第46回 「原点回帰」へのめざめ



 この年末から年始にかけて、関東地方は青空と光に満ちた明るい冬晴れの天気に恵まれました。冬らしい寒気に覆われてはいても、風は穏やかで、陽だまりに立つとやわらかく暖かい日の光を感じることができます。おかげで私は、郊外の開けた空間に恵まれた我が家で、世の中の閉塞感や暗い気分とは無縁のようなのんびりとした正月を過ごすことができました。

 しかし、新聞に目を移せば、職も家も失った派遣労働者の方々の窮状が紙面を埋めています。また、報道番組などを見ていると今年は経済、社会の大変革の年とほとんどの論者が喧しく声を張り上げ、金融、市場経済、雇用のあり方などを巡って「原点回帰」がキーワードのようになっています。

 このコラムで「原点回帰の旅」という、今になって気がつけば大層な題を掲げてしまった私にとっては、このコラムは、今、世の中で求められている「原点回帰」とは何かをしっかりと論じる場なのだろうなと言われているようで、とかく私的「原点回帰」に流れがちであった執筆態度の襟を少し正さなければいけないという心理的プレッシャーを感じています(苦笑)。

 そこで、という訳でもないのですが、お正月に、昨今起きている問題に関してできるだけ原点に立ち返るべく、考えてみたことを少し書いてみたいと思います。

 まず、雇用の問題です。この問題については、既に石黒さんが前回の「志本主義のススメ」で正鵠を得た議論を展開されていますから、改めて付け加えることもないのですが、私も、たとえ自らの選択で定職につかないというライフスタイルを選んだ人であっても、突然に仕事も、そして住むところもなくなってしまうというようなことは起きてはならないと思います。そういった国はやはりおかしい。就労意欲のある人が、一定の生活レベルは維持できる環境の下で再就職の機会を見つけられるようなセーフティ・ネットは用意されるべきです。

 そのうえで思うことは、これまで暫くの間、売り手市場が続いたために、定職に就くチャンスがあるときに、定職に就かないという選択をすることが、どれほど自分の人生において大きな意味を持つかということについて、特に一部の若者がやや甘く考えていたのではないかということです。ますますフラット化する経済環境の中で、特殊な能力やスキルをもっていない人が、日々、海外企業との激しいビジネス競争に曝されている企業において、開発途上国の賃金と比べて圧倒的に高い水準にある日本国内で賃金を得て働ける職を得ることは容易ではないことを、この際、改めて認識する必要がある。

さらに、この延長線で認識しなければいけないことは、大学を始めとする教育機関は、学生がそこで学び研究したことによって、どれだけ自分に付加価値をつけ、フラット化する労働市場での競争力を高めることができたかということが問われてくるということです。少なくとも教育機関の関係者は、そうしたことが問われていると自覚すべきです。ただ、私は、ここで言う特殊な能力やスキルとは、学位とか資格などの他に形として示すことができるものだけでなく、日本人らしい真面目さ、誠実さや思いやり、きめ細かい心遣いなど人格的なものも含むと思います。例えば、介護を受ける病人や老人は、やはり心のやさしい、気持ちの通じる人に介護を受けたいのではないでしょうか。でも、それだって競争があります。アジアには、こころねがやさしく、よく気がつき、のみこみも早い女性はたくさんいますから。(もちろん、必ずしも女性である必要はありません。私の好みが入っています(笑)。)こうなると家庭での教育を含め、教育全体が大事になってきます。これからの若者は、国際的にもいろいろな意味で価値のある日本人になることを目指さなくてはなりません。

ところで、世界全体の景気が冷え込んだとしても、この需要の急速かつ大規模な縮小はいったい何なのでしょうか。いくら負債が大幅に増加し、資産価値が大きく目減りしたとしても、実需がこれほど減るものでしょうか。借金をすることをいとわず消費していた米国人に、さすがにもう金が回らなくなったからだという解説もありますが、米国人全体の消費水準がそれほど急激に減るものでしょうか。経済発展が離陸し始め、豊かさを手にし始めた新興国の人々の需要が、一時的にはともかく、それほど長い期間停滞するでしょうか。奢侈品の供給能力は過剰だったのかもしれないが、世界全体の実需要が、そんなにバブっていたのでしょうか。世界人口も増え、需要全体が伸びないわけがない。

経済予測をするのが目的ではないし、また、そんな能力もないので、この辺は、是非、「経済専門家」の目の覚めるような解説を聞いてみたいところですが、私は、この需要の急速かつ大規模な縮小は、心理的な要素による部分がかなり大きいのではないかと思っています。そうだとしたら、あくまでもそうだとしたらの話ですが、消費者や投資家の心理を変えることが大事でしょう。しかも早く変えないと、企業倒産や失業者が増えて、今度は本当に実体経済も傷んで来る。(もっとも心理的な要素との関係では、どこまでを心理的要素を排除した「実体経済」というのかもよく分かりませんけれど。)

