第109回 「天体衝突がもたらしたもの」


2013年2月15日。この日に何があったか、みなさんは覚えていらっしゃるでしょうか?


この日の朝、ロシアのチェリャビンスク近郊に隕石が落下衝突しました。このニュースは日本でも大きく報道されましたし、数多くの動画でも記録され紹介されましたから、皆さんにも鮮烈な記憶として残っているのではないかと思います。光り輝く火球がチェリャビンスクの空に突然現れ、大きな衝撃波を残して町の上空を横切った映像は鮮烈でした。また近くの氷結した湖に大きな穴が開き、そこから落下した隕石の一部が発見されたとの写真入りの報道もありました。


「天体衝突」  (松井孝典著、講談社ブルーバックスB -1862)という本の書き出しは、この隕石落下の分析で始まります。分析の結果、この隕石衝突は直径20m 弱、重さ1万トンほどの小惑星が地球にぶつかったために起きたものと考えられるそうです。その小惑星の軌道が地球の軌道と交錯し、地球大気に突入した結果、大気中で大小さまざまな数千個の隕石に分解して地上に落下し、その一部が大気中で爆発して火球となりました。その爆発のエネルギーは500キロトン(1)、爆発が起きた高度は地上25km であったと推定されています。そしてこの爆発による衝撃波は、4,474棟の建物の損壊と、割れたガラスなどで1,491人の重軽傷者を出すという被害をもたらしたとのことです。(なお、地球に落下したものを隕石、そうでないものは小惑星と呼ぶのだそうです。)


この本は、地球への天体衝突現象を科学的に解説した本なのですが、私はこの本を読み進むにつれて、人生観や歴史観にわたるいろいろなことを考えさせられることとなりました。


まず、私がこの本を読んで新たな知識として得たことは、この程度の大きさの隕石と地球との衝突は、驚くべきことにそれほど珍しいことではないということです。


様々な大きさの天体と地球との衝突は、ミクロン単位のダストから10m くらいのものまで、何種類もの機器によって観測されていて、1m 以上の天体の衝突は人工衛星からの流星の火球の光学観測により、数m から数十m のものは超低周波音などにより観測されています。その結果、直径1m くらいの隕石とは10日に一度、10m の隕石とは10年に一度程度の頻度で、地球は衝突していることが分かっているそうです。


それ以上の大きさの小惑星との衝突もきわめて稀とはいえ、可能性がないわけではありません。地球接近小惑星の観測記録、地球上に残されたクレーターからの推定などから、直径10km の小惑星との衝突ということも1億年に一度程度は起こり得る現象と考えられています。小惑星とは異なり、軌道を予測することが出来ない直径数km の彗星との衝突はこの確率には含まれていませんから、後述する恐竜絶滅の原因となったような、地球上の生命体にカストロフィックな影響をもたらす天体衝突の確率は、もっと高い可能性があります。


こうした観測結果から、地球に衝突する天体の大きさと衝突頻度の関係を分析すると、チェリャビンスクに落下した大きさの隕石衝突は、10年から100年に1度は起こり得るような事象であったと推定されています。結構、大きな頻度と言えます。実際、約100年前の1908年にシベリアで起きたツングースカ大爆発は、この数倍程度の大きさの小惑星の衝突によって起こされたものと推定されています。ツングースカの場合は、爆発が高度6〜8km と低いところで起きたために、爆発のエネルギーも5〜15メガトンと桁違いに大きなものでした。もし、この爆発が大都市の上空で起きていたら100万人を超す死者と、大都市が消滅するほどの被害が出たと考えられています。


そう考えるとチェリャビンスクの隕石落下は、隕石自体の大きさはやや小さかったものの、その落下角度がもう少し大きかったらもっと低い高度で爆発していた可能性が大きいので、ほとんど紙一重の差で大惨事に至らなかったものだったと言えるでしょう。


この程度の大きさの天体の軌道は、ほとんど予測することが困難なので、私たちの生活は、この程度大きさと規模の、予期することも対策をとることも難しいリスクに、日々曝されているということになります。


日々の日常が、突然の自然環境の変化によって劇的に変化する。こうしたことは、私たちもつい最近、あの東北大震災で経験しました。そしてそれ以降、南海トラフ地震などの巨大地震の発生は人々にとって身近な懸念となり、地震リスクに関する評価が大きく変わりました。そして、それに応じて社会のリスク管理対策のあり方にも大きな影響を与えています。加えて、表立って目には見えないものの、これらの変化は、人々の心理や行動に、きっと何らかの非連続的な変化をもたらしているものと思います。多分、日本では天文学者など一部の人々を除いて誰も強く意識はしなかったけれど、チェリャビンスクへの隕石の落下も、そういった劇的変化の原因に十分になり得たものといえます。


