第28回 とりとめのない春の評論
我が家は、多摩川を渡って最初の多摩丘陵の台地、都心から電車とバスで1時間ほどのところにあるのですが、朝、目覚めて窓の外を見ても、ほとんど他人の家が見えない、ある意味では絶好の住環境にあります。私が、この文章を書いている部屋の北側の窓からは、今では、毎秋、コスモスの「景観会」の場にしか使われなくなった畑と、その向こうに鎮守さまの森、西には山桜、ケヤキ、クヌギなどの雑木林広がっています。南側は、丘陵を分ける窪地が我が家の敷地に向かって伸びているために、我が家の敷地から窪地にかけての斜面に自生する竹林の先に、その小さな窪地とその向こう側の丘陵の斜面を覆う木々が窓一杯に見えています。かろうじて我が家の東側には隣家がありますが、我が家とは柚の木で隔てられた隣家の庭の向こう、約30mは離れた先に建っています。(注:30m続いているのは隣家の庭です。)
木々の向こうをよく見ると、もちろん丘陵の間に広がる低地や遠く見える次の丘陵の斜面に建ち並ぶマンションや家が見えないことはないのですが、我が家の建つ台地の一角にはほとんど家は建っていないこともあり、誇張ではなく、我が家の窓から人様の家が見えることはないという環境です。
こういった環境は、ありがたいことに全て借景のおかげです。我が家の周囲にある地主さんたちが、みな大地主であることに加え、これらの地主さんたちは、近くを通る第三京浜国道の建設の際の用地売却で、昭和30年代の後半に大資産家になられたこともあり、広大な土地が昔のまま、ほぼ手付かずで畑や雑木林に保たれています。一方、もちろん、ありがたくないこともあるわけで、まずは、夜、やや物騒なこと。娘が帰る際には、近くのバス停まで、家人が迎えにいくことを習慣にしています。また、さすがにこんな環境は、電車の駅の近くにあるわけもなく、最寄り駅までは、車かバスか、25分ほどの徒歩ということになります。メジロ、四十雀、ウグイスやコジュケイなどの野鳥もクワガタもカブトムシもいれば、ヤブ蚊も蛇もムカデもいる。時として、タヌキらしき動物の姿を目にすることもあります。
我が家にとって、恵まれていることは、この台地の一角には、自生の山桜が多く、それに加えて、農作業に精を出す必要のなくなった地主さんたちが、白梅、紅梅、桃、しだれ梅、辛夷、モクレン、ハクレン、染井吉野、海棠、八重桜、椿、ハナミズキなどの木を畑や雑木林の周辺に植えてくれているものですから、これらの花が、春になると次から次へと咲きだすことです。先週の週末(4月の第一週のことです)には、妻と娘の発案で、家の屋上でこうした木々の花々に囲まれて、自家製の弁当仕立ての昼食を食べながら花見に興じることもできました。
私は、元来、植物には興味が薄く、こうした環境の中で漫然と暮らしてきたのですが、最近、歳をとったせいか、花の移り変わりにも少しは関心を持つようになりました。(話は変わりますが、私の弟は、植物の名前に詳しく、木の名前を良く知っていますし、夏休みに遊びに来ると子供をつれて雑木林のクヌギの木を見て回り、時にはクワガタやカブトムシを採ってきます。兄弟でも、興味の向く先がこれほど違うものか、といつも感心してしまいます。)関心を持って見るようになると年によって花の咲く順番や花の勢いが異なり、それによって実はずいぶんと春の景色も年によって異なることが分かってきました。今年は、例年に比べて梅や水仙の咲く時期が遅かったために、梅と桃が同時期に咲き、ほどなく桜の花が開いたという感じでした。また、今年は、拳の花がいつになくきれいに咲いたように思います。
今(4月中旬)は、八重桜や椿を除いて周囲の景色を埋め尽くしていた花はその数を少なくして、木々の芽吹きが盛りを迎えています。これはこれで、こんなにいろいろな緑色があったのかと思うほど木毎の色調に差があって、風景がこれまでとは別の趣でにぎやかになってきました。これからは、10年以上前にオランダから持ち帰ったチューリップが、庭にいつものように律儀に咲き出し、ハナミズキの花が春のさわやかな風にゆれ、ツツジが咲いて、そして、アジサイが梅雨のどんよりした雰囲気を明るくしてくれるといったような花の暦を繰っていくことになるのですが、花と緑が爆発するような春は、5月に入ると一段落です。最近はこの時期になると、また一年が経ったと感じます。
人間は、歳をとるにつれて興味が人間から動物、植物、そして岩石に変わっていくとよく言われますが、自分にもそんな兆候が典型的に現れてきているようで、こんな文章を書いている自分を見て苦笑いしてしまいます。さらに、昨年、この連載の「奴奈川姫とヒスイ峡」で書いたように、昔から私は石は相当に好きですから、これからこの道をまっしぐらに走ってしまいそうで、少し、怖い感じもしています(笑)。イノベーションとはほど遠い話ですね。
実は、ここまでいろいろ迷いながら、こんな、まあ、どうでも良いようなことを書き連ねています。私は、前にも書いたとおり、このコラムには、いい加減な知識で評論のようなことを書くことはやめ、できれば、皆さんのお役に立つようなこと、そしてDNDに関係のある産学官連携の問題や科学技術政策、イノベーション政策に関係したことを取り上げたいと考えています。しかし、以下は、典型的な「どうもいい加減な知識で書く評論」になりそうなので迷っていたのです。迷い迷ってここまでもう約2,000字も書いているのも凄い(?)
