第27回 言葉の力−山笑う信州の春とイノベーションと星糞峠−
母の生まれ故郷に所用があって、3月の初め、信州の小さな町まで車で往復してきました。この日は、前夜までの早春の嵐が一転して空は晴れ上がり、春の日差しにあふれた素晴らしい一日となりました。この文章が皆さんの目にふれるころには、桜の花も満開を過ぎ、春爛漫の季節になっているでしょうから、季節感のずれたような話になってしまうと思いますが、今回は、この日のことから始めさせて下さい。
この日、甲斐路から諏訪に入り、旧中仙道の和田峠を越えて上田に入る道すがらの風景は、澄んだ青空の下、信州の名だたる山々がその美しさを競い合っているようでした。笹子トンネルを抜けて甲府盆地に下っていく道の向こうに、まず、見えてきたのは、普段、なかなか目にすることのできない南アルプスの山々でした。白根山北岳から塩見岳、荒川岳へと続く3,000m級の連峰。その白い稜線が、高く青い空に輝いています。やがて頂上付近に雪をいただいた鳳凰三山が里人から北岳の姿を隠すようになると、その北側に雪に彩られた三角錐の甲斐駒ケ岳がその存在感のある姿を現します。行く手には八ヶ岳がそのいくつもの峰に雪をいただいて聳え、野辺山高原を過ぎるころからは、なだらかな円錐形の山体を雪にまとった蓼科山と浅間山が高原の向こうに伸びやかに裾をひく。そして遥か遠く、東の地平線には、北アルプスが白い屏風のように連なっていました。
そんなに良い天気ではあるものの、信州は、まだ、風も冷たく、冬のよそおいです。諏訪湖は、真っ白く凍りつき、千曲川の河原も雪に覆われていて、里山には雪も残っています。野や畑は枯野色一色で、集落にはまだ梅の花も見えません。菩提寺の山懐にたたずむ木肌葺きの三重塔の横から墓地に向かう、雪がまだ硬く凍りついた小道を厚手のコートと手袋に身を包んで歩いて行くと、杉木立の合間から見える周囲の山々の景色は、でも、何か真冬の景色とは違うのです。何だろうと思いながら気がついたのは、光の強さを感じさせる雪の白さでした。不思議なことに遠くの山々の雪は白く光り、日の光の強さを伝えています。そして、近くに見える落葉松林の里山は、山肌に積もった雪に直接光が当たって、思いがけないほど白く明るい。
信州の春は、日の光の強さを感じさせる日差しの白さから始まる・・・。これまで、数え切れないほど信州に行っている私にとっても、信州の春の訪れの新しい姿に触れた一日でした。
そんなちょっと新鮮な信州の春に触れて、東京に帰ってきた夜、私が出口さんあてのメールに書いたのが、前回のメルマガNo.267の「躍動の春、みんな一等賞」で出口さんがその書き出しで引用された次の一文です。
「昨日は、春の快晴の一日でした。信州は、まだ、梅の花もなく、風も冷たい、まだまだ冬のよそおいでしたが、日差しは白く明るく、遠くの雪山の白さがかえって春を告げているような気がしました。」
そして、そのメルマガの書き出し全体は、味わいのある素敵な春の告げ文になっている。こうやってみると私の書いたこの一文もなかなかのものじゃないか・・・とやや自惚れたのですが、いやいや何といっても、この一節を際だたせていたのは、出口さんがそれに続けて紹介した鈴木真砂女の
"山笑ふ 歳月人を隔てけり"
という俳句でした。この俳句の「山笑ふ」という季語の力が、どれほどこの話題に強いイメージを与えたことか。言葉の力を感じます。また、それに続く、ひろちさやさんの語り口の挿入も絶妙でした。
ところで全く別のことで、最近、この「言葉の力」を少し懸念していることがあります。その一つは、イノベーション政策に関してのことです。
日本では、「イノベーション」は、しばしば技術革新と訳され、「イノベーション」は、科学面での新たな発見とか、新技術の発明によってもたらされる社会や経済活動の革新と理解されています。実際、2006年3月に策定された第3期科学技術基本計画では、「イノベーション」を「科学的発見や技術的発明を洞察力と融合し発展させ、新たな社会的価値や経済的価値を生み出す革新」と定義して、イノベーションの創出を政策目標の一つと掲げました。
改めて言うまでもなく、本来、「イノベーション」の概念は、技術革新に起因する変化に限られることなく、「これまでとは異質なアイデア、行動やモノ」などに起因する変化を含むものです。同じ政府の文書でも、同じ2006年に発表された平成17年度経済財政白書は、その第3章第4節「イノベーションの源泉と競争力向上への課題」の中で、「イノベーション」について、「企業のイノベーション活動、ひいては生産性の向上を促すのは必ずしも研究開発投資の多寡ではなく、製造現場等での創意工夫、研究・技術人材であり、さらには組織形態など研究開発を活かす経営のあり方である」と書いています。
第3期科学技術基本計画がイノベーションの創出を計画期間中の科学技術政策の重要な目標の一つとして掲げた背景には、科学技術研究を研究のための研究に終わらせることなく、新たな社会的価値や経済的価値につなげることが必要という、強い問題意識があったためで、それはそれで極めて重要なことです。是非、その目標の実現に引き続き邁進していくべきですが、その後、あちこちの文書で、ブームのように使われだした「イノベーション」という概念は、あまりに技術革新と一体として語られることが多くなったために、あたかもイノベーション政策と科学技術政策が同義であるかのような理解を生んでしまっていないでしょうか。
