第50回 地球の歴史と人間の主体性


〜♪ 小さい頃は神様がいて 不思議に夢をかなえてくれた
    やさしい気持ちで目覚めた朝は おとなになっても奇蹟はおこるよ
    カーテンを開いて 静かな木漏れ陽の
    やさしさに包まれたらなら きっと
    目にうつるすべてのことは メッセージ ♪〜 

                (「やさしさに包まれたなら」作詞:荒井由美 )
 家の周りの雑木林では、桜の木がいっぱいに花をつけ、薄桃色の花が青空に映えて風に揺れています。その林が小さな谷へと続く斜面には、まるで牡丹の花のように大ぶりでピンクの大島椿の花や、名前は分からないのですが本当に真紅に近い桃色の花を付けた桃か桜、そしてやや色白の清楚な感じの山桜の花々が競い合うように咲いて、まるで花の谷のようです。(隣人の地主さんに感謝!)そんな春の素的な風景に囲まれて優しい気持ちになったからか、久しぶりに数日間寝込んでしまうほどの風邪を引いて少し気が弱くなっていたせいか、私たちの青春時代によく聴いていた荒井由美のこんな歌を思い出しました。

 そう言えば確かに、小さい頃は神様が見守ってくれていて、不思議なほど夢をかなえてくれましたし、小さい頃は、家族、親戚、そして周囲の大人の人たちが、皆、立派な人ばかりで、世界は自分たちを中心に回っているように感じていた時期がありました。要は、両親を始めまわりの人たちに暖かく守られ、小さな自分の世界で生きていられたということだと思いますが、そういった小さな自分の世界から見える周囲の世界は、自分のまわりにあるものは「特別」で、格別に大きく立派に見えたものでした。

 私は、ものごころがつき始めてから小学校の高学年まで、練馬区の北のはずれ、東武東上線の沿線地帯に生まれ始めた住宅地に住んでいましたが、そういった地域と池袋を結ぶ東上線では、住宅地の郊外への急速な広がりにとともに朝夕の混雑は殺人的なものとなり、人の圧力で電車の窓ガラスが割れることも決して珍しいことではありませんでした。そういった東上線に毎日乗って、文京区にある小学校まで毎日通っていた私にとっては、片開きのドアでスピードも遅く、旧式の電車がまだ大半を占めていた(まあ、あの時期は日本のどこもがそうだったのかもしれませんが)にもかかわらず、東上線は日本で一番の私鉄でした。池袋の西武百貨店は、その後、確かに名実ともに日本最大のデパートになった時期もありましたが、当時は、「丸物(まるぶつ)」という別の百貨店と東口で軒を並べていました。日本の代表的なデパートというには質的にも量的にも程遠い状況でしたが、西武百貨店は特別で、たまにそこの大食堂で食事をするのが本当に楽しみでした。親戚が信州の別所温泉で経営していた旅館も、本館の裏には大宴会場や家族風呂に行くための地下通路などがあって、当時からTVでCMを流していた「伊東のハトヤ」にはさすがに負けそうだけれど(当たり前だ(笑))、日本でも有数の温泉地にある立派な旅館と思っていました。

 ほどなくして、父親の余儀ない転職もあって、我が家はごく普通の、いや、どちらかと言えば経済的には決して裕福な家庭とは言えない生活水準にあることに子供心にも気づき始めましたし、立派に見えた家族や親戚も社会的には、まあ普通の人たちで、親戚の中にもちょっと立派でない人も、ちょっと変な人も居るということが分かるようになって来ました。行動の範囲が広がると東京の私鉄の中には、東上線とは異なり、静かに加速し、ドアも両開きの新鋭の車両を大量に導入している私鉄が数多くあることが分かってきます。日本橋や銀座に行けば、格式を感じさせるデパートが数々あり、1階から4階まで建物をぶち抜いて、その中央のホールにきらびやかな吉祥天像を置いた三越というすごいデパートがあることも見知るようになります。さらに別所温泉は、信州でもむしろ小規模の田舎の温泉場で、30室ほどしかない親戚の旅館などはごく普通の田舎の温泉宿。そして自慢の地下通路も、小規模な温泉旅館に特有に見られる計画性に乏しい建て増しの産物であることが分かってきます。

