第51回 「さしすせそ」の科学
久しぶりの京都での贅沢な時間。それは、京料理のお店で磨き上げられたカウンターをはさみ、おばんざいを酒の肴にいただきながら交わした板前さんと料理をめぐる楽しい科学談義でした。
「さしすせそ」は、和食の味付けの基本となる5つの調味料とそれを使う順序の語呂合わせとして私たちも良く知っていますが、その「さ(砂糖)」、「し(塩)」、「す(酢)」、「せ(醤油:せうゆ)」、「そ(味噌)」の順序の理由はご存知?
Wikipediaの「さしすせそ(調味料)」(2008年10月23日版)の解説では、次のようなことを書いています。
「基本的な考え方は以下である。
1. まず、甘味はなかなか浸透しにくいので、砂糖を入れるのは早いほうが良い。特に塩や醤油を先に入れてしまうと食材に甘味が付きにくくなる。
2. 塩(塩水)は浸透圧が高く、食材から水分を呼び出すため煮汁の味を決める初期に入れる。
3. 酢は早く入れすぎると酸味がとんでしまうので、調理進行を見計らって入れる。
4. 醤油、味噌は風味を楽しむものなので、仕上がりに入れることが望ましい。」
料理をほとんどしない私だって、使いこなせる知識とまではなっていないものの、「さしすせそ」くらいは聞いたことがあります。でも、板さんの話は「さしすせそ」の科学にまで立ち返ったもので、それは見事なものでした。物質の分子の大きさを踏まえた理解です。
「味付けを考えるときには、調味料の分子の大きさを考えなあきまへん。塩の分子は小さいから、塩を先に入れたら塩の分子が層を作ってしまって、その後から大きな砂糖の分子は中に入れなくなります。大きい石を並べた後、砂をこぼしていっても砂はどんどん石の間を抜けて中に入っていくことができますやろ。逆に砂の層があったら、その後から大きな石は中に入っていかしまへん。砂糖の味付けというのは、食材の表面に大きな石が並ぶのと同じですわ。塩は、その後からでも食材に入っていけます。塩は後からでも味付けが効くんですわ。だから、砂糖がまず先でなくてはいかんのです。」
「あっそうかー。でも・・・」と一言多い私が、「でも、酢は酢酸だから塩より分子は大きいよね」などと理屈をこねると、「酢は生き物です。生き物は活かして使わなければ風味がのうなってしまいますから、できるだけ料理の仕上げの方で使います。」確かに・・・。まさに、一発で決まったという感じです。(以上、京都弁の間違いがあったらお許しください。)
こういった理由を理解すれば、「さしすせそ」の呪文は覚えていたが、「さ」が酒だったか砂糖だったか、「し」が醤油だったか塩だったかを思い出せなくなるということは、もうありませんね。これは私にも一緒にいた理科系卒の妻にとっても大収穫でした。そして、料理に使う酢や醤油や味噌は、酵母が元気に生きている、もちろん本醸造品に限るということでしょう。
包丁の研ぎも話題になりました。料理人さんの世界では、包丁を大事にし、毎日のように砥石で研いで鋼(はがね)の部分がほとんどなくなるまで使うのは知っていましたが、包丁がそこまでチビるのは、ほんの3年ほどのことだそうです。そして、使う砥石も荒砥、中砥、仕上げ砥の3種類。特に、目の細かい仕上げ砥は、毎日、使って包丁を研ぐのだそうです。何でそこまで包丁を研ぐのか。
単に切れ味だけでなく、食材の鮮度を保つためだそうです。よく研がれた包丁で切り分けられた魚の切り身は、表面が滑らかで空気に触れる面積が少ない。だから劣化も遅い。やはり、良い料理人が手をかけた日本料理は新鮮で美味しい訳です。
いやあ、料理の背景にある科学にこれほど触れることのできた夜はありませんでした。
ところで、ゆっくりと神社仏閣めぐりすることだけを目的に訪れた今回の京都と奈良行きは、抜けるような青空と目にも鮮やかな新緑に恵まれて、素晴らしい旅になりました。特に、奈良は約40年ぶりの訪問となります。
さすがにこれだけ時が経つと、悠久の歴史を持つ社寺にもいろいろな変化があります。妻の希望もあって、有名な京都、太秦の広隆寺、奈良、斑鳩中宮寺の弥勒菩薩像の穏やかなお顔の二体の半跏思惟像にも再会してきましたが、以前は小さな暗いお堂で蝋燭の火に照らされて座られていたこれらの仏様が、防火建築の宝物蔵に納められていたのには少しホッとする一方で、時の流れを感じたものです。
:【苔庭と作品の仏様たち】
嵯峨野では、色とりどりの楓の若葉が風にゆれる常寂光寺の本堂を借りて、細川護熙さんの陶芸、書の企画展が催されていました。本堂や苔庭のお寺全体を借景にし、それらの作品を鑑賞する趣向です。苔庭にさりげなく置かれた陶器の仏様や、畳の心地よい感触を感じながら本堂に上がって陶器や書を静かに拝見するというこの企画展の試みは、快晴の天気にも助けられて見事に当たっていました。そして、私のような凡人には、最後におもてなしとして本堂の一隅で、作品のお茶碗を使って振舞われたお抹茶とお菓子は、五月のさわやかな風に揺れる庭の楓からの木漏れ日の美しさとも相俟って、何よりの思い出となりました。
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