「イノベーション」の正確な語義についての議論はどうでもよいといえばよいことですが、大事なことは、先にも述べたとおり、イノベーション政策においては、科学研究や技術開発の振興とは必ずしも関係のないイノベーションによる社会や経済活動の革新も忘れてはならないということです。「これまでとは異質なアイデア、行動やモノ」も、世の中を変える大きな力になり得る。例えば、シートベルトを着装するという「イノベーション」を普及させることによって、交通事故死を劇的に減らすことができましたし、英国の例を見ると医療カルテの電子化、共有化を行うことによって、医療サービスの質と生産性の大幅な向上を図ることが期待できます。また、開発途上国では、避妊習慣や哺乳瓶の洗浄習慣を普及させることが、貧困問題の解決や幼児死亡率の低下にどれほど役に立ったことでしょうか。
前々回と前回の2回にわたり、「安全・安心な社会づくりのためのアプローチ」と題した原稿をアップしていただきました。そこにも書きましたが、リスク管理という、とかく「規制」という手段が当たり前と考えられがちなリスク管理問題に関しては、その対策のアプローチにはもっと工夫できる余地があり、そうした工夫によって、世の中に変化を生み出し、そして、小さな政府の実現に向けた一歩が踏み出せるように思います。その工夫には、新たな科学技術研究も技術開発も、必ずしも必要ないかもしれませんが、イノベーション政策の視野にはしっかりと入れる必要があります。もっとはっきり言えば、先の「安全・安心な社会づくりのためのアプローチ」や「イノベーションと安全と安心」(DNDの「『イノベーション25戦略会議』への緊急政策提言」のNo.19、24)に書いたとおり、安全で安心な社会の構築に向けて、より合理的で社会的な満足度の高いリスク管理対策を講じていくためには、新しい科学研究や新技術の開発に注力することよりも、同じ手法に基づくデータの収集の積み重ねや、既存の自然科学、社会科学の知見と手法を実態世界にうまく適用するための努力が重要ではないかと思うのです。そして、国民一人ひとりが自分なりのリスクについての評価をし、自分なりのリスク管理対策のあり方を考えるために必要な情報を提供するようにしていくことが重要です。これまでの何でも政府が前面に出るようなリスク管理対策のアプローチを、工夫してできる限り変えていかなければなりません。そうでなければ、いつまでたっても十分に手が回る余力がないのに、箸の上げ下ろしにまでお節介をやこうとする政府と、小さな政府を望む一方で、何かというと政府頼み、政府任せにしがちな国民の行動パターンは変わることがないでしょう。
信州からの帰りは、夜のドライブになりました。すっかり日も暮れ、零下5度まで冷え込んだ野辺山高原からは、都会では見ることのできないような星空を久しぶりに見ることができました。天の川がうっすらと中天にかかり、明るい星の周りにも多くの糠星が光っていて、見慣れた星座もあまりの星の多さに一瞬その姿を見失ってしまうほどでした。そんな星空を見ながら、そう言えば、野辺山高原とは八ヶ岳をはさんでちょうど反対側(西側)の霧が峰の周辺には、「星糞峠」という名前の峠があったことを思い出しました。一回、訪ねてみようと思いながら、未だにその峠に立ったことはないのですが、せめて星屑峠とでもすれば人気の観光地にもなりそうです。あえて「星糞峠」という名前を変えずに、あまり観光マップなどにも載せていないところをみると、この地域は宇宙観測施設もおかれているような土地なので、ひょっとしてその名前は人を避け、漆黒の闇に浮かびあがる美しい星空を守るための工夫なのかもしれませんが・・・。
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「星糞峠」の後日談:
星糞峠は、本当に"ほしくそとうげ"と読み、霧が峰の八島湿原の北側、ブランシュたかやま(鷹山)という町営スキー場の近くにあるようです。峠自体は、どうも歩いてしか行けない山道にあるようで、国土地理院の25,000分の1の地図を見ても星糞峠の名前は、「星糞峠黒曜石原産地遺跡」(鷹山遺跡とも呼ばれている)という以外見つかりません。この付近は、この名のとおり、縄文時代の遺跡が広がり、鏃などの石器の原料となる黒曜石の大産地として有名なところだそうです。一説では、このあたり一帯には黒曜石が地面に星屑のようにちらばり、キラキラと輝いていたから星糞峠の名がついたと言われています。昔の人は星くずがこの地に落ちて黒曜石が採れると考えたようですから、この峠の名前に星の名が残るのは、やはり星に関係がないわけではなさそうですね。実際、今でも鷹山遺跡のあたりからは、都会人がすっかり忘れてしまったような美しい星空が見えるそうです。
それにしても、「星糞峠」の名前は変えたほうが良いと思いませんか?
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