 一人っ子で、やや晩生(おくて)だった私も、中学生ぐらいになるとさすがに自分や自分の家族の社会における相対的な位置づけのようなものは、ひととおり理解し、思考や行動の原点として身についたように思いますが、特に1982年から2年間の米国留学で得た、米国の自然の大きさ、米国における社会生活、さまざまな国籍をもつ外国人との付き合い、米国の学生の価値観、米国から見る日本などの経験は、ちょっと大げさかも知れませんが、自然と人間、世界と日本、社会と個人の全ての次元で一層大きな刺激となりました。

 歳を経るにつれ、さまざまな経験を積むことによって、昔広く感じた道や建物も、そして、自分の大きさも小さくなり、世の中にはもっと立派で大きなものが数え切れないほどあることを知らされていくようになります。知識や経験が増えるということは、それにつれて自分や身近なものの社会における位置取りや存在をどんどん相対化できるようになって、社会の中の人間としての相場観が形成され、バランス感覚が養われていくということなのでしょう。

 自然科学の世界でも、物理現象や生命についての理解が進むにつれて人間の存在がどんどん世界の中心から追いやられています。宇宙に対する理解が、天動説から地動説へと革命的な転換を遂げたことによって、当時の人々の考える「絶対的もの」に対する価値観は大きく変わったはずです。さらに、銀河系の中には太陽系のようなものは多数存在し、太陽は銀河系の辺境に位置するごく普通の星であること、銀河系も多数存在し、多数の銀河系で構成される銀河団というものが存在すること、さらには宇宙の中には、銀河団群で構成される大規模構造が存在することなど、宇宙に関する理解が進むにつれて、人間の宇宙における位置取りというものはどんどんと辺境に追いやられています。量子力学と一般相対性理論を統一する大統一理論の完成された姿を見ないと、「人間原理」など人間的要素と大統一理論との関わりについて明確なことは言えないとしても、それを待たずとも、ほとんどの現象を物理化学現象として説明することのできる地球の歴史からは、人間の誕生と存在が如何に相対的で偶然に支配されたものであるかが見えてきているようです。

 「地球46億年全史」(リチャード・フォーティ著、渡辺政隆、野中香方子訳、2009年1月、草思社)はその題名のとおり、約45億5,000万年前に地球が形成されてから以降の地球の歴史を世界の各地に残る地質学的な証拠を丹念にたどることによって振り返った本ですが、その地質学的証拠の多くは、約2億年前から分裂を始めたパンゲア超大陸がプレート・テクトニクスによって、現在の私たちが目にする世界の姿になった道筋に関するものです。地球46億年の歴史といいながら、2億年程度しか地質学的証拠を詳しく当たることができない理由は、地球が、地球という惑星の内部で起きている物理的対流現象によって、地球の表面に浮かぶ大陸が定常的に周回し衝突と分裂、生成と消滅を繰り返しているために、パンゲア超大陸以前の超大陸の分裂と形成の歴史のほとんどが消されてしまっているからですが、最新の研究成果からは、25億年前から5億年前まで続く先カンブリア紀と呼ばれる時代(それは化石もほとんど発見されない時代です)には、ローレンシア超大陸、コロンビア超大陸、パノティア超大陸、ロディニア超大陸と4回以上も超大陸が存在したことが明らかになっているそうです。

 大陸の消長によって、当然のことながら地形だけでなく気候や植生も大きく変わります。それによって生物の進化も影響を受け、場合によっては絶滅、発生といった激しい変化が生物層にも起きるでしょう。しかし地球では、そんなことにお構いなく地球表面に浮かぶ大陸の消長が繰り返し起こり、変化していく。それが地球の日常であり、有り様で、何が進化かなんてことは全く気にしない。人間の誕生と人間社会の発展も、地球にとってはそんな変化の一断面にしか過ぎません。