チェリャビンスクの隕石落下とはスケールの次元が大きく異なりますが、天体衝突が、かつて生物圏を含む地球に対して壊滅的な影響を及ぼしたことが知られています。それが科学的に明らかにされたもっとも有名な例は、約6,500万年前、地球と小惑星との衝突によって起きた恐竜絶滅でしょう。中生代白亜紀に全盛をきわめた恐竜は、それに続く新生代第三紀には突然にその姿を消します。その両紀の地層の間に存在するK/T境界と呼ばれる世界中の地層から、地球上には存在量が少ないイリジウムという元素が多量に検出されるという事実をもとに、Luis A lvarez, W alter A lvarezの親子iは、約6,500万年前に起きた小惑星の衝突と、その後地球上に起きた大規模な環境変動で恐竜が絶滅したという仮説を1980年に発表します。この仮説がその後10年以上の紆余曲折を経た後、この小惑星衝突の痕跡を示すチチュルブ・クレーターがメキシコのユカタン半島で発見されたことにより、広く受け入れられるようになったという話は、皆さんもお聞きになったことがあるでしょう。このとき地球と衝突した小惑星の大きさは直径10〜15km と考えられています。


この発見とこうした科学的理解の普及は、地球史、生命史、そして文明史に関する考え方に大きな変化をもたらしたと、この本、「天体衝突」は指摘しています。生物の大量絶滅は、この6,500万年前の一回だけでなく、地球46億年の歴史の中で5回以上も確認されています。それらの原因としては、隕石の衝突だけでなく、海水準の低下、気温の寒冷化、海洋中の無酸素水塊の発達などが考えられおり、いまだに特定されていないようですが、天体衝突のような劇的な変化で生物の大量絶滅が起きることが分かってから、自然科学者の間では、地球や生命の歴史を現在起きているような、ゆっくり変化する自然現象をもとに考えるという考え方(斉一的漸進説)から、「歴史は長い退屈と、短い劇的な変化の繰り返し」という考え方へ変化をしたのだそうです。例えばダーウィンの進化論のように、今では誰でも知っていて、現代人の価値観の基盤となっているような考え方も典型的な斉一的漸進を前提としていますから、「歴史は長い退屈と、短い劇的な変化の繰り返し」という考え方は、人間の歴史に対する考え方全般にも大きな変革をもたらすものといえます。「現在は過去の鏡」と考えるだけでは、過去のことは分からないということになるのですから。


そうなると私たちは、「日常」とは「長い退屈と短い劇的な変化の繰り返し」であるという理解に立って、日々暮らしていかなければならないのかもしれません。この認識の変化が、自分の価値観や行動をどのように変えるものなのか、正直言ってまだよく考えることが出来ていませんが、この「天体衝突」という本は、思いがけず、そうした哲学的なことを考えるきっかけを与えてくれました。


ところで、天体衝突が恐竜絶滅の原因となったという仮説を実証していく過程は、息子さんの方のW alter A lvarezが「絶滅のクレーター」iiという本に書いていますが、非常に面白い本で、私は15年ほど前にこの本をワクワクしながら読んだことを覚えています。


さらに話が横道に逸れますが、これと同時期にこの本の関連本として「恐竜はネメシスを見たか」iiiという、これも大変に面白い本を読みました。この本は、やはりU C B erkeley物理学科のR ichard M uller教授が書いたものですが、自身の立てた仮説−6,500万年前に起きた恐竜の絶滅を含め、地球上の生物相の大きな変化が2,600万から3,000万年毎に起きているように見えることから、それは、約2,700万年の周期で太陽に近づく未発見の太陽の伴星「ネメシス(死神)」が太陽に近づくたびに太陽系の外縁にある彗星雲の軌道を乱し、地球の近傍に数多くの彗星を運んでくることによって引き起こされる天体衝突によりもたらされたものではないかという仮説−の成り立ちを物語的に書いたものです。この本は、あの手塚治虫さんが監訳者となっている珍しい本でもあります。ちなみに、この本に記された手塚治虫さんの「まえがき」は、名作「火の鳥」のモチーフにもつながる、とても味わい深い文章です。




(1)1キロトンとはTNT火薬1,000トンが爆発した時のエネルギー。なお、広島に投下された原爆はTNT火薬換算で15キロトンの爆発エネルギーがあった。
(@)父親のLuisはノーベル物理学賞受賞者、息子Walterは地質学者で、この仮説を発表した当時、ともにUCBerkeleyの教授を務めていました。
(A) 「絶滅のクレーター−T・レックス最後の日−」ウォルター・アルヴァレス著、月森左知訳、新評論(1997年)
(B)「恐竜はネメシスを見たか」 リチャード・ミュラー著、手塚治虫監訳 集英社(1987年)なお、「ネメシス」とは、ギリシア神話の女神で、より正確には、神罰の執行者と言われる。





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