政策の第一線から遠ざかってやがて2年間が経とうとしているという時のなせる業なのかもしれませんし、自分の勉強不足のせいなのかもしれませんが、最近、政策の動きや考え方が、何か見えなくなってしまっているように感じることがあります。そんな前置きをしつつ、今回は、最近の科学技術政策について、感じたことを率直に書かせていただきたいと思います。
内閣府のHPによると4月10日に約3ヶ月ぶりに総合科学技術会議が開催され、同日の会議の資料として「科学技術外交の強化に向けて(中間とりまとめ)」と「革新的技術戦略中間とりまとめ」と題する2つの報告が行われたようです。前者の方は、5月に第4回アフリカ開発会議(TICAD W)、7月には北海道洞爺湖サミットが開催されることを念頭において、日本政府の科学技術政策を「外交」の切り口からまとめるという試みのようですが、後者の「革新的技術戦略」というものが、どのような経緯と思考過程を経て出てきたものか、「中間とりまとめ」の本文を見ても良く分かりません。
この紙には、冒頭、「革新的技術とは、他国の追随を許さない世界トップレベルの技術であり、持続的な経済成長と豊かな社会の実現を可能とするもの」とその定義らしきものが書いてありますが、例えば、現在、2025年に向けて閣議決定をして、政府全体で推進しているはずの「イノベーション25」とどのような関係にあるのか。かろうじて「国家基幹技術」については言及されているものの「第3期科学技術基本計画」であれだけ議論した戦略重点科学技術や分野別推進戦略との関係はどのようなものかについても、「中間とりまとめ」は口をつぐんだように何も触れていないように見えます。
「革新的技術(候補)」として挙げられている個別の技術と戦略重点技術の対応関係などを一つ一つ見ていけば、それらとの関係が分かるのかもしれませんが、少なくとも、今回、初めてこの「革新技術戦略」を読んだ人は、そうしたこれまでの議論の積み上げは見えないに違いありません。これが、プレゼンテーションだけの問題であれば、まだ、良いのですが、少なくとも私は、この報告を読んで正直言って"I was lost."といった状況に陥りました。
また、前者の「科学技術外交の強化に向けて(中間とりまとめ)」も、書かれていることはそのとおりと思うのですが、読んでいて、日本にそうしたことを行う力が備わっているのか、実際にどのように進めるのだろうか、などと多くの疑問が浮かんできます。例えば、開発途上国への技術移転で最も有効な手段は、民間の投資活動を通じたものですが、こうした民間活動を促進するための具体的な方策の案として報告書に挙げられているのは、私が気のつく限り、「民間企業や大学の主体的な参加を促進する制度の整備」、「民間企業の活動を促進する顕彰制度等の創設」といった「方策」程度です。
民間企業の「主体的な参加を促進」するための投資促進制度には、既にいろいろなメニューが整っていますし、「顕彰」で民間企業の投資活動が進むとも思えませんから、よほど具体的で、実効性のある促進策が示されていなければ、こうした民間活動が促進されることは考えにくいことです。敢えて秘策を隠しダマにしているのでしょうか。また、開発途上国の大学や国際会議、国際機関等でリーダーシップを発揮できる人材を派遣する等の方策も挙げられていますが、残念ながらそうした人材を派遣したくとも、こうした人材が国内に十分に育っていないのが現状ではないでしょうか。
これらは、中間報告ですから、これからいくつかの実効あるタマ込めが行われていくのだろうと期待していますが、このままでは、「第3期科学技術基本計画」や「イノベーション25」などの骨太の科学技術政策の展開の中でのこれらの政策の一貫性や政策の位置づけ、さらには具体的内容が大変に見えにくい状況にあると思います。最終報告を期待したいと思います。
ところで、今朝(4月13日)、「サンデー・プロジェクト」を見ていたら、自民党の与謝野さんと民主党の前原さんのお二人が、そろって卓見を言われていました。それは、「ねじれ国会」という国の統治機構に起きた大変化に対して、多くの関係者が適応できていないためにいろいろな混乱が起きているのではないか。この大変化が起きた統治機構の現状を前提とした新たな政策の企画立案、検討、審議の姿、手順を政府、国会の中で創りあげていく必要があるといったご発言だったと思います。
春にも毎年違った春があるように、政治も含め、日本中でイノベーションが必要なようです。
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