 「岩石から読み取る−地球の自叙伝−」 (原題:READING THE ROCKS - The Autobiography of The Earth−(マーシャ・ビューネルード著 渡会圭子訳 日経BP社 2007年1月)という本からも、地球が物質とエネルギーの循環メカニズムという厳粛な科学的法則に従いつつも、多くの偶然と幸運としか思えないような展開を経て、その誕生から人間が地球上を謳歌する現代に至るまでの歴史を歩んできたことを知って驚きを覚えます。この本の著者のビューネルードは、岩と土地という誰もが接しているものが持っている地球の過去の出来事の記録を読み解くことの面白さと、その記録が語る歴史から、自分たち人間を見直してみたいとの意図でこの本を書いたと思われますが、地球の歴史を岩石の研究から得られた科学的な事実を忠実に積み重ねながら描き出したことによって、その目論見は十分に成功しただけでなく、その描き出された地球の歴史は、多分、読者のもつ世界観に対して、筆者も意図しなかったほどの哲学的な思索のきっかけを与えてくれるものになっています。

 筆者は、地球には、「永遠に続くものは何もない。だからこそ不変でいられる」永続性があると書いています。「地球が安定しているのは、言ってみればその大きさと、相反する動きが果てしなく繰り返されているおかげだ。」「自然のシステムが驚くほど頑強なのは、永遠に続く形態がなく、絶対的にバランスのとれたものもないからである。すべての要素が絶えず点検、選択され、交換されている。」そして、「限りない地球」と書くのです。そして、人間を含む生物と地球の関係について、「地上における人間の行動の影響力は、今では自然の力に匹敵する。私たちは地球のダンスの基本的なリズムを変えつつある。・・・・・地球は私たちの活動のせいでダンスのテンポを上げているのかもしれないが、指揮者がいないため、すべての演奏者とすべてのパート担当者にそれを伝えるには何世代もかかる。地球はまたこの機会に、何世紀か新しいリズムを試してみて、それから新しいリズムに落ち着こうとしているのかもしれない。そのリズムが私たちの好みに合うかどうかはわからない。」

 こんな地球観に立ってものを見ると、地球にとっては、ある時期に人間という生物が地球上に何十億と繁殖して、地球全体の環境に影響を与えるようになるのも、永遠と思えるほど続く地球の変化の歴史の単なるひとコマにしか過ぎません。地球にとっては、そんなことはどうだっていい。次のコマがあるだけです。そのコマが人間にとって暮らしやすかろうと暮らしにくかろうと関係はありません。永遠に変化しつづけるのが地球だからです。

 その意味で「地球環境問題」は、変化することが不可避な地球環境の下で、地球システムの中に生まれた人間が意図的に地球の変化に何とか影響を及ぼし、今後、地球環境のどれほどの変化に対して、どれほどの折り合いをつけて生きていくかということに関して人間自身が選択しようという意味で、それが目論見どおりうまく行くかどうかは別にしても、画期的な問題です。

 そして、同じようなことは、社会における個人の生き様でも起きますね。自分の相対化だけでなく、何処かで「自分は何をやりたい」というものを見出し、自分の主張をしっかり持つ必要があります。そうでなくては、自然と変わらず人間としての存在意義がない。個々の人間は極めて、極めて、相対的な存在だけれど、人間が人間であるためには、しっかりとした自我と主体性がなければならない。これが人間としての変わらぬ姿なのでしょう。(こんなことを書いていて、これは未だに自分にとっての大きな課題だということに改めて気づき、やや唖然としますが・・・。)

 やや大げさに言えば、今、人間は、人間の変わらぬ姿と地球の変わらぬ姿のせめぎあいの頂点に立ちつつあるのかもしれません。

 何か、訳のわからないことを書き連ねました。風邪で頭に変調をきたした故とお許しください。でも、せめてこの文章が、ご紹介した2つの本に皆さんがご興味を感じ、地球というものの奥深さに触れるきっかけとなれば幸いではあります。

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