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板東正先生と陽光桜

その日は、立春と重なった。戸外は真冬並みだが、光が明るく感じるのは春を待つ気持ちが強くなるためだ。淡いブルーの寒空にその気配を見つけ出すと、急き立てられるような衝動にかられた。

桜便りを急ごう。病床にあってきっと待っていらっしゃるだろうから、先生の枕元に一刻も早く届けたい。日光の桜を思い浮かべたら、筆がスムーズに動いてさらっと書き上げられた。

さて、これをどのように届けようか。メールは使えないし、留守のご自宅に郵送しても埒があかない。そうだ、直接、入院先に送ってみよう。しかし、生命が危ぶまれる差し迫った事態だなんて思いもよらないことであった。この春には桜の開花を楽しみにしていたのだから。この桜便りでさえ、間一髪のところだったのだ。

徳島の板東正先生の入院先は、ご子息が勤務する高知県の市民病院だと知った。

受付の女性に電話で用件を伝えたら快諾の返事をもらった。FAXは、挨拶文と桜便りの二枚で、勤務医の板東完治氏にあてた。完治氏とは、もちろん面識はない。

「このようなFAXを送信する失礼をお許しください。一昨年、先生が日光を訪れた時に、徳島・元三ツ木中学の教え子らの立ち合いで桜の苗木を植樹しました。先生は、次は、春に桜の花を見に行きたいなあ、と目を細めておられました。先生の病状を知り、せめて桜便りの一報を先生の枕元で聞かせていただければ喜んでくださるに違いないと思った次第です」

FAXの末尾に、名前と携帯番号を付した。先生の入院先とはいえ、ご子息の職場である。こんなFAXを送って迷惑ではなかっただろうか、と気をもんだ。それからまもなくして携帯が鳴った。

「板東といいます。FAXを頂戴しました。さっそく父の耳元で読んで聞かせました。わずかに、うなずいてくれているようでした」。静かな口調だった。

「出口さんって、『阿波の国の優しさ』のブログを書かれた方ですね」と聞いて、「ほんとうに、いろいろと、ありがとうございます。」と礼を述べたあと、ひと呼吸おいてこう続けた。

「ここ一両日だと思います」。

一瞬、その意味がのみこめなかった。「(桜便りが)間に合ってよかった」と口に出して安堵したのも束の間、「ここ一両日」という予期しない言葉が耳奥に重く響いていた。重大な宣告を受けたかのようで戸惑った。ご容体が深刻なのではないだろうか。

「先生、春には桜を見にくるのでしょう、がんばって」と、ご無事を祈らずにはいられなかった。

その一週間前のことだった。埼玉・越谷に住む材木屋の岡田正さんから電話をもらっていた。恩師のことを語る時は、遠慮なく子供のようにはしゃぐのにいつになく声が沈んでいた。

「先生がね、よくないらしい、安丸一代さんから入院中の先生を元気づけてくれへんか、と催促があって...」と遠慮がちに声を低めた。岡田さんの電話は、出口さんからも手紙を出してくれないだろうか、ということだろう。催促されたような印象をもった。

ぼくからの手紙で少しでも先生を元気づけられるのなら、と思いながら踏ん切りがつかずつい先送りしていた。が、立春が背中を押してくれた。

板東先生、ひとつご報告がございます。ほら、日光の森に植樹した桜の苗木のこと、覚えていらっしゃるでしょう。先日、雪の日に日光の森に行ってきました。たくましく成長して、いくつもの枝先を冬空に向けていました。蕾が膨らんできました。たくさんの蕾が、開花の時期と、それに先生の訪問を健気に待っているようでした。

きっと、まもなく薄紅色の上品な花を咲かせることでしょう。今年は、昨年より花の数が増えました。10年後、50年後、さらに100年先まで「板東桜」は咲き続けることと思います。どうぞ、ご安心くださいませ。

敬愛する板東正先生へ 2015年2月立春

FAXを送ってから、あの言葉が脳裏から離れなかった。息が詰まるような時間が過ぎていった。電話が入ったのは5日の夜だった。岡田さんからで、それが悲しい知らせであることの察しはついた。先生は、その日の夕刻、ご家族に見守られて息を引き取った。

告別式には、徳島県知事の飯泉嘉門氏をはじめ、旧土成町の町長時代の関係者、近隣の市町村長、教育長や校長時代の教え子らが大勢駆けつけて別れを惜しんだ。木屋平の山間にあった旧三ツ木中学の森本照之さん、安丸一代さんも参列した。

喪主でご子息の哲也氏が最後の挨拶で、「もう一度、東照宮裏の日光の桜を見に行きたいものじゃ」というのが生前の口癖だったと、日光の桜のことに触れた。

「日光の桜」と聞いて、森本さんは胸にこみ上げるものがあった。日光の板東桜を思い出すと、人目を忍んでハンカチで嗚咽をこらえるのが精いっぱいだった。葬祭場から離れたところで越谷の岡田さんにその様子を電話した。

「いま挨拶でな、日光のなあ...」と、その桜のことを言おうとしたら、たまっていたものが一気にあふれだし、言葉にならず男泣きした。元刑事の目から熱いものが止まらなかった。森本さんはしゃくりあげながら、ぼくにも電話で報告した。