私などは、最近の経済状況についてこのような疑念をもっているものですから、村上龍さんが主宰しているメルマガJMM(Japan Mile Media)に年末の12月27日、米国ニュージャージー州在住の作家、冷泉彰彦氏からあった次のような投稿がとても印象に残りました。冷泉氏によると、クルマが生活必需品となっている米国人は、職がある程度保証され、当面のキャッシュ・フローに心配がなければ、そんなに長い間、新車の購入を控えられるわけもなく、実際、「今週の町では『仮ナンバー』、つまり新車購入後に正規のナンバープレートを待っているクルマを久しぶりにたくさん見た」そうです。こんな情報を読むと、こういった状況こそが今の実態をよく映し出しているのではないかと思えてなりません。集団心理に惑わされて、悲観的な情報だけ見ているのではないか。そして、心理的な問題が多分に影響しているとすれば、転換のための何か大きなきっかけが必要です。オバマ新大統領の就任は、そうした心理的変化の大きな転機となるでしょう。さらに、かつての世界大恐慌の時とは比べものにならないほど、各国政府は協調して金融システムの立て直しや需要の喚起に努め、不安の連鎖の阻止に努めていますから、この世界全体が不況から脱出するのは、意外と早いのではないかと私は思っています。

翻って、日本はどうか?明るい希望は見えるのでしょうか?ちょっとタイムスパンの異なる話ですが、日本では将来に希望が持てると答えた若者が10%に満たなかったという、どこかの世論調査の結果を聞いたときには暗澹たる思いになりました。昔、政治の「政(まつりごと)」とは何かと考えたときに、自分なりに行き着いたのは、千々に乱れ、惑いがちな人々の心に関することではないかということです。かつて「政」の大きな部分を占めた神の祭事というのも、つきつめれば人々の心を安らげるためのものでしょう。政治は、人々の心を治めること。だから、何時の世も政治が上に立つ。時には論理を超越し、従来のルールを変更するという「政治的」判断が歓迎される・・・。人の心を治めることの出来ない政治は、政治ではないと思います。

米国の金融危機に端を発した世界規模の大不況の中で、最近、とみに語られるようになったのは大きな政府への期待です。しかし、これまであれだけ政府を叩いておいて、政府の出番だと言われても・・・と思うところもあります。国民の信頼を失墜させるような公務員の不祥事が続いたことも事実ですが、あれだけ公務員というものは酷いやつらだ、大きな政府は不要だと言う一方で、何か起きると政府は何をしているんだと叫ぶことに何の逡巡も感じないのでしょうか?何しろ公務員の再就職をめぐる議論などを見ていると、公務員全ては悪人ということのようですから、そんな人たち大事なことを頼まないほうが良いのではないでしょうか?「『官』が縮んでも『公』の領域は確かに存在し、官が縮めばそこを誰かが埋めなければならないか自己責任だ」という石黒さんのステートメントは、全くそのとおりだと思います。

 それでも救いは、そんな官僚バッシングの環境の中でも寝食を削ることもいとわず、ひたむきにこの国を危機から脱出させるための対策案づくりに取組む石黒さんたちのような国を本当に思う役人さんたちが居ることですが、公務員全体を見ると、これまであれだけ叩かれ続けてきた結果、その質や士気は相当に痛んできているように思います。もう10年以上前から、新人の採用人数が3割も減らされました。その影響はボディーブローのように既に効き始めています。その一方で、公務員の仕事は全然減りません。「政治主導」ということで、政治向きの仕事はむしろ増えました。日々の忙しさと公務員の行動を制限する細部にわたるルールは、結果的に霞ヶ関と現場の距離を遠ざけてしまったと思います。この結果、(第40回目の「春なのに秋桜みたい」でも書いたように、)その時々の政治情勢に影響され、耳ざわりは良いが現場の事情や実感からみると違和感や無理のある政策が、最近、増えているように思います。この際、観客気分で公務員バッシングに乗ることは止め、政府に何を求め、何は自己責任で対応するのか。そういった「原点回帰」の検討を国全体で冷静に行うことが本当に必要だと思います。せめて、いざという時に頼りにできる政府を維持するために。

 世の中では、環境・エネルギー分野への投資を政府主導で大幅に拡大して、需要の喚起、雇用の増大とともに、環境調和型経済社会への構造転換を図ることを目指す、米国のオバマ新大統領の掲げる「グリーン・ニューディール」政策に対する期待への声が高まっています。わが国においても、環境調和型経済社会への構造転換を図るために環境・エネルギー分野への投資を政府主導で増大することは大変に重要です。しかし、いつ、どういった効果を出すことをねらって、どのような投資をするのかについて、よく考えられる必要があります。短期的な需要と雇用の拡大につながる環境・エネルギー分野への投資対策がないとは言いませんが、それは極めて限られたものでしょう。むしろ環境調和型経済社会へ構造転換していくためには、中長期的な観点に立ってさまざまな研究開発の推進と社会の仕組みの改変に総合的に取り組み、イノベーションとして実現していくことこそが必要です。

 あれ?これ何か聞いたことのあるような話ですね・・・。2007年6月に閣議決定した長期戦略指針「イノベーション25」の環境・エネルギー分野に関する施策の具体化に、いよいよ全力を挙げて取り組んでいく必要があるということではないでしょうか。ところで、最近になって日本でも環境省が「日本版グリーン・ニューディール構想」なるものを打ち上げたようですが、これは一体何なのでしょうか。

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