第111回 「北澤宏一先生、水素エネルギー、そしてエネルギーキャリア」
ずいぶんとご無沙汰してしまいました。振り返ってみると前回の投稿(8月7日)から4か月以上経っています。最近のDNDのサイトを見ていると、オーナーの息づかいが聞こえるかどうかはサイトの勢いにも影響するものなのだなあと感じていますが、私の長期間のブランクは、出口さんがいろいろなご事情でサイトの運営に割ける時間が少なくなったためでも、私の側に何か特別なことが起きたためでもありません。長期間のブランクの事情は追って書くとして、この4か月の間にもいろいろなことが起きました。
なかでも社会に功績を残してこられた方が、ここにきて何人か続けてお亡くなりになったことが頭に浮かびます。最近、高倉健とか菅原文太といった俳優の訃報がマスコミを賑わしましたが、映画文化に造詣のない私にとっては、単なる有名人の訃報でした。そもそも、ヤクザ映画の主役俳優の訃報が、何故そんなに大きなニュースなのだろうかとも正直言って思っていました。(と思っていたら、高倉健の映画はヤクザ映画ではなく、任侠映画なんだそうです。)
私にとって残念でショックだったのは、前の科学技術振興機構理事長、福島原発事故独立検証委員会(“民間事故調”)座長、そして昨年から東京都市大学学長に就任された北澤宏一先生が、9月に急逝されたことです。後から伺えば7月の下旬に静養先で倒れられたとのことですが、今年に入ってからも、いろいろな会合で結構頻繁にお会いしていただけに突然の訃報にびっくりしました。特に北澤先生が、最近、大学の活性化、大学の社会活動の一環として始められた「渋谷カフェ」は、先生自らカフェのホスト役となって、著名な方から最先端の科学の話を解かりやすく聞くことができ、幅広い年代の方々が集う場となってきていただけに、北澤先生がいらっしゃらなくなったことは残念です。11月17日に催された「お別れの会」に私も参加させていただきましたが、会場の状況から察するに3,000人以上の方がいらしたのではないかと想像します。北澤先生の大きさが改めて実感されたお別れ会でした。
北澤先生の思い出はいろいろありますが、今でもなつかしく思い出すのは、お誘いいただいて、2008年の夏に先生のご家族と学生時代のお仲間達とともに、先生の故郷の飯山の近くにある斑尾高原に蛍を見に行ったことです。このときのことは第36回「蛍のクリスマス・ツリーとリズムと自然の構造化」で書きましたが、また来年も蛍を見に集まろうと言い交してお別れしたその集まりは、その後、再会の機会がありませんでした。先生がお亡くなりになって、もうそれが二度と実現できなくなってしまったと思うと、とても寂しく感じます。
さて、私自身にも、この4か月ほどの間に少し変化がありました。それがこのコラムからご無沙汰してしまった事情でもあるのですが、それは2012年5月のコラム(第89回「化学技術がエネルギー問題を解決する−アンモニアが面白い−」)でご紹介したことに関係しています。そのコラムは、日本が直面しているエネルギー・環境制約を克服する手段として、海外の太陽、風力などの再生可能エネルギーを水素エネルギーに変換し、それをアンモニアなどの運搬、貯蔵が容易なエネルギーキャリアに変えて、日本に大量に導入するというアイデアに関するものでしたが、私は、この構想の重要さと筋の良さに共感して、エネルギーキャリアの開発、利用を進めるための活動に、その後かなりのめり込んでしまったのです。そして、大勢の方々のご協力を得つつ政府に働きかけを行った結果、2013年度から科学技術振興機構(JST)のALCA「先端的低炭素化技術開発」の中の一つのテーマとして「エネルギーキャリア」が採択され、政府においてその開発、利用のための研究開発が開始されることになりました。そして2014年度からは、このテーマは総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)によって、エネルギー・環境分野で重要なイノベーションを創出する可能性のあるテーマとして位置づけられ、内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)の一つのテーマとして進められていくこととなりました。
SIPの特長は、目標とするイノベーションの実現に向けた関連の取組み全体を効果的、かつ、効率的に進めるため、テーマ毎にProgram Director(PD)を任命し、府省・分野の枠を超えて取り組みを進めるというところにあります。従来の政府の施策には見られない特長です。PDには基礎研究から出口(実用化、事業化)までを見据え、一貫した取組みを指揮していただくことによって、イノベーションを早期に実現することが期待されています。
「エネルギーキャリア」には、東京ガス(株)の村木 茂副会長がPDとして任命されました。そして私も、東京工業大学名誉教授の秋鹿先生とともにPDを補佐する「サブPD」として、今年の7月からエネルギーキャリアの開発、利用を通じたイノベーション創出プログラムの運営に関わっていくことになったのです。今年の夏は、米国アイオワ州のデモインで開催された第14回NH3 Fuel Conference(アンモニア燃料会議)にも参加してきました。エネルギーキャリアの重要性についての思いが嵩じた結果、自分自身も役者の一人として舞台に上がって踊ることになってしまったということでしょうか(笑)。
