのですが、眼を凝らしてみるとところどころにトーチカがあり、難しい国との国境地帯という現実を思い起こさせる緊張感があります。
:河の向こう側は北朝鮮、こちら側は中国
現在では、中国と北朝鮮の交通の窓口は、よくTVなどで見る図們市の鉄橋などに限られていますが、昔は豆満江をはさんで住む朝鮮族同士の間で結構行き来があったようで、小さな村の道が橋を渡って隣村に続くような感覚の道と橋も残っています(写真)。でも、この橋は、今は渡ることが出来ません。橋を横切って懸かる旗のところまでは行っても大丈夫と言われましたが、向こう岸の橋のたもとにはトーチカがあり、とても旗まで行く勇気はありませんでした。(大丈夫と言っていた中国人も、何かあるといやだから自分は行かない と言っていたくらいですから。)
:今では通れない中朝国境に架かる橋
この河は冬になると全面凍結するそうですから、闇夜であればこの程度の距離を中国側に渡ってくるのはそれほど困難なことではないようにも感じます。(勇気はいりますけれど・・・。)そんな状況なので、延辺朝鮮族自治州にはかなりの数の脱北者が逃げてきているのではないかとも言われています(*1)。それが「(この地域では脱北者が)土木作業などの低賃金労働を支えていて経済的な補完関係が成立している」と言われる所以でしょう。
今回の旅は、吉林省の経済、産業発展の方策を探るための調査とは言いながら、図らずも中国に住む朝鮮族のことを考えさせられる旅になりました。朝鮮族は、漢族よりもはるかに文化的にも言語的にも日本民族に近い民族です。そして、朝鮮族はきれい好きで、朝鮮族の住んでいる地域は比較的清潔です(*2)。心遣いや気持ちも日本人に近い感じがします。(最後の点は、金さんという素晴らしい女性の印象が、きっと多分に影響していることもあるでしょうが・・・。)歴史問題、北朝鮮という難しい国の存在、そして、隣国の韓国との間にも近い国同士であるが故のつきあいの難しさというものはありますが、歴史の波にいまだに翻弄され、国家を分断されても懸命に生き続けている朝鮮族の人たちのことを、日本人はもう少し理解する必要があるのではないかとこの地を訪ねてみて思ったものでした。
1.例えば「中朝国境をゆく」(べ・ヨンホン著)中公新書ラクレNo.245。
2.こうした感想が私のものだけでないことを、このコラムを書くにあたって調べた本や旅行者のブログを見て確認することが出来ました。
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