「ホンマ、板東先生はあのサプライズがよほどうれしかったんや。生きる勇気をもらった、とさえ言いよった。桜の植樹なんて誰も思いつかへん、ホンマ、最後の最後に、いいことしよったなあ」。

のんびりした徳島弁がジーンと心にしみた。でもね、照ちゃん、なんども途切れるものだから、ホンマ、涙声ではよう聞き取れへんかったわ。もらい泣きしたよ。

これが、このあふれる情愛が阿波の国の人のやさしさなのだろう、と再認識した。

「阿波の国のやさしさは、無常の哀しみと背中合わせなのだろうか」と前のメルマガに書いた。今度も思い知らされた。

桜の植樹は、2013年の初秋のことだった。

先生の上京に森本さんが付添った。9月中旬、羽田に到着しその足で東京スカイツリーを見学した。翌日、両国で大撲を観戦した。そして、先生、森本さん、岡田さんらと、日光に1泊旅行に出かけた。植樹がひそかに準備されていたのである。

植木の街、埼玉・安行で高さ2m弱の苗木を選んだ。トランクには、鍬、木槌、縄ひも、ナイフ、ノコギリ、肥料、添え木用の杭数本、マジックペンのそれら一式を詰め込んだ。

日光の森は、 3年前に購入した。東武日光駅から霧降大橋を渡って霧降高原方面の坂道を上る途中の「丸美」という場所にある。国立公園内で駅から1キロも離れておらず、車なら数分、バスでも一区間の至近だ。先生をお連れした。

植える場所は、車を降りてから70mほどの近場だが、急な階段もあり高齢の先生には難儀だったかもしれない。先生は、この日のために足腰を鍛えていた。しっかりした足取りで、周辺を見渡しながら初秋の森を先へ先へと進まれた。

間伐が進んで陽が差し込むこの森の一番の高台を選んだ。近くに赤松、桧、樅の木がそびえる。ここからなら、花吹雪が森の小道に降りそそぐに違いない、とそのまばゆい光景を思い描いていた。作業は手際よく進んだ。添え木を左右に打ちつけた。鍬で土を掘りあげ、雨水を注ぎ入れてEMのぼかしを撒いた。そこに桜の苗木の根を厳かに沈ませた。土をかぶせていたら、先生が「私に鍬を入れさせてください」と申し出た。先生は、植樹の心得があるようだ。腰を据えたどっしりとした構えで、掘り上げた土を丁寧に根元に寄せている。土を寄せては足で強く踏んで空気を抜いた。それをなんども丁寧にくりかえしたのである。静寂な時間が流れる。間近に野鳥のさえずりと渓流の音が響いていた。

先生は、しばらく鍬を手離さなかった。額に汗をにじませながら鍬をにぎったままこちらにやわらかな笑みを浮かべていた。

「それでは、先生、お願いします」と黒のマジックペンと板を手渡した。先生は、「何をせにゃならんの?」と目を丸くした。

その板に「板東桜」と揮毫をお願いします、と誘ったら、やや表情を紅潮させて、「植樹にも驚いたが、板東桜とは恐れ入った、参りました」と照れながら、「いやあ、こんなサプライズがあるなんて感激ですなあ」と大喜びだった。

先生は、そばの丸太をまたぐ格好で板をおさえてマジックペンを握った。『板東桜』の板は、桜の根元に打ち付けられた。

『板東桜、2013・9・21植樹』


その夜の温泉宿には、東照宮の稲葉久雄宮司がかけつけた。先生のやわらかな人柄と、背筋がしゃんとした姿勢の正しさを絶賛した。世俗の欲得を超えた神々しさを先生の佇まいにみるようであった。先生は、なんども桜の植樹に話題を戻した。そして、こんなことを口にするのである。

「わしが生きているうちに桜を見に、再び、日光にこられるだろうか」。

先生は、この春、日光にくるつもりだった。ぼくもそのつもりで桜守を怠らなかった。昨年5月、ピンクのきれいな花を咲かせた。先生に写真を送ったら、ますます桜への興味が深まったようだ。


この板東桜は「陽光桜」という品種でした。偶然、選んだ桜なのだが、調べるといろんなことがわかってきた。愛媛・旧三内村の青年学校農業科の教員だった高岡正明氏が、戦場に散った教え子の追悼のために作ったもので、沖縄の寒緋桜と里桜を交配した。元教師の板東先生にふさわしい平和を願う桜なのである。
 高岡氏を題材にした実話映画「陽光桜物語」はこの3月に撮影を開始し、この秋の上映を目指している、という。

先月 29日の日曜日に、久しぶりに日光を訪れた。板東桜の蕾はたくさん膨らんできたのだがいくぶん身を閉じているように見受けられた。春が遅い日光なので花をつけるのは5月に入ってからだが、主人を失った桜にも悲しみが宿るものだろうか。

板東桜が寂しくならぬようにこの次はそばに森本桜を植えようか、と思う。


関連記事:
2013/05/16 vol.491 阿波の国のやさしさと、岡田家の人びと(上)
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2013/05/23 vol.492 阿波の国のやさしさと、憂いの中の恩師(下)
http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm130523.html

2013/09/26 vol.498 幸せな記憶‐メルマガ500回直前号
http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm130926.html


以上