PDもサブPDもフルタイムの仕事ではなく、従来の仕事は仕事で続けているのですが、年間約30億円といった多額の予算を投じるテーマの運営に関わる以上、かなりの時間を割かれます。そうなると日常の関心や問題意識も、自然とエネルギーキャリアに関することに向いていきます。そんな訳で、相変わらず、ときどき文章は書いてはいたのですが、エネルギー、環境問題に特化したサイトに投稿先が集中することになってしまい、DNDの方がご無沙汰になってしまったというわけです。
ところで、このような形でエネルギーキャリアの研究開発に関わることになったことに、私は何か深い因縁を感じています。人生は巡り巡る。そんな感じです。
私は大学生のころから、海外の大学に留学することに何となくあこがれていました。(何か勉強したいテーマがあったということでもなく、英語ができた訳でもなく、外国の生活がどのようなものかも全く知らないで「留学したい」と思っていたのですから、それは単なるあこがれだった、というほかないでしょう。)そんなときに、隣にあった電気工学科の(故)太田 時男先生から、米国の大学の教授が日本の学会に来るので誰かアルバイトで東京の案内をしてもらえないかという話が、同じ研究棟の私の学科の方にもありました。“いい機会”と私は手を上げて案内を引き受けました。太田 時男先生は、日本の水素エネルギー技術研究分野の草分けの方で、1993〜2002年まで行われた「We-Netプロジェクト(水素利用国際クリーンエネルギーシステム技術開発)」で中心的役割を担った方です。そしてその米国の大学の教授は、私の記憶がまちがっていなければDr. Funkというやはり水素エネルギー研究の分野では高名な先生だったと思います。それをきっかけに、私は水素エネルギーの重要性を知ることになりました。
そして就職活動のとき、公務員試験にたまたま合格していた私は、希望の省庁に入るには事前に省庁訪問をすることが大事との話を耳にして、いくつかの省庁を訪問しました。そのときに第一希望として、最初に訪問したのは科学技術庁(当時)でした。そこでは当然に、「何故、あなたは当庁を志望するのか」と聞かれます。その時に私が答えたのは、「日本のエネルギー問題を解決するために、これからは太陽エネルギーを水素エネルギーに変えて利用することが重要であり、そういった研究開発を推進するのは科学技術庁だから」ということでした。
それは、上述のように太田先生、Funk先生との出会いを通じて、水素エネルギーの重要性を知ったからですが、あまりに事前面談(複数回行われる)で水素エネルギーの重要性を強調すぎたためか、「こいつは原子力反対派ではないか」と誤解されたようです。現に、採用担当の人から会って話しをして来いと言われて会った科学技術庁の人から、話の途中で「何だ、君は何をしに来たのかと思っていたら、科学技術庁を受けに来ていたのか」と言われたことがあったくらいですから…(笑)。(役所に入ってから知ったことですが、これは実は採否の参考にする面談の一環だったのです。)結局、科学技術庁では相手にされませんでした。もっとも、大学で研究した訳でもない付け焼刃の知識で薄っぺらな話をしていたに違いなく、そんなことも影響したのでしょう。
まあ、この程度の話ではあるのですが、こんな過去があるものですから、水素エネルギー社会の構築に重要な役割を果たすエネルギーキャリアの問題に、おそらく現役最後の仕事として取り組むことになったことを、少し運命的に感じています。
水素エネルギー社会の構築は、非常に大きなテーマだと思います。テーマに不足はありません。そんな訳で、ここしばらくは、私の相当の時間を水素エネルギー、エネルギーキャリアに関することに割きながら過ごしていくことになるのだろうと思います。またときおり、面白い話題があったらDNDの方でもコラムを書かせていただこうと思っていますが、水素エネルギー、エネルギーキャリアに関することについては、NPO法人の国際環境経済研究所(http://ieei.or.jp/)というところでいくつかのコラムを書いていますので、よろしかったらご覧ください。「エネルギーキャリア」についての解説も連載しています。
ところで、最後に北澤先生とエネルギーキャリアのつながりについてご紹介しておきましょう。北澤先生は大学時代、東大の田丸謙二(1)先生の研究室でアンモニア触媒を研究されていらっしゃったことがあります。それでアンモニアがエネルギーキャリアとして優れた物性を持っていることはよく理解されておられ、アンモニアを含めたエネルギーキャリア研究の推進を、暖かい目で応援していただいていました。その意味でも大事な方を失ってしまいました。
(1) 田丸謙二先生は、元東京大学理学部化学科教授。東京大学理学部長、総長補佐を歴任され、現在は東京大学名誉教授。田丸謙二先生は、アンモニア合成法を開発しノーベル化学賞を受賞したハーバーとともにアンモニア合成法を開発した、故田丸節郎先生の息子さんでもあります。文化功労者に選ばれた中西準子先生も、田丸研の出身。
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